完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

もう恒例になった?      ~23大河ドラマ「どうする家康」の感想~

2024年01月03日 | テレビ

 

 

 

私は前期高齢者寸前男である。

 

 

 

静かな正月である・・・・なんてとても言えない。

 

 

 

「大地震」のあとは「航空事故」である。

 

 

 

事故の詳細を読めば読むほど理解できない。

 

 

 

こうした時は自分の中で整理ができないうちは触れないこととしている。

 

 

 

そうした中でこんな内容でブログをUpしてよいのかとも思うのだが・・・。

 

 

 

自分の中の精神的集中力を通常に近づけるためにも進めていきたいと思う。

 

 

 

 

「大河ドラマ」というものも、近年その放送意義が変わりつつあるように高齢者寸前男は感じている。

 

 

 

 

昨年の「どうする家康」などはまさにその転換点ともいえる作品だったのだろう。

 

 

 

 

この歳になると大河ドラマもそれなりに観ている。

 

 

 

ただ、最初から最後まで「欠かさず観た」という作品はほとんどない。

 

 

 

「どうする家康」などもちゃんと見たのは10話程度ではないだろうか?

 

 

 

昨年末に総集編が4時間に渡って放送されたが、今回の感想はプラスそれによるものと言える。

 

 

 

 

そのことでご批判なされる貴兄もいらっしゃるとも思うが・・・・お許しいただきたい。

 

 

 

このことは何度か記しているのだが。

 

 

 

 

ドラマや映画の出演者おいては・・・「その俳優がそこにいる俳優」と「その役がそこにいる俳優」の二通りがいる。

 

 

 

前者の代表的な存在が「木村拓哉」「田村正和」「石田純一」であろう。

 

 

 

後者の代表は「菅田将暉」「真田広之」あたりだろうか。(憑依系ってやつね)

 

 

 

先に言っておくがどちらのタイプの俳優も、存在自体に優劣があると言っているのではない。

 

 

 

際立った数名を挙げただけで、その中間的な俳優もたくさんいる。

 

 

 

 

そんな様々な俳優たちがいることでドラマや映画が面白くなっている。

 

 

 

さて、そうした中で「松本潤」という人をどう評価するか?

 

 

 

この人もほぼ前者で彼自身がドラマの中にいる感が強い。

 

 

 

ジャニーズ出身。

 

 

 

しかも、この人の場合「例の騒ぎ(一連のジャニーズ騒動)」の前に、このドラマを撮影していたはずだ。

 

 

 

運が悪いというべきか・・・。

 

 

 

最後の5~6話はリアルタイムで、総集編は一気に観て思う。

 

 

 

ストーリー的には以前の大河よりずいぶんソフトになり、さらに松本潤を使うことで大河嫌いの人にも観やすいものになっている。

 

 

 

しかもVRの技術によってスケールがとてつもなく大きくなった。

 

 

 

映画に近い壮大感が出ることで、戦場や景色がリアルである。

 

 

 

ストーリー的にも、特に前半部分(瀬名・信康の粛清まで)は現代風で松本潤の演技とともに新しい大河を感じさせた。

 

 

 

ただ・・・。私のような歴史好き・大河好きにとってみると「ソフトすぎる」のである。

 

 

 

瀬名こと築山殿は定説では「年上の悪女」であり、その粛清は家康物語の中の前半の山場である。

 

 

 

ちょっと拍子抜けというか、大アマっていうか・・・。

 

 

 

その後の家康の生き方を観ると、松本潤ではイメージがズレすぎていて彼が演じきれない感じだった。

 

 

 

60を過ぎた頃からはメイクや他の若手俳優との対比によって、何とかそれらしくなってはいたが。。。

 

 

 

全編を通してワキの俳優たちのクセが強すぎて、松潤が負けちゃった感もあるし。

 

 

 

信長(岡田准一)秀吉(ムロツヨシ)光秀(酒向芳)お市・淀殿(北川景子)あたりが・・・・。

 

 

 

強烈過ぎたよね~~~~。(北川景子はお市と淀殿を上手に演じ分けてた!淀殿の方がちょっとか「イキッてる」っていうかね)

 

 

 

しかもこの歳になると前々回の「麒麟がくる」の記憶が鮮明である。

 

 

 

 

エピソード的に重なる部分が多々あった。

 

 

 

 

それをどう解釈するかで「大河ドラマ」にかなりの影響を与えていることが見て取れる。

 

 

 

