完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

不安定な世の中と私  ~恋人も揺れる世の中~

2007年06月27日 | Weblog
私は中年である。

人の人生には必ず「転機」がある。

大きな変化・小さな変化とその差はあるが、必ず「あの時」がそうだった。
と後から気付くものだ。

私には、この4月がそうだったらしい。

通勤時間が伸びて、毎日の中で最短でも1時間10分が通勤の為に費やされる。
距離にして往復50km。

電車や交通機関であれば、そのあいだ本を読んだりボーとしていたり出来るかも
知れないが、車の運転ではそれも出来ない。

しかも私は大の「運転嫌い」なのだ。

「焦り」ばかりが、その運転の時間を占めてしまって「下手な考え」が浮かんでは
消えていく・・・。

逆にその時間をうまく使うことが出来れば、なにか「大きな事」に結び
付けられるのにと、思う「中年」である。


さて、最近の「この世」の状況はひどいものである。

私が「青年」と呼ばれていた頃でも世の中に「不条理」は溢れていた。

それでも自分自身が若かったせいか、その「不条理」に眉をひそめることは
あったが、決定的に「厭世気分」を抱くようなことはなかった。

しかし、今の状況は「若い人」ほど「厭世気分」が大きくなる事件が続いて
いる。

        「大手企業・一流企業の不祥事」

        「行政の怠慢・年金関係のずさんさ」

        「少子化・格差問題」(新しい形のホームレス)


このどれもが、若者にとって「厭世気分」に陥らせるのに充分な事柄だ。


今の我々中年以上の老年の人たちは「戦中・戦後」を知っている世代だ。
残念ながら今の社会的な重要な部分は、彼が握っている部分がいまだ少なく無い。

そして、その世代達の最大の目標は敗戦の焼け野原からの「復興」であり
敗戦に対するコンプレックスの払拭である「経済的成功」である。

つまり

 「うまいものを腹いっぱい食べ、きれいなベベ(若い人にはわからない
          かな?着る物のことです)を着て、いい家に住みたい」

ということだ。まあ、最終的に「金」がすべてといっているようなものだが・・・。

経緯から見てもそうなったことは「ある程度」仕方のないことだと思う。
しかし、その求めるものを何時かの時点で「豊かな心」に変える必要が
あったのだと思うのだ。

その時期は「昭和」が終わった頃がその時期だったと私は思う。昭和天皇とともに
「昭和意識」も葬るべきだったろう。

しかし、そこのあったのは逆に「物欲という泡」にまみれた「バブル」という名の
狂想の時間だった。

今の若者はその「物欲」に右往左往したその「大人たち」から生まれている。

そうした物欲を深層心理に植えつけらて、こうした「格差社会」にたどり
着かされた。

サブタイトルにも書いたが、いま若者は簡単に「恋人同士」になっているように
中年のおじさんからは見える。

私達の時代に比べ恋を「心以外のもの」で確かめることにも、あまり躊躇しない。
しかし、逆に私達の時のような「恋心」だけで結婚に踏み切れたりできないだろう。

バブル時代の遺産といえるかもしれないが、異性に対して「愛情」に付属する
「生活力」や「資産」の部分を大きく見ざるを得ない時代だ。

確かに不確かなものばかり横行する中で、信じられるのは「金」ばかりというのも
よく分かるのだが・・・。

愛する人となら「どんな苦労も厭わない」という時代はとうの昔に去ったのが
おじさんにはとてもさみしい。

恋人がいる人たちも、いつ「結婚」という答えを出すかに「揺れる世の中」だから。

たとえ、貧乏しても愛する人と一緒に居れることの重要さは、経験しないと
分かんないだろうからなぁ・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが不安定な世の中を変えるのが自分自身だって気がつきます
ように。
                          
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「愛」だけでは何もできない。でも「愛」が無ければ何も始まらない。













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「落語」って面白くない?  ~古典芸能になってしまった・・・~

