完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

名脇役の死    ~深浦加奈子 逝去によせて~

2008年08月28日 | 
私は中年である。

中年になって思うことは「先のことより、昔のこと」に感慨深くなることが多いって
ことだ。

自分の感性において「時代に乗り遅れる」ことには、あまり恐怖心を覚えない。

乗り遅れても困らないからこそ「中年」なのだろう。

しかし、それは感性を「鈍らせる」ことではない。


感性を鋭く持っていながら、昔の感慨に浸る。・・・わかんねぇだろうな。


さて、その感慨に浸るような訃報がまた聞こえてきた。


「深浦加奈子」といってピンとくる人がどれくらいいるだろうか?

非常にはっきりとした容貌を持った「名脇役」だった。


Wikipediaで調べてもらうと分かるのだが、本当に数多いドラマに出演して
いて、顔を見れば誰でも「ああ!あの人」って分かるはずだ。


この人のすごいところは「シリアス」「コメディ」の使い分けが、絶妙にうまいところだ。

「ナースのお仕事」という観月ありさの主演した病院を舞台にしたドラマでの深浦の
演技は秀逸だった。

婦長である彼女が、仕事場で倒れてその職場である病院に入院するというエピソードが
あった(気がする・・・定かではない)

いつもは朝倉(観月)に意地悪ばかりしていて、どの位仕事ができるのか一切わからないのだが、
その回での婦長は患者のナースコールに的確に熱を下げる方法を伝授する。

そのときの婦長(深浦)の顔は、まさに「素」の彼女の「演技」にかける熱意そのままの
顔つきになっている。


それを見た後に強烈に彼女のすごさをさらに感じたのは、NHKの朝の連続テレビ小説で
主人公の恋人を奪い取るという役のときだ。(田畑智子の主人公のときだった。なんて
ドラマだったか忘れた)

とんでもない「悪女」役なのだが、その結果に単純に喜べず苦悩する姿を見事に演じている。


人間は残念なことに誰もが皆「一番」になれるわけではない。しかし、2番目以下の
人がいるからこそ一番が輝くのである。

そして、その2番目以降がすばらしいければ、なお一番の輝きが一層増すのだ。

人間の業における「凄み」は、一番でも2番以降でも変わりが無い。


深浦を見ているとその「凄み」を放ち続け、燃え尽きたように思えて仕方が無い。

彼女がいないドラマ界は、かなりスパイスが効かなくなるような気がするなぁ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが自分の「凄み」を自覚しますように。

                          
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彼女は昭和35年4月生まれ・・・。私と同じ学年じゃないか・・・。
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突然秋に・・・Up   ~秋は嫌いさ~

2008年08月24日 | Weblog
私は中年である。

北京オリンピックが終わろうとしている。

今回のオリンピックは、どう位置づけたらいいだろう。

政治的な意味で言えば、最近のオリンピックでこれほど「政治的」なことが前面に
現れてきた大会も無い。

とりも直さず、それは中国と言う国が、いまだとても「不安定」の国であることを
意味する。


中国と言う国自体が、あの大きさであの政権を維持できているのが不思議なくらいだ。


結局「社会主義」と「経済開放」の両立は、とても「危うい綱渡り」だと言うことだ。

河島英五の「てんびんばかり」ではないが「どちらももう一方より重たいくせに、
どちらへも傾かない」・・・そんなことはありえない。

いずれ秤の中心から折れてしまうってことのなるんじゃないかなぁ・・・。


私の地域では、お盆前にほとんど雨が降らなかった。

お盆のお墓参り(7月13日)の夕方にいきなり強烈な雨が降った。

そして、数日続けて同じような雨が降り気温が「ガクン」と下がった。


そう・・・秋が来たのだ。

いつのときもそうだが、季節のうつろいというやつは人を悲しくさせる。


秋は農業をするものにとって「収穫」という、一大事業をやらなければならない季節だ。

ことしは特に「稲作」と言うもののほとんどすべてを自分の判断でやることになった。

そのため、いつも以上にナーバスになって夏をすごした。

そこにあるのは「間違うことを許されない、生き物を育てること」のむずかしさだった。

むかしから「秋」のあのメランコリックでありながら変に気ぜわしい雰囲気が嫌いだった。

それを露骨に感じさせる気温の下がり方が、晩夏の今でありながらも嫌いだった。


なんか、中年も真っ只中の40台後半というのは、若い人が思っているよりはるかに
鬱屈した生き物なのだ。


と言うことで、事実もう秋になったと確信している。

それは「空気」が「秋」になったからだ。

今日などは気温は30℃を越えたが、この「空気」の澄んだ感じはどう言い訳しても
「秋」の空気だ。

ああ、季節はゆく・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが季節の「うつろい」を感じますように。

