完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

勝てたゲーム・・・だろうか?      ~ラグビーNZ戦「7点差」敗戦の意味~

2022年10月30日 | スポーツ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

昨日は外出した。

 

 

 

なのでラグビーの「vsオールブラックス」をLIVEで見れなかった。

 

 

 

録画を倍速で見たのだが・・・。

 

 

 

一番驚いたのはその「観客数」である。

 

 

 

サッカーのパリ・サンジェルマンvs川崎戦の観客数を超える65,188人。

 

 

 

やはりラグビーでの日本ワールドカップ開催によって、注目度が上がっているといえるだろう。

 

 

 

 

今さらであるが。

 

 

 

今回の「7点差の敗戦」(31対38)の意味を、私なりに考えてみた。

 

 

 

それはラグビーというスポーツの「本質」を知ることでもある。

 

 

 

 

ラグビーの得点の仕組みが、ほかのスポーツと「かなり違っている」

 

 

 

そのことが「ラグビーの面白さ」につながっている。

 

 

 

トライ「5点」  トライ後のコンバージョンキック「2点」  ペナルティキック「3点」

ドロップゴール「3点」   ※ペナルティトライ(認定トライ)「7点」

 

 

 

という得点方法となっている。

 

 

 

一目でその得点差の「微妙さ」に気が付くだろう。

 

 

 

昨日のゲーム最終盤で「4点差」だったことに「日本勝利の可能性」があったがゆえに、ラグビーを知っている人ほど「興奮した」と思う。

 

 

 

この得点方法の差と、プレーの差の意味が分かっていた人ほど「興奮」できるのである。

 

 

 

そのことが分からない人は「なんだ7点も差があるじゃないか」って思うだろう。

 

 

 

 

少し調べてもらうとわかるのだが、この得点方法は実は1993年以前と変わっている。

 

 

 

 

私がラグビーを観だした頃は「トライ4点」だった。

 

 

 

だから大差のつくゲームはあまり関係ないが「僅差の勝負」になってくると戦略的に面白いプレーが出ていた。

 

 

 

 

今回も最後の数分で「4点差」ということは、日本がトライを取れれば「逆転勝利」できたということ。

 

 

 

 

以前に日本が南アフリカに勝った時のラストプレーを覚えている貴兄も多かろう。

 

 

 

 

あの場面で「ペナルティキック」で3点取ると同点になって「引き分け」だった。

 

 

 

しかし、日本がトライを取りに行って完遂。見事に勝利したのを覚えている。

 

 

 

 

今の話で前後してしまうが・・・。

 

 

 

つまり、ラグビーには「対戦相手」ともに「残り時間」とも戦わなければならない。

 

 

 

相手との得点差を考えながら、残り時間に「何点取らなければいけないか」を戦術として持たなければならない。

 

 

 

 

しかも、ラグビーにおいてヘッドコーチ(監督)はベンチにいない。

 

 

 

観客席にしか指導部はいないのである。

 

 

 

ゆえにキャプテンを中心とした選手のコミュニケーションなどでゲームを組み立てていく。

 

 

 

 

そうした中で「メンバーの関係性・絆」等がほかのスポーツより大きな部分を占めると思うのだ。

 

 

 

他のスポーツにおける「監督が」という部分がゲームを進めている中で、かなり薄いのだから。

 

 

 

そうした意味でも、今回のオールブラックスの状態がここ数年の中でもあまりよくない気がしないでもない。

 

 

 

 

しかし、そのことが今回の「善戦・惜敗」においての大きなファクターではない。

 

 

 

 

ラグビーというスポーツにおいての「言い訳」にはならないのだ。

 

 

 

 

確かに会場が日本であることや、観客がほとんどに日本ファンであることがに日本のアドバンテージになっていることは間違いないが・・・。

 

 

 

 

ラグビーにおける「オールブラックス」を名乗ることの意味のおいては、ほとんど関係がない。

 

 

 

 

それを踏まえて今回のゲームは。

 

 

 

 

日本のラグビーはワールドカップにおいて「BEST8」に進出できる力は

 

 

 

 

「身についてきた」と思う。

 

 

 

しかし、比べるべきではないのかもしれないが「日本サッカーにおける『ドーハの悲劇』」のように「超えられそうで超えられない壁」を超えたかどうか?は

 

 

 

まだ、懐疑的だ。

 

 

 

今回のゲームの中でのキーポイントは「スクラムで負けなかったこと」「相手10番のレッドカード」「姫野のジャッカル」「両キッカーのキックの正確性」そして・・・。

 

 

 

私のは「ノットストレート」に見える「ラインアウトのジャッジ」ではないだろうか・・・。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ラグビーの本質的なおもしろさを楽しみますように。

 

 

 

             May

 

 

 

いつものことで申し訳ないが、ラグビーのゲームは本当に「レフェリーの感覚」が勝敗を左右するねぇ。

 

 

あとヤフーのヘッドラインにもあったけど、結構オールブラックスのメンバーにも「ハカが下手なメンバー」がいるんだね。(だから、陣形が近くて少しずつ前進したのか?)