2007年06月21日 | Weblog
私は中年である。

・・・日本も中国も業者の「食品の安全意識」が、メチャクチャになってるね。

中国は「賞味期限2年前のちまき」日本は「牛肉と偽った賞味期限切れの豚肉」。

中国のことを「コキ下ろそう」と思ったけど、これでは五十歩百歩だ。
考え方においては、どちらかといえば日本の方が「ヒドイ」気がする。

なぜなら、一般市民の「衛生」に対する感覚が高い日本でおきた事件の方が
衝撃が大きいからだ。

「衛生」意識も「お金に対する」意識も、国を問わず「個人的な差」が大きい物だから
こんな非常識な事件が後を絶たない。

しかし、食品加工卸会社ミートホープの田中稔社長ってのはひどいね。
この事件は「詐欺罪」が適用されて当然って気がする。「食肉業者の良心」どころか
「人間としての良心」も摩滅しちゃってるよ。

非常に腹立たしくも悲しく思っている「中年」である。


さて、先回も「落語」のことをUpするつもりだったが途中で話がそれてしまった。
気を取り直してその話をしようと思う。

最近、落語に関する本を読んだ。

 桂米朝著「私と落語」と古谷徹作「寄席芸人伝」(全6巻)である。

桂米朝は、すでに「人間国宝」になっているので知っていると思うが、上方落語を
どん底から復興せしめた功労者の一人である。

その落語に対する姿勢は「鬼気迫る」物がある。

彼の著書は少なくないが、この本は若年層(中高校生)向きに書かれているが、
落語初心者にも充分面白く読める。

私が落語に本当に興味を持ち始めたのは「桂枝雀」という落語家を知ってからだ。
すでに鬼籍に入ってしまっているが、覚えている人も多いだろう。

歌舞伎座1500席を満員に出来た数少ない落語家の一人だ。
詳しくは下記ページへ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E6%9E%9D%E9%9B%80_(2%E4%BB%A3%E7%9B%AE)

その枝雀の師匠が「桂米朝」である。

そして、何より驚いたのは師弟でありながら、芸風が「まるで違う」ことだ。

師匠の米朝は、まるで江戸時代から抜け出てきたかのような「香り」をもった
芸風なのに、枝雀は「爆笑王」の名を欲しいままにするほど「笑い」にこだわった。

一時期、枝雀ばかりを聞いて「落語はかくあるべき」と考えていたのだが、
それを変えたのは、もっと昔に買っておいた三遊亭円生の「一人酒盛・死神」の
カセットテープだった。

同じ「一人酒盛り」を枝雀と聞き比べてみた。

「落語」の奥深さを感じたのはこのときだったと思う。

「笑い」を重視すれば枝雀の「一人酒盛り」は面白いのだろう。しかし、そのに
そこはかとない「なつかしさ」と「芸の素晴らしさ」では、円生に遠く及ばない。

古典落語というのは、すべてがそうである。同じ内容の同じ結末のものを
その落語家個人のセンスや、企画力・頭脳の全てを使って語ることになる。

これは、何度かこのブログでも書いているが「素材」をいかにを仕事にしている
私の仕事「調理」に似ている部分があると思っている。

「新しい笑い」もいいだろう。しかし、「同じ素材」をあらん限りに笑いに
持っていく落語を楽しむ機会を皆さんも持って欲しいものだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「古典落語」を身近に置き、心豊かな人生が送れます
ように。
                          
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活字が苦手な方は「寄席芸人伝」がお奨め。結構、芸人の芯が伝わって来るよ。

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「お笑いブーム」と「漫才ブーム」   ~その傾向と対策~

2007年06月18日 | Weblog
私は中年である。

最近、私の身の回りでは気分を萎えさせることが続いている。

この歳になって、社会的・会社の組織的なシステムに疑問を持つのも「今更」と
いう気もするが、大々的な組織の改変があってから「自分の信じていた」ことが
ガラガラと崩れてしまった。

目の前にあることは、それほどの変化は無いのだが大きな視点から見たときには
「激変」したというか、自分の仕事が大勢から「無視」されているというか・・・。

こうしたことは、モチベーションを随分下げてしまう。
そのシステムは、一番下っ端の私が何かを言って変わる様なチャチなものでは
無い。

だからこそ気分が萎えているのだが・・・。「中年」である。


今は空前の「お笑いブーム」である。

「漫才・コント」がその中心だろう。

お笑いタレントと有名女優・有名タレントの交際・結婚が芸能ニュースを席巻
している。

最近のお笑いタレント達の武器は「練った脚本」のような気がする。

少し前からいるお笑いタレントと今ブームのお笑いタレントの違いはどこだろうか?

