私は前期高齢者寸前男である。
ゴールデンウイークである。
しかし、最初の27日は親父の病院で1日終わってしまった。
そうした中で3日のうちで「何かイベントに参加せねば!」と思っていたのだが・・・。
仕方がないのでとりあえず・・・「映画」を観ることにした。
気になっていた
「陰陽師0」
である。
前回の「ゴールデンカムイ」の予告編を観て気になっていた作品だ。
「陰陽師」といえば2001年に野村萬斎主演で第1作、2年後に第2作が作られた。
私は両方テレビ放送で録画して観ている。
さらに夢枕獏の原作本もしばらくハマって読んでいる。
第1巻が1988年発売となると・・・。
40年弱の時が経っていることになる。
だが、こうした「時代物」というのは時空を超える部分がある。
だからこうして最新技術を使って映画にするっていう企画が出てくるんだな。
「出来」は悪くなかった。
主人公「安倍晴明」は山崎賢人。(奇しくもゴールデンカムイと同じ)
「源博雅」は染谷将太。
陰陽師の重鎮たちも國村隼 、 北村一輝 、 小林薫のベテランが並び、ヒロインは奈緒。
★★★★★★ここからは「ネタバレ」があります。鑑賞予定の人は気を付けてね。★★★★★★
2001・2003年版と比べると、原作によるストーリーはほとんど反映されていない。
安倍晴明が「正式な陰陽師になる前」という設定で、オリジナルストーリーだという。
映画においての「原作」というのは、いろいろむずかしいらしいし・・・。
やはり、見どころは「デジタル処理の画像」である。
というより、今こうした映画においては「それ」を観ないと観るところがない。
今の映画の新しいパターンなのだろうけれど、この映画は「アニメ(ではないけど)」と「実写」の中間的な作品である。
現在のように映像技術が発達がすると不思議なもので画像自体が「嘘くさく」なったりするが、この映画では「迫力ある映像」になっている。
原作にはないこの当時の「政(まつりごと)」の仕組みや、奈緒演じるところの「徽子女王の感情の起伏」そして、安倍晴明の生い立ちが絡み合ってストーリーが展開している。
映画の中で晴明の口から名言が発せられる。
~「事実」は客観であり「真実」は主観だ。「事実」は一つかもしれないが「真実」は人の数だけある。~
まるで今の世の中を象徴するかのようなセリフ。
SNSが生活の中心になっている現在は、まさにこのセリフの通りであろう。
単純に「スマホ」と言ってしまうと問題なのかもしれないが、こうしたツールが必須になっている今。
自分の意識が世間において「どの位置にあるか」を常に確認することでしか生きれない。
「事実」と「真実」をしっかりと認識していかないと、情報の波に飲まれてしまう。
映画は徽子と博雅・時の帝の関係。晴明の過去・陰陽師たちの権力争いの3つの視点から描かれ一気に終盤。
惜しむべきは山崎賢人の「いい男加減」が、安倍晴明の存在感を「薄くして」しまっている。
そう「男前過ぎる」のだ。本編のなかでも言われているように「キツネの子」であるという胡散臭さが足りない。
(そうした意味での2001・3年版は野村萬斎。いかにもって感じしません?)
今の日本映画のこの路線においてかなりの作品だったと言えるだろう。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、日本映画の進歩に追いつきますように。
May
繰り返しますが・・・山崎賢人のいい男振りが、これからの彼の「ウィーク・ポイント」になるか「セールス・ポイント」になるか微妙なところですな。
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