完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

歳をとったな。Up  ~頑固とこだわりと思い込み~

2008年07月27日 | Weblog
私は中年である。

「無差別殺人」が横行している。

・・・「誰でも良いから殺そうと思った」・・・・。


私は調理人である。

調理人は日々食材の「命」を奪いながら、食べる人の「命」を育んでいる。

そうした毎日の仕事の中で、そうした「命」に関して慄くことが度々あるのだ。


自分の意識や存在。そうしたものの重みが「自分」にとって重いのは当たり前だが、
それと同じくらいに「他人の意識や存在」が重いことに気が付かないのだろうか?

逆に私は臆病だから自分ではないからこそ、より重く感じてしまう。

これからは、そうした狂人から自分や家族を守る方法を本気で考えなければならない
時代になってしまうのではないだろうか・・・。


さて、最近特にこのブログのタイトルである「中年」を意識するようになってきた。

まず40代後半になって「容姿」の変化が著しい。

私は10代の頃から白髪があったが、いまや黒い髪の毛を捜すほうがはるかにむずかしい。

そして、ダイエット成功の反動と言うべきだろう、顔と言わず全身に皺が出てきている。


やっぱりと言うか、当然その容姿を自分自身が一番よく分かるわけで、それがさらに
「自分が歳をとった」という意識を加速させる。


・・・そう考え出すと、他の行動もどんどん「中年化」してきている気がする。

会議とかちょっとした会話でも「吸収力」が薄れてきて、自分の感性が硬直化してきて
いる。


どこまでが「自信」であり、どこからが「過信」なのか?

歳をとればとるほど自身の自信に自信を持ちすぎて過信になっているのに気づかない。
(自信・自身・地震・ジシ~ン・・・・悪酔いしました)

この自信の裏づけが崩れるときが突然やってくるのだろうと思う。
その時、素直に間違いを認めることができれば「頑固」なんていわれないんだろうな。

それも、人によりけり。若いときから意味の無いツッパリをして我を通そうとする
奴もいれば、老人と呼ばれるようになっても自分の無い人もいる。

人間と言うのは本当に「面白い」し「面倒くさい」

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「自信」と「過信」を間違えませんように。

                          
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最近、キレが悪くて申し訳ない。次回からはもっと気合入れます。
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家族の肖像(未)  ~親子とは~

2008年07月20日 | Weblog
私は中年である。

「あつはなついねぇ」「アホ『夏は暑いねぇ』じゃ!」・・・・。

「いち」「に」(アホになって)「サ~ン」・・・・。

私も「アホ」になってしまった。・・・暑さで・・・。


さて、アホになっている場合では無いような事件がおきた。

15歳の中学3年生の女の子が46歳の父親を包丁で刺して殺した。

周りから見ると、仲睦まじい家族だったと言う。


私にも娘がいる。

中1と中3である。

当然のことだが、二人の娘が何を考えているかほとんど分からない。

もし、同じようなオヤジさんで「私は娘の考えていることが分かる!」と
言う人には、私が忠告する。

「それは単なる『勘違い』ですよ~~」


娘達で無く、親兄弟のことで最近腹立たしいことが続いている。

細かいことは素っ飛ばすが、結局のところ「やるべきこと」をやらずに「実」を
取ろうとしている連中ばかりなのだ。

「自分の都合の良いよう」にするために恣意的なのかどうなのか・・・。

それに乗せられる私も間違いなく悪いのだが・・・。


こうした連中は人の時間を「盗む」ことをどうとも思っていない。

☆☆☆夏は苦手じゃ・・・。20日23:39☆☆☆

そうした意味でも「家族・親戚」と言うのは始末が悪い。

「家族・親戚」の名前に甘えて、他人の時間を盗んだり、寄りかかったりすることを
なんとも思っていない連中は、こちらが簡単に自分を切り捨てたりできないことも
知っている。


こうした連中と付き合っていると、その反動が自分の娘達に出る気がする。

何よりも「娘」とは言え、自分と意識を別にしている「他人」なのだ。

いかに歳が若くても、人間として「対等」な感覚をもって接してやらなければ
ちゃんとした関係は築けない。


・・・・やっぱり、こうした人間関係・親子関係に関してのことはまとまらないですな。

申し訳ないがこの項「未了」とします。

大変すいません。

                             may
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「信頼」の崩れるときUp  ~あれもこれもボロボロ~