どうやら視聴率がかなり良くなかったらしいが、今の「視聴率」は人気や作品の評価にほとんど意味をなさない。

 

 

 

最後に「これを言ったらおしまい」って話なんであるが・・・。

 

 

 

 

「松本潤が主演でなければ」かなり違ったものになっていだろう。

 

 

 

もちろん、それは単純に「良かったはず」とも「良くなかったはず」とも言えないのだが。

 

 

 

「たられば」って終わり方は一番よくないか。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも歴史や大河ドラマを楽しみますように。

 

 

 

 

               May

 

 

 

 

2年連続で大河に出演する俳優は、ほぼいないはずなんですけど「佐藤浩市」「小栗旬」とかが出てましたね。まあ、チョイ役だったですもんね。

 

 

 

 

 

 

 

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ヒマに任せて今年の大河ドラマの感想            ~私の好みから外れてます~

2023年09月23日 | テレビ

 

 

私は前期高齢者寸前男である。

 

 

 

自分にとって完全休養というのは本当に久しぶりだ。

 

 

 

何か月ぶりだろう?

 

 

 

午前中にブログUpして、こうしてヒマに任せて午後にも・・・。

 

 

 

なんて記憶の果てにしかないようなことをしている。

 

 

 

それならば、もっと他にUpすることがるような気もするのが・・・。

 

 

 

今回は、例年気になっている「大河ドラマ」についてである。

 

 

 

 

「どうする家康」であるが・・・。

 

 

 

何しろ「松本潤」ですからねぇ。

 

 

 

 

ジャニーズの話は、皆さんが忘れたころにUpするつもりです。

 

 

 

前期高齢者寸前男というのは「大河ドラマ」にある種の「憧れ」とか「慄き」とかがある。

 

 

 

それを前提に「どうする家康」をどう見るか?というと。

 

 

 

「あまりに現代風」(突飛な歴史的解釈)過ぎてついていけない。

 

 

 

 

徳川家康という人は、大河ドラマ的に出演回数が圧倒的に多い人物だ。

 

 

 

 

この人物を知らない人は多分日本人にはほとんどいないだろう。

 

 

 

 

そうした上に・・・主演が松本潤である。

 

 

 

 

最初から嫌な予感がしてはいたのだが・・・。

 

 

 

 

主演以外のバイプレーヤーたちの演技には目を見張るものがある。(民放では無理だろう)

 

 

 

 

しかし、今回私が一番注目した「築山殿(瀬名姫)」のエピソードがあまりに残念であった。

 

 

 

 

これは結構ネットでも取り上げられていたようですな。

 

 

 

 

私のベースには、山岡荘八の「徳川家康」(全26巻)のイメージがあるために、なおのこと違和感が強い。

 

 

 

 

松潤も思った通りで過不足ない(いい意味でも悪い意味でも)演技と存在感。

 

 

 

ゆえに、今年の大河ドラマ「どうする家康」は・・・・たまにしか観ていない。

 

 

 

 

秀吉・信長も個性的な良い出来だったがゆえに、もう少し「作り方があったのではないか」と思ってしまう。

 

 

 

あと3か月であるが、史実としての家康の生き方が変わらないのであれば・・・残念ながらドラマとしては期待薄すとしか私には思えてしまう。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、大河ドラマを真剣に見ますように。

 

 

 

 

 

             May

 

 

 

 

ひねくれ者の私は「本多正信」とか「鳥居忠元」がどうなるかに興味があるんだよね。

 

 

しかも本多正信を松山ケンイチがやっている。

 

 

その部分には大変期待しているのです。

 

 

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どうにも止まらない。        ~映画「悪魔の手毬唄」観ちゃいました。~

2023年05月06日 | テレビ

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

ゴールデンウイークも後半である。

 

 

とにかく、今回のGWは・・・。

 

 

 

家の「断捨離」である。

 

 

 

なぜ「今なのか?」という理由は・・・いずれUpします。

 

 

 

 

ということで、その断捨離の途中で観たのが

 

 

 

 

 

       「悪魔の手毬唄」

 

 

 

                である。

 

 

 

満腹なるまで「犬神家の一族」を観た後では、普通の人はもう「金田一モノ」は観たいと思わないだろう。

 

 

 

 

 

しかし、中老のヒネクレ者は逆である。

 

 

 

こうなると、トコトン金田一モノに突き進むのさ!

