完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

ナントカにつける「薬」は無い・・・。    ~佐村河内っていう人~

2014年03月12日 | 時事ネタ
私は初老男である。


「寒の戻り」にしては、大目に雪が降ったがそれも今日までらしい。


冬の終わりになると、本当に「ホッと」するもんなんだよねぇ。



さて「例の」話。



世間の人たちが、一通り騒ぎ終わった頃にこうしてUpするのが私の常套手段である。


しかし、この「佐村河内」と言う人に関しては、あまりにツッコみどころが多すぎて、私にとっては「ネタ」になりにくい。


まあ、もうすでに世間の人たちが散々ツッコんで来たことのポイントをまとめてみよう。



①本当に聞こえないの?

②彼を取材したり商売に使った人たちは、本当に彼が聞こえないと思っていたの?

③彼は「詐欺罪」にならないの?


まだまだツッコみどころは果てしなくあるが、私が一番知りたいのは、まあ、②までですな。


③に関しては、ほぼ「ならない」って言う話だし。専門家(弁護士)によると「詐欺」っていう「騙した」っていう論理は当てはまらないらしいからね。



これは私の勝手な思い込みだけれど、本当の聾唖者は、彼のように「滑舌よく」話せないものだと思っていた。


見るとは無しに、Eテレ(某国営第2チャンネル「旧教育テレビ」)の「聾唖の時間」などを見ていると、その障害を持っている人で彼のように話している人を見たことがない。


すごくコアな話だが、昔の「オレンジデイズ」っていうドラマの中で聾唖でありながら音楽家であるヒロインを柴咲コウが演じていて、最終回のラストシーンで初めてセリフを言う。


その時の発音が、やはり、本当の「聾唖」の人の発音をしている。


もう一つ、古い映画に武田鉄矢が刑事を演ずる「刑事物語」と言うシリーズあるのだが、そのラストシーンで重要な脇役である田中邦衛が、やはり、その障害のある人たちと同じ「発音」をしている。



・・・・実は、私はこの「佐村河内」と言う人を、この騒ぎになるまで・・・・知らなかった。


有名になった、交響曲第1番「ヒロシマ」も、クラシック通を自認していながらまったく興味が湧かなかった。


残念ながら、今のクラシック界において現代に古典的交響曲が、素晴らしい出来であったとしても非常に評価づらくなっている。


なぜなら、古典的な手法の交響曲はすでに「作り尽くされた」といえるからだ。


故に今作曲され、評価されるのは「現代音楽」的な作品が中心、いや、それしか評価されにくくなっている。


逆説的に言えば、やっぱり「ヒロシマ」が評価されたのは「聾唖者が作曲した」という付加価値によるものとしか言えない気がする。



持って回って無駄話が多くなってしまったが②の話。


あれだけ「チャンとした」滑舌。日常の受け答え。その行動。そしてなりより聾唖の人間が本当に「曲が書ける」かどうか・・・。


それらを勘案してみると、近くにいる人が「詐諜」であることを疑わなかったことに、むしろ「疑い」を持ってしまう。



まあ、障害者の「障害」を疑うのは、なかなかむずかしいだろうけど・・・。



最後に、先週末の彼の「記者会見」での話。


マスコミは「売れる記事」を、作らねばならないから細かいことを様々ツッコんでいたけれど、私のようなヒネクレ者の初老男には、①②以外はどうでもよくて・・・。



              
             「ナントカにつける『薬』は無い」


              
と、古くから言われているセリフを思い出しただけだ。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、せめて「つける薬」のあるナントカでいますように。



                May



・・・この男は、世界に冠たる「日本人の美徳」と言うものをぜ~んぶ置き忘れて生きてきた人なのね。


こういう人間が出てくるから、世のルールが厳しい方へ厳しい方へと変えられていってしまう。


この「美徳知らず」のやったことの意味は、実はかなり「大きい」のだ。




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先日見たドキュメント    ~「ほんとうの中国の話をしよう」~

2014年03月05日 | テレビ
私は初老男である。


春は近いようで遠い。そして、遠いようで近い。


「人生」と同じである。




さて、休日の昼にのんびりテレビを見ていた。



すると某国営BS放送で、ドキュメントをやっていた。


曰く中国の作家「余華」氏が「ほんとうの中国の話」をするという。



これまで、一般の人が持っている以上の興味を持って、東アジア史を調べてきた。(まあ、本を読んでいるだけだが)


そうした中で、今の中国がどういう国であるかの結論を出した。



まず、ザックリとした知識的結論。



「共産党が正しく機能するのは『神のような指導者』が存在している場合だけである」


この場合の「神のような指導者」とは「無私の心」で「間違いを犯さない」「完璧」に政治を進める人と言う意味だ。



察しの良い貴兄はお気づきのことと思うが、つまり、共産党と言う政党が生まれてこの方、その思想的な部分を完全に成し遂げることのできた事例は「世界に存在しない」ということである。