 

 

前回のワールドカップの時の「ハカ」は、スゴイ迫力だった。

 

 

 

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「パーソナルボーダー」のむずかしさ2(その1)    ~どこまで理解しているの?~

2022年10月23日 | いま興味のあること

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

前回の「パーソナルボーダー」の話の時には「不倫とは?」と問うた。

 

 

 

しかし、ある意味「不倫の定義」の判断は簡単である。

 

 

 

なぜなら、そのことの判断にあまり「背景の材料」がないからだ。

 

 

 

個別に考えるとなれば、また別であろうけれど・・・。

 

 

 

大抵の人は、自分の意識において「これはダメ」ってラインがほぼ決まっているであろう。

 

 

 

 

今私が興味をもっているは。

 

 

 

昨日の日本シリーズでの「日本シリーズ1回オスナの判定をめぐってのファール」である。

 

 

 

実はLIVEで見ていない。

 

 

 

ちょこちょことテレビのチャンネルを変えている中で「スロー映像」を見ただけだ。

 

 

 

それを受けてのネットでの反応が面白かったのだ。

 

 

 

「非常に微妙」としか、私には言いようがない。

 

 

 

様々な映像を観て「あきらかにファール」と書き込む人。逆に「フェアです」という人。

 

 

 

ルール上は「フェア地内にワンバウンドしたボールが塁上をホンの少しでも横切ればフェア」ということらしい。(すいません、詳しくないのでこの程度に理解してます)

 

 

 

私にはオスナの打球がフェア地内にワンバウンドして「3塁ベース上に落ちて角度が変わった」ように見えた。

 

 

 

塁審もいったん「ファールのジェスチャー」をした後「フェアのコール」をしているし・・・。

 

 

 

それをふまえると・・・。

 

 

 

「一番近いところで見ていたプロの審判員のジャッジ」に重きがあるのだと思うのだが。

 

 

 

もちろん、ミスジャッチの可能性もある。だが、あの「一瞬」であれば「明らかなミス」とはいえないのではないだろうか。

 

 

 

言ってはいけないんだろうけれど・・・もっとひどい「ミスジャッチ」も結構あるし。

 

 

 

どなたかが言ったらしい。

 

 

 

         「それ(ジャッジ)も含めて『野球』です」

 

 

 

 

もう一つ気になることがあるのだが、長くなったので(その2)に続きます。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、スポーツのジャッジに一喜一憂しますように。

 

 

 

            May

 

 

 

変なタイトルになってしまってすいません。

 

 

でも、なんですね。こうしたことは「事実」より「観ていた人がどちらと思っているか」の方が世論を作っていくんですよね~~~。

 

 

 

 

 

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「テレビっ子」ならぬ「テレビ中老」ですかね・・・?       ~増えたBS無料放送~

2022年10月22日 | いま興味のあること

 

 

私は中老男である。

 

 

私はもともと「テレビっ子」であった。

 

 

いまは「テレビ中老」になっている。

 

 

そうした者にとって「BS無料放送」が増えることはとてもありがたいことだ。

 

 

数か月前から「BSよしもと」「BSJapanext」「BS東急」の3局が放送されるようになった。

 

 

 

さまざま個性的な番組が多いのだが、BSよしもとでは「漫才ブーム時代」の番組、BS東急では「時代劇や映画」などの番組を見る。

 

 

 

 

先ほど見たのがBSよしもとの「花王名人劇場」のアーカイブ。

 

 

 

チャンネルを変える途中でいきなり「桂枝雀」のよっぱらい姿が映った。

 

 

 

酔っぱらった男が七味を山ほど振ったうどんを喰う描写。

 

 

 

「スビバセンネェ~~~」

 

 

 

懐かしい。本当になつかしい。

 

 

 

今テレビで枝雀の姿を見ることはほぼ不可能だろう。

 

 

 

この放送を観た覚えがある。

 

 

 

山ほど七味を振ったうどんを一口だけ喰った男が千鳥足で家に帰るが・・・自分の家が分からない。

 

 

 

やっとたどり着き家に上がろうとするが、蹴躓いて倒れてしまう。

 

 

 

「誰や、こんなところで寝てんのは!・・・。あ、親父やな~。また酒飲んでるな~~。毎晩毎晩酒ばっかり飲んで!若い者は仕方ないとして・・・。」

 

 

 

「親子酒」である。

 

 

 

