完全無欠の「初老男」日記

ついに「完全な初老男」に昇格、引き続きよろしくお願いします。

思った通りの評判だ。     ~大河ドラマ「江」の話~

2011年02月25日 | テレビ
私は中年を卒業しつつある高年である。

「文芸春秋」という雑誌を知らない人はいないと思うが、こうした分厚い月刊誌は「おじさん」のものだと思う。

自分がこどもの頃から、なにか子供を寄せ付けない雰囲気の雑誌だった。

いまだに「私のような歳の者が読むものではない」と思っていた。

で、気が付いてみるとこの雑誌を読むのにちょうどよい歳なっていたのだ。


3月号に面白い記事が載っていた。

「秋元康の日記」である。

昔からこの人の物事に対する冷静かつ大胆な発想と行動力が気になっていた。

非常に面白く読めた。


文を引用したいのだが、雑誌の引用はタブーであろう。

「クリエイター」が目指すべきこと、成功に必要なことが彼の信念とともに書かれている。

興味のある方は是非一読を。



さて、大河ドラマの話。「江~姫たちの戦国~」と言うらしい。

すでに放送が始まって1ヶ月半が経ち回数も7回目になる。

残念ながら、私の思った通りだ。


大河ドラマというのは時代の「リトマス試験紙」みたいなもので某国営放送がそれをどの方向に向けているのかによって「青」にも「赤」にも染まるものだ。

中年卒業の私にとっては、マクラの文芸春秋の話と同じで、甘いスイーツのように食べやすいものであって欲しくないのである。



まず、今回の大河ドラマにおいての最大の間違いは・・・。


      「年齢無視のキャスティング」

                           だろう。


もうすでに様々なところで批判を浴びているから、説明は不要と思うがあえて言わせてもらう。

信長が「豊川悦司」であるのは大成功だったらしいが、家康が「北大路欣也」ってのはいくらなんでも無理がある。

さらに、お市の方が「鈴木保奈美」ってのも、年齢的にあまりに不釣り合いだろう。(容姿の点でも私は納得できないけれどね)

主人公の江が、このとき6歳という史実はドラマにおいては微々たることだ。(江がこのとき何歳であるか知っている視聴者が何人いただろう)

さらに言わせてもらえば、秀吉の「岸谷五郎」ってのも寧々(お寧)の「大竹しのぶ」ってのも年齢的な混乱を大きくしているよ。

過去のUpを読んでもらうとわかると思うのだが、大河ドラマにおいて一番つらいところは「前年の大河ドラマに出演した俳優」を使えないことだ。

今回のキャスティングには、昨年の「龍馬伝」に結構名バイプレヤーな俳優を使われた余波が来ている感じが見える。
   

この信長の死から秀吉の天下取りまでは、すでに戦国時代の終盤のクライマックスだから、ちょっと歴史に興味のある人や大河ドラマファンには分かりすぎるほどわかっている内容のはずだ。

だからこそ「如何に見せるか」がポイントになるのに、人物の年齢はバラバラでさらにそこに無理矢理主人公の江を割り込ませるから、混乱が大きくなる。

ドラマなんてのは「ご都合主義」でできていることは、見ている人はかなり許容していると思う。

「史実と違う!」などと怒るのは「筋違い」だろう。

しかし、そこには史実をある程度歪曲しても納得できる「説得力」を見せてもらわねば「シラケル」だけだ。


残念なのは、主役の江を演じている「上野樹里」の本当の力が発揮されていないことだ。

この人は、あまりにも有名になった「のだめ」のイメージが強いがその後に演じた「ラストフレンズ」での性同一性障害の女性(岸本瑠可役)は見事だった。

彼女の生い立ちなどが前に結構評判になったが、私はそうしたものにあまり興味がない。

そんなことより問題なのは、今現在の彼女の大河ドラマにおける演技が本来の彼女の力の半分も発揮されていないことだ。


大河ドラマにおいて、女性の脚本家が担当した年は大体「甘口」になりやすい。

時代劇のしかも「戦国時代」を描くときに、女性の視点は面白くはあるが「戦国・戦乱」の本質を描いたうえでの「女性の生き方」が語られるのであり、その逆になると今回のようなことになるのではないだろうか・・・。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。まだまだ大河ドラマは始まったばかり、長丁場を私が最後まで見れるような「骨太」のドラマになってくれることを祈ろう。