 

 

 

一般的に「犬神家の一族」ほどのインパクトはないが「悪魔の手毬唄」は名作である。

 

 

 

録画媒体に残してあるのは、わかっていたのだが・・・。

 

 

 

探し出すのに結構かかってしまった。

 

 

 

この作品の最大の特徴は「キャスト」が「完全にハマっている」ということ。

 

 

 

 

特に「岸恵子」「若山富三郎」がいい味出してますなぁ。

 

 

 

この映画の場合も、原作を読んだのは映画を観てからだったような記憶がある。

 

 

 

 

だが、それほどの違和感を感じた覚えがない。

 

 

 

 

岸恵子の「艶っぽさ」は、今の女優達には出せないものだ。

 

 

 

三味線の腕もしっかりしていて、いかにもこの時代の旅館のおかみらしさがある。

 

 

 

若山富三郎もやはりその存在感が、横柄でありながらどこかしら純朴なヤモメ警部をうまく演じている。

 

 

 

石坂浩二の金田一耕助も、すっかりなじんでいる。

 

 

 

そして、やはり「北公次」だろう。

 

 

 

このがフォーリーブスというジャニーズ事務所の古いグループで、絶大な人気を誇った人だということは、

 

 

 

私の世代の人は知らない人はいないだろう。

 

 

 

 

★★★★★★★★★★★★ちょっと、ブレイクします★★★★★★★★★★★★

 

 

 

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ついでに観ちゃいました。        ~映画「犬神家の一族」(2006年版)~

2023年05月05日 | テレビ

 

 

私は中老男である。

 

 

 

ゴールデンウイーク真っ最中である。

 

 

 

観光地が「劇混み」している様が報道されているが。

 

 

 

 

私はとにかく家の片づけに追われているのである。

 

 

 

 

 

そんな中「ついでに」映画「犬神家の一族」(2006年版)を観た。

 

 

 

 

前作から30年後のリメイクである。

 

 

 

 

言い切ってしまおう。

 

 

 

 

「残念!」

 

 

 

 

私の感覚では・・・。

 

 

 

 

前作と「かぶっている役者と監督」が「最大の失敗」に思えるのだ。

 

 

 

 

脚本・演出はほぼ同じと思ていいのだろう。(実はとんでもなく違うところがあるのか?)

 

 

 

 

キャストはこの当時とすれば「過不足なく豪華」である。

 

 

 

 

その「豪華さで映画を観せる」という感覚は間違っていない。

 

 

 

 

しかし、私としては「失敗」と思える「松嶋菜々子の野々村珠代」を、

 

 

 

 

プロデューサー・一瀬 隆重が監督市川崑に対して強硬に主張したという。

 

 

 

 

当時の彼女の演技や存在感にプロデューサーが惚れていたのは十分理解できる。

 

 

 

だが、私にはこの映画の中で「彼女だけが『浮いて』いる」ように見えるのだ。

 

 

 

やはり、彼女の「体格的存在感」が強すぎる。

 

 

 

 

また、逆に「石坂浩二の金田一耕助」は監督市川崑が「彼以外を起用しない」ことを条件にしたという。

 

 

 

これも彼の役者としてのキャリアや存在感に問題があるわけではない。

 

 

 

単純に30年前の彼と彼の演技を観てしまっていると「違和感」を抱いてしまうのだ。

 

 

 

この役は全く違う役者がやるべきだったと私は思う。

 

 

 

 

さらに、その二人を起用したなら、監督は「市川崑」以外で撮れば違った演出・インパクトがあった気がするのだ。

 

 

 

 

当たり前の話なのだが、自分がこの映画の「前作の空前のブーム」を知ってしまっている上に、

 

 

 

若い時の石坂浩二の演技を観てしまっている。

 

 

 

当然、それを比べてしまう。

 

 

 

 

すると、周りの役者たちをこれだけ変えて「彼だけが変わらない」のには違和感があるのだ。

 

 

 

 

彼だけがタイムワープしたのか?って感じ。

 

 

 

 

ゆえに、76年版を観ていない人は十分楽しめたのだろう。

 

 

 

 

さらに言えば、十分に「街並みや小道具等」の時代考証的が行き届いた分、

 

 

 

 

なおさら役者の身体的特徴が、その時代背景とズレてしまっている。

 

 

 

 

こうなると・・・・。

 

 

 

なぜ「リメイクしたんだろう?」って気になるんですよね。

 

 

 

 

まあ、興行的にはそれほど失敗ではなかったんでしょうけど。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、リメイクした映画をヒネクレて観ますように。

