私は初老男である。
初老と名乗るのは、ある程度の年数生きてきたからだ。
当たり前のことである。
人によるのであろうが私は人生における「価値観」がハッキリしてきた。
そうした中でも「金銭感覚」は「ハッキリする」というより「『あきらめ』を含んだ現実」を知ることになる。
特に感じることは「お金」に関しては「人間の感情」が絡むと、その金額の価値自体を変えてしまうことを嫌というほど味わった。
私の作った格言。
「人は100円もらって『感激』することもあれば、
1万円もらっても『軽蔑』することもある」
すべては「渡し方」なのである。
そう「感情の問題」。
さらにもう一つ。
「『タダ』の酒は飲むな!」
お金直接ではないが、直接つながっているといっていい筈だ。
「金銭欲」に「食欲」がからんで、さらに複雑とも言える。
「奢ってもらう」ばっかりの奴がいる。
「イイ歳」をしているのに。。。。。
何人かが集まって、自分が一番年嵩なのに平気で「ワリカン」という奴。
残念ながら、こうした人は「イザという時」に味方がいなくなる。
こうした人は「先輩におごられたら『返せない』じゃないか!」とか言い出す。
その時は「後輩に『返して』やる」のである。
人生というモノはそういう風に出来ている。
以前に大橋巨泉氏の本の紹介をした。
その中で「本当の成功者とは『リタイア』できる人」であり「成功者は『すべて』を欲しがってはいけない」と示してある。
人間は何かしら「欠けているモノ」があってこそ、つややかに生きていけるのだ。
年に10億円以上の報酬をもらう人間が、ほぼ同じ額を裏で受け取ろうとして隠蔽する。
その感覚が分からない・・・・。
たしかに税金というモノがあるから、その金額すべてが収入にはなるまい。
しかし、まず一般的な労働者である私が生涯に受け取つ賃金以上を1年で受け取るはずだ。
その金額になれば、相当な贅沢をしても一生使い切れないだろうに・・・・。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分に本当に必要なお金がいくらであるか理解しますように。
May
「我唯足知」(われ、ただ、たるを、しる)釈迦の「知足の心」を表しているといわれる言葉。数少ないこのブログの読者貴兄はじっくりとこの言葉の意味を噛みしめてみてはいかがでしょうか。