May

江が一人前の女になった時の秀吉・家康を考えるから、こうしたキャスティングになったのは想像に難くないが、やはり青年時代の秀吉・家康は「信長」を中心にした若手を配置して、時間の経過とともに現在の役者たちにシフトしていく方法をとっても良かったのではないかなぁ。







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「豪雪」ということの本当の意味    ~雪国に生まれて~

2011年02月13日 | Weblog
私は中年である。

50歳になったからというのではないのだろうけれど、身の回りので様々なことが凄いスピードで回っている。

若いうちは、自分の「軸」の数が多くない。

そのため、一つ一つの軸に注げるパワーが充分行き渡る。

しかし、中年を卒業した男にはその全ての軸を充分にカバーすることはむずかしくなりつつある。

「雨は降る降る人馬は濡れる。越すに越されぬ田原坂」って感じ。

分かるかな~、わかんねぇだろうな。(古すぎて誰もわからんギャグ)


さて、この2011の冬は5年ぶりの「豪雪」である。

雪の降らない土地の人にこの「豪雪」を説明するのはとてもむずかしい。

私の人格の半分はこの「豪雪」によって出来てるといえばいいすぎだろうか。

今日のワイドショーでアメリカでも「豪雪」が続いているという。一晩で70cmの雪が積もったという。

一晩で70cmの積雪。

私は50年の人生の中で、それを何度か体験している。

現実に70cmの雪というのは・・・・・・・・・・。

やっぱり分からないであろうなぁ。


あのたった一人の暗い部屋で、後ろから誰もいないはずなのに首筋に息を吹きかけられたような恐怖感は・・・・・・。


その恐怖がわかる人でないと昔話の「雪女」の本当の怖さはわからない。って雪女伝説さえ知らない人も増えたろうけどね。

雪女伝説の本質はまさにその音もなく降り続き、気が付くと自分の体がすっぽりと埋もれてしまう「雪」その物の存在なのだ。



この普段雪の降らないところに住んでいる人たちは2010年1月の豪雪を経験して思ったことだろう。

一晩に70cmもの雪が降り、通算で3m以上の積雪になるところになんで住んでいるのか?と。


まったくだ。なんでそんなところに中年どころか高年・老年になるまで住んでいるのか?

困ったことに、ほんの少しその雪の降り方が弱まっただけで「楽になった」と感じてしまうのがこの豪雪地帯に住む人間の感覚なのである。


現に数字では、豪雪の時と同じような気温と降雪確率、積雪予報が出ていても完全に「変わった」と敏感に感じるのである。

それだから「のど元過ぎれば熱さ忘れる」ならぬ「豪雪過ぎれば真冬忘れる」なのだ。


そんなところに住んでいれば、否が応でも「我慢強い県民」が出来上がるのは当然だ。


まあ、日本全国雪が降ること以外にも他地方から見れば「なんでそんなとこに住んでるの?」みたいな疑問はいっぱいあるからね。





今回も最後までお付き合いいただきありがとう。「住めば都」ってことを確認して今回は終わりにしようと思う。

   
                                                   may


ただ勘違いしてほしくないのは、それだけの雪がふっても雪の降らない地域では考えられないほど市民生活には支障がないってことだ。日本一の除雪インフラの整備(朝3時から稼働するブルトーザー・除雪重機とそれを神業のように使いこなす技術や消雪パイプの張り巡らされた道路等々)と、本文でも紹介した市民全員の「耐える力」はちょっとした自慢なんだよな。




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