完全無欠の「初老男」日記

ついに「完全な初老男」に昇格、引き続きよろしくお願いします。

やってもうた~~~・・・。     ~特定保健指導の段階がUp!~

2012年12月31日 | ナイト・ウォーカー
私は初老男である。

さて、年末である。

私にとっての年末は「人間ドック」の季節である。


申し込みの時点では10~11月と希望を出しているのだが、なぜか年末年始のどちらかにあてがわれる。

12月の二十日過ぎか1月の一桁日。


そんなもん、体調がいいわけあるか!

と言ってみても受診日はやってくるのである。


ナイトウォーカーとなって早数年(って何年か覚えてないけど)。

その効力は決して少なくない。


現に昨年一昨年と、ちゃんと成果が表れていた。


しかし、今年は・・・・。



       「体重3kgUp・腹回り3cmUp」


立派に成長してしまった。


昨年が一昨年より0.6kg増・腹回りはほとんど変化なしだった。

だが、その600gでBMI値が25を上回って特定保健指導になってしまった。


特定保健指導を受けたことのない人も多いであろう。

ちょっと紹介しておくと、最初の段階の指導はそんなにむずかしくない。


検査結果を説明され、栄養士・保健指導員とともに数値を下げる(まあ、痩せるってことだね)計画を話し合う。

半年後にはがきが来るのでどんな風に取り組んでいるか、成果はどうかを返信する。

まあ、実はそのはがきを送る時点では体重は77kgあって、さらにひどい状況だったのであるが・・・。


問題の「ナイト・ウォーカー」はどうなったかって?

もちろん、続けていましたよ。


もう、完全に「いいわけ」であるが、続けてはいるが「週二」がせいさかだったのだ。

昨年の初夏に膝に水が溜まってしまってから、ほぼ常に「膝痛」に悩ませれている。

気合いを入れて月曜日・火曜日と歩くと・・・。


水曜日には「じんわり」と膝に痛みがやって来る。


更にいいわけであるが、不思議なことに水曜日以降週末になると、本当に天気が悪くなったりプライベートに時間を取られたりする。

「これではイカン!」と思い月曜火曜とナイト・ウォーカーに・・・。

そして、水曜日に膝痛。

これの繰り返しである。


しかし、やっぱり一番の「敗因」は「食」であろう。


さらにさらにいいわけだが、私の世代はこの「食欲」と言うものに今の時代には考えられないような「執着」を持っている。

今の若い人は、コンビニがあり、お小遣いも適度にもらっているだろう。

だから、食に対して強烈な意識を持つ必要がないと思う。

わたしの子供から大人になるまでの間は常に「空腹」でなにか食べるものは無いか?と考えていた。しかし、小遣いもなければコンビニもない。(戦時中か?)

特に男3人兄弟の真ん中の私は、いろんな意味で「迫害」されていたからなおさらだ。


いまでも、強烈に「何か食べたい」の気持ちを抑えることができない・・・。


まあ、言い訳はこれくらいにしよう。


今更の話であるが「ナイト・ウォーク」は楽しい!

ランナーズ・ハイではないが、ウォーキング・ハイになることも少なくない。

これからも続けていくことは間違いない。


だいたい人生自体がウォーキングみたいなものなのである。


冬はウォーキングもつらいが、今度は筋力トレーニングを取り入れたなかで体重減を目指すことにしよう。


栄養士の指導を受ける中で、私はふと思ったことを口にした。

       
        「ダイエットって『生き方を変える』ってことなんですねぇ・・・」


そうすると彼女は言った。


              「その通りです!」


それは大変なことだなぁ。


今年も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんの新しい年に幸多いことをお祈りします。


              May


しかし、今年最後のUpが「ダイエットネタ」になるとは思わなかった。




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そんなに悪くなかったけどなぁ・・・。    ~大河ドラマ「平清盛」終わる~