「少し前からいる」の方には「くりーむしちゅー・爆笑問題・出川哲郎・山崎方正・
ふかわりょう・よいこ」などだろう。
彼らは基本的に今「練った芸」を売りにテレビに出ていない。

彼らは「リアクション」を売りにしている。逆に言えばリアクションでの頭の回転の
よさで勝負しているといえるだろう。(あまり、回転が良くない人も多いけど)

この手の芸人の究極は「明石家さんま・タモリ・島田紳助」だろう。
彼らは頭の回転の速さで、ポイントを抑えたギャグやくすぐりで場を盛り上げて
いく。

そして、こうした人たちの行き着く先は「司会者」である。
番組全体を進める中で、いかにつぼを押さえ、笑いや頷きを取り入れるかは
お笑いで鍛えた人間にはうってつけである。

しかし、「芸人」でい続けるか「芸能人」になるか・・・。それを悩むことに
なるだろうけれど。

ちなみに「明石家さんま・タモリ・島田紳助」の3人は、どちらかといえば
「磨いた芸」ではなく「天賦の才能」で今の地位を築いたと考えた方が妥当かも
知れない。(タモリにいたっては「芸人」と呼べるかどうかもあやしい)


先ほどの「究極」の中に「ビートたけし」を入れなかった。(いまはそう呼ばないか)
それは、彼は前の3人とは少しばかり違う気がするからだ。

彼は「売れない芸人」の王道を歩んできた人だ。大学を中退して芸人を志し
ストリップ劇場での下積みを経て、漫才ブームに遭遇。その中心的な
存在として現在に「生き残った」代表的な存在だ。

決して軽々しい意味で無いが、前の3人が軽妙に今を乗り切って芸能界に
いるように見える。

ビートたけしこと北野武は「映画」と言うフィールドを見つけることで、
世界的な名声と自分の中に残っている「芸人魂」を昇華させている気がする。

彼の映画の内容・後ろに漂うなんともいえない雰囲気は、彼の心の「闇」の
部分に思えて仕方がない。

漫才ブームのもう一組の雄「B&B」が、つい最近まで再結成の上で漫才を
続けていた。

このことは、同じ笑いのセンスに塊の「洋七」がそんなものだったかとガッカリ
していたのだが、ここにきて一躍脚光を浴びている。

あの「漫才ブーム」を支えたのは決して「空騒ぎ」ではなく「才能たちの百花繚乱」
だったと今更に思える。

いまの「お笑いブーム」は果たしてどうだろうか・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「笑い」を身近に置きスパイスの効いた人生が
送れますように。
                          
                           may

「がばいばあ」ってどういう意味?




☆☆☆空梅雨ですねぇ・・・。19日7:25☆☆☆

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世の中の「ズレ」が大きくて   ~所詮そんなもんなの?~

2007年06月13日 | Weblog
私は中年である。

いきなり気温が30度近くまで上がる日が続いている。

ラニーニャ現象で今年のつゆが短く、夏が暑いのだそうだが困ったものだ。

今年の小雪で何かの異変が無ければよいがと思ったのだが、やっぱりこんな風に
異常気象になった。

もっとも、数年前からずっと異常気象って感じだけど。


さて、世の中の「ズレ」というものが何かと騒がれている。

まえにこのブログのどこかで、Upしたことがあったと思うが、なんだかんだと
言っても、ある程度の「客観性」をもっていれば、世の中の「ズレ」などと
言うものは、それほど大きくならないものだろう。

しかし、日本人の美徳である「恥」の精神や「自分勝手」の部分を今の感覚から
ホンの少し改善するだけで「エコロジー」から「政治の世界」まで劇的に
変わるのではないだろうか?

