完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

いよいよ迫ってきた。    ~ロンドンオリンピックへとスポーツ様々~

2012年05月27日 | スポーツ
私は初老男である。

ロンドンオリンピックがいよいよ近くなってきた。

続々とオリンピック出場種目・選手が決まっていく。

今見ているのが「女子バレーボール世界最終予選」

そして「女子ハンドボール世界最終予選」

・・・っていうか、あと2か月くらいしかないのにまだきまってないの?って感じ。


バレーボールの女子は世界ランキングが「第3位」なのだそうだ。

そんなに強いのにいまだ出場を決められないってのが、よくわからなかったのだが、この大会自体を見て分かってきた。

昨日キューバ相手に最終セットまで行って、辛くも勝利。

ちなみにキューバは世界ランキング10位と聞く。

詳しいことを知らなくて申し訳ないが、オリンピックの出場枠はいくつなんだろう・・・。


バレーボールと言うスポーツほど、技術的な進歩(データ等の分析を含む)が目覚ましいものもないだろう。

特に今の日本代表はそうした「分析」を積極的にやっている。

今も昔も日本のバレーボールの前に立ちはだかっているものは・・・「高さ」と「パワー」

それを、様々な革新的な「技術」で対抗してした。

しかし、当たり前のことだが「技術」はすぐにコピーされる。

「高さ」と「パワー」があった上に「技術」が加わる。

更にそれを「超える技術」を開発することが必要になる。

それはつまり、最後は結局「高さ」と「パワー」の争いに・・・。


だから私の記憶にある強い日本もやっぱり「高さ」と「パワー」だった気がする。

伝説の「白井貴子」や「横山樹里」を知っているからなぁ・・・。強かったよ。

結論的にいうと今の日本女子バレーにとってやっぱり「絶対的エース」が必要だよね。(そう言ったらミもフタもないのだろうけれど)



・・・と言っている間に、触れようと思っていた女子ハンドボールの日本代表にオリンピック出場が夢と消えた・・・。


このことには、いずれ触れねばなるまい。

いま、女子バレーボールのセルビア戦を見ている。

第2セット12-16でテクニカルタイムアウトになったところ。

・・・しかし、決定力がないね。


今の時点で、2セットを取るとオリンピック出場が決まるという。


前々からそう思っていたのだが、確かにオリンピックに出場することは大切だ。

だが、今の女子バレーボールは「出場するだけ」で良いレベルなのか?


いや、というよりそんなことで喜ばなければならないレベルなのか・・・。

「世界ランキング第○位」というのがどのくらいの信ぴょう性があるのか、他のスポーツでも問題になるが、この女子バレーにおいては特に薄いように感じるのは私だけだろうか。

と言っているうちに現在第3セット16-6でリード。

日本はオリンピックには行けるだろう。

そして、過去の栄光を知っている者には「最低でも銅メダル」を期待したい。


さんざんこき下ろしておいて言うのもなんだが、今の女子バレーボール日本代表に本当に必要なのは・・・。

       
          「精神的な支え」

                   ではないだろうか。


過去の女子代表にいた「吉原知子」のような存在である。


難しいのはわかっている。

こうした選手は、育成して出てくるものではないからなぁ・・・。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんもオリンピック前のワクワクを楽しみますように。


        May


・・・よく話を聞いてみると、日本が勝つとタイがオリンピック出場。日本が負けるとセルビアオリンピック出場。こうしたときに全力で勝ちに行かないと、勝利の女神の機嫌をそこねちゃうぜ。



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「先を読む」ことが・・・・   ~「出来る奴」と「出来ない奴」~

2012年05月21日 | Weblog
私は初老男である。

オリンピックが迫っている。

ずっと私が注目していたのが「女子柔道48㎏級代表」のこと。


そう、分かる人にはわかっていると思う。

国民的ヒーロー「谷亮子」(ヤワラちゃん)の後継者が誰であるか?


長い長いオリンピック代表選考に勝ち残ったのは「福見友子(25)」

最有力だった「浅見八瑠奈(23)」が、まさかの直接対決をまえの敗退。

初老男はひどく矛盾しているから、ずっと劣勢だった福見が選ばれることを期待していた。


・・・が、実際こんな形で福見が代表になってみると、浅見があわれに思えてくる。

せめて、直接対決の上での決着であるならあきらめもつくだろうが・・・。


あくまで私のイメージだが、技のキレ・一発の爆発力は浅見のに分があり、どっしりとした腰の重さと、しぶとさは福見が上だろう。

結局のところ、どちらが代表になってもメダルを取ることは間違いあるまい。それが、何色になるのか・・・。

うん、楽しみだ。


さて「出来る奴」と「出来にない奴」の話。

ちょっと考えてほしい。

「正社員」と「派遣社員」と「アルバイト」の違いはどこなのか?