2012年12月26日 | テレビ
私は初老男である。

大河ドラマ「平清盛」が不評のうちに終わった。

期間平均視聴率は12%。

最終回は9.5%だったと言う。


期間視聴率は「史上最低」だったらしい。

私の感想としては・・・


        「そんなに悪くなかった」


                    である。


大河ドラマと言うのは不思議なもので、見る人の感覚の「リトマス試験紙」の感がある。

もっと言えば、テレビと言うもの自体が、その人にとってのリトマス紙だ。


初老男の子供の頃は、テレビは「神聖な」ものだった。

子供同士の話の中心が「ドリフ」であったり「キーハンター」であったり「仮面ライダー」
「ウルトラマン」であったのだから当然である。


今や、情報を収集するツールとしての「テレビ」の役割は、その当時とは比べ物にならないくらいに低くなっている。

視聴率はその昔の視聴率とは別物と考える必要があるだろう。




NHK大河ドラマ「平清盛」の満足度は?というサイトがあったので、アクセスしてみたが、いよいよその「リトマス紙」理論が正しいことに確信を得た。


そこに寄せられたコメントには、私と同じように「悪くなかった」のコメントが、結構頻繁に見つかる。


そして、私と同じように「江」や「天地人」より面白いというコメントも。


そこにはやはり「大河ドラマ」に何を求めるか?が視聴率にかなり影響を及ぼしているといえる。


今回の「平清盛」は「政治ドラマ」だ。

従来の「娯楽超大作時代劇」としての面白さを求めた人には「人間関係がゴチャゴチャしている」とか「画面が汚い」とかが重要な要素として映っただろう。

しかし、内容の「芯」の部分である「武士の世を作ろうとした清盛」の「政治的手腕」を描いたものとしてみれば「汚らしさ」も、ある程度「リアルな表現」に見えるはずである。


大河ドラマを「クリスマ・ケーキ」として鑑賞したい人には「江」や「天地人」「篤姫」の方が「おいしかった」であろう。

そのおいしさは、どちらかと言うと女性脚本家が得意とするところであり、つまりは私の苦手とするところである。


過去のUpを見てもらうとわかるのであるが、そうしたときの大河ドラマを初老男は「良」としていない。

そうした大河ドラマは作り込みが足りなく見えてしまうのだ。まあ、上っ面ばっかり取り繕っているっていうか・・・。


今回の大河では、清盛が「武士の世」というフレーズを繰り返し周りの人間がそれに振り回され右往左往する。

しかし、その周りの人間は清盛が理想とする「武士の世」がどんなものか理解できない。

カリスマ性を発揮し一人突っ走る清盛・・・。

そこに絡む「生涯のライバルであり盟友」である「後白河法皇(松田翔太)」ってのは、かなり良かった。


結局、清盛が成し遂げようとした「武士の世」は完成する寸前で、清盛・平家自身が「武士」でなくなってしまっている。

それこそが、このドラマの「芯」だったように思える。


武士の世を作るために利用した「宮中」に入り、強い気持ちで成し遂げようとした清盛の「理想」は図らずも清盛自身の私欲によって歪められ、他人には「ゴリ押しの我儘」に見えてしまう・・・。


            「驕れる平氏も久しからず」


この平清盛の人生こそが、のちの大河ドラマの王道の「戦国時代の祖」であることを考えれば分かりにくかったとはいえ、今年の大河ドラマは「傑作」だったといえると思う。

・・・ただ、ここ数年の大河の共通点なのだが・・・「主人公の魅力が足りない」・・・なぜなんだろう?


最後に恒例の今回の大河ドラマの一番印象に残ったシーンを挙げておこう。

①平重盛の言う「悲しきかな・・・(中略)忠ならんと欲すれば、孝ならず。孝ならんと欲すれば忠ならず。身体これ極まれり・・・。」涙ながらに清盛に訴える。(第43話「忠と孝のはざまで」)

②伊藤忠清言う「殿、平家はもはや『武門』ではございません・・・殿ご自身が、もはや武士ではございません!」(第47話「宿命の敗北」)

一番と言いながら二つ選んでしまった。

それくらいに、この二つのシーンは感動的だった。

この二つのシーンに白河法皇(伊東四朗)の「物の怪の血じゃ・・・」のシーンを加えれば、今回の大河ドラマ「清盛」のすべてが説明できると思う

・・・やっぱり「良いドラマ」と「ウケるドラマ」は、同じではないなぁ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、大河ドラマを最後まで見ることで1年の終わりを実感しますように。


              May

しかし、平重盛役の窪田正孝と伊藤忠清役の藤本隆宏は「NHK好き」する役者だね。でも、こうして「ハマった時」の演技は秀逸!
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見苦しい言い訳で申し訳ない。     ~先回Upを落としてしまった~