ズレという意味ではその最たる事件が2件続けておきた。

いわずと知れた「コムスン」と「NOVA」のいずれもその業界の最大手の
会社が起こした事件だ。

昔は「一流企業」「最大手企業」を選んでおけば、取り合えず問題ないという
安心感があった。

大々的なテレビコマーシャルをやり、株式を上場している会社が「経営」や
「経理」がずさんな事は無いだろう。と考えるのは少し前なら当然のこと
だったのだ。

「三菱自動車」「雪印乳業」「不二家」これらは、そうした感覚から言えば
そうした事件を起こすはずの無い企業だった。

一流企業には、一流企業の「信頼と誇り」があるだろう。そこに勤める社員にも
その企業の「看板」をしょっているという自負と誇りが・・・。

「過失」でなく「故意の隠蔽」であるなら、言い訳は通らない。

情報が交錯する世の中になって、様々なことがわかるようになってきたが
逆に言えば、その情報の中の「真実」を見分ける嗅覚がないと、どこまで
いっても振り回されるだけだ。

マスコミももちろん信用できない。TBSの「ハニカミ王子盗聴事件」なども
その際たるものだ。

たとえ幻想であっても「一流・大手」を信頼できた時の方がシアワセだった気が
してしょうがない。

本当は一番信頼できなければならない政府行政は「年金問題」でガタガタだ。
第一、一流・大手企業なんかより当の昔に政府の信頼はなくなっている。

そうした一番信頼していたものがガラガラと崩れていけば、それよりも
小さな企業・行政機関は、もっと信頼できない、ということになる。
(本当はそうじゃないんだろうけど)

日本の「逼塞感」は、随分前から始まっていたのだろうけれど、こうした
「一流・大手」企業へ対する信頼の瓦解は、その逼塞感の加速を呼び、
その先にある「犯罪大国」への道がつきつつある。

欺き、騙し、法の網をすり抜ける。そんなことが社会的な「常識」になって
しまったら「経済的」なことより「精神的」なことで、日本は潰れてしまう。

「特効薬」はない。一人一人の「良心」を持ってしか今の日本に信頼を
確立することは出来ない。

「私」から「公」を積み立てることをもう一度考えよう、みんな。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが、自分と他の人が本当に幸せになる方法に気が付き
ますように。
                          
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自分の気分が沈んでいると、Upもなんか暗いないぁ・・・。





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日曜夜は「大河ドラマ」   ~来週からGackt登場~

2007年06月11日 | テレビ
私は中年である。

今回は書きたいことはあるのだが、タイトルが決まらない。
というか、マクラは決まっている。

なのでとりあえずマクラだけ振っておこうと思う。

これは人によっては「当たり前じゃないか」といわれるかも知れないのだが、
上司から「日曜日に仕事をしろ」といわれたのだ。

それについて完全なる計画があり「何時から何時までそこに居ろ」というのだ。

ここまでは何もおかしいことは無いのだが、その仕事について「ボランティア」
にしろというのだ。

しかも、私一人でなく職場の8人全員に命じられた。

世の中はきっちりとしたことばかりで回っているわけではないことは、
中年の私には良く分かる。

誤解してほしくないのだが、私は自分の仕事が残っている時は居残りでも
休日出勤でも辞してはいない。(もしかすると、それもまずいのかもしれない
けれど)

自分の仕事を終わらせられないのは「自己責任」であると思っているからだ。

しかし、上司が時間を指定して個人でなく仕事場全員を集めたら、それは
「命令」であり「ボランティア」(無給)にしろというのは「法律違反」だろう。

そもそも「ボランティア」とは「自発的に奉仕・労働する人のこと」を
言うのである。

それを「募る」ことはあっても、命令したりされたりしたら「ボランティア」では
あるまい。

「給料」とは「労働(時間)」の対価なのだ。しかも労働を「命令」したのであれば
当然「給料」を払うべきだ。

そういわずにネチネチとタダ働きさせる奴らもいるが、そんなは持っての他じゃ!