実際「働く」と言う意味においては「何の違いもない」のである。


普通は、そこの存在する「責任」の違いだろう。

それが「賃金の差」になる。

そう思わなければやってられないよな。


しかし、現実にはその分け方でなく「出来る奴」と「出来ない奴」に分けられる。

一番顕著な例は「出来る奴」は、絶えず「考えている」ということだと初老男は思うのだ。

それは単純に「仕事のこと」だけではなく、ほんのちょっとしたことから始まっている。


両手に荷物を持った人が、自分のちょっと後ろから来て同じ部屋に入ろうとしていたら、ドアを開けて待っている。

とかいう簡単なことから、会議で上司が実は自分以外の人間が発言するのを「察知する」というものまで、これはかなりレベル高いけどね。(読み間違えるとエライことになる)

「出来ない奴」は、こうしたことを・・・考えてもいない奴である。


しかし「出来る奴」が「出来ない奴」より、優れているかどうかは・・・わからない。

また「出来る奴」が「出来ない奴」より、重用されるかどうかも・・・わからない。


ただ、一つ言えることは、それは「生き方」の問題だということ。

「出来ない奴」で、あっても出世どころか、大ブレークするかもしれない。


私の周りには「出来ない奴」がたくさんいる。

しかも、近しい人間に多い。特に「おやじ」「兄貴」「弟」「叔父」「伯父」などなど。

こうした人たちは、自分の行動が実に自分勝手だ。


「自分がこうしたいから、こうした」まあ、私から見れば「小学生並の感覚」の持ち主にしか見えない。

そうした人間に嫌気がさして、私は逆のパターンの人間になった。


      「出来る奴になりたい奴」


繰り返すが結局、人間は「どう生きたか」と言うプロセスを重要視する。

であるなら「出来る奴」であろうと「出来ない奴」であろうと、本人にしてみればあまり意味がないのかもしれない。

・・・でも、やっぱり私のちかくの「出来ない奴」は許せないなぁ・・・。


今回も最後までお付き合い頂きありがとう。これを読んだみなさんも、心の思うままに「出来る奴」か「出来ない奴」になりますように。

              
                          May


ついつい、感情的になってしまってまとまりのないUpになってしまった。申し訳ない。



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ちょっと続き     ~包丁の選び方2~

2012年05月13日 | Weblog
私は初老男である。

・・・連休中に、農作業をしながらラジオを聴いていた。

そこで、偶然某国営放送の休日特別番組が聞こえてきた。

うろ覚えではあるが「今日は一日コミックソング三昧」って題だったと思う。

その番組で「伝説」が壊れる瞬間を体験したんだ!

初老男の少年時代、にこんな伝説があった。

「つボイノリオの『金太の大冒険』が、某国営放送で流される訳がない!」と言う伝説である・・・。

それが遂に・・・。放送されたのだ・・・・。


それは、初老男にとってまさに「信じられない」瞬間だった。


もっとも、やはり最後の一線を越えられず「小中学生が聞いても大丈夫」バージョンだったけどね。


歌の重要なポイントで、犬やら猫やらの鳴き声が入ってなんと歌っているかわからないようになっているバージョンね。

しかし、人は大事なところをぼかされると、そのぼかされることで「想像力」を掻き立てられてしまう。

(下着の女性が堂々と目の前に現れるより、スカートが風になびいてめくれ上がってあわててそれを抑える女性の方がゾクゾクするでしょ?・・・って、ちょっと違うか?)

そのせいで、通常バージョンよりも更にキワドクなってしまった。・・・みんなそう思わない?


