完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

やっぱり、その神経が分からない・・・・・・。       ~金欲の果てに~

2018年11月26日 | 時事ネタ



私は初老男である。






初老と名乗るのは、ある程度の年数生きてきたからだ。






当たり前のことである。






人によるのであろうが私は人生における「価値観」がハッキリしてきた。







そうした中でも「金銭感覚」は「ハッキリする」というより「『あきらめ』を含んだ現実」を知ることになる。









特に感じることは「お金」に関しては「人間の感情」が絡むと、その金額の価値自体を変えてしまうことを嫌というほど味わった。









私の作った格言。






    「人は100円もらって『感激』することもあれば、
                    1万円もらっても『軽蔑』することもある」






すべては「渡し方」なのである。








そう「感情の問題」。









さらにもう一つ。







            「『タダ』の酒は飲むな!」







お金直接ではないが、直接つながっているといっていい筈だ。









「金銭欲」に「食欲」がからんで、さらに複雑とも言える。









「奢ってもらう」ばっかりの奴がいる。








「イイ歳」をしているのに。。。。。








何人かが集まって、自分が一番年嵩なのに平気で「ワリカン」という奴。







残念ながら、こうした人は「イザという時」に味方がいなくなる。







こうした人は「先輩におごられたら『返せない』じゃないか!」とか言い出す。







その時は「後輩に『返して』やる」のである。







人生というモノはそういう風に出来ている。






以前に大橋巨泉氏の本の紹介をした。







その中で「本当の成功者とは『リタイア』できる人」であり「成功者は『すべて』を欲しがってはいけない」と示してある。







人間は何かしら「欠けているモノ」があってこそ、つややかに生きていけるのだ。








年に10億円以上の報酬をもらう人間が、ほぼ同じ額を裏で受け取ろうとして隠蔽する。






その感覚が分からない・・・・。






たしかに税金というモノがあるから、その金額すべてが収入にはなるまい。







しかし、まず一般的な労働者である私が生涯に受け取つ賃金以上を1年で受け取るはずだ。








その金額になれば、相当な贅沢をしても一生使い切れないだろうに・・・・。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分に本当に必要なお金がいくらであるか理解しますように。









               May






「我唯足知」(われ、ただ、たるを、しる)釈迦の「知足の心」を表しているといわれる言葉。数少ないこのブログの読者貴兄はじっくりとこの言葉の意味を噛みしめてみてはいかがでしょうか。










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偉大なり、桂米朝。   ~「落語と私」読み終わりました。~

2018年11月25日 | 落語



私は初老男である。




昨日の天気は「冬型」だった。




・・・・・我が地域の冬は雪が多くて寒い。






タイヤを変えねば。。。。







落語について書かれた本は多い。






それは最近とくに多い。








そうした中で「古典」とも言える本を読んだ。








               桂米朝著「落語と私」






                           である。








読んだといっても何度目かである。









実は失くしてしまっていたのが、見つかったのでの再読だ。









文庫本の発行月日は1986年となっている。







多分もっと前にハードカバーで発行されているはずだ。









本人は50代だったという。









落語をむずかしく考える必要はない。








聴いて面白ければそれでいい。








しかし、演じている人間である限り、そこに「ヒトとなり」が現れる。








それ自体に面白みを感じたり、興味を感じたならばこうした本を読んで欲しい。









私の感覚で申し訳ないが、古典落語において東京芸人に「江戸っ子」の気質を感じる人がほとんどいない。






まあ、大して聴いてもいないクセにと言われればグウの音も出ないが。







私のにとって、それは「古今亭志ん朝」で終わっている。







彼の江戸気質やキップのいいタンカの切り方を伝えている人は見当たらない。




残念だ。






上方落語においては、やっぱり「桂米朝」だろう。








大坂の商家の旦那・番頭・丁稚の雰囲気を、あれほど自然に感じさせてくれる人はいない。








ただ、上方においては重鎮たちがまだその香りを残している気がする。







上方落語の盛衰と江戸落語へのかかわりをこの本で知っておくことは、落語をこれから楽しむためには大変有効なのでお勧めしておきます。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「単純な面白さ」を「楽しむ」まで昇華させますように。










                May






米朝が亡くなって3年。弟子の枝雀はそれより16年も前に亡くなった。師匠と全く違ったタイプの落語家であったがそれはまた別の機会に。
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新車買いました。     ~異例の早期購入~

2018年11月18日 | Weblog



私は初老男である。






時代が劇的に変わっていることの実感は、若い人より私のような初老男の方が強いと思う。







平成が終わろうとしている現在、昭和30年代生まれの私の感受性は研ぎ澄まされるばかりだ。







この歳になってみると思う。








偉そうに言わせてもらうが、今の私のような感性を持ち合わせていない「ご同輩」が多いことにア然としてしまう。








・・・正確に言えば「ご同輩」ばかりでなく、私より若い人たちにも多々見受けられる。







ということは「歳」ではないのだろう。










新車を買ったのである。







3年前に買った車の車検を取らずに新車にした。








実はこれまで、こうした車の買い方をしたことが無かった。







車のディーラーに知り合いがいて、30年以上の付き合いをしている。







そうして多分5台目の新車購入になる。






平均6年の計算だが。。。。






しかし、今替えた車の前の車は10年以上乗った。







では、なぜ今回は初めての車検を取らずに新車にしたのか?