2008年07月16日 | Weblog
私は中年である。

本当のことを言うとウィンブルドンの男子決勝の「ナダルvsフェデラー」の話を
長編にまとめるつもりだった。

しかし、当日午前3時近くまで某国営放送の中継を見ていたのだが、ついにちから尽きた。

そして、テレビの録画をかけっ放しにして寝たにもかかわらず「4:30からは教育テレビで
放送します」のテロップ・・・。

当然最後のナダルの優勝シーンは録画されていなかった。


これだけの世紀に残る「名勝負」を、見逃してあまつさえ録画できなかったショックは、
なかなか分かってもらえないだろう。

言い訳がましいが、定職を持っている物として、月曜日の早朝4時半過ぎまで(しかも
前日の午後10時から)テニスの試合を見れる一般人がどれくらいいるだろう・・・。

勝者が分かっているからでなく、今年の歳のウィンブルドンは過去の例を見ても
「名勝負」なることは予測されていたことなのだ。


結局、次の日曜日に放送されたダイジェストを見たけど、半分以下の興奮度だった。

これだけの名勝負が「雨」でぶち壊された・・・。


さて、人間社会の「根底」とは何でできているのだろう?

それはお互いの「信頼」からだろう。

お金を流通させるのも、そのお金をほぼ使っている全員が同じ価値観としての「信頼」を
共有しているからだ。

だから、他の国のお金になんとなく「不安」を覚える。

逆に信頼性が薄いから「めずらしい」といって額に入れて飾ったりする。(今そんな
奴はいないか・・・)

目に見えないものもほとんどこの「信頼」の上に成り立っている。

日本人は世界一「暗黙の了解」としての信頼を持っている民族だった。

だったと言う過去形の言葉を使うのは、それがすでに崩れつつあるからだ。


だいぶ前のUpに日本人はなんとなくだが「ここまでやったらマズイよな」って
感覚に敏感な国民であったことを書いた。

しかし、だんだんそのボーダーラインが下がってきて、自分の「エゴ」のためなら
誰も彼も「なりふり」かまわなくなってしまった。

牛肉やうなぎの産地偽装などは、結局本当に正しい表示の人間が「馬鹿を見る」形に
なってしまっている。

「悪貨は良貨を駆逐する」と言う。

「貧すれば鈍す」とも。

「信頼」よりも「実益」

人を騙してもお金を手にした方が良い。という国民になってきつつある。

そして、その意識は「教育界」にも・・・。

もしかしたらあるのではないかと思われていた「不正合格」

こうして子供達にも「不正がまかり通る」ということを教育の現場で教えていく。

お金を厳正に扱っていると思われていた銀行の「粉飾決算」という「不正」も
結局「無罪」

やったもん勝ちということを、また証明してしまった。

日本中がジワジワと「信頼」というものを失っていく・・・。

「振り込め詐欺」などと言う卑劣な犯罪も横行している。

もう、誰も彼も、何もかも信用できなくなっていく。

このブログをはじめた頃は、日本人にはまだ「自浄作用」があると、その力こそが
次の世代に残して行くべき日本人の「美徳」だと思っていた。

その意識がどんどん失われていくこのごろだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「信頼」を守ることこそが、日本を救うことだと
分かりますように。

                          
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本当に何もかも信用できなくなってる・・・。
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経過報告Up  ~ダイエット3ヶ月目~

2008年07月13日 | Weblog
私は中年である。

ずいぶん、間が開いてしまったがブログを更新するつもりが無いのではない。

それどころか、更新したい内容は日々あふれるほどあるのだが、歳を取った分
ブログ以外のことに費やさねばならぬことが多い。

数少ないこのブログの読者の皆さん申し訳ない。

また、たまに読んでくれる人。はじめて来てくれた人。申し訳ない。

しかし、自分の書いているこのブログ内容は読んでおいて「損」はないという
自信はある・・・。


さて、ダイエットの経過報告も3回目になった。

現在の体重。

  「73.7kg 体脂肪 22.4%」


さすがに一時の体重減のペースではなくなったが、まあまあ順調に減っていると
いえるだろう。

しかし、本に書いてあるとおりに「停滞期」になっている感じではある。

人間の体は、食生活が変わって体重が減ってくると、その「異変」を「生命の危機」
と「勘違い」する。

そのため、少ない摂取量の食事にも体重を減らないように減らないようにと制御する。

「ダイエット」のシステムは「頭脳としての自分」と「身体的な自分」と誤差の調整なのではないかと、このごろ思っている。

体にとっての必要な分だけしか「食欲」が沸かないのであれば、ダイエットに苦しむ
ことは無いのだが、身体的に必要でない分も「脳」の方は「生命維持」を過大に要求する。

ゆえに、人間が自分の体を維持するのに必要な栄養を過不足無く摂取することを
「理性的」に制御しなければならない。

・・・そりゃ大変だわな。


こんな風に文章にしていると、まるで私がその「理性的」に食事を「制御」して
いるように見えるかもしれないが、人間の「理性」ほどあてにならないものも無い。

世界中が「エコ」を叫んでいるが、それを遅々として進ませないのは「エゴ」である。
「エコ」は「理性」であり「エゴ」は「感情」だと私は思う。

ダイエットも「理性」では、食べる量を制御しなければと言うことは重々分かってる。
しかし、「感情」では、そんなもの無視して腹いっぱい食べたい!と思っているのである。

