完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

やらかしてしまいました~~~。       ~最後まで観なかったサッカー中継~

2022年05月26日 | テレビ

 

 

私は中老男である。

 

 

 

なかなか「生」でスポーツ観戦ができない。

 

 

 

もともとどのスポーツの観客入場者数を制限しているし・・・。

 

 

 

 

そうした中で、昨日BSでJリーグ中継。

 

 

 

 

           「鹿島vs鳥栖」

 

 

 

 

見始めたのは8時を過ぎてから。

 

 

 

 

 

後半である。

 

 

 

 

しかし、いつもの通り・・・・。

 

 

 

 

カチャカチャとチャンネル変えながらたまにサッカー中継。

 

 

 

 

 

後半が始まったときに0-0だったのが・・・。

 

 

 

 

 

気が付くと「鹿島1-3鳥栖」になっている。

 

 

 

 

 

本当のところ、スポーツ中継においては「この観戦方法」が一番よくない。

 

 

 

 

わかっているのだけれどねぇ。

 

 

 

 

 

その後半20分過ぎからしっかり見始める。

 

 

 

 

 

サッカーは不思議である。

 

 

 

 

ふつう

 

 

 

 

2点リードなら、ほぼ勝利が見えてくる。

 

 

 

 

簡単に「ゴール」が生まれはしないものだ。

 

 

 

 

 

しかし、逆に。

 

 

 

 

 

サッカーにおいては「2点リードが一番危ない」というジンクスもある。



 

 

 

どこかで・・・・聞いたような気が・・・・ワールドカップ?ベルギー?・・・え?

 

 

 

 

残り時間が少なくなってくる度に、鹿島のポゼッションが高くなり・・・。

 

 

 

 

 

さまざまなロスタイムが生まれ・・・。

 

 

 

 

 

「5分のアディショナルタイム」が告げられる。

 

 

 

 

そうした中で「アディショナルタイム2分と4分」に鹿島が得点。

 

 

 

 

一気に「逆転!」・・・・。

 

 

 

 

 

鹿島というチームは、こうした時に「ソコジカラ」を出す。

 

 

 

 

なんか・・・小憎らしい。

 

 

 

 

 

残り時間は数分。

 

 

 

 

もうダメだな。

 

 

 

 

そのままチャンネルを変えある。

 

 

 

 

しかし・・・。

 

 

 

 

その後のニュースを見ていると・・・。

 

 

 

 

鳥栖が「ラストプレーのコーナーキック」からヘディングで「同点」に追いついたというではないか!

 

 

 

 

 

たしかに中継の時に山本正邦氏が「残り時間少ないですけれど、鳥栖には『セットプレー』がありますよ」と言っていたが・・・。

 

 

 

 

 

そうなのである。

 

 

 

 

 

スポーツ(生・テレビ中継共に)は「最後の1秒まで」あきらめてはいけないのである。

 

 

 

 

 

 

やっちまったな・・・・!

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、スポーツを「最後までちゃんと」観戦しますように。

 

 

 

 

 

           May

 

 

 

 

サッカーをスタジアムへ行って観戦する時にも「鉄則」がある。

 

 

試合中にどんな理由があっても「席を立っては」いけないってこと。

 

 

まず「80%の確率」で、その席を立っている時に「得点が入る」からね。(ホント不思議)

 

 

 

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中老男のせいでしょうか?        ~FD(フロッピーディスク)が生き残ってること~

2022年05月21日 | 時事ネタ

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

4630万円の誤送金の問題で「行政におけるFD(フロッピーディスク)」の使用のことが問題になっていた。

 

 

 

 

 

ずいぶん前の話だが・・・・。

 

 

 

 

 

アメリカの「ペンタゴン」でもFDが使われているという噂がまことしやかに流れていた。

 

 

 

 

 

もちろん「都市伝説」的なものであろうけれど。

 

 

 

 

 

ただ、思うに「システム」というのは「大きな組織」ほど確立するのに時間がかかる。

 

 

 

 

 

 

そして、一度確立すると変更するのにも「時間」と「費用」がかかる。

 

 

 

 

 

変更する間も「日頃の業務」は滞ってはいけないわけで。。。。

 

 

 

 

 

 

そうするなら、とりあえずシステム変更は「まぁ、いいっか」ってなっていくのはあり得る話。

 

 

 

 

 

Windows11搭載のパソコンを最近手に入れた者としては・・・。

 

