完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

まだ評価「未確定」ですな。    ~大河ドラマ「麒麟がくる」観てます~

2020年03月22日 | テレビ



私は初老男である。




三連休最終日である。





やりたいこと、やるべきことは多いのであるが、気分が晴れずほとんど進まず・・・・。







打たれ弱い初老男である。







久しぶりに「大河ドラマ」を続けて観ている。






今日が第10回。






多分大河ドラマは50回くらいだから、1/5に達しことになる。






今回の大河ドラマの特徴は




    


            「鮮やかな色彩」






          「定説的な歴史史実の改変」






       「ユーティリティ的役者長谷川博已の起用」






                              であろう。





ひとつひとつ検証することにしよう。






「色彩の鮮やかさ」については・・・。






私のような「ガチガチの時代劇ファン」にしてみると、少々リアリティに欠ける気がする。





ついつい「重々しい大河ドラマ」を期待しているところに「肩透かし」を喰った気がしないでもない。





前回の大河ドラマが「規格外」だったので、良い意味でも悪い意味でも今回と比べようが無い。






ただ、そうしたために時代劇慣れしていない視聴者獲得には良い方向に作用しているとは思われる。






殺陣シーン(チャンバラですな)においては、少々アンバランス感が否めないけどね。







「定説的な歴史的史実の改変」とは・・・。





私はそれなりに時代小説を読んだりドラマなどを観たりしてきて「明智光秀は足利義昭の家来」という知識しかなかった。





だいたい今回の主人公「明智光秀」はにその前半生においては、特に不明なところ多いという。







今回50回を使って彼の人生を描くについては、こうした細かい部分を突き詰めることが出来て新しい発見があるのがありがたい。








「ユーティリティ的役者長谷川博已の起用」というのは・・・。








この「長谷川博已」という役者が「主人公」になったことを、どう捉えるかが今回の大河ドラマの最大のポイントであろう。







私から見ると、彼は「大河ドラマの主役」を務めるには少々軽すぎる感じではないだろうか?







ただ称したように「ユーティリティ的」であることが「重すぎない」「色が強すぎない」「様々使いやすい」という意味にもなっている。







その点から見ると・・・・。







主人公以外の登場人物に「大物」「曲者」「個性派」の役者が多い。多すぎる。(あの本木雅弘が脇役だからね)






史実以外の登場人物にも「駒」「東庵」「菊丸」等々の脇役がとても豪華で華々しい。





例の「帰蝶こと濃姫」の川口春奈も、彼女に変わったことが良い方に向いている。(私は元来沢尻エリカという女優を評価していない。彼女であったらかなり違った雰囲気になっていただろう)





一番キーポイントになる「織田信長」役を染谷将太がやっているが、これが一番心配だったのだが・・・・。






このままでいけば、いらぬ心配どころか彼であることが最終的に「大きな意味」があるように思えてくる。







そうしたことを考えれば、長谷川博已の主役は「まさに適任」といえるのだろう。





どちらにしても「起・承・転・結」における「起」の部分の中ないし後半にかかったところで、すべては「これから」ってことですね。







まだまだ、評価を下すのは早すぎるってことで・・・。(かなり期待ができることは間違いないです)







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、久しぶりの定番時代劇の大河ドラマを楽しみますように。







             May





この展開の感じは・・・・「功名が辻」に似てますね。主人公よりも「脇が良すぎて」主人公が「狂言回し」的になるパターン。でも、それが「評価が低い」ってことに繋がるわけではないですからね。






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こんな時は「落語」を聴こう。     ~江戸落語と上方落語~