 

 

 

 

        May

 

 

 

 

 

実は「特に失敗しているキャスト」があって、柏屋旅館の主人(九平)を「林家木久蔵(現木久扇)」が演じている。

 

 

彼が「失敗しているキャスト」ではなく・・・。九平の女房である。

 

 

それが「中村珠緒」なのである。

 

 

これだけの豪華映画に、なぜこんな小さい役を彼女にキャスティングしたのだろう。それががまた「うまいんだ」旅館のおかみさんの「演技」が本当に。(その分、喜久蔵の演技のヘタさが際立っちゃってるんだよね)

 

 

 

 

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なるほどねぇ・・・。そうした見方があったのね。    ~BS「犬神家の一族」観ました~

2023年05月03日 | テレビ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

ゴールデンウイーク前に「怒涛の忙しさ」を経験した。

 

 

 

それらも三々五々Upしていこうと思うのだが・・・。

 

 

 

まずはタイトル通りドラマ「犬神家の一族」の感想を。

 

 

 

 

 

すでに様々な感想が述べられているので、中老男があれこれUpするまでもないのだろう。

 

 

 

 

 

しかし、中老ならでは「ひねくれた観方」になっていれば幸いである。

 

 

 

 

先回、映画版を観ておいたUpしたが・・・若干禍いしたかもしれない。

 

 

 

 

いまさらメディアとしての「映画」と「ドラマ」の違いを語るつもりはないが・・・。

 

 

 

 

大抵の場合キャストにかける「出演料を含めた製作費」が違う。

 

 

 

映画にはそれにより「大物キャスト」がそろいそれだけでもお客が呼べるものになる。

 

 

 

そして放映時間が映画の方が短い。(たいていは長くて3時間が限度だろう。シリーズものは除くけど)

 

 

 

 

だから、私の感覚では原作にある「細かいディテール」を描くにはドラマの方が向いていると思う。

 

 

 

 

その代わり短時間での「迫力」では映画の方が上だろう。

 

 

 

 

しかし、今回のドラマは前後編で3時間。

 

 

 

映画よりも長くはあるが「細かいディテール」を描くには短すぎないだろうか。

 

 

 

細かいディテールを描いたのは「古谷一行版ドラマ『犬神家の一族』」の右に出るものはあるまい。

 

 

 

 

★★★★ここからは「ネタバレ」があります。ドラマを観ていない人は気を付けてね!★★★★

 

 

 

結局のところ、今回のドラマは「最後の15分」にすべて集約されているといえる。

 

 

 

 

原作を読んで、映画を観て、さらに私のような「ヒネクレ者」ならこの「最後の15分」のところに、

 

 

 

 

それほどは違和感を覚えないのではないだろうか。

 

 

 

 

それは今回の「犬神家の一族」の原作や映画の完成度に問題があるのではなく、すべての「小説・映画、果ては事実」までが、

 

 

 

 

観方によって「まったく違うモノ」に観えてくるものだからだ。

 

 

 

 

最後の30分で映画では「静馬による種明かし」が、ドラマでは「佐清による種明かし」になっている。

 

 

 

 

それによってずいぶん興が削がれた感があったのだが、それこそが「最後の15分」につながっている。

 

 

 

 

なるほどって思った。

 

 

 

そして、私は佐清が最後に「ニヤリと笑う」と思ったのだが・・・・。笑った(ように見えた)のは「珠代」の方だった。

 

 

 

 

そうなのだ。今の時代であれば「珠代の笑い(のように見えること)」が「新解釈」と説明できる。

 

 

 

 

原作ができた1972年当時にこのラストシーンだったら、たぶん「非難轟々」だったと思われる。

 

 

 

 

そろえたキャストのイメージもあるし、その当時はどんな映画にも「カタルシス」を求められていたしね。

 

 

 

 

そうした意味では、今の時代だからこそ「こうしたラストシーンのドラマ」になったのだろう。

 

 

 

 

そして、だからこそ今回、何度も映像化されたこの「犬神家の一族」をわざわざドラマにした理由ともいえる。

 

 

 

 

ただ、私にとっては「良い出来」とは思えなかったですねぇ。

 

 

 

 

大竹しのぶの演技なども評判が良いけれど、彼女の演技などは私の予想を超えるものではなかったし。

 

 

 

 

吉岡秀隆の金田一耕助は、回を重ねるたびに私は「違和感」しか覚えない。

 

 

 

 