 

 

 

 

個人的なデータを移行させるだけでも、結構「めんどくさい」と思った。

 

 

 

 

 

そうした意味では「ある程度の大きさ以上の組織」は、システムを更新し続けないと「同じような大きさの組織」や「それ以上の大きさの組織」と付き合うことができない。

 

 

 

 

 

 

ゆえに「ある程度以下の大きさの組織」は・・・「FD使用を断ち切れない」ってことではないだろうか。

 

 

 

 

 

以前から「学校へのパソコン・タブレット」の導入が進められてきているが。

 

 

 

 

 

これもハード面の進化にどれだけ付いて行っているのか、はなはだ疑問を持っている。

 

 

 

 

 

それも、結構の台数がなければ意味のない機材だろうし・・・。

 

 

 

 

 

以前使っていたパソコンの選定に誤ったせいでWindows11導入してみて、ハード面の進化が「いかに早く甚大か」を体感している。

 

 

 

 

 

 

たぶん、いかに「ある程度以下の大きさの組織」といってもシステム構築には100万単位ではなく、ハードを含めれば1000万単位のお金が動くだろう。

 

 

 

 

 

そうなれば、ねぇ。

 

 

 

 

 

そしてFDを使っている組織がある限り「それに付き合わなければいけない組織」もなくならないわけで・・・・。

 

 

 

 

 

「にわとり・たまご論」になってる。

 

 

 

 

 

いずれにしろ、パーソナルとしての自分個人は世間のシステムに必死に「ついていく」ようにしている「中老男」である。

 

 

 

 

 

って、じつはもう「遅れている」感もあるけど。

 

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「現在のシステム」についていけますように。

 

 

 

 

 

 

           May

 

 

 

 

 

 

音楽をいまだに「ダウンロード」することに、不安を抱いて「CD」に依存している中老男です・・・。

 

 

 

 

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なんかおかしい・・・・。        ~二つの事件の結末~

2022年05月19日 | 時事ネタ

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

私は「変わり者」である。

 

 

 

 

 

わざと「他人とは違う見方をしよう」としている節が多々ある。

 

 

 

 

物事の真実が「そうした見方」からしか見えてこないと思っているからだ。

 

 

 

 

「4630万円誤振り込み騒動」での返金がなされない問題も・・・。

 

 

 

 

 

何か「不自然さ」を感じる。

 

 

 

 

 

それは私だけではないと思うのだが?

 

 

 

 

 

結局「ネットカジノに使った」という。

 

 

 

 

本当だろうか?

 

 

 

 

 

ネットカジノというのが、どういうものでどうした形でお金を使うのかわからないが・・・。

 

 

 

 

 

これだけの状況では、なんとか「眠らせてほとぼりが冷めたころに使おう」と考えるのが普通ではないだろうか?

 

 

 

 

今のままだと、本人が言っているように「少しずつでも返してもらう」方向でローンを組んでの返金のような手しかないんじゃないかなぁ。

 

 

 

 

 

刑事事件としての実刑より「返金方法」における結末、そして「本当につかってしまったのか」の方が気になる騒動。

 

 

 

 

 

 

山梨キャンプ場女児失踪事件における、女児が行方不明となったキャンプ場から600mほど離れた場所で人の頭の骨と思われるものが発見された件。

 

 

 

 

 

 

 

これにも、なにか腑に落ちない・・・。

 

 

 

 

 

発生時にあれだけの捜索をした中で。

 

 

 

 

 

 

見つからなかった女児が「骨」になって見つかる????

 

 

 

 

 

様々な憶測が飛び交う中で、私にはなにか「自然でない力」がはたらいている気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

それがなんであるかは、わからないけれど・・・。

 

 

 

 

 

 

なにしろ、報道やネットで検索した事柄を見ているだけだから「たわごと」レベルの話で申し訳ないのだが「なにか変」と感じる感覚は止めがたい。

 

 

 

 

 

見つかった骨が女児のものと断定された中では、これ以上の追及はなされないのだろうけれど・・・。

 

 

 

 

世の中には、この件に限らず「不可解な事件・事柄」が数えきれないほどあるのだろう。

 

 

 

 

 

せめてそれらに関係した人たちが、少しでも「納得できる」結末になってほしいものだ。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、不可解な出来事に巻き込まれませんように。

 

 

 

 

 

 

             May

 

 

 

 

 