「労働時間=給料」の構図だけは、守っていかないと益々世の中の基盤が
崩れてしまう。

この行為は間違いなく「労働基準法違反」だぞ!雇用者諸君!


ということで、マクラを振っているうちにUpすべき内容が浮かんできた。
今のところ全回見逃さずに見ている某国営放送のドラマについてだ。

昨日大河ドラマ「風林火山」の予告を見ていたら、いよいよ来週から

         「上杉謙信」(ガッくんことGackt)
 
が登場するらしい。

既に今年の大河ドラマは1/2近くが終わって、いよいよ話の中心が「川中島」に
なっていく。

原作を先日読み終わって、その感想もこのブログにUpした。(5月6日の
ブログ参照)

その中でも書いておいたが、実は原作には「上杉謙信」の人物的描写はほとんど
なされていない。

つまり、原作に記述のほとんど無い上杉謙信をいかに具現化させるか、
演出家と役者Gacktの腕の見せ所だろう。

更に、このブログを読んでくれている奇特な人たちに言っておきたい。
再来年の大河ドラマの「直江兼継」の中に出てくる「上杉景勝」は、この
「上杉謙信の孫」に当たる。

確かドラマの中に、川中島で景勝が謙信を偲ぶシーンが出てくるはずだ。

今回のドラマをベースに、再来年の大河ドラマを見ることをお奨めする。

だいたい、大河ドラマは何度か同じ主題が繰り返されるが、3年くらいの
スパンでドラマを考えられないものだろうか?

そうした方が歴史の流れを意識したドラマができる気がするけどなぁ。

最後に、大河ドラマとは別枠で司馬遼太郎の「坂の上の雲」が某国営放送で
ドラマ化されるらしい。今年放送のはずだ。これもスゴイ原作なのだが、
映像化するのはどうかなぁ・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが、ゆったりした気分で「ドラマ」を楽しめますように。
                          
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・・・といいながら1クールに1本のドラマも見るか見ないかの私です。







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どこにでもいる「プチ安倍ゾウリ」   ~日本全国に・・・~

2007年06月07日 | 時事ネタ
私は中年である。

「二流の国民は、二流の政治しか持ち得ない」・・・どこかで、こんなセリフを
聞いたことがある。

これは「政治」に限らず、ほとんどのことに通じる。

「年金問題」ももちろんそうだ。

しかし、一つのことに対してことが実行されるまでには、初めから「右側ばかり」
を走るものではなくて、「左側」を行く者も「真ん中」を走る者もいたはずだ。

ここまで話がこじれる前に、社会保険庁の中でも「軌道修正」することが
出来なかったのだろうか?

ホンのちょっとしたきっかけでよいのだ。それによって軌道は修正できる。


それにしても、本当にあの「菅直人年金問題責任ビラ」を配布した自民党には
あきれたね~~。

よく言うのだが「作る」事は、まあ、仕方あるまい。人間いろんな可能性や
方法を探ることは必要だからね。

しかし、あれを「配布」するのは、それこそ安倍ゾウリが「やっていい」と
決断したからと思われても仕方が無い。(事実そうなんだろうけど)

安倍ゾウリが「坊ちゃん」だとか言うけれど、ちょっと面白くないと
顔色が変わって口調が変わる。

事にもよるが、人間、感情がすぐに顔に出るようでは「大事」も「細かい事」も
出来ないぜ!