                          
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ああ、なんか意味のないUpになってしまった。
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はてさてどうでも良いことを    ~偶然って恐ろしい~

2008年08月23日 | Weblog
私は中年である。

さて、世の中の「偶然」と言うものほど「恐ろしい」物は無い。

三つの「偶然」の話をしよう。


一つはまさに「偶然」に、新聞の「お悔やみ欄」で、古い知り合いの死を知ったこと。

数日前の話だ。



新聞は毎朝読まないと「気持ちが悪い」。

もちろん、裏面の「テレビ欄」から読み始める。そして偶然である。

ほとんど、地域の「お悔やみ欄」など読んだことの無い私がその名前を見つけた。


ちょっといわくつきの名がそこにあった。

歳は80を幾つか出ている。

他界するには、不思議と言うほどの年齢ではない。


しかし、数日前に「そういえば、あの人はどうしているだろう?」と思い出したばかり
だったから・・・そこに単なる「偶然」以上のものを見出すのは、おかしいだろうか?


その人と係わった歳月が思い出される。

中年と言う生き物は、こうした「過去の記憶」の中に生きている部分が多くなる。


偶然の話その2

今テレビを見ていたら、オリンピック放送で「BMX」の中継をやっていた。

「オリンピックでBMXが競技になっていたの?」

その競技場は「世界一むずかしい」と言われるスタートだと言う。

かなりの「スポーツ通」を自認している中年男だが、これは知らなかった。

日本のBMX競技人口は1000人ほどだと言う。

これは、かなり頑張れば日本のトップレベルに追いつけるってことだ。

今からでも遅くない。

若い方はBMXでオリンピックを狙ってみたらどうだろうか?


そして、偶然その3

今、偶然ラジオのスイッチを入れてびっくりした。

「木村拓哉のホワッツ・アップ・スマップ」という番組が聞こえてきた。

この番組は、何度も時間変更をくりかえして、いまだに生き残っていたことに
「驚嘆」した。

今調べたら1995年から中断を挟みながら現在まで13年続いていると言う。

木村拓哉という人は、我々中年男にとって見ると「不思議ちゃん」以外の何者でも
ない。

この人の5年先がとても楽しみだ。

果たして「いい男」でい続けるだろうか。男からも女からも若い人からも年寄りからも
「いい男」と言われているだろうか・・・。

まあ、どうでもいい話だけど。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「偶然」の意味を深く感じ入りますように。

                          
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いま「偶然」オリンピックの「卓球女子決勝」を見たけれど「オリンピック史」に
残る「名勝負」だったです。こうした試合がもったいっぱい見たかった・・・。
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さてさてご無沙汰   ~オリンピックも終わるしね~

2008年08月22日 | Weblog
私は中年である。

はてさて前のUpも中途半端になったまま、10日が経とうとしている・・・。

言い訳がましいが、いつものとおりUpする内容がないのではない。

それはいつもあふれ出るくらいにある。

しかし、それをUpする「暇」が無い。


・・・いや、その言い方は正しくない。

北京オリンピックを見る時間はあっても、ブログをUpする時間は無い。っていう
価値観にあると言うことだ。

それは非難されるべきことだろう。

まあ、非難する読者は限りなく「0」に近いだろうけれど。


間が空くたびに、もうブログを閉じた方が良いのだろうか?とも思う。

しかし、もう少し「完全無欠の中年」としての皆に発信したいことがある。


これからも間が空いてしまうかもしれないが、閉じることはしないでおこうと思う。

それは、このブログが「自分を見つめなおす行為」の重大なアイテムの一つだからだ。

皆さん。もう少しおつきあいください。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「完全無欠の中年日記」を見捨てませんように。

                          
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中年男と言うのは、本当に悲しい存在ですなぁ・・・。


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二つの「逝去」 Up    ~何の関連も無いけれど~

2008年08月06日 | Weblog
私は中年である。

赤塚不二夫が死んだ。

「マンガ」と言うものが、世間一般に定着するのは昭和30年代ではなかっただろうか。

私は昭和36年生まれ。

まさに「マンガの申し子」の世代だ。


今の時代に「マンガは教育に悪い!」などと、声高らか叫ぶ親(中高年)はいないと思う。

しかし、私たちが子供の頃は、子供の教育上に悪いものの筆頭が「マンガ」であり、
その次が「低俗テレビ番組」であった。


今や、その時代を潜り抜けてきた我々が親となり、子供がマンガを読むのを咎めることなど、
できないことを一番良く知っている存在となった。

自分が通ってきた道だからこそ、言える部分がある。

「マンガ読むべし、されど小説も読むべし!」と。


マンガというのは、決して小説や映画に劣らぬれっきとした「文化」である。

日本のマンガ・アニメは「世界一」の称号を持っているといっても過言ではあるまい。


そうした「マンガ」の先駆者的存在が「赤塚不二夫」なのだ。

彼はナンセンスギャグマンガの祖であるが、決して「ナンセンス」なだけでは
無かったことが、原体験としてその作品を読んだ人には分かると思う。

彼の作品の根底に流れていたのは「温かいヒューマニズム」だったと思う。

日々の人間観察の中で、普通の人が見せる「おかしなこと」「笑えること」の
デフォルメが「六つ子」や「バカボンのパパ」「ア太郎」「ゴン」のキャラクターを
生んだのだと思う。