私が「腑に落ちよう」が「理解できなかろう」が、人間の営みは続いていく・・・・・・・。

 

 

 

 

 

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ついに「この時」が来た。       ~国際連合の立ち位置~

2022年05月08日 | 時事ネタ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

さてロシアにおける「ウクライナ侵攻」から「国際連合」のあり方が論じられている。

 

 

 

本当のところ・・・。

 

 

 

私は

 

 

 

         「今さら・・・・?」

 

 

 

 

                      と思っている。

 

 

 

 

 

以前からこのブログで示しているが「国際連合」は「united Nations」である。

 

 

 

 

 

それは突き詰めると「戦勝連合国」の意味と思ってよい。

 

 

 

 

 

だから元首相の安倍氏が「戦後レジームからの脱却」と声高らかに訴えていたのだが。

 

 

 

 

 

意味が分からない人も多かっただろう。

 

 

 

 

国連憲章に「敵国条項」という条項があるのを知っている人がどれくらいいるだろうか。

 

 

 

 

それは「第二次世界大戦で世界平和を乱した国=敵国」と定義されているのだと私は思っている。

 

 

 

 

この「敵国条項」を見直して、日本を国連の常任理事国にすることが安倍氏のいう「戦後レジームからの脱却」になるだろう。

 

 

 

 

 

だが、もともと「戦勝国中心」の集まりで、その戦勝国の中の主要国が「常任理事国」になっている。

 

 

 

 

 

 

しかし、この「戦勝した主要国(連合国)」の5カ国(米・ロ・英・仏・中)が「友好的関係であるか」だが。

 

 

 

 

言わずもがなである。







大体、アメリカとイギリスだって第二次世界大戦時に「友好的関係」であったかは、かなり疑わしい。

 

 

 

 

 

中国・ソビエト(ロシア)なんて、とても「信頼できる国」ではないことは、国の成り立ちから「いかがわしい」

 

 

 

 

 

そもそもソ連の成立における「ソビエト共産党」の表と裏の歴史や、中国の成立における辛亥革命と日本の関わりや日中戦争、国民党と毛沢東の共産党の抗争。

 

 

 

 

それらを鑑みれば「国際連合(常任理事国)」が欲望と混乱に満ちているのは火を見るよりも明らかだ。

 

 

 

 

それも第二次世界大戦後の混乱を鎮めるために「冷戦」状態でありながら「均衡」をとってきた。

 

 

 

 

しかし、冷戦が終わりソビエトが崩壊・ドイツの統一などの大事が起きると徐々に各国が様々な要因から「自国利益・自国有利」を主張し始める。

 

 

 

 

 

それも「大国」である常任理事国の中の3カ国(米・中・ロ)の攻めにあいが顕著になってきた。

 

 

 

 

 

各国の成り立ちというものにおいては、我々のような人間が「他国の状況」を完全に理解するのは無理である。

 

 

 

 

 

特に「独裁国家」に近い形の国における成り立ちは、日本のような国に生まれ育った私たちには絶対に無理だろう。

 

 

 

 

 

前回のUpでも示したが、中国の「0コロナ政策」とかロシアの「ウクライナ侵攻」が日本で行われることがあり得ないから、簡単に「抗議行動を起こせ」とか「元首を替えろ」とか言い出す人がいる。

 

 

 

 

 

同じように「国際連合」というものに、日本における「警察」のような機能を期待している人がいる。

 

 

 

 

 

国際連合とか、その常任理事国というのは「ヤクザの縄張り争い」みたいなもので「互いのメンツ」とか「おとしまえ」で決着をつけている。

 

 

 

 

 

言い方を替えれば、日本国内における「刑法」のように「罰則を与えられる力(警察・検察)」がそこになければその組織は機能しないのだ。






国際的にそうした強制力をもった組織は存在していないのだ。

 

 

 

 

 

どこまで「お互い『仁義』は守りましょうね」という程度のものでしかない。

 

 

 

 

こうした中で

 

 

 

 

 

            「国際連合」は

 

 

 

 

                      成立していたのだ・・・。

 

 

 

 

 

それでも「プーチン」のような国家元首が現れなければ、なんとか「収まりがついて」板のあろうけれど。

 

 

 

 

国連に限らず、どんな組織も・・・・というより「人間が関わるもの」すべてがそうなのだが。

 

 

 

 

 

            ①「成立」→②「成熟」→③「爛熟」→④「崩壊」

 

 

 

 

 

