完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

エンターテインメントとしての出来は良いです。   ~映画「関ヶ原」見ました。~

2017年08月27日 | Weblog


私は初老男である。




夏の終わりである。




何かと憂鬱なのは、そのせいだろうか・・・・。





久しぶりに映画をみた。







            「関ヶ原」






                   である。





岡田准一主演・有村架純・役所広司共演で、昨日8月26日に封切りされたばかりである。







やはり、しばらく映画を見ていなかったので席を間違えてしまった。







前から2番目の左側。







近すぎて観にくい。






そして、久しぶりなので驚いたことがある。











ま~~~あ、予告編が長いですなぁ。









4:00開演となっているが、10分前から10本以上の予告編で20分ほどかかった。








これが当たり前なんですか?












★★★★★★★ここからは「ネタバレ」があります。ご注意下さい。★★★★★★










だいたい、私が映画を見ようと思い立ったのは、原作の「関ヶ原」を愛読していたからだ。







司馬遼太郎という作家は、今や国民的歴史小説作家であり「司馬史観」という歴史観念をも作り出した人である。






もっとも、そうした物に持ち上げたのは熱心な読者なのだろうけれど・・・。







私はこの「司馬史観」なるものに多分に懐疑的なのだけれど、説明しづらいなぁ。








いつも思うのだが小説を映画にするというのはとても「むずかしい」








原作の良さを完全に伝えることのできた映画は、私として「ほとんど無い」と思っている。








最終的なことを言ってしまえば、この「関ヶ原」も例外ではなかった。









この小説は、このかなり長めに作った映画であっても描き切れてはいない。



 




そもそもこの小説は「大河ドラマ」にしてもおかしくない重厚な内容で、根底にあるのは「政治劇」「人間心理劇」なのである。








そうした映画に細かいツッコミを入れるのは意味が無いのだが、あえていくつか言いたい。









登場人物の中でも重要な「初芽」(はつめ・有村架純)の設定が全く違うこと。






更に重要な役どころ「本多正信」が、ひどく軽く描かれている。






この小説の本質は「本多正信」と「石田三成」の対比にある。






さらにさらに言えば「小早川秀秋」の設定とキャスティング。






東出昌大自身のせいではない。






ストーリー上の演出であろうにしても「重要なシーン」をなくしてしまっているのだから・・・。







その「重要なシーン」を描かないのであれば、やはりこの小説の「本質」を表すつもりがないと思える。







2時間20分の上映で話を完結しそれなりの盛り上がりを見せねばならなければ、興行的に成功しないのであれば・・・・・致し方ないのかもしれないけどね。









結論としては、なんとなく大昔のセリフを示すことで終わりにしたい。









           「読んでから見るか、見てから読むか」






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも映画をエンターテインメントとして楽しみますように。









                 May






「政治劇」「人間心理劇」を描くには、人間の感情や激情を極力抑える表現が不可欠なのだが・・・・エンターテインメントには、それが一番むずかしい。

















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輪郭がハッキリしてきた。    ~「ライフワーク」の答え~

2017年08月20日 | ライフワーク

私は初老男である。





すでに「敗戦記念日」が過ぎた。






世の人々が「終戦記念日」と呼んでいる8月15日のことだ。









なかなか、ここに書き込むことは無かったが、少しずつ少しずつ調べてきた。












話の見えない人のために確認しておこう。









私にはライフワークがある。








     「日本は何故、勝てる見込みのないアメリカに戦争を挑んだか」








という疑問の答えを探ることだ。









積み上げたものの最後にあったのが・・・。







            「極東軍事裁判」







そう、俗に言う東京裁判。










最終的な答えの鍵が、ここにあったようだ。










以前に購入しておいて、読んでいない資料が多い中で「パール判事」の本に手を付けた。








そうなのだ。










散々いろいろ調べていながら、そこに手を付けていなかった。









例の「A級戦犯」の話。








さて、ここで問題です。










「A級戦犯」と「B級戦犯」「C級戦犯」の違いは何でしょう?












実はこのことが、大東亜戦争の敗戦における大きなファクターになる。









そして、その裁判における「判決」が決定的に、この戦争が「なんであったか」を物語っている。












まず、さっきの質問の答えを記そう。









「B級戦犯」とは、戦時国際法に規定された(捕虜虐待など)戦争犯罪者。









「C級戦犯」とは、殺害・虐待などの「人道に対する罪」を犯したと認定される者。








そして、







「A級戦犯」とは、侵略戦争の計画・開始・遂行など「平和に対する罪」を犯したと認定される者。










とされている。










大抵の人は、A級戦犯の方が「責任が重い」と勘違いしている。もともと違う事象に対しての区分けであり「級」というより「項」と区分けをする方が正しいといえる。











まず、そのことが分からないと始まらない。











そして、そのA級戦犯に、何人がどういう理由で選ばれたか?











ここいら辺で、実はこの東京裁判がいかなるものかが分かってくる。












是非、調べて見て欲しい。










今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の国で何ががあったかを知る努力を怠りませんように。











                 May










やはり「時」が経たないと、分からないことがあるものなんだ・・・。


































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