2012年12月25日 | Weblog
私は初老男である。


・・・言い訳は、見苦しい。

分かっているが、前回のUpを落としてしまったことの理由は・・・。


        「自分でも考えがまとまらなかった」

と言うことでお許しいただきたい。

私のブログのやり方は、テーマは決めるが結局のところ「行き当たりバッタリ」である。


ゆえに、途中で今回のように伝えたいことが溢れすぎて収拾がつかなくなることも、ままあり得る、どころかずっとそんな感じだ。


しかも、政治のことに関して私は「混乱」している。

民主党にも自民党にも期待が出来ず、さりとて「絶望」もできない。


せめてこの場で気の利いたUpを展開しようと、はじめてはみたが・・・。


いまでも、あの選挙のことについて言いたいことは山ほどある。

しかし、もう少し政局が動いて中で改めてUpしようと思う。


まずはお詫びのUpと言うことで。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、寒い冬に凍えませんように。



                      May


しかし、そんなことを言っているうちに、高市と野田が自民党の重要役職に就いたってね。

それだけUpできるけどなぁ・・・。





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初老になった事の実感     ~「虚空の登攀者」読み終わりました~

2012年12月18日 | 
私は初老男である。

・・・例年より2週間以上も早く「本格的」な雪が降っている。

実際日本でも有数の豪雪地帯と言われるわが地域ではあるが、この時期にこれだけ本格的にこの量が降るのは珍しい。

今日も帰宅してから夕食を終わり1時間半ほど、雪片付けに追われた。


そして、雪が降るといつも思う。


「なんでこんなところに住んでいるんだろう・・・」


それくらいに「雪国に住む」と言うことは「辛い」ことなのだ。


その「闘雪」のこととちょっとだけ関係があるかもしれない話をしよう。


昔何かの本で読んだのだが・・・。


不幸は「寒い」⇒「ひもじい」(腹減ったってことね)⇒「もう死にたい」の順番でやってくるという。



そうした意味では「雪山登山」などと言うスポーツは、その「不幸」に自分から向かって行くようなものに見える。

このブログの読者の貴兄であれば、私がこの「登山」なるものを嫌っていることはご承知であろう。


もちろん、数は少ないが山に登ったことはある。

だから「食わず嫌い」ではない。


何度か山に登り、山頂について素晴らし下界を見下ろして爽やかな風に吹かれて・・・その瞬間に思うのだ。

「なんでこんな所にいるんだろう?」と。


であるからこそ、逆にそのアルピニストの精神や雪山を登るという自ら「不幸」に飛び込んでいく人の意識を知りたいのである。

そこで今年の2月に続き、それ関係の本を読み終わった。


         佐瀬 稔著 「長谷川恒夫 虚空の登攀者」

                               である。


前著「残された山靴」は、短編集で有名アルピニストを紹介程度にまとめた物だ。

まとめた程度とはいえ、先に言った種火となっていた私の好奇心に火を点けるのには充分だった。


当然だが、今も登山家と呼ばれる人も大勢いるし、趣味としての登山も我々中高年を柱にブームになっている。

この本を読んで分かったのは、この当時のアルピニストには深層心理に我々とは全く違うものがあるという事。

初老男を自認する私の世代より、この人たちはホンの少し前。

そう俗に言う「団塊の世代」である。


今定年を迎えたり、迎える直前の人たちだ。


この人たちは「団塊」と言うくらいであるから、やたらと「同級生」が多い。

それはつまり「競争原理が激しい」ことを意味する。

この本の主人公(?)である長谷川恒夫氏は、その大勢の同級生の中で「自分探し」を「登山」に見つける。


今でこそ「自分探し」と簡単に言うが、それは今の私たちの思うそれとはかなり違うものだ。


私たちの団塊の世代のすぐあとの人間たちは、彼らほどの「強烈な意識」が持てない世代だ。(まあ、個人差はあるけどね)

私等以降の世代は、逆に「目立たぬように」「人の流れに乗るように」することが是となっていく。


私たちの時代は、すでに「いじめ」の芽吹き始めたなのだ。

そこで「目立つ」と言うことは、その目標にされる可能性が大きかった。(その当時から妄想癖があったから、考えすぎと言われるとそんな気がしないでもないが・・・)