                          というような運命をたどっていく。

 

 

 

 

 

今の国連が成立する前の「国際連盟の崩壊」などが好例だろう。

 

 

 

 

 

日本の一般生活などは良い意味での「なあなあ」が通じて、あまり角が立たないようにできている。

 

 

 

 

 

その「なあなあ」も「ここまでやったらシャレにならない」ことはやらないから成り立つのだ。

 

 

 

 

 

外交や国際連合においては、なんとなくあった「シャレにならない」部分を少しずつ少しずつ削れていって(爛熟期)今のような「大国のエゴ」が露骨に前面に出るようになった。

 

 

 

 

 

いずれは「崩壊」するであろう国連も、この「爛熟期」をどのくらい延ばすことできるのか?

 

 

 

 

 

私はそう見ている。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「日本の程『平和』(ボケ)している国」がないことを思い知りますように。

 

 

 

 

 

 

              May

 

 

 

 

冗談ではなく・・・。ロシアが北方領土から北海道。台湾に侵攻した中国が沖縄を侵攻してくることが「あり得ないことではない」って思っている。

 

 

・・・・長く長くなってしまったことをお詫びします。

 

 

 

 

 

 

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そう言えば「叩かれない」ねぇ・・・。      ~そう思っているのは私だけ?~

2022年05月07日 | 時事ネタ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

私だけがそう思っているのだろうか?

 

 

 

岸田総理大臣って「叩かれない」ですねぇ。

 

 

 

まあ、「前総理 菅義偉氏」や「元総理 安倍晋三氏」があまりに叩きどころ満載だったから。

 

 

 

 

「毒にも、薬にもならない観」が強いですな。

 

 

 

 

 

逆に言えば「前・元総理」の二人が「やりすぎの感」が強かったからね。

 

 

 

 

 

以前からUpしているが・・・。

 

 

 

 

「清廉潔白だが、無能な政治家」が良いのか。

 

 

 

 

「裏がありそうな、有能な政治家」が良いのか・・・。

 

 

 

 

それも、どちらも「そう見える・そう感じる」だけで、本当のところはわからないんだけど・・・。

 

 

 

 

 

何か岸田総理が就任してから「国外」のことに「大騒ぎ」が多すぎて「国内でのこと」に、大きなことが起きている感覚がない。

 

 

 

 

 

特に、岸田総理自身が関わった「事件」が思い浮かばない・・・。

 

 

 

 

そうこうしているうちに夏には「参議院選挙」があるという。

 

 

 

 

こうして「波風が立たない状況」では、なかなか「与党が負ける」ことはないだろう。

 

 

 

 

 

いつも記すことではあるのだが。

 

 

 

 

今の選挙制度(小選挙区・比例代表並立制)というのは「死に票」が多くなりすぎる。

 

 

 

 

 

各選挙区1名しか当選できないから「51:49」の割合(まあそんな極端なことはないけど)で当選した場合。

 

 

 

 

ほぼほぼ「半分の票」が「死に票」となってしまう。

 

 

 

 

政治家にとって一番怖いのは「落選すること」であるから、政治家にはいつも「次は落ちるかもしれない」と思わせておけば、真剣に仕事をするはずだ。

 

 

 

 

だから、いつも「ギリギリで当選」させておくのが正しいと思う。

 

 

 

 

 

しかし、そんなことは選挙民がよほど上手に操作しない限り、その状況は作り出せない。

 

 

 

 

 

特にこうした「可もなく不可もない総理大臣」が与党を率いているときは尚更だ。

 

 

 

 

前・元総理の時には「閣僚」も、同じように「叩き甲斐」があったが今は「誰が何大臣であるか」さえうろ覚えになってしまっている。(私だけだろうか?)

 

 

 

 

 

なんにせよ政治がうまく回って日本自体が繫栄してくれれば、なんの問題もないのだけれど・・・。

 

 

 

 

こうした総理大臣は「息が長い(就任期間が長い)」ことになりそうだ・・・。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、こんな時こそ政治に興味を持ちますように。

 

 

 

 

 

            May

 

 

 

まあ「コロナ」「ウクライナ侵攻」なんて「何十年に1度」しかないような事柄が発生しては、政治的に波風の立ちようがないんだろうけどね。

 

 

 

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価値観の相違         ~土下座の意味~

2022年05月07日 | 時事ネタ

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

北海道での観光船沈没事件での話。

 

 

 

事件後かなりの日が経ってから記者会見。

 

 

 

会見の最初と最後に。

 

 

 

社長が「土下座」をしていた。

 

 

 

 

「土下座」というは・・・。調べてみると

 

 

 

 

「申し訳ないという気持ちを表すために、地面や床にひざまずいて謝ること。」とある。

 

 

 

 

 

日本人の感覚の中では「土下座」は、最高の「謝意の現れ」ととらえられている。

 

 

 

 

 

しかし・・・。

 

 

 

 

いまの日本人において、本当に土下座は「最高の謝意」になっているだろうか?