それは一国の首相が、外交にも内政にも「見透かされて」ことを進めることに
なる。それが「演技」だとすればスゴイけど。


・・・なかなか本題に入れないうちに、時間ばかりが過ぎているし字数も
増えている。そこで当初のテーマと全く違う内容をUpすることにした。

最近の自分の体験を書こうと思う。

誰しろ経験があると思うのだが、人間「組織」の中での「軋轢」を感じることが
あると思う。仕事においてのそれはひどくストレスになる。

「組織」というものは、すべてのことが各段階で「きっちり事がこなされている」
ことが前提でうまく回るようになっている。

社員を「歯車」よくたとえられるが、まさに一つの歯車が壊れていると途端に
全体がギクシャクしてくる。

地位が上がればその地位の「決定権の大きさ」に慄く(おののく)繊細さが必要だ。
(だからといって決断力が無いのも困るのだが・・・)

こうした人間を見ると、言うしかない「・・・ダメだこりゃ」

そして、とてつもなく時間が過ぎてから「ツケ」が回ってくることになる。


結局、日本中どこに行っても同じような構図で回っていて「どんどん悪い方」に
組織を向かわせている・・・。

分かっていながら、それを止められない自分に「身悶え」しているこの頃だ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「冷静さ」を持ち「今」だけでなく「将来」のことを
考えて諸問題を判断できますように。
                          
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私は「人間嫌い」なのかなぁ・・・。






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・・・なるほど。・・・松田優作の血か。  ~土曜の夜のドラマ~

2007年06月03日 | テレビ
私は中年である。

・・・人間関係というのはむずかしいものだ。

仕事での人間関係は特にむずかしい。

私は基本的に極少人数で仕事をしているのだが、いざとなれば「すべて」を
自分ひとりでやる気でいる。

ゆえに「失敗」を自分ひとり責任として受け入れられる。

しかし、そこに何人もの人間が関与する仕事は、人間関係をしっかり作らないと
うまくいかない。そうした場合は、なかなか自分の失敗として受け止めるのに
時間がかかる。

この歳になっても上手に人間関係を作れないでいる「中年」である。

・・・この週末はそんなことで少々落ち込んでいる。


さて、最近は本当に「中年」度が上がってきて夜に弱い。

夜のニュース(11:00~)なども全部見れずに「うたた寝」をしてしまう
始末だ。

しかし、娘達が今話題のドラマのことを教えてくれて、週末の夜11時過ぎに
がんばってそれを見ている。

もう、知っている人も多いと思うが

         「ライアーゲーム(LIAR GAME)」フジテレビ系

                         である。

不定期連載のマンガが原作であるが、わたしはその原作を読んだことが無い。

このドラマのキーパーソンが「秋山深一」役の松田翔太だ。

それこそ知っている人は知っているだろうけれど、かの「松田優作」の次男なのだ。

松田優作の子といえば長男の「松田龍平」が、随分前に役者としてデビュー
しているが、私のイメージでは彼はかわいそうに両親の特徴的な「顔の造作」の
部分を受け継いでしまっている。

大島渚監督の「御法度」で美少年役でデビューしたと思ったが、残念ながら
その特徴的な顔の造作で選ばれたという感じだった。彼の演技自体に、私はまだ
魅力を感じたことは無い。

大して翔太は、逆にあまりその部分を受け継いでいないように見える。
「松田」の姓を聞いて「エ、もしかすると・・・」と思わせるくらいだ。

与えられた役のせいもあるのだろうけれど、非常に感情の起伏を押さえられた
演技をしている。
良い意味で「独特の雰囲気」をかもし出しているのだ。

どんな仕事も「二世」に「一世」の才能は受け継がれはしない。
「違う」という人もいるが、その場合はたまたま同じ職業になっただけで同じ形で
力を発揮している二世はほとんどいない。

下手に顔やしぐさが似て、い過ぎると「一世の良かったこと」ばかりを思い
起こされて本人の良さを消されてしまう。

松田龍平を見ていると特にそう思う。

ライアーゲームは最終回を3時間スペシャルにするという。深夜のドラマにしては
異例の措置だろう。

残りは最終回を含め、後3回。途中からでも充分楽しめると思う。

内容も非常に「ギャンブルにおける心理面」にスポットを当てた良い出来に
なっている。

役者にとって「有名人の親」を持つことよりも「良い作品」に出会うことの方が
数倍幸福なのだ。

松田龍平・翔太兄弟のこれからが楽しみだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが面白い「ドラマ」を堪能できますように。
                          
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いまだに松田優作主演「野獣死すべし」を年に1度は見るんです。










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