どちらかといえば「獄門島の時の長谷川博已」の方が新しい「金田一耕助像のイメージ」なのだな。

 

 

 

 

たぶん、このシリーズはまだ続いて「本陣殺人事件」や「悪魔の手毬唄」なんかが作られるかもしれないね。

 

 

 

 

さて、どうなりますやら。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、中老になったときにドラマを観る目が変わりますように。

 

 

 

 

 

                May

 

 

 

そうした意味では、ドラマの中でも「松子が一人でどうやって静馬を殺したか」とか「その死体をどうやって湖のあの場所へ逆さに突き刺したか」なんて疑問がわいちゃうけどね。(もし佐清が手伝ったのであれば、最後の種明かしがとんでもない茶番になっちゃう)

 

 

さらに蛇足です。原作では「湖に刺さった死体」は「スケキヨ」が逆さなっているから「ヨキケス」となり、最初の二文字で「ヨキ(斧)」を使った殺人になるってことになってるはずですね。(苦しい解釈で~~す)

 

 

そのことの解釈は「映画版」が一番納得できるし、それらを含めてこの映画が「原作を超えた映画」と私には思えるのだ。

 

 

 

 

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「おさらい」しておきます。       ~「犬神家の一族」(映画)見ておきました。~

2023年04月22日 | テレビ

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

どうやらNHKで「犬神家の一族」がドラマで放送されるらしい。

 

 

 

今日の夜と来週の土曜日の2回に分けての放送だという。

 

 

 

そうなると・・・。

 

 

 

「映画をおさらいしておかないと」って気になった。

 

 

 

ちょうど土曜日。

 

 

 

午前の遅い時間に76年に公開された「初代」の録画を見始める。(ご存知でしょうけれど、二代目があります)

 

 

 

 

先日NHKのバラエティーで、この映画のことをドキュメント風に振り返っていた。

 

 

 

 

この映画が公開された時、私は15歳。

 

 

 

まさに昭和真っ只中であり、情報源は「テレビ」とか「雑誌」「新聞」の類が90%を占めていた。

 

 

 

しかも私は高校生になったばかり。

 

 

 

なにしろCMが華々しかった。

 

 

 

「読んでから観るか!観てから読むか!」ってキャッチフレーズも強烈に記憶にある。

 

 

 

 

実をいうと「映画」としては観ていない。

 

 

 

 

たぶんテレビ放送で観たように記憶している。

 

 

 

 

ビデオが家に来てからは(?)何度か観なおした。

 

 

 

 

そして時を置けば置くほど、その映画の「凄さ」を感じる。

 

 

 

 

それは「犬神家の一族」という映画もさることながら・・・。

 

 

 

 

「映画」というモノ自体の「力」を思い知らされる。

 

 

 

 

あったり前なのだが、そこに収められているのは「切り取ったその当時の時間」であり「出演者の若さ・演技」などがそのままに記録されている。

 

 

 

 

この76年の「犬神家の一族」に出演している役者の面々は多分8割くらいは物故しているだろう。

 

 

 

 

そこには、もう見れない役者たちが生き生きと演技しているのだ。

 

 

 

 

そして描写されている「終戦直後の日本の風景」は、中老男の幼児期の記憶を呼び起こさせる。

 

 

 

 

ちなみに中老男は昭和36年生まれで「もはや戦後ではない」と言われた当時である。

 

 

 

 

そんな人間にも、激しく「郷愁」を感じさせるのだ。

 

 

 

 

そして、なんといっても・・・。

 

 

 

 

いまだに「映画は『原作を忠実に映像化する』ことが正解だ」と思っている私にとって

 

 

 

 

その「原作を超えた」数少ない映画の一つなのだ。

 

 

 

 

「犯人が分かっていながら何度も観れるミステリー映画」ってホントに「そんなにない」ですよ!