 

 

 

 

 

 

土下座が「屈辱である」という感覚がなければ、実はあまり意味がない。

 

 

 

 

 

江戸時代の参勤交代時には、その行列に通行人・百姓は「土下座」を強要されたという。

 

 

 

 

 

それに土下座をしていた人々は「屈辱」と感じていただろうか?

 

 

 

 

けっこう「は~~~あ、また来た」とか「めんどくさいなぁ」とかの意識だったのではないだろうか。(庶民なんてそんなもんだろう)

 

 

 

 

「社会的地位の高い人」が(なんで「俺が」こんな格好せねばなる!)と思ってすることに意味がある。

 

 

 

 

逆に言えば。

 

 

 

 

「そうした意識の薄い人」がする土下座には

 

 

 

 

あまり価値を感じない・・・。

 

 

 

 

つまり、それを行う人間の人となりが「価値」をきめるのだと思う。

 

 

 

 

 

そうした意味で私観で申し訳ないが。

 

 

 

 

今回の沈没事故における社長の土下座には。

 

 

 

 

 

「ある種の軽さ」を感じてしまった。

 

 

 

 

その会見内容から見て取れた彼の人となりは。

 

 

 

 

 

「人の命を預かる観光船」を運行する会社の取締役の重みが「軽く軽く」見えた。

 

 

 

 

 

「社長」とか「取締役」の存在理由は。

 

 

 

 

こうした危機や不祥事の時の「謝罪のため」に存在すると私は思っている。

 

 

 

 

 

経営において「社会的な意味・意義」を薄く考えている人間の記者会見は。

 

 

 

 

 

こんな形になるのだろう。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の存在理由には「社会的意味」が少なからずあることを自覚しますように。

 

 

 

 

        May

 

 

 

 

記者会見ってのには、会社のあり方・社長や取締役の人格とかが「如実」に現れるねぇ。

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いいことばかりじゃない?          ~Windows11導入異見~

2022年05月04日 | Weblog

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

Windows11搭載のパソコンを導入して十日ほどになる。

 

 

 

 

とてもレスポンスが良い。

 

 

 

 

起動がはやい。

 

 

 

 

ネットのアクセスが快適。

 

 

 

 

だが。。。。

 

 

 

 

作動がおかしい・・・・・?

 

 

 

 

ほとんど、問題はないのだが。

 

 

 

 

ネットにつないでいると脇に「おしらせ」が出る。

 

 

 

 

「OneDriveの容量が足りません」

 

 

 

 

 

・・・・・・?

 

 

 

 

パソコンのデスクトップ上のフォルダをOneDriveにアップロードしているらしい。

 

 

 

 

しかも、ブラウザーを起動させる度にやっているらしい。

 

 

 

 

そしてすぐに「1TBにアップ(有料)しますか?」と聞いてくる。

 

 

 

 

OneDriveは通常5メガバイトである。

 

 

 

 

 

それ以上のデータをフラッシュメモリーで新しいパソコンに移行した後に、こうしたメッセージが出るようになった。

 

 

 

 

 

「おかしいなぁ・・・・」

 

 

 

 

 

他にもレスポンスが良すぎて、どこか触ってしまったのだろうか。

 

 

 

 

 

小さいメッセージがちょこちょこ出る。

 

 

 

 

 

とりあえず OneDriveのこと。

 

 

 

 

 

どうやら OneDriveは、インストールした時点で「自動アップロード」を設定してあるらしい。

 

 

 

 

 

そのため、ブラウザーを起動させる度にデスクトップの指定されたフォルダを検索・アップロードしていた。

 

 

 

 

OneDriveの設定画面で「同期を中止」することで解消できた。

 

 

 

 

つくづく思うのだが・・・。

 

 

 

 

車は「自動車学校」に通って、運転を習うことで「免許証」を楽に(?)取得することができる。

 

 

 

 

