完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

ついに本当にエラソウに・・・?     ~落語ディーパ「居残り佐平次」を聴いて~

2020年09月15日 | 落語



私は初老男である。






順番が逆になってしまったのだが。







落語ディーパの特別編の最初は「居残り佐平次」だった。








演じたのは春風亭一之輔。








「居残り佐平次」と言えば、廓噺の名作にして代表作。








先回のUpでも記した通り、廓のことなど本当に知っている人間はほぼ生きていない。










だから、演じる人間も聴いている人間も、本当のことなど分かるはずがない。










そうした中で互いのイメージが共有でき瞬間があるのが落語の醍醐味だ。











春風亭一之輔という落語家は、王道の落語家になりつつある。








メディアへの露出もとみに目立つ。










結局のところ落語家というのは、そのパーソナリティーをいかに多くの人に知らしめることが仕事の半分であろう。(自己プロデュースってやつね)












余程のモノ好きでもない限り、知りもしない落語家の噺をわざわざ聴きに行ったりはしないのだから。











王道の噺家の証拠に、自分の子どもを持ったことでの原体験としての「初天神」などのとても良い出来だし。








そのことを踏まえて・・・・。








今回もかなりいい出来だったと思うのだが・・・。









一之輔の実力から言えばってことで「エラソウ」に言っちゃいます。









彼のイメージしている「佐平次」という男が、まだ固まっていないのではないだろうか?











というか、今の一之輔はこういう佐平次を演じるのが正解とおもっている?











だとするならば彼にもまだまだ先がある。











もちろん、噺家には師匠が居て稽古をつけてもらい噺を確立させていく。









そこに何かを付けたしたり、削ってみたり。









そんなことの繰り返しが続いているはずだ。








落語を聴いている人には「そんなことは気にしない」って人もいるかもしれないが、彼の「佐平次」での仲間から集めるお金が「1円」と言っていたと思う。










そうした金額を集めた時代の男が「拳銃で若い衆を打つマネ」をするだろうか?









このクスグリで私は一気に冷めてしまった。








もしかしたら、おかしくないのかもしれない。









しかし、遊郭(たぶん吉原)で花魁がいた時代に「バンバン」はないだろうって思ってしまった。










それさえもおかしく感じさせない位引き込んでくれればいいのだけれど。(あれ、どこかで同じようなことを書いたような・・・・)








この噺の芯の部分は「佐平次」という男の「したたかさ」をいかに描くかにあると思う。








前半は「情けなさ」や「ひょうきんさ・如才なさ」が前面に出る。










しかし、佐平次の最終盤の「したたかさ」によってオチで生かされることになる。









一之輔の終盤にはその「したたかさ」が薄かった気がするのだ。









一之輔の持っている「洒脱さ」が良い方向に作用して、ストンと「あなたの頭がゴマ塩でございます」のセリフが聞けるようになることを期待している。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「廓」があった時代の空気感を味わいますように。









                 May






やっぱり、オチにつながる廓の主人のセリフ「どこまで私をおこわにかける」の意味が分からないと噺を楽しむことができないだろうなぁ。











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