文章にしてしまうと、枝雀の面白さがほとんど伝わらないだろうけれど・・・。

 

 

彼以前の落語家ヵらは、眉を顰められそうなオーバーアクションで邪道ともいわれそうな芸ではある。

 

 

しかし・・・。これが本当に「笑える」のである。

 

 

親父「酒毒が回って、顔が3つも4つもあるぞ~~~。そんなバケモンみたいな息子にこの家はやれんぞ~~~」

 

 

息子「いらんわ~い!こんなグルグル回るような家は~~~」

 

 

大爆笑でサゲる。

 

 

後年精神を病んで自ら命を絶ってしまう彼の「全盛期の芸」だ。

 

 

 

そして、そのあとに出てきたのが「五代目三遊亭円楽」

 

 

 

先日弟子の六代目円楽(楽太郎)が亡くなったばかりだが・・・。

 

 

 

やはり円楽といえば五代目であろう。

 

 

 

それも一番アブラの乗り切った頃の「悋気の火の玉」である。

 

 

 

枝雀を観た後では、おとなしく見えるが「少々やりすぎ」感もある。

 

 

 

定席を持たなかった「圓生一門」の噺家は、こうしたテレビ出演ではかなり「力が入った高座」だったようだ。

 

 

 

「私の火じゃタバコがおいしくないでしょ。フン!」

 

 

 

師匠の圓生を聞いて落語ファンになった私としては、少々「バタ臭く」はあるが・・・いい出来ではある。

 

 

 

たぶん1980~84年くらい映像だろう。

 

 

 

私は20代前半。

 

 

 

夢もチボーもたくさんあった頃だった。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも若いときのテレビ番組に郷愁を抱きますように。

 

 

 

           May

 

 

 

このまま「テレビ老人」になるだろうな~~~。

 

 

 

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自分の中の「虫が」騒いで・・・。      ~決して目立ちたいわけじゃない~

2022年10月13日 | Weblog

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

たぶん私は「人ウケ」は良い方だろう。

 

 

 

人に対して「いやな顔」をすることは、ほとんどないし。

 

 

 

 

愛想もよい。

 

 

 

 

「気の弱さ」からくる愛想の良さではあるが。

 

 

 

 

つまり、どうゆうことかというと。

 

 

 

他人と接していると・・・・「疲れる」のである。

 

 

 

高じて「人嫌い」だ。

 

 

 

繰り返すが、たぶん周りの私を知っている人は「まさか」というだろう。

 

 

 

人が集まると、とりあえず声をかける。

 

 

 

誰彼なくである。

 

 

 

にこやかに場を盛り上げ、大笑いをする。

 

 

 

しかし、個人的なつながりを持つことには非常に臆病だ。

 

 

 

lineの交換など、ほとんどしない。

 

 

 

親密な関係になればなるほど「相手に会わせなければ・・・」という意識がはたらいて

 

 

 

自分を失ってしまう。

 

 

 

 

そんな私が。

 

 

 

少人数ではあるが人前でハーモニカを吹くという機会があった。

 

 

 

 

人前では演奏する気など、毛頭ないのであるが・・・・。

 

 

 

 

私はハーモニカが吹きたかっただけで、それを「人に聴かせたい」と思ったことはない。

 

 

 

 

しかし、吹くのであれば「上手に吹きたい」のである。

 

 

 

 

そして「上手に吹く」には「他人に聴かせなければ上手にならない」のだ。

 

 

 

 

3分ほどの曲は「意外にも」それなりに吹くことができた。

 

 

 

 

矛盾しているのであるが・・・・。

 

 

 

 

つまり「楽器がうまくなるには『人前で演奏する』しかない」のである。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分のやりたいことに「副産物」が生まれることを甘受しますように。

 

 

 

 

          May

 

 

 

これも矛盾しているのだが・・・。人前で演奏するのは・・・・「気持ちいい!」のである。

 

 

 

 

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「パーソナルボーダー」のむずかしさ     ~境界線は個々にある?~

2022年10月09日 | Weblog

 

 

私は中老男である。

 

 

中老男というのは、私自身の造語に近いと思うのだが・・・。

 

 

「初老」と「中老」と「完全な老人」の境目はどこか?

 

 

私の感覚では「55歳~60歳まで」が初老。

 

 

「60~65歳」が中老。

 

 

「65歳~」が老人、という感覚だ。

 

 

 

「それは違う!」とご立腹の諸兄もいらっしゃるだろう。

 

 

 

私のブログのタイトルなど大した問題ではないのだが・・・。

 

 

 

世にある様々なことの「ボーダー(境界)」が「世論」を形成していることに少々驚いている。

 

 

 

まず、問いたい。

 

 

 

「不倫」とは「どの行為から」を言うのか?

