完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

サッカー日本代表監督のこと   ~解任?留任?~

2010年02月21日 | スポーツ
私は中年である。

さて、前回のUpで書き忘れたことがあるので少々追加しておく。

今のサッカー日本代表の「岡田監督を替えろ!」の世論であるが、私は「反対」である。

何の世界もすぐにこうした監督の進退問題に話を向ける風習があるが、問題なのは現実にプレイしている選手達が受ける精神的な部分だ。

いかに「前監督の意向を尊重して・・・」といっても、丸で別物になることは当たり前なのだ。(だから、オシムから岡田氏に変わったときは本当に落ち込んだ。ワールドカップにもいけないと思った。)

個人に求められるものも、監督が変われば全く変わってしまう。

監督交代を声高に言う人達は、ちょっとした「作戦変更」で勝てるようになると思っているのだろうか。また、交代した監督は、自分のやりたいことをやらずにいるだろうか。また、やりたいことをやるのに、あと数ヶ月しかない現状をなげかないだろうか。大体そんな状況で受ける監督がいるのだろうか・・・?

予選突破も怪しくなったなんて状態では、いたしかたないかもしれないが、それだってかなり分の悪い「賭け」だろう。

ってよく考えたら岡田さんてそれそのままの状況で監督を受けたんだよね。(日本が初めてワールドカップに出た時、加茂監督が更迭されたのは、まさにそんな状況だったもんね)

まあ、とにかく勝たないことに腹を立てるのは仕方がないけれど短絡的に「監督交代」などというのは、そのあとのことを考えない浅はかな考えに思えてならない。

ここまでくれば岡田監督と「心中」って事さ。その方が結果的に納得できる。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。真剣に応援するのはいいけれど、冷静に見る目は失っちゃいけない。
                              may

バンクーバーの話は・・・・。

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日本人の国民性が邪魔をする・・・  ~サッカー東アジア選手権第3位~

2010年02月14日 | スポーツ
私は中年である。

先回の野沢温泉スキー場のブログでいくつか抜けていたところがある。それを補足しておきたい。

月曜日(ちょうど一週間前になるなぁ)に例年になく人がいた事は、その通りなのだがその人達にはある傾向があった。

シルバーの人達(60歳以上)と外国人の人達(西洋系東洋系共に)が多かったのだ。

大体野沢温泉はどちらかといえば「関西系」の人達が多い。

だから、アジア系の人達は関空からのツアーなのだろうか?
それによって本当に日本のウィンタースポーツ人口の減少に歯止めがかかったといえるかどうか微妙になるな。


さて、ワールドカップイヤーの東アジア選手権が終わった。

結果はご存知の通りである。

このことでは私などよりもっとサッカー知識の豊富な方々が細かい解説をしてくれるだろうから、サッカー素人の中年の私は簡単に感想を述べよう。

日本のサッカーは日本人の「国民性」の上に成り立っている。

韓国vs日本のゲームは特に双方の「国民性」の違いが露骨に出たゲームだった。

日本は綺麗な「パス回し」が目的で、ゲームをやっているように見える。

選手達はそうは思っていないだろうが、というより選手がそう思っていなくてそうなっていることに問題がある。(分かり辛いですなぁ)

最近の日本代表は、いつもそうである。

「そこで打て!」って叫んでしまうシーンがとても多い。

昔、ブラジルの選手が言っていた。

「日本は少しも怖くない、全然ゴールを狙ってこない」

逆に言えばブラジル選手は、パスを回すことなど二の次でまずどこからでもシュートを狙ってくる。

だからこそ相手は気を抜けない。


この間の「アメトーク」は「キャプテン翼芸人」だったが、その時に誰かが言っていた。

キャプテン翼の中でサッカーの中心選手は「MF」であってゲームメーカーこそが中心選手だと。

故にこのマンガを読んでサッカーを始めた少年達は皆「FW」でなく「MF」になりたがり「シュート」より「キラーパス」を好むようになったのだと。

そういわれると海外で活躍した日本選手はほとんど「MF」って感じだ。(中田しかり中村しかり)

今の日本代表を見ていると本当にそう思う。

だから、MF以外の選手も「ラストパス」を送る方に回りたがる。それこそが日本における「名プレーヤー」だからだ。

しかも、日本人の国民性として「目立つ」ことを良しとしない。

これだけ「目立ちたがり屋」がふえた現在においてもである。

さらにこれを言ったらおしまいなのだろうけれど、監督が日本人の岡田氏だから、知らず知らずにそうした指導(綺麗にパスを回して決定機を作れって言う)になっているのではなかろうか・・・。

