私は初老男である。
自分はひょっとしてエライのかもしれない・・・って、思っていたのだが。
本当に「エライ!」ということを思い知った。
その理由は後記。
毎度おなじみの「落語ディーパ」である。
通常収録が滞っているのかスペシャルが続く。
春風亭一之輔演じる「長屋の花見」
いい出来!
やはり、一之輔の本領はコッチにあるのだろう。
真に「古典落語」の落とし噺の方に彼の軸がある気がする。
後半の柳家わさびとの対談でも「コッチ側」と認めている。
小痴楽の時に話した通りなのだが、一之輔の与太郎はとても際立っている。
それは「ゆっくり」しゃべっているからだ。
残念ながら他のキャラクターの演じ分けが少々荒いですけどね・・・。
一之輔はすでに当代では「人気者」であり、それに見合っただけに実力は備わっているだろう。
しかし、これから「大看板」になるにはこの「キャラクターの演じ分け」がもう少しって感じ。
こうしてみると、落語家のピークはやはり50代ではないかと思う。
悪い癖と思いながら引き合いに出してしまう。
「五人回し」という廓噺がある。
三遊亭圓生がこの噺を得意としていたのだが、廓の客5人を見事に演じ分けている。
一之輔ならやれるだろう。楽しみだ。
さて、私が「エラクなったこと」の理由であるが。
先に出した柳家わさびと一之輔のショート対談が番組の後半であった。
その時に少々驚かされたのだ。
柳家わさびが一之輔に「それなりのお金が入ってきたら、貧乏噺がやりにくいのでは」とか。
「結婚してない自分が夫婦噺をしては?」とか。
「歯科矯正していては古典落語の信憑性が薄くなるのでは?」とか・・・・。
尋ねていたのだ。
いかになったばかりとは言え「真打」である。
そんなことは当然知っている(覚悟している)ものだと思っていた。
しかし、さすが一之輔が「それを感じさせないのが『腕』」と答えていた。
お客と自分(落語家)両方の想像力が同じ景色を見せるのだと。
あぁ。だからわさびは「八人芸」みたいな「死神」になったんだ・・・。
そんな風に思ってしまったのは、私がそのことを知っているからだと。
つまり「落語」に関してはそのことを知っている私は「エライ」ってことを自覚したんだよね。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、落語においては見た目や姿は大したファクターではないことを知りますように。
May
当たり前だけれど、わさびのやった八人芸と圓生の五人の演じ分けは「全く」違うモノですからね。それは聴いて見なければ分からない。いや、聴き分ける力がないと分からないだろうなぁ。
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