私は初老男である。
今の権力者は、自分の思っている国の形が「完璧」だと思っているのだろう。
そうした「完璧な形」にするために邪魔なのは、その形を「疑問を感じる」意見である。
多分、権力者は国民が「バカ」に見えて仕方がないのだろう。
「決められない政治」にヤキモキするのは分かる。
世界的な流れの中で、早急にことを進めていかねばならないことも理解できる。
しかし、ことには「やっていいこと」と「やってはいけないこと」がある。
「バカはしっかり見張らないといけない」
って思っているのだろう。
「一般人は対象とならない」
と言い続けているが「一般人」と「対象者」の違いをどう見分けるか、という疑問の答えさえしっかりできていない。
当然である。
「対象者」はもともと「一般人」なのだから。
違うといいたいのであれば、先ほどの疑問にチャンとした答えを出していただきたい。
だって、対象者はもともと「一般人」だったはずで「いつ・どこから」対象者になったのかヘタをすると自分だってわからないはずだ。
そして「結果として対象者」になっていたとして、それを「知らないでやった」ことを証明することは不可能である。
ここまでいっていつものことであるが、私はこうした法案が「必要でない」と言っているのではない。
もう少し、整備した一般人にもわかりやすい法案が作れるはずだと言いたいのだ。
どうせバカだから理解できない奴らのことは、放っておこうという感覚でことが進んだように見える。
いつも思うのである。
人間を「性善説」で語ってよい時期はもう終わっている。
つまりは「一般人の性善」を疑うのが為政者・権力者であり「為政者・権力者の性善」を疑うのが一般人というものだ。
そのことの中で、どちらの側から物を見るかによって意見は分かれるだろう。
どちらのいうことも一理があるが、私は「権力を持っている側」が恣意的に事案を進めることにより大きな不安を抱くのだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、「権力の暴走」は一般人には簡単に止められないことを認識しますように。
May
居酒屋で数人で「なんか騒ぎを起こそうぜ!」って酔っぱらって言ったら、次の日から監視・盗聴される可能性が「大」なんです。だって、優秀・まじめな警察官ほどそうしないと規律違反になるもの。