だから日本選手のミドルシュートは、狙うべき時に打つ練習をしていないから、ほとんど入る気がしない。

少なくとも韓国は日本よりは「シュートを決める」事のためにゲームに望んでいた。しかも「歴史的な敗戦」のあとで手負いの状態だったのだから、ゴールに飢えていたといえるだろう。

その差が今日の「日本の惨敗」を生んだ。

今のままではその「国民性」を乗り越える選手が出てこない限りワールドカップで予選リーグを勝ち抜くことは出来ないだろう。

日本におけるその「国民性」を超えた選手は本当に数少ない。

今までに現れたその国民性を超えた選手は「釜本」「カズ」の二人位ではないだろうか?

長い時間をかけて取り組まない限り「突然変異」としてのそうした選手も出てくることはあるまい。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。今回の大会は観客が少なかったねぇ
                              may

オリンピックについては、Upするには時間が足りません。そのうちじっくりとやります。






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野沢は今年も・・・  ~当世ウィンタースポーツ事情~

2010年02月11日 | Weblog
私は中年である。

果たして今年は「暖冬」だったのか「大雪」だったのか?

確かに新潟市では27年ぶりの「大雪」だったし、私の住んでいる地域も年末年始に一気に150cm近い雪が降った。

しかし、たくさんの雪が降る前に雨が降って、雪がボソッと減っていった。

このパターンは「暖冬」という感じだ。

まあ、どちらにしても確実に冬がやってきてそろそろおちついてきたってことだ。


さて、毎年この時期にUpしている「野沢温泉スキー」のことを今年もUpしたいと思う。

今年も中高年の男4人で野沢温泉スキー場に行った。

前日から大雪で長野もかなりの量の雪と冷え込んだ空気が肌に染みるようだった。
車で2時間ほどで野沢に着く。(まあ、県庁所在地に行くより近いってことなのだ)

日曜日の午前中で、野沢の温泉街は多くの人でにぎわっていた。
(はて、いつもより人が多いような・・・。)

その思いはスキー場に行ってみてさらに深まった。


野沢温泉スキー場は、日本のスキー場の中でも5本の指にはいる名スキー場だ。

そのスケール、雪質、アフタースキーの温泉もそれだけで屈指の名湯に数えられる。

しかし、その野沢温泉であっても、20代前半から通っている人間からすると「盛者必衰の理をあらわす」というかんじだ。

年々のウィンタースポーツ人口の減少の波をモロに喰らって最盛期の1/10程度の人しかいない。(決して大げさな表現ではない)

最初に野沢に来たときは、ゴンドラに乗るのに2時間待ちなんてのは当たり前だった。
(まあ、ゴンドラは当時4人乗りだった。今は12人乗り。)

輸送能力が上がるのと、利用客が減るのがちょうど重なった感じで、ここ5~6年はゴンドラもリフトも乗るのに待ったことはない状況だった。

それが、今年は最大で15分も待ったのだ。

雪質は最高!(そのかわり山頂付近で気温はマイナス10度)

これくらいの雪質になると、自分が「うまく」なったような気になる。

自分が思ったように曲がれるし、そのために他のボーダー・スキーヤーを見る余裕があるから、危ない状況にほとんどならない。

しかも、こうした軽い雪は力をかけずに曲がれる。だから疲れない。

30年近く通ってこれほどの条件に会ったのは一度か二度しかない。

二日間ともそうした状況だったのも初めてだ。本当に今年は「ラッキー」だ~~~!


宿の話もしておかねばなるまい。


私らの定宿としている旅館は外湯の「大湯」のすぐとなりで温泉街の中心にある老舗である。

10数年前にはS大学スキー部の合宿の指定宿で学生スキーヤーがぞろぞろしていたものだ。

しかし、老舗も最近はかなり大変だったらしい。

娯楽の多様性の中でウィンタースポーツの存在が薄くなったというべきなのだろう。

その中では老舗も今までと違う方向性を探してがんばっている。


年に一度しか行かないのに・・・いや逆だ。年に一度しか行かないからこそ「今」が分かるのだ。

今の日本の景気と同じに、少なくとも野沢温泉におけるウィンタースポーツ人口の減少は「底」は脱したように感じる。

とにかく、今年も充分に楽しめた二日間だったことをお知らせして終わりにしよう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。宿の宴会で4人で飲んだ酒は、ほとんど「晩酌」程度だったなぁ。
                              may

さて、それだけ好調だったスキーの最後の最後に「大転倒」をして右肩を強打してしまった。未だ肩がよく動かない。








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