時代・地域的に「うまくいった時」が無くはなかったように見える。


しかし、人間の「欲」が存在する限り、共産主義が正しい形で運営されることの可能性はゼロに近い。



大体、中国においては共産主義の一番の芯である「共産」の部分が、すでに壊れている。


「共に産み出し、それを平等に配分する」極大雑把にいえば、共産主義と言うのはそういうことであろう。


だとすれば、今の中国は完全のその逆だ。



しかし、そのことに糾す組織はどこにも存在しない。


まあ、イデオロギーなんてかの国には、まさに「方便」の塊でしかない。


それによって、自分の「得」になるらな何でもよかったのである。




思うに、国の成り立ちと言うものは、一個の人間の成長とよく似ている。


「三つ子の魂百までも」と言う言葉があるが、中国においても、韓国においても、統治する人間やその国の名前が変わっても、その国の形態はほとんど変わらない。


また、それに対する日本の対応もほとんど変わってはいない。



私はずっと、思っている。


かの国々は「日本は反省していない」「歴史認識を正せ」などと言い続けるが、日本にいったい何をさせたいのだろう。


「金が欲しい」と言うことではなさそうだし、「謝罪せよ」というが、そんなものはすでに何百辺もしたはずだ。


そのたびに「心がこもっていない」とか言い出す。


これは、つまり「いいがかり」以外の何物でもない。


私はそう結論付ける。


そんなものに、もう付き合うのはやめた方がいい。


ほおっておけばよいのである。ほんとうに必要になれば、どこかに妥協点がみつかるだろう。


それは、政治でない部分ではすでにかなり起きている。



「ほんとうの中国の話をしよう」の番組最終盤に余華氏は言う。


今の中国が本当に変わる方法は二つしかない、と。



一つは「革命が起きること」


そしてもう一つは「緩やかに民主化が進むこと」


・・・・・・そう言わねばしょうがなかったのであろうが、結局のところ、そのどちらも少なくとも私が生きている内には起きることはないだろうなぁ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、そろそろ「自分(日本)が悪い病」を完治させますように。



              May



中国も韓国も北朝鮮も、結局のところ「自力で独立できなかった」のを、日本のせいにすることで「国のバランスを取ってる」ってことさ。








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やっぱり「例の奴」が障害なのね     ~大雪の対処によって・・・~

2014年03月01日 | 時事ネタ
私は初老男である。


重ね重ね、全国の大雪に見舞われたみなさん。


お見舞い申し上げます。


最近、こうした「緊急時に対応するべく準備をするべきだ」なることが語られている。


もっともである。


今回の混乱を見れば、そうした論議は進めるべきだ。


しかし、である。


前にどこかで書いたのであるが、こうした10年一度(まあ、5年一度でもいいけど)のことについては、なかなか実効性のある対策は取られにくい。


わが地域のように、毎年間違いなくやってくる「雪」に対しては当然「万全の対策」を取っている。


それに対する予算も、雪の降らない地域の人たちから見れば「ちょっと信じられない」金額になる。



今回の混乱を招かぬ様にするには「降らないかもしれない雪」のために、その予算に近いものを用意しなければならない。


もしかすると10年、いや20年間「降らないかもしれない」ものにである。



そんなことはできるわけがない。


勿論、降ったときの用意はせねばならない。


今回のことでやれることはやらねばならない。しかし、数週間でなくなってしまうものへの用意と言うのは、なかなかしっかりやれるものではない。


話によると、今回の雪被害においても一番の問題は、結局のところ「縦割り行政」の弊害である。


日本の道は結局のところ「国道」「県道」「市道」「私道」に分かれていて、その管理もお互いを侵してはならないものであるらしい。


しかし、当たり前の話だが、道は皆つながっている。


それなのにお互いの管理が別々だがら「雪の片づけができない」と言う。



結局は「行政」のせいかい!



つまりは、とりあえず「行政システム」の変更が最優先であるということ。


それにによって、現場は意外に簡単に対応できるようになるはずだ。




・・・今回の大雪は、何かに似ていると思わなかっただろうか。


そう、「孤立した地域」が現れたのは「地震の後」にそっくりである。


分断のされ方が雪によるのか地震の被害によるかの違いでしかない。


ある意味、各自治体の意識が試されているような状態ではなかろうか・・・。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ちょっとしたことが意外に「大きなこと」につながっていることを忘れませんように。



         May



「雪を片づける」と簡単に言うが、重機であっても、個人使う道具であっても、実際には「名人芸」が存在する。その差はイカンともシガタイんだけどね。

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