そうした中で、私はこの初老の歳になって長谷川氏の気持ちがわかるようになってきた。

子供から青年時代には、ひたすら「目立たぬこと」に腐心し、仕事を始めてからはその職業の特性からも目立つことが、ほとんどできない中で、その勤務年数は30年を超えた。


定年まで一桁の年数を切った中で、強烈に「自分探し」をしたくなった。

「体力・知力・集中力」のすべてが衰えていく中で、最後の「アダ花」を咲かせたくなってきたのだ。


具体的なことも幾つか、考えてはいるが、何しろ時間がない。

焦る気持ちと、逆に慌てても仕方がない、と思う気持ちが錯綜している。


自分がこんな風に思うことになったこの本。


ふと思ったのは、この本の主人公「長谷川恒夫」も著者「佐瀬稔」もずいぶん前に亡くなっている。

生きている私の手に、まだまだ様々な感動や疑問を投げかけてくれている本にかかわった人は、もうこの世にはいない。


このとても不思議な感じこそが「初老」を実感する瞬間なのだ。


今日も、私の尊敬する米長邦夫永世棋聖の訃報が届いた。

自分の人生における様々な「好奇心」を、掘り起し満たしてくれた人々が逝ってしまう・・・。

そう、私は完全無欠の「初老男」なのだ。



今回も最後までお付き合い頂きありがとう。これを読んでいる皆んさんも、年末のひと時自分を見つめなおしますように。


             May


初老男と実感するからと言って「老け込む」つもりはないからね。心はいつも38歳でいるのがいいって、どこかで聞いたな。










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やっぱ、宝くじ買おうか!   ~アルビレックス残留私見~

2012年12月11日 | スポーツ
私は初老男である。

今日は水曜日。

先週末に行われたJリーグ最終節の興奮が、皆収まった頃だろう。


と言うことで、そろそろ冷静にアルビレックスが「奇跡的残留」を果たしたことについて、冷静に私見を述べてみたい。


Jリーグファンの方には、当たり前すぎるような話ばかりになるかもしれないが、お付き合いいただきたい。


何より今年のJリーグが盛り上がったのは・・。



大変失礼ながら


        「コンサドーレ札幌の弱さ」

                         に原因がある。



「4勝2引分28敗の勝ち点14」は、記録的な数字だ。(って記録だから当たり前か)

つまり28×3=84の勝ち点をほかのチームに与え続けたことになる。


それによって、コンサドーレ以外のチームの勝ち点が「拮抗」し劇的な「最終節奇跡の残留」を生み出したのだ。


もう、言われ尽きた感はあるが「総得点67点・得失点差+2・勝ち点38」のガンバ大阪が降格したのは、新潟が残留したのと同じくらいに「奇跡的」なことだ。


総得点は優勝チーム・サンフレッチェ広島より「2点」多い。もっとも、失点も65点で札幌に次いでの「ひどい数字」ではある。


アルビレックスの失点は34。つまり1試合に1点の失点を意味する。

これは非常に良い数字だ。

0点に抑えた試合が13試合ある。

しかし、得点は「29」これは、失点より5点も少ない。

これで残留できたのも、いかに「効率的」に点を「拾ったか」を証明している。

勝つときは1点差。負けるときは大敗。引き分けも二けたに乗せて「負けにくい」チームに徹する。

これが残留することができた「戦術」だ。



もう一度最終節の対戦カードを調べてみて欲しい。


もちろん、これは開幕前に決められていたカードだ。

しかし、まるで仕組まれていたようなドラマチックな最終節・・・。


特に優勝決定後ではあるが、クラブ・ワールドカップ出場に向けてモチベーションの上がるサンフレッチェと降格の危機のヴィッセル。

逆に降格が早くに決定して、その後もボロボロのコンサドーレと降格の危機最前線のアルビレックス。

Jリーグの「呪い伝説」を持っているジェビロ(というより前田?)と名門ながら降格の危機にさらされているガンバ。

降格にさらされているセレッソは・・・。まあ、いいか。


最終戦まで降格争いに巻き込まれたチームは、やはりすべてが「劇的」だった。

ガンバはシーズン前から代名詞ともいえる「西野朗」監督を更迭したことから、すべてが始まっていた。そして、その西野監督が同じく降格を争うヴィッセルへ残留請負の切り札として就任するなんてのは、本当に「劇的」だ。

まあ、結局西野氏は最終盤でヴィッセルをも更迭されたけど・・・。

実際、この西野氏の更迭はどうやら三谷オーナーの鶴の一声だったらしいが、それは私から見ると「最悪の選択」に見える。


我がアルビレックスも「史上最強」なるスローガンを掲げ、シーズンに臨むが8節を終わって1勝5敗2引分けの勝ち点5。

そして12節にはジェビロ相手に1-6の惨敗を喫する。

この敗戦が黒崎監督の首を飛ばした。(正確には「辞任」だけど)