 

 

 

 

出演者の重みも、私世代でないとわからないしね。

 

 

 

 

時代が変わっても、この原作の重みが変わらないことを今夜のドラマが証明してくれることを望んでいる。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、中老になったときに感じる郷愁がありますように。

 

 

 

 

           May

 

 

 

 

もはや、この原作は「歌舞伎」や「古典落語」「クラシック音楽」のように「誰がどのように演じるか」がポイントのモノになっているからねぇ。

 

 

 

 

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まだまだ「間に合わなかった」        ~2022総決算「大河ドラマ」編~

2023年01月02日 | テレビ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

正月2日である。

 

 

 

なのにまだ「2022年」の話。

 

 

 

申し訳ないがお付き合いいただきたい。

 

 

 

大河ドラマを全話見ることは実はあまり多くない。

 

 

 

だいたい最初で躓くか逆に5~10話くらいの中だるみで躓く。

 

 

 

「鎌倉殿の13人」の場合。

 

 

 

 

歴史好きの中老男であっても一番「苦手な時期」でありあまり興味がなかった。

 

 

 

そして、特に「三谷幸喜」という人は脚本の出来に「落差がある」と私は思っている。

 

 

 

外した時は「時間を返せ!」と言いたくなるのじゃ。

 

 

 

ゆえに今回は15話近くまで録画して4月頃に一気に観た。

 

 

 

悪くない。

 

 

 

というのが最初の感想。

 

 

 

彼のコメディ系の部分がうまく効いている。

 

 

 

キャストもいい。

 

 

 

この鎌倉幕府というものが「武家社会の礎」であったことも実は知らなかった。

 

 

 

どうしても「戦国時代の末期(天下統一)」の方が面白い。

 

 

 

だが、その「武家社会の元々の秩序」がいかに出来上がったかを知らなかった。

 

 

 

天皇と征夷大将軍・将軍と執権・公家と武家・将軍と御家人の関係性が出来上がった後に。

 

 

 

ようやく「戦国時代」がやってくる。

 

 

 

そのことを今回の大河ドラマでよく理解できた。

 

 

 

つまり「天皇の権威」・「将軍の権威」・「執権の権威」とはどこまであるか?

 

 

 

その関係性がどうなっていたのか?

 

 

 

それらは歴史の教科書を読んだだけではほとんどわからない。

 

 

 

なぜかといえば・・・。

 

 

 

その立場の各人の「人間関係とその野心」が深く関係しているからだ。

 

 

 

たとえフィクションであろうとも各人の感情的な部分を描いてこそリアリティーがあるのだ。

 

 

 

そうした意味で三谷幸喜の脚本は「非常に当たった」というべきだろう。

 

 

 

「悪役」が単なる悪役ではなく、その当人には当人なりの「正義や欲」があり、それが複雑に絡まり合い混沌としていく。

 

 

 

世界史において「宗教戦争」というものが「他宗教は皆殺し」という感覚がなくなることで「現代の国秩序」が出来上がっていった。

 

 

 

それと同じように北条「泰時」が「御成敗式目」を制定することで秩序が出来上がる。

 

 

 

「上皇」が流されることで「武家の社会」がやってくる。

 

 

 

「天皇」が政治に絡まなくなることで、ある意味「(権力のない)神的地位が確立」する。

 

 

 

人間関係が複雑で登場人物が多いこの時期を。

 

 

 

大河ドラマでこうした形で成功させたのにはやはり「三谷幸喜の脚本力」は賞賛に値するだろう。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、大河ドラマと歴史をリンクさせて楽しみますように。

 

 

 

 

          May

 

 

 

 

ちょっと知ったかぶりです。「上皇」って「天皇の父(先代天皇)」のことで、さらに現天皇が退位すると「上皇」は「法皇」になる。そうすると「頭を丸め」なければいけない決まり。

 

 

そのため、ドラマの最後で後白河は「坊主頭」になっているのです。

 

 

「天皇(家)」が「部下である将軍から命令された」のは、この時が初めてでありこれ以降天皇(家)が政治権力を取り戻すのは・・・・「明治」までないんですな。

 

 

 

 

 

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「セリフ」の力って凄いね。      ~「マスク」地上放送版~

2022年09月19日 | テレビ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

先のUpでも記したのだが・・・。

 

 

情けないことに、本当に映画館で映画を見ていない。

 

 

 

そして、当たり前だが映画は映画館で見ないと本当の良さがわからない・・・。

 

 

 

暗い密閉された空間の中で、集中して銀幕を見ることには、ある種の「ストレス」がかかる。

 

 

 

だが、だからこそ体に感じる音響などが強烈な印象になる。

 

 

 

個人で設備を整えても、結局途中で止めることができるし、何より「料金」を払っていない。

 

 

 

 

やはり、人間ある程度のストレスを感じながらでないと物事に集中できないようにできているらしい。

 

 

 

 

だが、そうした中で私が映画をDVDやBLで購入する場合は、大体の法則がある。

 

 

 

「繰り返し観る」こと。

 

 

 

まあ、現実にそうでない場合も少なくないが・・・。

 

 

 

 

そうしたコレクションの中に「マスク」がある。

 

 

 

 

この映画も、ずいぶん古い作品になったなぁ・・・・。(調べたら1994年)

 

 

 

 

ジム・キャリーの若いこと!(なんと私より1歳下!)