日本マンガ・アニメの根を作ったマンガ家の壮絶なる死に合掌。


もう一つの「死」は「松本サリン事件」の被害者、河野澄子さんの死である。

後付で言っていると思われるのを承知で書くが、松本サリン事件は起きた当時から
「大きな事件のリハーサル」では無いかと私は思っていた。

この事件で私はいろんなことを教えてもらった。

まず日本の警察捜査機能では、広域的な事件には対処しきれないこと。
事件がおきると、俗に言う「所轄」の警察署が捜査に当たる。まあ、当たり前だけれど。
そして、今までに起きたことの無い事件もそれまでの事件に照らし合わせて、個人的な
怨恨関係あたりを中心に所轄の中を細かく捜査していく。

これは犯人に「個人的な怨恨」がなく「所轄内に居ない」場合、ほとんど捜査が及ばないってことだ。

そして、警察捜査は同じ理由でその所轄内で犯人を容疑者を「とりあえず」設定する。

それが、澄子さんの夫「河野義行」さんだった。

河野澄子さんの人柄を知っているわけはないが、事件後の義行さんの献身的な介護、
そして義行さんの行動は少しだけ知っている。

恐ろしいほどの「冷静さ」を持った彼の行動には、改めて驚かされている。

自分が同じ立場になったら・・・。我々に見せないだけで泣きも喚きもしたのだろうか?
それにしても人前に出て、いつもあのくらいに冷静でいられる「精神力」を持ちたい
物だと思う。


二人の死にまったく関連性は無いが、人間の受けねばならぬ「運命の奥深さ」を感じ
させる「二つの逝去」である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「運命」という言葉を「命を運ぶ」と言う意味であることを
忘れませぬように。

                          
                               may

赤塚氏の告別式に読んだタモリの「弔辞」はすばらしかったです。是非一読を。

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はてさてどうしたものか・・・。Up ~ひさしぶりのUp~

2008年08月03日 | Weblog
私は中年である。

はてさて、まったくブログをUpする間が開いてしまった。

言い訳がましいが・・・、ネタが無いのでは無い。

はっきり言って逆だ。

ここにUpしたいことは、次々に頭の中に溢れてきているのだ。

しかし、それを文章にしてブログにUpする時間・・・いや気力が無いのだ。


それであるなら、ブログを「止めた方」が良いのだという気もする。

どうするべきか少々悩んでいる。

まあ、こんなブログ無くても誰も困らないから、ホントに小さい悩みだけど。


さて、福田内閣が「改造」をやった。

だいたい、これだけの支持率しかない内閣が「総辞職」とか「解散総選挙」でなく
「改造」をやれるところが今の日本の政治の不思議さだろう。

むかしなら他の「派閥」が寄ってタカって総理大臣を「引き摺り下ろし」ただろう。


それだけ、政治・自民党・派閥のすべてが脆くなっているのだろう。


「竹島問題」などは、アメリカの竹島の表記や韓国との問題を考えれば、「なぜ今
なのか?」という疑問しか浮かんでこない。

領土問題は日本の一番「不得手」な「外交問題」の最たるものであるにしても、もっと
うまいやり方が無かったのかと誰しろ思うのではないだろうか?


「漁業・酪農」転じてデフレから一気にインフレに変わった。

その今の日本経済に対する何の対策も講じない政府の姿勢も、穏健な日本だからこそ
こんなことですんでいるのだ。

ガソリン代がもうすぐ「200円」を超えるという。

政府はそれに対して何の策も講じないつもりだろうか・・・・。


大きな組織が動くときには、当然時間がかかるのだが、特に日本政府ってのは
何においても動きが遅い。

まして、どこまでやる気のあるのかが分からない福田内閣じゃなぁ・・・。

大体、内閣改造という「面子を変えただけ」でなぜ支持率がUPするのだろうか?

「期待を込めての支持」なんてのは、おかしくないか?

すべて「結果において」の支持なら分かるが・・・。

まあ、こうなると本当に「いつ解散するか」だけが私にとっての興味ある点だ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが政治においてもっともっと「誠意」のある姿勢を求めますように。

                          
                               may

もっともっと、ブログに真剣に向き合わなければ・・・。


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