完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

いよいよ大詰め!   ~龍馬伝あと少し~

2010年10月31日 | テレビ
私は中年である。

すっかり異常現象が板について、我が地域においても紅葉にならぬうちに山に雪が降り今度は台風が来た。

熊が我が家のすぐ近くに出没し、隣村の柿の木には猿の群れが登っている(猿に関しては私が実際目撃した!)

もちろん、すべてのことは少しずつ少しずつ変わってきているから、人々はこの異常事態に鈍感な反応だ。

これからもっともっと変なことが起こるのだろうなぁ。


さて、大河ドラマ「龍馬伝」も佳境を迎えている。

今見終わったのが「雨の逃亡者」(44回)である。

今回の大河ドラマが「映画を見ているようだ」と評したのは、ずいぶん前だが、ここまで見てきて気になったことがある。

作り込んだカメラワークや、人物描写は今までの大河ドラマにない斬新さを感じているが、スケールの大きなロケシーンが極端に少ない気がする。

または、そのロケシーンが効果的に伝わってこないといえばよいのだろうか・・・。

路地から路地への疾走シーンなどは多いし、その狭さによる効果も大きい。

しかし、町全体を見渡せるシーンが無い分、江戸の桶町も土佐の高知も長崎の街も見分けがつきにくい。

そのせいで、龍馬が日本中を駆け回って倒幕に奔走している感が薄くなってしまっている。土佐も江戸も長崎も神戸もすぐ近くに感じてしまう。


更に、龍馬の史実的なことを追ってしまうと、ドラマ的に「詰め込みすぎ」の感じになって、龍馬自身が狂言回し的に見えるのが残念だ。いや、正確には狂言回しの岩崎弥太郎にイジられてるようだ。


悪口ばっかり書いているようだけれど、そうでは無い。

そして、この龍馬伝では女優陣が重要である。(なにしろ、女にモテたらしいからなぁ)

加尾(広末涼子)・千葉佐那(貫地谷しほり)・お龍(真木よう子)・お元(蒼井優)となかなかのラインナップですな。

その中でも、やはり役柄と演技力・存在感では私心ながら、お元役の蒼井優が飛びぬけている。

もちろん与えられた役が、あまりにも違うので比べようが無いのであるが、彼女の演技には瞬間・瞬間に見せる表情に背負った過去が投影されている。

まあ、今回の結末的にイギリスに逃げ延びたってのはちょっといただけないけどね。


本当は一番絡んで目立たねばならないのは当然、お龍の真木よう子でなければならない筈だけれど、私にはこの真木よう子はミスキャストと思える。

彼女のお龍は、私のもっているお龍のイメージの全く逆に居る。

彼女自身が結婚・出産を経験しているのも、残念ながらどことなく所帯臭く野暮ったい感じになってしまっている。
それでも、もっと龍馬に絡むシーンを作ってイメージを作れればよいのだろうけれど、演出的にわざとそうさせないでいるのだろう。

いずれにしても、龍馬暗殺の時が迫っている。

大河ドラマの長い歴史の中でも、ターニングポイントになる作品であったと、記憶されることは間違いない。

心して後数回を見届けようじゃあないですか!

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。龍馬暗殺のシーンはドラマ史上最大の見せ場になるで。

                         may


福山雅治は「龍馬」をとてもうまく演じているが、なんとなく迫力に欠けるなって今更言うか!
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本格的な季節に   ~ナイトウォーカーの秋~

2010年10月01日 | ナイト・ウォーカー
私は中年である。

中年を過ぎすでに高年の域に入りつつある男にとっては、何事においても「執着心」が露骨に差が出てくる。

単純に集中力が無くなってくることもあるが、執着しなければならない価値があるかどうかを極自然に判断するからだ。

先回のブログの内容の顛末を次々にUpするべきなのだろうが、それぞれの当事者達の思惑・対応があまりに独善的でヘタクソだったのですっかり執着心が失せた。

まあ、そう言いながら中年らしい〆をしておこう。

  「もうちょっとうまくやれないのかねぇ」

大国である中国と五分に渡りあうことは益々むずかしくなるが、だからこそ外交においての「裏技」くらい持っておかないとどんどん国際社会においての地位は落ちていくだけだぜ。


さて「ナイト・ウォーカー」のこと。


ナイト・ウォーカーからナイト・ジョガーになったことは、報告したっけ?

ウォーキングでは心拍数をこれ以上に上げることが出来ないことがわかって、更に心拍数をしっかり確認する為に、心拍数計つきのウォッチを買った話までしたはずだよね。

こうやって毎日はジョグをやっていると、やはりしっかりとした知識を持たねば、無駄な労力を使ってしまうことに我慢がならなくなる。

この歳になると、物事に対しての姿勢がほぼ決まっている。

これは無意識なことだ。

私は基本的に陽の当たるところを歩めなかった人間だ。

そのため、まず「正面からぶつかる!」という手はほとんど取らない。

まずは「自己流」でやってみる。

それが大抵は大間違いになったりはしない。それなりの効果があるものだが、当然「壁」に突き当たる。

そうした時に「自己流」に固持するか、素直に「本流」に戻るか・・・。


私は「本流」に戻るタイプなのだ。

もちろん、その「物事」が何であるかによって状況は変わるのだが。

ウォーキング・ジョギングというのは、ある意味非常に日常的な行動だから何の勉強もする必要も無いように感じる。

だから勉強の必要が有るか無いかを判断する勉強をしなければいけない。(ややこしいでしょ)

ということで、本屋を回ってそれらしい本をいくつか見繕った。


その中で選んだのが

      「知識0からのジョギング&マラソン入門」

                小出 義雄著(幻冬社)

である。


えらそうに言わせてもらえば、中高年になりある程度の本を読んでくるとペラペラとめくっただけで、その本のパフォーマンスがある程度分かる。

そうしてみるとやっぱり実績としての小出義雄氏の名前は大きい。

何よりも、走る当事者の「不安」の部分を上手に解消している。

イラストも多いし、教え子の高橋尚子との2ショット写真とかも効果的に入っている。


さて、やはり自己流では分からないことも、この本を読んでだいぶ分かってきた。

当たり前のことを、ついメンドクサイと思ってやらないことが実はカラダのメンテナンスのためにやっておかなければならない。

これが一番勉強になった。

やるべき準備をしっかりやって、自分の体に聞きながら毎日少しずつウォーキングからジョギングへ。


すると、やはりこの本の通り。「走ることが辛く無くなった」

まだ、5~7kmを一度も歩かずにはジョグできないが、歩く距離は200mもない。

逆に歩くことの方がかったるい。

・・・それでも、なかなか体重は減らないなぁ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。ダイエットというのは、生き方自体を変えることだと最近よく分かる。つまりは、これから一生ジョグをやめるできないのだ!

                         may















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