 

 

 

 

その当時に、アニメを部分的に取り込んだシーンが話題になった。

 

 

 

以前にテレビ放送を観て「おもしろい!」と、感心してDVDで購入していた。

 

 

 

しかし・・・。

 

 

 

観て驚いた。

 

 

 

 

あきらかに面白みが「半減」している。

 

 

 

 

なぜか?

 

 

 

「吹き替えのセリフ」が違うのだ。

 

 

 

以前は特に「映画は字幕さ!」それが「本当の面白さだ!」と思っていた。

 

 

 

しかし、テレビ放送における「吹き替え版」には「傑作が多い!」と思うようになった。

 

 

 

 

今回の「マスク」は、最初に見たのが今回の「日本テレビ放送版」だったので、そのイメージがズッとあった。

 

 

 

DVD版も主役吹き替えは「ミスター声優・山寺宏一」だった。

 

 

 

しかし、極論すれば・・・「まったく別物」である。

 

 

 

今回日本テレビ放送版をと見比べてみた。

 

 

 

単純に「意訳」の違いというより「ノリの良さ」を重視した吹き替えのセリフが、日本テレビ版の方が格段にいい!

 

 

 

マスクに変身したイプキスが、アパートの二階から道路に落ちて一言。

 

 

 

DVDでは「見て、こんなペチャンコ~~!」

 

 

 

テレビ放送では「見て、ママ~、おせんべいになっちゃた~~~!」

 

 

 

こんなちょっとしたシーンだけでも、山寺宏一のノリの違いが確認できる。

 

 

 

しかも、デジタルになったテレビ放送はDVDの画質より「かなりいい」のである。

 

 

 

地上波の映画放送は衰退の一歩、仕方のないこととは思うのだが・・・。

 

 

 

 

吹き替えによって映画が格段に面白くなることも少なくないって思わされた作品だった。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ほんのちょっとした違いが大きな違いになることに気が付きますように。

 

 

 

 

              May

 

 

「沈黙の戦艦」とか「ダーティハリー1~3」なんかも、字幕版・DVD版とかなり違うよ~~~。

 

 

 

 

 

 

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「時分の華」って知ってます?        ~映画「梟の城」~

2022年09月15日 | テレビ

 

 

私は中老男である。

 

 

 

「梟の城」が放送された。

 

 

 

ここ数年、司馬遼太郎原作の映画を続けてみている。

 

 

 

「関ケ原」「燃えよ剣」「峠」

 

 

 

そのすべての映画の感想には共通したものがある。

 

 

 

「司馬物は映画に向かない」ということ。

 

 

 

正確に言えば、その原作の本質的なことは映画では無理だと私には思えるのだ。

 

 

 

そうした中でこの「梟の城」は例外といえる。

 

 

 

と言いながら・・・。

 

 

 

実はこの原作を読んでいない。

 

 

 

 

そうした意味では、それまでの映画と違った方向性の感想を記すことになる。

 

 

 

 

「映画」の魅力などと語ることできるほど、どっころか恥ずかしいほど映画を見ていない私であるが。

 

 

 

 

この「梟の城」を観て思った。






ストーリーは司馬物としてはごく初期の作品(どころかほぼ初作品)であるので、

 

 

 

最近の3本と違い娯楽性の高いものとなっているので、映像にはしやすいし、そうした場合に見栄えがする内容だ。

 

 

 

 

そうした中での一番の見どころは「小萩(鶴田真由)」と「木さる(葉月里緒奈)」だろう。

 

 

 

 

主演の中井貴一・助演上川隆也の二人にはほぼ過不足ない。

 

 

 

 

二人とも強烈なカリスマ性のある男優ではない。

 

 

 

 

その代わりにとても「安定感」がある。

 

 

 

 

それに対しての「鶴田真由」と「葉月里緒奈」の女優二人。

 

 

 

「女優というのはたいへんだなぁ・・」とつくずく思う。

 

 

 

後から後から「新人女優」が現れる。

 

 

 

それも私から見れば宇宙人にも見えるようなプロポーションの新人たちが。

 

 

 

 

その中で「自分の立ち位置」をしっかり持った女優でなければ生き残れない。

 