それ以降も、とにかく不思議なほどに点が取れなかった。

ポスト・バーの「嫌われた」シュートは数え切れず、監督の交代に続く主力の内田・東口の怪我による離脱。

はっきり言って良く残留できたものだ。



最終節を迎えるに当たり、アルビレックスの残留確率は「15%」と報じられたことを覚えている貴兄もいると思う。

実際私も実は「覚悟」していた。

それはそうである。85%の確率で降格するというデータだ。


しかし、現実に残留したのはアルビレックスだった。


これは、勝負事いや世で起きることすべてにおいて「確率」は「確率」でしかない、ということの証明ではないだろうか・・・。


そうである。たとえ確率が0.00000000000000000000000001%であっても、その0.00000000000000000000000001%に自分がなるかもしれないということだ。

よーし!希望が出てきたぞ~~~!

年末ジャンボも今売出し中。買ってくるぞ~~~!

って、サッカーの話は?


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、数字をただの数字以上の物と考えませんように。


       May


サンフレッチェがクラブワールドカップで負けたけど、あれほど「佐藤寿人頼み」じゃ勝てねぇよ。







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あなたはどちらのタイプ?    ~幻想家と妄想家~

2012年12月04日 | Weblog
私は初老男である。

私は間違いなく「妄想家」である。

このブログを読んでくれている貴兄は、すでにご存じのはずだ。


そんなことは、自慢にもなりはしないのだが、初老男になってみると実は男には「幻想家」と「妄想家」の二つのタイプに分けられることに気が付いた。


それでは「幻想家」と「妄想家」は、どう違うのか?


幻想家・・・現実には起こらないことを考える人。空想家。

妄想家・・・根拠もなくあれこれと想像する人。


今調べたら、そんな風に辞書には載っている。

しかし、私の感覚では少々違う。


幻想家・・・世の中が自分に「都合のいいように」ことが進むと思っている人。

妄想家・・・世の中が自分に「都合の悪いようにしか」進まないと思っている人。


さらに言えば


幻想家・・・世の中が自分を中心に進んでいると思っている人。

妄想家・・・世の中の大きな流れは、人間の手の届かないところで動いていると思っている人。


・・・そろそろ、分かってきたよね。



わが地方の男は「越後男」といって、優柔不断の代名詞のように言われている。

しかし、それは正しくない。


正確には「越後の長男」が、優柔不断なのである。


越後の次男・次女をそれぞれ「おじ」「おば」(両方同じ抑揚で発音すること)と呼ぶ。

なぜか?

それは、家を継ぐべき「長男の長男」から見た場合「叔父さん」「叔母さん」に当たるからだという説がある。


つまり、越後の長男というのはそれほどに「優遇」されているのである。


家の皆が「長男は偉い」「長男の言うことを聞け」「長男に逆らってはいけない」と、周りに言い続けるのである。

次男・次女・じいちゃん・ばあちゃん・父ちゃん・母ちゃんが、みんな「長男」を持ち上げる。


先日のあるテレビ番組で「ゴミ出しをしない夫No.1」に、わが越後が選ばれたらしいが、それも今の私のUpを証明している。

ただ、その長男も本人が悪いばかりではない。

先に述べたように彼らは、自分の好むと好まざるとにかかわらず、そうした「優遇」を受ける。

だから彼らは、その優遇を受けることにあまり「疑問」を持たない。

「そういう状況」にしてしまう方にもかなりの責任があるといえる。


そうして、周りの皆が寄ってたかって「優柔不断」な「エラそう」な「意気地のない」りっぱな「越後の長男」を作り上げる・・・。


まずは本人の問題。

あなたが「幻想家」であるなら、ぜひ努力してほしい。

「妄想家」になる努力を。

頑張って頑張って「妄想家」になってください。

それくらいでちょうど良いはずだから。


あなたが越後の長男以外の家族なら・・・、そんなにむずかしいことをする必要はない。

兄弟全員を「平等」に扱えばよい。

そうすれば「優柔不断」な「エラそう」な「意気地のない」長男は出来上がらない。

・・・失敗すると、そんな「次男・三男」が出来たりするかもしれないが。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の置かれている立場が自分に都合の良いことばかりであるなら疑うことをお勧めする。

     
               May


ちょっと、事情があってUpがおそくなり申し訳ない。
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