 

 

 

結婚している人間が、異性と・・・。

 

 

 

「食事に行く(二人きりで)」   「一緒にお酒を飲む(もちろん二人きりで)」

 

 

「手をつなぐ」   「同じ部屋で二人きりになる」   「同じ部屋で寝る(性行為は無し)」

 

 

「愛情を伴った性行為を行う」   「愛情を伴わない性行為を行う」

 

 

 

さて、皆さんはどれを「不倫」と考え、どれを「不倫でない」と考えるだろう?

 

 

 

一般的にはどうなんだろう?

 

 

「手をつなぐ」あたりからは、そう呼ばれたりするのだろうなぁ。それは「愛情」があること(少なくと嫌な相手ではない)が前提だろうし。

 

 

 

しかし、対して愛情を抱いてなくても「異性と手をつなぎたい」と考える人も多いのではないだろうか。

 

 

 

芸能人同士が「一緒の部屋にいた『友人』」とか、同じホテルに行ったが「部屋は別」とか、「一晩一緒だったけど『行為』はしていない」とかいう。

 

 

 

「精神的な『愛』」を前提にするならば、そこに「愛」が伴わなければ「すべて『不倫ではない』」という論理も成り立たなくはない。

 

 

 

これこそが「パーソナルボーダー」(個人的境界線・造語です)であり、たぶんかなり個人個人で異なっていると思う。

 

 

 

昨日まで行われてた「世界卓球」の解説に福原愛氏が3人目の解説として出演していたのだが、

 

 

 

批判のコメントが続出。

 

 

 

たまに「それなら水谷は?」(解説で出演)というコメントも。(彼も不倫疑惑があったらしい)

 

 

 

芸能界でも、この頃ちょこちょこと表に出てきた「東出昌大」などは「禊(みそぎ)」はすんだのか?

 

 

 

じゃあ「渡部建」は、まだダメなんだ・・・。

 

 

 

以前県知事を務めた「米山隆一」というひとが選挙で、同じく県知事だった「泉田裕彦」と1議席を争い、結構大差で勝った。

 

 

 

当選が決まった時に彼に対するバッシングが凄かった。(その時点で結婚していた、相手は「室井佑月」)

 

 

 

 

米山氏が以前に女子大生と金を渡して「関係を持った」とのことが知事を辞任する原因になったのだが・・・。

 

 

 

 

これは「不倫」ではないが「不道徳」と認識されたのだろう。

 

 

 

 

この場合も「お金」を渡さなければ「恋愛」になるのか?

 

 

 

 

お金でなく「物品」であったらどうか?

 

 

 

中老男である私は、そうした「感覚」で言えば、昭和に青春時代を過ごした世代であるから、

 

 

 

「妾」とか「二号さん」を持つことが「男の甲斐性」とされ、ある意味「羨望の対象」であった。

 

 

 

 

芸能人などは、そうした行為を「芸の肥やし」などと言って「推奨していた」感さえあった。

 

 

 

 

「不倫は文化」と発言したのは、石田純一だったろうか・・・。

 

 

 

その時も、ひどくバッシングを受けていた印象がある。

 

 

 

世に出ている文化(本や映画・芸術)には、確かに「不倫」を扱った名作が多々存在する。

 

 

 

そして、不倫などの場合は基本的に「他人がとやかく言う権利」はないのではないだろうか?

 

 

 

それは「当人同士」の問題だ。

 

 

 

「芸能人や政治家は違う!」という意見ももちろんあるが。

 

 

 

私的には自身に「性欲」があり、女性とそうした関係になりたいという欲求は「否定」できない。

 

 

 

ゆえに、そうした「不倫」「愛憎トラブル」に関しては「かなり寛容」だ。

 

 

 

芸能人や政治家のそうしたことに、激しく憤りコメントするような人は、そんなに「潔癖」なのだろうか?

 

 

 

それとも、某隣国のドラマのように「他人がすれば『不倫』で、自分がすれば『ロマンス』」ってことなのか・・・。

 

 

 

感情的になってその本人の「成績」や「偉業」までも蔑ろに考え批判するのは違和感を強く持っている中老男である。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の「境界線」がどこらへんなのか考えますように。

 

 

 

 

           May

 

 

こうしたUpをしておきながらなのだが。。。私は家人に「不倫(浮気)は絶対しない」と告げている。もし、そうした関係に至るならそれは「浮気」でなく「本気」である。女房・子供に罵倒されて軽蔑されてもいいと思う場合でなければ、ことに至るつもりはない。

つまり行為に至る前に「離婚」することが前提である。だから「不倫」をすることはない。(相手が結婚していたらってのは「自分から見て」ってことでお許しください)

中老男になってそんな面倒をしょい込むのは、めんどくさ過ぎる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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