2020年03月20日 | 落語


私は初老男である。



こんなご時世である。




書きたいことは山ほどあるのだが、ひねくれ者を自認する初老男はあえて申すまい。





一息ついたら思い切りUpしようと思っている。







前回に続き落語の話。






先日の予告の通り「あの」落語ディーパが放送された。






そう「あの」東出昌大がMCである。






演目は「愛宕山」








番組では、関西の若手桂吉坊を迎えての「江戸落語と上方落語」の比較をしていた。






だいたい「愛宕山」とは京都にあるという。





上方落語の演目を江戸に移植したもので、良く聞けば江戸落語の話の方に無理が多い。





しかし、落語である。




無理も無茶もありはしない。





実は私が三遊亭志ん朝の落語を初めて聞いたのが、この「愛宕山」なのである。






番組でもその映像が流れていた。





落語という芸能は、予備知識を持たずに聴いてももちろん楽しめるのだが基本となるモノを持っていた方が数倍面白く楽しめる。





演目によっては「オチの意味」が分からなかったりする。





そうした意味で基本となる「志ん朝の愛宕山」を知っていたのは幸運だった。





この番組でほかに流された映像は「桂枝雀」「桂文枝(五代目)」話としては米朝・文楽のことが出てくる。




一之輔と吉坊の「仕草比べ」もでてくる。




やっぱり、この番組は落語好きにはたまらない。





そうこうしているうちに数日後の話。




Eテレ日曜日午後に「日本の話芸」なる番組に桂南光の「三枚起請」が放送された。






この話も「大ネタ」である。





同じく志ん朝のこのネタを、私は「飽きるほど」聞いている。






桂南光といえば、上方落語の伝説桂米朝の弟子、枝雀の弟子である。





本格的に彼の落語を聞くのは初めてと言っていい。






その語り口は師匠の枝雀より、大師匠の米朝に似ている。






聞き終わって思う。






そうか。そういうことだったのか。







南光の「三枚起請」は、本人の歳のせいか米朝ほどの重みがまだない。






落語のことだから「ネタバレ」になってもかまわないだろうけれど。






志ん朝というより、江戸落語ではサゲは花魁の喜瀬川のタンカで終わる。










         「勤めの身だもの、朝寝がしたいよ」






しかも、不世出の江戸っ子落語家という志ん朝のこのサゲは見事である。





南光のそれと比べて志ん朝の落語は抑揚が利いて、いかにの江戸っ子たちの心意気が現れている。





そして、南光のサゲ





           「俺だけは、小照を信じてる」



このサゲは初めて聞いた。





同じ話でありながら、全く違う話に聞こえた。





落語というモノのあり方が、上方と江戸だいぶ違っていたのだろう。





大坂は庶民の街、江戸は武士の街って言うからなぁ。





今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、落語の楽しさを理解しますように。





          May




しかし、今更ながら桂枝雀という人の「笑い」を突き詰めた芸の凄みを再確認させられましたな。

上方・江戸の土地の違いなど吹き飛ばすほど「笑い」だけを追求していたんだなぁと何度聞いても思うもの・・・。










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なるほど、そういうことか。       ~落語から昨年の大河ドラマの志ん生のこと~

2020年03月03日 | 落語
私は初老男である。





様々、ツッコミどころ満載の今の日本であるが・・・。





ヒネクレ者の初老男は、あえて今はUpすることは控えておこう。。。。





今の状況で、ほぼ忘れられそうではあるが「東出昌大」なる俳優がいる。






この名前を出したからと言って、不倫がどうなどということをUpしたいのではもちろんない。






いつかそのこと(不倫)についてUpするときがくるかもしれないが・・・・。







私が心配しているのは某国営放送のEテレで不定期放送されている、ある番組についてである。







            「落語ディーパー!」





                        という番組。







彼がMCをやっていることで、終了してしまうのではないかと心配なのだ。






いかに落語がブームになってきているといっても、この番組は世間的にはあまりメジャーな番組ではないだろう。







しかし、そうした中でなぜ例の東出氏の話が出てくるかというと、この番組のメインMCが彼なのだ。








自称ではあるが「落語通」ということで通っている(通している?)らしい。








落語にすこしでも興味がある人なら一見の価値はあるのでお勧めである。







東出氏の出演するドラマなどは、ほとんど興味はないがこの番組が終わるのは非常に残念だ。







撮りためていたこの番組が10本ほどあり、何度か見直している。










落語の何たるかを紐解く番組であるから、古典落語のネタの映像が度々現れる。








なかでもやはり「伝説の噺家・古今亭志ん生」の出番は少なくない。








しかも見直していた回は「古今亭一門の至宝」と呼ばれる噺「火炎太鼓」だった。







その映像を観ていたら・・・・、どうしても全編を聴きたくなった。






当然CDは持っている。多分、バージョンの違うモノが3枚ほどあるはずだったが。







一番近くにあったCDを車の運転をしながら聞いた。







この噺は、志ん生によって劇的に爆笑ネタに変えられたのであると番組では言っていた。






これまで何度も聴いているはずで、申し訳ないがそれほど出来の良いだとは思えなかった。









しかし、今回聴いて見て分かったことがある。







志ん生の存在というモノがつまりは「江戸の香り」を色濃く残していて、それこそが「江戸落語」そのものだということに気が付いた。






極古い落語本に書かれていた記事を思い出す。







志ん生曰く「東京人にあらずば人に非ず」私はこのセリフの意味が、この歳になってようやく分かってきた。






そして思う。






昨年の大河ドラマ「いだてん」の中で、この志ん生を演じていたのが「ビートたけし」こと「北野武」のこと。







この「江戸っ子気質を持った志ん生という噺家」と東京の下町育ち昭和22年生まれの「お笑いの転換期に長い下積み後に登場した漫才師」の雰囲気・佇まいが本当に「よく似ている」と。






「いだてん」を観るのを早々にリタイアした人間としては、心苦しいのではあるが当時いろいろ言われたこのキャスティングは完全なる「正解」であったことに気が付いた。






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、似ているということが見た目とかだけではないことに気が付きますように。






             May





人間にとって「イメージ」や「信頼」というモノが、いかに大事かって東出氏はじっくり味わっているのでしょうねぇ。















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