もちろん、理由がある。








それは・・・・。







          「自動車の安全性能の革新的進歩」









                        というべきだろう。







もう私が説明するまでもないのであるが、ここ数年の「自動ブレーキシステム」をはじめとした来るもの進歩は凄まじい。








私が車を替えなかった理由は、まず「お金が無かった」こと。








次に「当時の車が気に入っていた」こと。








ゆえに車を替える必要を感じなかったのである。








今でさえ「あれば便利」程度の装置は必要ないと思う。







「ナビゲーション」「ABS」「アラウンドビューモニター」なんてのは、ちゃんと運転できていれば、さして必要とは思っていなかった。









つい3年ほど前までは。










初老男の名前をそろそろ返上して「中老男」の名前を冠せねばならぬと感じた時から










               「あった方がいい」







                    と思い始めた。








単純である。








駐車場の白線内にピタリと駐車できなくなった自分に気が付いたのである。










われわれの世代は車の「ステータス」を感じていた。









マシンとしての「あこがれ」も。








今のように「コンピューター」に乗っているという感じではない。








「道具」としての車に、シンパシーを感じていたのだ。






現代の若い子らは、それを感じないから免許を取らない。







だから、自動車会社が実写版「ドラえもん」のCMで「免許を取ろう!」なんて言っていた。








縷々述べてきたが、結局・・・・。







「年齢による衰え」が、私に初めて車検を取らずに新車を買わせたのである。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを呼んでいる皆さんも「安全」が、自分の「楽しみ」よりも大事になる時が来ることを自覚しますように。






           May





完全自動運転が可能になったら「免許証」っていらなくなるのだろうか?そうしたら自動車保険ってどうなるんだろう?



















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いい出来です。     ~MIBシリーズ観ました~

2018年11月17日 | テレビ



私は初老男である。




子供の頃から「テレビっ子」だった。




そのまま大人になった。





・・・・・正しくないな。そのまま初老男になった。






そんな私は少々異常なくらい記憶力があるらしい。






ほとんど役に立たない記憶ばかりだが・・・・。






今週の「相棒」での話。





犯人の校長三田真一先生の「声」に聴きおぼえがあった。





容貌は単に初老男。




しかし、なんとなく顔の骨格にも見覚えがある。





「松田洋治」じゃないかな?





果たして「正解」だった。






私のイメージの中で、彼は子役であり結構ヤンチャな小学生だった。






そして「もののけ姫のアシタカ」を担当した声優であることが一番の有名である。






・・・・ね。記憶力いいでしょ?








BSで「MIB3」をやっていた。






先週先々週と1・2ときて今日が3。







こうしたシリーズ物は、徐々に面白くなくなったりするのが常だ。







元々3部作にすることが前提なら別だけれど。







たぶんだが、このシリーズは3まで作ることが前提ではなかったんじゃないかと思う。






そうした意味でも3が一番面白いのは、かなりプロデュースが上手いからだろう。






ちなみにプロデューサーはスティーヴン・スピルバーグ。






納得。






やはり、こうした宇宙モノを作らせると彼は天才的だなぁ。







更に「時空モノ」を組み合わせたこの「MIB3」は、1・2以上に話が複雑なのだが・・・・。






私はこうした複雑でありながらロジック的に成り立つストーリーが好みでね。







まあ、エイリアンはグロテスクで好みじゃないけれど。






MIB1は1997年・2は2002年。






そして3は2012年。






ウィル・スミスは変わらないね!






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「そんなわけないじゃん!」って映画を楽しみますように。








            May





3の吹き替え版でのグリフィン役が三ツ矢雄二だったけれど、すっげぃぴったりだった!








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エンターテインメントの真髄ですなぁ。    ~劇団四季「ライオンキング」みてきました。~

2018年11月04日 | Weblog




私は初老男である。







私はクラシックファンである。







威張れるほどの通ではないが・・・・。







しかし、クラシック音楽の中でも「オペラ」だけは好みでない。







声楽自体があまり好きでない。








「何言っているのか分からない!」から、伝わってこないのだ。








じゃあ、ポップス聞くなって話になるのではあるが・・・。








今回「ライオンキング」を見て思ったのは、つまりミュージカルというのはポップスにおける「オペラ」なのだということ。








オペラには基本的には原作がある。








余程の人でなければオペラの原作など読んだ人はいないだろうけれど・・・。









モーツァルトの「フィガロの結婚」などは、オーストリア皇帝が禁止していたのを直訴してオペラにしたというような話もある。










その原作を膨らますだけ膨らませて、別の芸術に替えさせてしまうのである。










ライオンキングもディズニーの映画が原作になっていることは周知の通り。








私はその映画を見ていない。







そうした中で、その舞台は・・・・。








とても良かった!








当たり前であるが、みな歌が上手い!(当然か)








アニマルの特殊衣装も見事に操作して、エンターテインメントに仕上げている。








LIVEであること、その場にいることの一体感はやはりどこにでもあるというモノではない。











・・・・そこまで言っていてナンであるが・・・・。








やっぱり、わたしは「芯」の部分でこのエンターテイメントを受け入れられていない。










今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、触れ得るエンターテイメントには何でも接してみられますように。










               May






といいながら「CATS」と「ミス.サイゴン」は観ておきたいと思っている。






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