 

 

しかし、女優には「時分の華」という言葉が一番似合う時がある。

 

 

 

失礼な表現になるが、今の鶴田真由と葉月里緒奈は華々しい活躍をしているとは言い難いだろう。

 

 

 

だが、どんな女優にも「時分の華」の時がある。





この時の二人がそうだ。

 

 

 

鶴田真由という女優には「上品さ」と「憂い」がある。

 

 

 

葉月里緒奈には逆に「天真爛漫さ」と「娘から女に代わる時」が役と相まってとても良い。

 

 

 

二人が対比され映画がより素晴らしいものになっている。

 

 

 

逆に言えば「映画の見方」というのは、私のように「原作に忠実であるか」という見方が正しいわけではないということ。

 

 

 

そうでなければ主演俳優が誰であるかなんてことが、映画においてこれほど大きなファクターになったりしないやね。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分にも「時分の華」があることを思い知りますように。

 

 

 

        May

 

 

 

「君の膵臓を食べたい」という映画の「浜辺美波」などは、その典型じゃないかなぁ。あの時の彼女は今の彼女と別人。

 

 

 

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やらかしてしまいました~~~。       ~最後まで観なかったサッカー中継~

2022年05月26日 | テレビ

 

 

私は中老男である。

 

 

 

なかなか「生」でスポーツ観戦ができない。

 

 

 

もともとどのスポーツの観客入場者数を制限しているし・・・。

 

 

 

 

そうした中で、昨日BSでJリーグ中継。

 

 

 

 

           「鹿島vs鳥栖」

 

 

 

 

見始めたのは8時を過ぎてから。

 

 

 

 

 

後半である。

 

 

 

 

しかし、いつもの通り・・・・。

 

 

 

 

カチャカチャとチャンネル変えながらたまにサッカー中継。

 

 

 

 

 

後半が始まったときに0-0だったのが・・・。

 

 

 

 

 

気が付くと「鹿島1-3鳥栖」になっている。

 

 

 

 

 

本当のところ、スポーツ中継においては「この観戦方法」が一番よくない。

 

 

 

 

わかっているのだけれどねぇ。

 

 

 

 

 

その後半20分過ぎからしっかり見始める。

 

 

 

 

 

サッカーは不思議である。

 

 

 

 

ふつう

 

 

 

 

2点リードなら、ほぼ勝利が見えてくる。

 

 

 

 

簡単に「ゴール」が生まれはしないものだ。

 

 

 

 

 

しかし、逆に。

 

 

 

 

 

サッカーにおいては「2点リードが一番危ない」というジンクスもある。



 

 

 

どこかで・・・・聞いたような気が・・・・ワールドカップ?ベルギー?・・・え?

 

 

 

 

残り時間が少なくなってくる度に、鹿島のポゼッションが高くなり・・・。

 

 

 

 

 

さまざまなロスタイムが生まれ・・・。

 

 

 

 

 

「5分のアディショナルタイム」が告げられる。

 

 

 

 

そうした中で「アディショナルタイム2分と4分」に鹿島が得点。

 

 

 

 

一気に「逆転!」・・・・。

 

 

 

 

 

鹿島というチームは、こうした時に「ソコジカラ」を出す。

 

 

 

 

なんか・・・小憎らしい。

 

 

 

 

 

残り時間は数分。

 

 

 

 

もうダメだな。

 

 

 

 

そのままチャンネルを変えある。

 

 

 

 

しかし・・・。

 

 

 

 

その後のニュースを見ていると・・・。

 

 

 

 

鳥栖が「ラストプレーのコーナーキック」からヘディングで「同点」に追いついたというではないか!

 

 

 

 

 

たしかに中継の時に山本正邦氏が「残り時間少ないですけれど、鳥栖には『セットプレー』がありますよ」と言っていたが・・・。

 

 

 

 

 

そうなのである。

 

 

 

 

 

スポーツ(生・テレビ中継共に)は「最後の1秒まで」あきらめてはいけないのである。

 

 

 

 

 

 

やっちまったな・・・・!

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、スポーツを「最後までちゃんと」観戦しますように。

 

 

 

 

 

           May

 

 

 

 

サッカーをスタジアムへ行って観戦する時にも「鉄則」がある。

 

 

試合中にどんな理由があっても「席を立っては」いけないってこと。

 

 

まず「80%の確率」で、その席を立っている時に「得点が入る」からね。(ホント不思議)

 

 

 

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