「つボイノリオ」と「金太の大冒険」については、個人で検索していただきたい。

もっとも、この伝説の重さは、その時代を生きた初老男の「同輩」でなければ絶対わからないだろうけれどね。



マクラが長くなってしまった。

さて、前回の続き。

「包丁の選び方」で、言い忘れたことが幾つかあった。

すでに聡明な読者の方はわかっていると思うが、私が先回のUpで選んだ包丁は、あくまで「老夫婦」であるからあの包丁なのだ。

これが若い夫婦だったり、独身者の女性だったりすれば若干違ってくる。

ただ共通なのは、示したように「手入れ」をすること。

それも、よい包丁ほど「簡易包丁研ぎ器」(包丁を当てて前後に押し引きすると研げるというアレだ)を使ってはいけない。

安い包丁なら良いと言うわけではないのだが、あの簡易包丁研ぎ器は包丁の刃を「ナマクラ」にするだけだ。

昔読んだ漫画のセリフに「ハバナ産の高級葉巻に100円ライターで火を点けるバカがいるか!」と言うのがあったが、なにごとにも「つり合い」と言うものがある。

それでも葉巻に100円ライターは「火を点ける」ことはできる。

しかし、簡易包丁研ぎ器は「包丁の一番大事な部分」を削ってしまうのである。

少々時間がかかるかもしれないが、砥石を買って(最低、中砥・仕上げ砥の2種類!)手入れをしてな。


そして、調理に興味がとてもある。って人は、ペティナイフ(皮むき、下処理用)と和包丁の出刃と柳刃包丁の、3種類をそろえることをお勧めしたい。

まあ、大家族で大量の調理をするのでなければ、ペティはいらないし、魚を下ろして刺身を作るなんてことをする気がないのなら、和包丁もいらないけどね。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんが、快適な調理環境を手に入れますように。

       May

切れる包丁が怖い!ってひともいるけど、切れない包丁はどこに向かっていくわからないから、その方がよっぽど怖い。切れる包丁で、手を切るのは「自分の腕」が悪いだけだもん。




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そうだよね~。分からないよね~。    ~包丁の選び方~

2012年05月07日 | Weblog
私は初老男である。

初老になると気分が落ち込んでくると、なかなか復活できない。

若いときのような「漠然とした不安」でなく「具体的な不安」であるからだろうか。

それでは「具体的な不安」とはなんであるか、と言うと・・・たとえば「お金」たとえば「体の衰え」

若いときのような回復は、望めないよなぁ・・・。



連休なのに暗くなってしまった。

気分を取り直して行こう~~~!

さて、今日ホームセンターに行った時の話。

もうこのブログにUpしたのはずいぶん前なので、知らない人も多いと思うのだが私は調理人なのだ。

それも30年ほどのキャリアになった。

だから、ホームセンターなどに行くと調理器具のコーナーで過ごすのは仕事の内になっている。


そこで、私の横で包丁を探している老夫婦がいた。

私のすぐ近くでボソボソと話しているのは、聞こえていたが、口出すのは悪いと思って自分で包丁を見ていた。


(そうだよね~。分からないよね~。)


って内心思っていたら、おばあちゃんの方が私に声をかけてきた。


「すいません、ちょっと教えてください」


と言うことで、包丁の選び方を私なりにアドバイスをしてあげた。



そのホームセンターは、結構大きくてセラミック包丁なども並んでいたし家庭用から業務用まで30種類ほど並んでいた。


一口に包丁と言っても、本当に様々だ。


種類にしても「和包丁」「洋包丁」「中華包丁」とわかれている。


家庭で使うには、和包丁の「菜切り包丁」洋包丁なら「牛刀」中華包丁には、残念ながらお勧めできる包丁はない。


結局「切れ味がよくて、長持ちして、手入れがしやすくて、安価な包丁」・・・。


そんな包丁はない!

そんなものがあったら私が欲しいわ!


だから、どれかの条件をある程度あきらめて選ぶしかない。


ふたりは「セラミック包丁」に興味があったようだ。

「ちょっとお勧めできませんねぇ」

セラミックの包丁は、当たり前だが金属ではない。

そのため、自分で「鋭い切れ味」を取り戻すことができない。(会社によっては、送り返すと1回は研いでくれたりするけど)

ただ、それはそれなりの使い道がある。割愛するけどね。

そして、チタンなども同じ理由で、家庭用には向かない。


・・・当たり前のことだから、最初に書かなかったけれど、包丁と言うのは「手入れ(研ぎ)」をすることが「前提」だ。

研がなくてよい包丁などは存在しない。

もし研がないで次々に新しい包丁を買うのであれば、すべての話は「無し」ね。どんな素材の包丁でも1ヶ月くらいは切れ味が持続するから、一ヶ月おきに包丁を買えばよい。

最初におじいちゃんの方が「今使っている包丁は研ぎにくい」って言ったから、ちゃんと包丁を研いで使う人だって分かってたから上のような話になった。

話が長くなってしまったし、細かく説明しだすとさらに2回分位は使ってしまいそうなので、先を急ごう。


結局、お勧めしたのは


     材質「モリブデン鋼」で長さは21cmの「三徳包丁」値段は「2980円」


                                       である。

モリブデン鋼は「研ぎ易さ」ではスエーデン鋼にかなわないが「錆びにくい」のである。

長さは21cmが一番良いと思う。一般家庭のまな板の大きさから言っても24cmでは使いにくい。

そして、形は「三徳包丁」これは洋包丁と和包丁の良いところを足して割った感じの包丁で、おばあちゃんにはちょうど良いと思ってお勧めした。


おばあちゃんは、職人用の値段高めの物も気にしていたが、プロ用の包丁はハードユース(酷使)に耐えるように作ってあるので、重く・硬めで家庭で使うにお勧めできない。腕に覚えがないと「宝の持ち腐れ」になりやすい。


