私は初老男である。
・・・日本一の米処である我地域は、この時期は忙しない。
初老男としては、すっかり「うんざり」している。
どこかでUpしたことがあっただろうか?
日本の稲作は遠くない将来に、一度「クラッシュ」するであろうことを。
農業に関係ない皆さんも、何となく分かっているのではないだろうか。
ほかの産業以上に、日本の農業というのは「歪」な形をしている。
様々な要因はあるだろうけれど、驚異的な経済成長を遂げることにより立国としての基本である「農業」の発展をいい加減にしてしまった気配がある。
結局の所「政治が悪い」といってしまえばそれまでなのだが。
日本人は、特に「米」というモノに太古の昔から神聖な意識を持っていた。
その中で経済と農業(稲作)というモノが、現実には「共存しない」ことを知っていたはずである。
しかしながら、政治家も国民も「見て見ぬ振り」をしていた感がある。
しばらく、Upが滞った。・・・・まあ、いつものことだ。
実は「田植え」で忙しかったのだ。
今年の田植えも無事終わってホッとしている。
ホッとはするのだが・・・。
それは、これから9月半ばの収穫(稲刈り)までの「気の抜けない」期間を過ごさなければならないことを意味する。
今年から、稲作における「生産調整」(減反政策・・・つまりを稲を植えない田圃を一定量強要する政策)の補助金が「半額」になる。
これから5年をかけて補助金は「廃止」されるという。
これを私は
「コシヒカリを好きなように作ってよい」
と言う意味にとった。
しかし、そうではなかった。
生産調整を行い、米の自給に責任を持つのは「国の責任」だと思っていたのだが、どうやら様々な「面倒なこと」から手を引き、圧力団体である「JA」(農協)におっ被せてしまうつもりなのだ。
だから、今年のJAの地域懇談会で、担当の職員が「どうにもならない・・・」といった表情で私の質問に答えていたっけ。
こうした「バラマキ」を繰り返してきたのは、多分に「政治的」な意味が大きかった。
農民の票を繋ぎとめるための物であったといえる。
55年体制における「農民票」は、時の与党・自民党にとっては確実に「読める票」だった。
しかし、ついに安倍政権は集票システムとしての「農民票」を見捨てた。
日本の稲作農家が「クラッシュする」というのは米の生産量が減るとか、自給率が落ちるという意味ではない。
今日も、83になる親父と話をして思った。
彼の思っている「農家・農業」というものと、私の思っているそれとはあまりにかけ離れてしまった。
牛・馬を飼うことが稲作農業の始まりで、政府と言うものが「お上」であり、嫁や子どもに罵声を浴びせながら作業をすることが「百姓」であると思っている昭和一桁世代。
30m×100mの区画された田圃に、エンジンを積んだトラクター・田植え機を駆使して政治・経済状況の知識を備えねばならない「農業経営者」である戦後世代。
・・・さんざん時間と文字数をかけたが、結局まとまらない。
ただ、今日も一日中田圃の「草刈」をして、そのうちでも近くの親父さんに「文句」を言われ、腰や右腕の感覚がなくなってへとへとになる。
しかし、月曜日からの「勤務」は待ってはくれない。
なんでこんなことをやっているんだろう・・・?
ほぼ9月の半ばまで、土日はこんな風で終わる。
初老男の頭の中は、どうやってこの「稲作農家を止めるか」と言うことだけだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。こんな支離滅裂な話を最後まで読んでくださった方に、本当に感謝。
May
ブログと言うのは、やはりあまりに身近なことはUpしてはいけないんだな。
・・・日本一の米処である我地域は、この時期は忙しない。
初老男としては、すっかり「うんざり」している。
どこかでUpしたことがあっただろうか?
日本の稲作は遠くない将来に、一度「クラッシュ」するであろうことを。
農業に関係ない皆さんも、何となく分かっているのではないだろうか。
ほかの産業以上に、日本の農業というのは「歪」な形をしている。
様々な要因はあるだろうけれど、驚異的な経済成長を遂げることにより立国としての基本である「農業」の発展をいい加減にしてしまった気配がある。
結局の所「政治が悪い」といってしまえばそれまでなのだが。
日本人は、特に「米」というモノに太古の昔から神聖な意識を持っていた。
その中で経済と農業(稲作)というモノが、現実には「共存しない」ことを知っていたはずである。
しかしながら、政治家も国民も「見て見ぬ振り」をしていた感がある。
しばらく、Upが滞った。・・・・まあ、いつものことだ。
実は「田植え」で忙しかったのだ。
今年の田植えも無事終わってホッとしている。
ホッとはするのだが・・・。
それは、これから9月半ばの収穫(稲刈り)までの「気の抜けない」期間を過ごさなければならないことを意味する。
今年から、稲作における「生産調整」(減反政策・・・つまりを稲を植えない田圃を一定量強要する政策)の補助金が「半額」になる。
これから5年をかけて補助金は「廃止」されるという。
これを私は
「コシヒカリを好きなように作ってよい」
と言う意味にとった。
しかし、そうではなかった。
生産調整を行い、米の自給に責任を持つのは「国の責任」だと思っていたのだが、どうやら様々な「面倒なこと」から手を引き、圧力団体である「JA」(農協)におっ被せてしまうつもりなのだ。
だから、今年のJAの地域懇談会で、担当の職員が「どうにもならない・・・」といった表情で私の質問に答えていたっけ。
こうした「バラマキ」を繰り返してきたのは、多分に「政治的」な意味が大きかった。
農民の票を繋ぎとめるための物であったといえる。
55年体制における「農民票」は、時の与党・自民党にとっては確実に「読める票」だった。
しかし、ついに安倍政権は集票システムとしての「農民票」を見捨てた。
日本の稲作農家が「クラッシュする」というのは米の生産量が減るとか、自給率が落ちるという意味ではない。
今日も、83になる親父と話をして思った。
彼の思っている「農家・農業」というものと、私の思っているそれとはあまりにかけ離れてしまった。
牛・馬を飼うことが稲作農業の始まりで、政府と言うものが「お上」であり、嫁や子どもに罵声を浴びせながら作業をすることが「百姓」であると思っている昭和一桁世代。
30m×100mの区画された田圃に、エンジンを積んだトラクター・田植え機を駆使して政治・経済状況の知識を備えねばならない「農業経営者」である戦後世代。
・・・さんざん時間と文字数をかけたが、結局まとまらない。
ただ、今日も一日中田圃の「草刈」をして、そのうちでも近くの親父さんに「文句」を言われ、腰や右腕の感覚がなくなってへとへとになる。
しかし、月曜日からの「勤務」は待ってはくれない。
なんでこんなことをやっているんだろう・・・?
ほぼ9月の半ばまで、土日はこんな風で終わる。
初老男の頭の中は、どうやってこの「稲作農家を止めるか」と言うことだけだ。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。こんな支離滅裂な話を最後まで読んでくださった方に、本当に感謝。
May
ブログと言うのは、やはりあまりに身近なことはUpしてはいけないんだな。