私は中年である。
人の人生には必ず「転機」がある。
大きな変化・小さな変化とその差はあるが、必ず「あの時」がそうだった。
と後から気付くものだ。
私には、この4月がそうだったらしい。
通勤時間が伸びて、毎日の中で最短でも1時間10分が通勤の為に費やされる。
距離にして往復50km。
電車や交通機関であれば、そのあいだ本を読んだりボーとしていたり出来るかも
知れないが、車の運転ではそれも出来ない。
しかも私は大の「運転嫌い」なのだ。
「焦り」ばかりが、その運転の時間を占めてしまって「下手な考え」が浮かんでは
消えていく・・・。
逆にその時間をうまく使うことが出来れば、なにか「大きな事」に結び
付けられるのにと、思う「中年」である。
さて、最近の「この世」の状況はひどいものである。
私が「青年」と呼ばれていた頃でも世の中に「不条理」は溢れていた。
それでも自分自身が若かったせいか、その「不条理」に眉をひそめることは
あったが、決定的に「厭世気分」を抱くようなことはなかった。
しかし、今の状況は「若い人」ほど「厭世気分」が大きくなる事件が続いて
いる。
「大手企業・一流企業の不祥事」
「行政の怠慢・年金関係のずさんさ」
「少子化・格差問題」(新しい形のホームレス)
このどれもが、若者にとって「厭世気分」に陥らせるのに充分な事柄だ。
今の我々中年以上の老年の人たちは「戦中・戦後」を知っている世代だ。
残念ながら今の社会的な重要な部分は、彼が握っている部分がいまだ少なく無い。
そして、その世代達の最大の目標は敗戦の焼け野原からの「復興」であり
敗戦に対するコンプレックスの払拭である「経済的成功」である。
つまり
「うまいものを腹いっぱい食べ、きれいなベベ(若い人にはわからない
かな?着る物のことです)を着て、いい家に住みたい」
ということだ。まあ、最終的に「金」がすべてといっているようなものだが・・・。
経緯から見てもそうなったことは「ある程度」仕方のないことだと思う。
しかし、その求めるものを何時かの時点で「豊かな心」に変える必要が
あったのだと思うのだ。
その時期は「昭和」が終わった頃がその時期だったと私は思う。昭和天皇とともに
「昭和意識」も葬るべきだったろう。
しかし、そこのあったのは逆に「物欲という泡」にまみれた「バブル」という名の
狂想の時間だった。
今の若者はその「物欲」に右往左往したその「大人たち」から生まれている。
そうした物欲を深層心理に植えつけらて、こうした「格差社会」にたどり
着かされた。
サブタイトルにも書いたが、いま若者は簡単に「恋人同士」になっているように
中年のおじさんからは見える。
私達の時代に比べ恋を「心以外のもの」で確かめることにも、あまり躊躇しない。
しかし、逆に私達の時のような「恋心」だけで結婚に踏み切れたりできないだろう。
バブル時代の遺産といえるかもしれないが、異性に対して「愛情」に付属する
「生活力」や「資産」の部分を大きく見ざるを得ない時代だ。
確かに不確かなものばかり横行する中で、信じられるのは「金」ばかりというのも
よく分かるのだが・・・。
愛する人となら「どんな苦労も厭わない」という時代はとうの昔に去ったのが
おじさんにはとてもさみしい。
恋人がいる人たちも、いつ「結婚」という答えを出すかに「揺れる世の中」だから。
たとえ、貧乏しても愛する人と一緒に居れることの重要さは、経験しないと
分かんないだろうからなぁ・・・。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが不安定な世の中を変えるのが自分自身だって気がつきます
ように。
may
「愛」だけでは何もできない。でも「愛」が無ければ何も始まらない。
人の人生には必ず「転機」がある。
大きな変化・小さな変化とその差はあるが、必ず「あの時」がそうだった。
と後から気付くものだ。
私には、この4月がそうだったらしい。
通勤時間が伸びて、毎日の中で最短でも1時間10分が通勤の為に費やされる。
距離にして往復50km。
電車や交通機関であれば、そのあいだ本を読んだりボーとしていたり出来るかも
知れないが、車の運転ではそれも出来ない。
しかも私は大の「運転嫌い」なのだ。
「焦り」ばかりが、その運転の時間を占めてしまって「下手な考え」が浮かんでは
消えていく・・・。
逆にその時間をうまく使うことが出来れば、なにか「大きな事」に結び
付けられるのにと、思う「中年」である。
さて、最近の「この世」の状況はひどいものである。
私が「青年」と呼ばれていた頃でも世の中に「不条理」は溢れていた。
それでも自分自身が若かったせいか、その「不条理」に眉をひそめることは
あったが、決定的に「厭世気分」を抱くようなことはなかった。
しかし、今の状況は「若い人」ほど「厭世気分」が大きくなる事件が続いて
いる。
「大手企業・一流企業の不祥事」
「行政の怠慢・年金関係のずさんさ」
「少子化・格差問題」(新しい形のホームレス)
このどれもが、若者にとって「厭世気分」に陥らせるのに充分な事柄だ。
今の我々中年以上の老年の人たちは「戦中・戦後」を知っている世代だ。
残念ながら今の社会的な重要な部分は、彼が握っている部分がいまだ少なく無い。
そして、その世代達の最大の目標は敗戦の焼け野原からの「復興」であり
敗戦に対するコンプレックスの払拭である「経済的成功」である。
つまり
「うまいものを腹いっぱい食べ、きれいなベベ(若い人にはわからない
かな?着る物のことです)を着て、いい家に住みたい」
ということだ。まあ、最終的に「金」がすべてといっているようなものだが・・・。
経緯から見てもそうなったことは「ある程度」仕方のないことだと思う。
しかし、その求めるものを何時かの時点で「豊かな心」に変える必要が
あったのだと思うのだ。
その時期は「昭和」が終わった頃がその時期だったと私は思う。昭和天皇とともに
「昭和意識」も葬るべきだったろう。
しかし、そこのあったのは逆に「物欲という泡」にまみれた「バブル」という名の
狂想の時間だった。
今の若者はその「物欲」に右往左往したその「大人たち」から生まれている。
そうした物欲を深層心理に植えつけらて、こうした「格差社会」にたどり
着かされた。
サブタイトルにも書いたが、いま若者は簡単に「恋人同士」になっているように
中年のおじさんからは見える。
私達の時代に比べ恋を「心以外のもの」で確かめることにも、あまり躊躇しない。
しかし、逆に私達の時のような「恋心」だけで結婚に踏み切れたりできないだろう。
バブル時代の遺産といえるかもしれないが、異性に対して「愛情」に付属する
「生活力」や「資産」の部分を大きく見ざるを得ない時代だ。
確かに不確かなものばかり横行する中で、信じられるのは「金」ばかりというのも
よく分かるのだが・・・。
愛する人となら「どんな苦労も厭わない」という時代はとうの昔に去ったのが
おじさんにはとてもさみしい。
恋人がいる人たちも、いつ「結婚」という答えを出すかに「揺れる世の中」だから。
たとえ、貧乏しても愛する人と一緒に居れることの重要さは、経験しないと
分かんないだろうからなぁ・・・。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが不安定な世の中を変えるのが自分自身だって気がつきます
ように。
may
「愛」だけでは何もできない。でも「愛」が無ければ何も始まらない。