 

「交通ルール」というものを勉強して「一時的」であろうとも身に着けたことを「テスト」される。

 

 

 

 

そのため、常識的な「交通ルール」や「車の操縦法」はクリアしている。(筈だ)

 

 

 

 

しかし、パーソナルコンピューターというものには「免許」は無い。

 

 

 

 

 

「資格」は存在するが無くても使用できる。

 

 

 

 

 

つまり、大抵の場合「我流」のなのである。

 

 

 

 

しかも今はスマホが浸透したことによって、パソコンを苦手としている若者が多いらしい。

 

 

 

 

仕事をしていて思うのだが、他人の作った書類は「紙ベース」にした場合には問題ない。

 

 

 

 

 

しかし、それをパソコン上で変更・改正しようと思うと「思わぬ設定の違い」に驚かされる。

 

 

 

 

 

普通の文字だけの書類を開けてみたら、なんと「Excel」で作ってあったり、逆に表の入った書類を「Word」で作ってあったり・・・。

 

 

 

 

 

仕事上でもこうである。

 

 

 

 

 

個人のパソコンでは「同じマシンとは思えない」ほど違っている。

 

 

 

 

私のような中老男は「音楽をダウンロードする」ことはほとんどない。

 

 

 

 

 

逆に持っているCD500枚を「パソコンに取り込む」ことに時間がかかる。

 

 

 

 

本当のところ、仕事においては「ある程度のパソコン教育」は必要だと思っている。

 

 

 

 

 

(大きな会社なら当然やってるんでしょうね?)

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、上手にパソコンを使いますように。

 

 

 

 

 

           May

 

 

 

 

ネット通販も中老男は怖くてできません。家族に頭を下げてお願いしています。

 

 

 

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「自覚」の定義             ~ロシア国民の意識~

2022年05月03日 | ライフワーク

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

ロシアのウクライナ侵攻が止まらない。

 

 

 

その状況の分析を某公共放送が行っていた。

 

 

 

その中で、気になったのは・・・。

 

 

 

視聴者からの意見に

 

 

 

          「ロシア国民はなぜプーチン大統領を支持するのか?」

 

 

 

というような物が多々あった。

 

 

 

 

 

これも何かの情報番組で聞いた話であるが、現在の我々が1日に得る情報は「奈良時代の人間の一生分である」とのこと。

 

 

 

 

 

しかし、思うのだ。

 

 

 

 

これほど多量の情報が入ってくると「入ってこない状況」とある意味似ている。

 

 

 

 

情報が多すぎて「情報の信ぴょう性が確認できない」からだ。

 

 

 

 

そうした意味で言えば、現在は「自分自身の意識」で情報を選ぶしかない。

 

 

 

 

そしてそれは「『正しいと判断した情報が本当に正しいか』はわからない」ことになる。

 

 

 

 

ロシア国民がプーチン大統領を支持するのが、我々が「不思議」と思うのと同じように

 

 

 

 

ロシア国民は「他国民が自国を非難すること」の意味が分からないことは

 

 

 

 

実は「同じこと」なのだ。

 

 

 

 

そのことが分かっていない人が公共放送に、あのような意見を寄せる。

 

 

 

 

非難しているのではない。

 

 

 

 

もしかしたらロシア以外の国の私たちへの情報の方が「どこかからのプロパガンダ」なのかもしれない・・・と。

 

 

 

 

疑ってみる必要が「無くは無い」のである。

 

 

 

 

「自分の考えが正しい」という自覚を持つことは、間違っていない。というよりそう自覚するしかない。

 

 

 

 

しかし「自分の考えが本当に正しい」かどうかは、わからないのである。

 

 

 

 

同じ答えを繰り返してしまうが・・・。

 

 

 

 

大東亜戦争の時の「日本」は、今のロシアのようだったのではないだろうか・・・。

 

 

 

 

そうした意味でも、私はロシアをそれほど「おかしい」とは思えないのだ。

 

 

 

 

以前Upしたように、この侵攻が「どのように終わるか」が注目される。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の自覚が「独りよがり」なりませんように。

 

 

 

 

            May

 

 

 

 

日本の近くに「崩壊するのが近い、すぐにも崩壊する」と言われ続けて、結局今も崩壊していない「北朝鮮」という国がある。

 

ロシアは「大きな北朝鮮」になるだけで、体制がそう簡単に代わったりしないだろうね。

 

 

 

コメント
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