「あまり参考にならないかもしれませんが・・・」と言いながらも自信をもって薦めておいた。


老夫婦は笑顔で「ありがとうございます」と私にお礼を言ってレジに向かっていった。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんもよい包丁に巡り会えますように。

                    May

1万円で「牛刀・ペティナイフ・三徳包丁のセット」なんてのが、よくテレビショッピングに出るけど、同じ1万円でちゃんとした21cmの牛刀、もしくは三徳包丁1本の方が絶対によいです!(ただし、今回のようにしっかり選ばなきゃだめだよ)




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やっぱり我慢できない。     ~亀岡事故と小沢裁判~

2012年05月02日 | 時事ネタ
私は初老男である。

・・・前のブログのマクラで、世間で一番騒がれている事案については私がUpしなくてもいいという風に書いた。

しかし、やっぱり我慢できなくなった。



タイトルに示した二つの事案は、結果的に同じ結論になる。


それは


     「法律は人間の感情をカバーできない」

                        と言うことである。


亀岡の事故は「危険運転致死罪」には問えないだろう。

そして、小沢事件は「有罪」にはならないだろう。


答は簡単である。

現在の日本の法律では、それらを人の感情を満たすように考えられていないからだ。


しっかりと法律のことを調べもしないで、こうしたことをUpすべきではないのかもしれない。

しかし、初老男になってみて、こうしたことに憤りを感じながらもどこかに「仕方がない・・・」と思わずにいられない。

戦後の数ある事件がさまざまあって、その中には「冤罪」も相当数あっただろう。


信じられないかもしれないが、私の子供の頃は警察や検察・裁判所が「間違いを犯すことはない」と思っていた。

それは子供の私だけでなく、大人たちもそうだったと思う。

どこかに「お上」のやることに「間違いはない」と思っていたからだ。(江戸時代か!)

しかし、それからの時間の流れは信じられないくらいに早くなった。


だいたい法律と言うのは、その時代時代によって当然のごとく是正していかなければならないものだ。

しかし、日本はこの「法律改正」に鈍感だ。

先日、評論家生活にピリオドを打つことを宣言した三宅久之さんも言っていたが、政治と言うものは時間がかかる。

政治とはつまり「法律を作ること」だ。

昔は、政治家たちは内紛・政争を繰り返しながらも自民党の安定政権の中で法律を作ってきた。


・・・結局、いつもこうだ。

時事ネタはちょっとUpに手間取ると、それより大きな事件が起きてUpする気が失せる。

今や(5月2日)タイトルの二つの事件よりも「群馬高速バス事故」の方に世間の目が行ってしまった。

そのことに対しても、言いたいことはある。


しらけながらも、結論を言ってしまおう。


こうした時間の流れが、加速度的に早くなってしまった現代において、作られた法律は成立したその時から、すでに今現在に通用しない法律になってしまう。

そうした中で「犯罪」と言うものは、日本人の中に残っている「正義」の意識ではなく、「法律的にどう判断されるか」になっている。

法律的に言えば、亀岡の無免許運転は「危険な運転」でなく、小沢一郎の4億円はどこから出てきたかわからなくても「政治資金を巡って収支報告書にうその記載をした」ことについては「無罪」なのである。

まあ、小沢事件は「市民感覚」を反映した検察審査会の判断は、心情としてはよくわかるけれど、検察が起訴できなかったものが、こうした「強制起訴」で有罪になることはほとんどないと思っていたけどね。



光市母子殺害事件・福岡海の中道大橋飲酒運転事故・附属池田小事件・・・こんな事件が起きることはそれ以前には考えられなかったし、起きた後にずいぶん法律が整備されたはずだ。

それでも、それを超えるような大事件が日々起きている。

だが、どこまで行ってもそれらの犯罪の被害者の「敵討ち」的なことで方は整備されない。


「人間の人権の尊厳」みたいなものを、こうした事件・事故が起きるたびに考え直さずにはいられない。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。それでも人間の「性善説」を信じていたいのは私だけだろうか・・・。


                         May

群馬高速バス事故の運転手は「自動車運転過失致死傷容疑」で、逮捕されたという。この運転手の罪状と量刑はどれくらいになるのだろう。亀岡無免許運転事件と、どれくらい違うかとても興味がある。




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