とにかく、私の最終的な目標は「70kgを切ること」「体脂肪15%」である。

ある意味ここまで、順調に来すぎた。

しかもこれから、お祭り・お盆・飲み会の目白押しである。

そうでなくても、休日(土日曜)には食生活のバランスが崩れて、体重も体脂肪も
戻ってしまうことが多いのに、尚のことむずかしい摂取が続く。

今、クワバタオハラのクワバタが7日で10cmのウエスト減が話題になっているが、
彼女のダイエット法が、私の実行しているダイエットの理想らしい(実は見ても聞いても
いない。そうらしい噂を聞いた。)

しかし、1週間で10cmだと、余程気をつけないと危ないやせ方だ。

まあ、こればかりは本人が気づかないのだが・・・。

「減らす」ことも大変だが、「維持する」ことはもっと大変と思ったほうが良い。
それがダイエットだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「ダイエット」の本当の本当の意味が「生き方を変える」こと
だと分かりますように。

                          
                               may

そこに持ってきて、最近「酒(ウィスキー&カクテル)」にこりはじめちゃったのさ。
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「靖国」を見た。Up   ~生き続ける「昭和」~

2008年07月04日 | ライフワーク
私は中年である。

・・・「生き馬の目を抜く」などという格言は、死語になっているかもしれないが、
本当に「やった者勝ち」「騙したもの勝ち」になってしまった。

「海老養殖詐欺事件」で社長他17名が逮捕されたという。

とんでもない奴らだ!こうした事件は騙した奴らが間違いなく悪い!

ただ思う。

「1年で元金が倍になる」などということが今の世の中にそうそうあるわけが無いのだ。

自分の出資した金が倍になるとすると、それを仲介した会社がそれ以上に儲かって
いないといけない。

貯金利子はいま何%だろうか?

ちょっと前まで100万円を一年預けても1000円位しか利子がつかなかったはずだ。

そんな世の中で元金の倍になる取引があるとすれば「いかがわしい」と思った方が良い。
いや、いかがわしいと疑わなければいけない。

振り込め詐欺もドンドン巧妙化しているし、自分自身がしっかりとそうしたものに意思を
持たねばならない時代なのだ。


さて、ちょっと古い話題かもしれないが

              映画「靖国」

                   を見てきた。

この映画は日本人でなく「中国人」監督によって撮られた映画だ。

それゆえに日本人では恣意的になってしまうであろう部分が、非常に冷静に
捉えられている気がする。

我々、昭和30年代生まれの中年には、もちろん太平洋戦争の本当の辛さは
分からない。「戦争を知らない子供たち」なのだ。

しかし、それは逆に「敗戦」を体験した日本人から生まれた言うなれば「敗戦2世」
として、それまでに居なかった日本人の新しいタイプといえる。

そうした我々から見た「靖国神社」とは、一種異様で不気味な感さえある。

もしかすると「靖国神社」だけが戦前から現在におけるまで。その価値観が変わっていない
唯一のものなのではないだろうか。

それゆえ、戦後においての責任もすべて「靖国神社」がシンボルにされて利用されて
しまっている部分もあるように思う。

戦争を体験した人々にとって、そして、戦前の国権主義に翻弄された人にとっても
「靖国」は別の意味で「シンボリック」だ。

戦死した「魂」は、皆靖国に祀ると言う。

そこに家族の意識は無視されている。

まるで赤紙一枚で軍に召集したように、無理やり徴兵して返さない。
やり方がまったく同じではないか・・・。死んでからも自由にされていない。

冷静に撮られて、淡々と進む映画を見ながら、結局日本人はこの「太平洋戦争」を
物理的には復興し、世界に冠たる経済大国にしたが、精神的にはまったく整理できて
いないのではないかと思う。・・・むずかしいものですな・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「太平洋戦争」とはなんなのか?「靖国神社」とは何なのか?
考えて見ますように。
                          
                               may

実は、数日前にUpしておいたのだが、クリックに失敗し全部翔んでしまったのさ!
腹立たしくて、なかなかUpできなかった・・・。






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