完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

落語って面白いヨ!     ~ドラマ「赤めだか」を見て~

2015年12月29日 | いま興味のあること
私は初老男である。


年末である。


初老になると一年が早い。



私は来月で55歳になる。



「完全無欠かもしれない」と銘打っているこのブログのタイトルも「かもしれない」を取ってもよいのかもしれない。


そう、以前の「完全無欠の中年」から「完全無欠の初老男」になったと思うから・・・。



年末になるとテレビの番組が「特番」になる。


それは、今年も変わりがない。



いま、その特番ドラマ「赤めだか」が終わったところだ。


立川談春のエッセイが原作だという。(その談春役がなんと「嵐」の二宮和也!)


年末特番だからなのはよくわかるが、まあ、豪華なキャストだった。



私が落語に興味があることは、このブログを読んでくださっている奇特な方なら知っているかもしれない。
 

落語に興味をもって「立川談志」にたどり着かない奴はいない。


実は私は「立川談志を見逃した」という経験がある。チケットを買おう買おうと思っているうちに買いそびれてしまったのだ。


談志が体調を崩し声が出にくくなる直前の話だ。



ドラマの中ではビートたけしが談志を演じていた。違和感がないといえばもちろん嘘になる。


しかし、演技者としてのビートたけしは間違いなく「一流」である。


そこにいるのは私のイメージしている談志だった。


このドラマを見ようと思ってみた人は、落語に興味のない人もいたかもしれない。


その人は、残念ながら談春の経験の大変さをほとんどわからなかっただろう。



落語というもの自体が、全く内容を知らないで聞いてもあまり楽しめないのと同じで・・・。


「文七元結」を前座がやっていけない、とか・・・。


「寿限無」を失敗する意味とか・・・。


前座のうちに音曲を勉強することの意味とかを知らないと、彼らの苦労することの意味も分からないのだから。


「したり顔」でモノを語るのはイヤミなだけだけれど、少なくとも「落語」のことに関してはおせっかいと言われようとも言わせてもらう。


このドラマは「本当にすごく面白い!」ドラマだった。


その「本当の面白さ」を理解するには落語を勉強するしかない。


その代わり落語に興味をもって、勉強すると先ほどの「音曲」「歌舞伎」「江戸文化」なども知ることができて、さらに日本人としてのアイデンティティを強く感じことができるようになる。


それは実はとってもとっても大事なことであることを、初老男は皆さんに伝えたいと思う。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分が日本人であることのアイデンティティが「落語」の中にあることを疑いませんように。



               May


思わず談志の「文七元結」のDVDを見直してしまった・・・。









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今しか見れないなら見た方がいい!   ~シルヴィ・ギエムファイナルを見た~

2015年12月27日 | Weblog
私は初老男である。


12月の下旬である。


雪が降ってきたのである。


例年に比べれば、遅いし量も少ない。しかも、雪が湿っている。


とりあえず「今年は暖冬」という予想は当たっているのかもしれない。



しかし、この冬の長期天気予報ほど「当たらないモノもない」のである。


まあ、観光収益とかも考えて「豪雪」にならないことだけを願う。




どれくらい前だろう?


教育テレビ(今はEテレか?)の日曜日の夜に奇妙な舞踊を見た。


舞台の中央に丸く大きな赤いテーブルが置いてあり、その上でに上半身裸で黒いタイツをはいた女性がゆったりと踊っている。


曲は「ボレロ」


彫像でもこれほどシャープにならないだろう、というその身体が「舞踏を極めた者だけが持つ」ということに気が付いたのはずいぶん後になってからだ。


やはり、人類には共通する精神的文化というものは存在するのだ。


初めて見たというのに、その踊りに鳥肌が立ってしまって眼が離せない。


それが彼女だった。


そうシルヴィ・ギエムその人。


ということで、見てきたのである。


彼女が今世界ツアーで引退するという。


そもそも、この「ボレロ」という曲に強烈な興味を持っている。


それはまだクラシック音楽に興味を持っていない頃、アイスダンスの名ペア、トービル・ディーン組の演技を見て感動してからだ。


今のところ「ボレロ」のCDは、20数枚ほどあるだろうか・・・。


作曲者のラベルのことも、かなり勉強したのだが・・・・それはまた別の話。


私がひねくれ者であることは、自他ともに認めるところであるが、そのひねくれ者の意識の「源」は・・・・。



           「心で感じる」


ことだ。


どうしても、どこかに作為を感じる「流行」というものに安易に乗せられるのは、どうにも口惜しい。


ゆえに、ついつい人のあまり見ないようなものの中に「それ」を見つけようとする。


というほど変なものを探しているわけではないけれど・・・。(そこら辺は、過去のブログを読んでもらうとわかるだろう)


人間は生きているうちに、幸運にも巡り会う「人」や「芸術品」がある。


特にそのとき「同時代を生きた人」のことは、それを知っているということだけでは絶対に伝わらない部分があるものだ。


私は長嶋茂雄・王貞治をリアルタイムで知っている。金田正一・張本勲のプレーも見た。


しかし、残念ながら「映像」であって「ライブ」ではない。


でも、今の張本さんからの「想像」ではない。


この差は大きいのだ。


それは今の私くらいの初老男になると、その意味を強く感じるようになる。



シルヴィギエムという女性は「映像」として、残っているものを見ることはこれからもできる。


しかし「生の彼女の踊るボレロ」を見ることは、もうできないのである。


これから私は「シルヴィギエムのファイナルを生で見たことがある」と言うことができるのだ。



それだけで、自分の人生が豊かになったと確実に自覚できるようになった体験であった。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の人生の豊かさを深めることにためらいを持ちませんように。


         May


あの舞台の「凄さ」は、やはり私のような者では伝えることはできないなぁ。





















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