完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

あの幕の内炒飯はおいしいだろう。    ~「ヨルタモリ」の吉原は?~

2015年06月30日 | テレビ
私は初老男である。


「ヨルタモリ」である。


糸井重里がゲストだった。



すでにこの番組には、完全に「タモリ薫り」が満ちている。


前回までは、それほどではないと思っていたのだが、途中で生演奏をするようになってから、感じが変わってきたような・・・。


この頃テレビ番組は、すべてその出演者の「薫り」がどれくらいに感じれるかで選択するようになった。


出演が誰であるかはもちろん大切だが、その出演者の「薫り」がしっかり感じられない事もある。



またMr炒飯が出現して、炒飯を作っていたらしい。


「幕の内炒飯」だという。


まず、調理人として言わせれもらおう。


やっぱり「ツメが甘い」


具の幕の内のおかずは、もうちょっとでいいから細かくした方がよい。


ご飯を入れる前に、ちょっとだけ「ほぐして」やらなければだめだ。


せっかくの本職が用意した北京鍋も、あの程度のコンロでは中途半端な火加減しか伝わらない。


逆に言えば、北京鍋をもう一回り小さいモノにするべきだった。


盛り付けの時に、もうすこしふんわりと盛り付ければよいのに・・・。



と言うことで、前回と同じことを繰り返す。


批判しているのではない。


あくまで調理を生業としている人間が、同じものを作る場合の目線である。


だからと言って、私が同じものを作って彼よりおいしいものができるかと言えば、まったくその限りではない。(まあ、付加価値的には敵うわけがないけどね)




このひとは69歳(?!?!)でありその歳でありながらその世代の持っている「ケレン」みたいなものがまったくいない。


エテシテそれくらいの男は「料理をする」ことに異常に嫌悪感を持っている。


今のその歳の人たちは、そんなではないだろうけれど若いときに「女のすること」の筆頭が「料理」だった世代だろうね。


しかし、彼は料理をすることを「ヒケラカしたり」しないで自然体でいるのである。


タモリと言う人のは「世代」も「職業」も、最後は「性別」さえも超えて「好奇心」と「集中力」を持って今にたどり着いた。


故に、職業不詳であり年齢不詳の怪人「タモリと言う職業」の人が出来上がった。


一時代を築く人は、みんなこういう風に単純な職業に括れず存在そのものが「職業」になっているなぁ。


私はそんな、彼を心底「うらやましい」と思う。


せめて彼の「冷めた情熱」を見習うことで、初老から中老に慣れたらと思う。


番組内で「幕の内炒飯」が店の客たちに出前されていたが、残念ながらタモリが作ったのではなく誰かが代わりに作った炒飯だろう。


それは絶対にタモリ自身が作ったモノより「美味しくない」はずだ。


だからこそ、調理ってのは面白いのさ。


私は是非、ビデオのあった作ったばかりの「幕の内炒飯」を食べてみたかった。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、自分の「薫り」を放てる人になれますように。


            May


「幕の内弁当」って、ごはんが俵おにぎりの並んでいるように見えないと「幕の内」じゃないって、むか~~~~し聞いたことがある。(諸説あるようです)











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あの炒飯はおいしいだろう。    ~「ヨルタモリ」のタモリは?~

2015年06月01日 | テレビ
私は初老男である。


・・・・一ヶ月も間が空いたしまったが、まったく気にせず行ってみよう。



「タモリ」と言う人の真骨頂は「ユルさ」に尽きる。


彼は生きる事の「芯」が「ユルい」ことであるを知っている。



いや、知っているのだけでなく「実践」している。


これは一般人ならいざ知らず、芸能人で出来ていることが彼の「偉大さ」を示している。




一般人なら、と記したが一般人であろうともそれを実践している人がどれだけいるだろう・・・。



いま「ヨルタモリ」を見ながら、その思いを強くした。



この番組は「笑っていいとも」を降りたのちに民放では初めての彼のレギュラー番組らしい。


何度か見ているが、残念ながら彼のパーソナリティが発揮されているとは思えなかった。


評判の良い「ブラタモリ」も同様。


やっぱり、彼の最大のハマリ番組は「タモリ倶楽部」であろう。



彼の「ユルさ」は、その年齢を感じさせない好奇心旺盛な姿勢と逆にその知識をまったくイヤミに感じさせない人間性から生まれている。


こうした人が現れるのはある意味奇跡的だと私は思う。


今日のヨルタモリの中で、彼の演じる中華料理人が「デミハンバーグ定食」を「炒飯」に仕立てるVTRが流れた。


数少ないこのブログの読者諸兄は忘れているかもしれないが、私は実は調理人なのである。


その調理人から、この炒飯のことを言わせてもらえば「見事!」だが「ツメ」があまい。


しかし、そのツメの甘さこそが「ユルさ」であり、ツメのしっかりした炒飯よりおいしく感じるはずだ。


調理人とすれば、ハンバーグはもう少し粗く刻んでよい。ほかの付け合せはあの程度でよい。
サラダは、逆にもっと荒く刻んでよい。


使った中華鍋は、ホンの少しだが大きすぎる。


油のしっかりしみこんだ中華鍋は「プロ」が用意したものだ。(間違いない)


そして、最初に入れたのが「冷や飯」


これは料理人のプロとすれば「主流」ではない。


炒飯は温かくて水分の抜けたごはんで作るのが一丸美味しい。


まして今回の具となった「デミハンバーグ」と「付け合せ」はかなりの水分が含まれていて炒飯の命である「パラパラ感」が出にくくなる。


鍋の振りもプロのそれと違いある意味「中途半端」である。


炒飯の仕上げは「一気に煽って水分を飛ばす」ことに真骨頂があるのであり、終盤の連続煽りをやらなければプロの仕事ではない。


盛り付けも荒い。もっと、ふんわりと盛らなければ・・・。


散々言っておいてなんであるが、これだけあれこれ言った私が作った「デミハンバーグ定食炒飯」が、タモリの炒飯よりおいしいかと言えば・・・。


タモリの調理技術はプロの物ではない。だからこそ、素人だからこそたどり着ける「トップ」のところにたどり着いている。


食べ物に限らず、仕事というものは「技術」と言うものだけで決まるものではない。


その人の「生きる姿勢」みたいなものが、仕事の後ろについて回る。


全く同じ具材をつかい、まったく同じ調味料を使ってもまるで違う炒飯ができるのが「調理」と言うものだ。


タモリとう人の「解き放たれた」これからの芸能活動と言うのが、とても楽しみだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「ユルさ」を身に着けた人生を送れますように。



         May




この「ヨルタモリ」という番組の感じは・・・。そう「今夜は最高!」に似ている。(って知らない人の方がおおいか)











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