私は初老男である。
この頃、マクラが長すぎて読者のみなさんの読む気が失せているような気がする。
大体、一回のUpで「1600文字以下」というのが私の流儀なのだが、それは人が小文コラムを読む力と言うのは400字詰原稿用紙で4枚までと思っているからだ。
しかし、もうこの意識は通用しなくなっている気がする。
なにごともスピーディな時代なのだ。
本当のところ、マクラなしで800~1200字くらいでないと、読み疲れてしまう気がしてきた。
読む方だって、タイトルと違う話を読むのは違和感があるだろう。
ちょっと、しばらくそんな形で行ってみようかなぁ・・・。
さて、「清盛」のこと。
先回の視聴率は
「12.6%」
だったという。
しかも昨年の「江」の最低視聴率の13.1%よりも下だったという。
・・・まあ「江」をほとんど見なかった初老男に不思議がる資格はないのかもしれないが・・・。
今回の第12回「宿命の再会」は、とてもおもしろかった。
話の中心は宿命のライバル源義朝との再会。
それプラス形を変えた「男女の愛」が対比されていた。
宮廷内の「男女の愛」(鳥羽法皇と璋子のねじれた愛の形)が、幾つかあるドラマの一翼を担う。
…うん。やはり際物っぽい役をやらせると三上博史は絶品の演技をするなぁ。
壇れいも、やっぱり金麦だ。(意味が分からん)
そして、もう一翼は武士たちの「愛」
京に戻った義朝を待っていた由良御前(田中麗奈)は、最後に「ずっとお待ち申しておりました・・・。ずうっと・・・」と心情を吐露する。
明子を亡くし、精神的に不安定な清盛に、あまりにもあっけらかんと息子たちに近寄る時子(深田恭子)そして結ばれる二人。
この清盛と義朝が互いに結ばれるシーンもうまく対比されていて、二人とも怒りながら現れ最後に自分の本音をぶつける。そのぶつけ方に互いの性格の違いが表れている。
その表現の仕方が、やはり男の脚本だと思う。
細かいことは略するが、非常に「男に都合のいい」ように描かれているのがわかるだろう。
これだけ、構成がうまくいっていて、役者たちがハマっているのに「低視聴率」。
ちょっと私には理解できないのである。
・・・一つだけ気がかりな点が・・・・ある。
それは、
「マツケンの演技」
である。
松山ケンイチの存在感が薄いのだ。
ある意味これは、ドラマの根本が間違っているということだ。
これだけドラマの構成がうまくいっているのに「松山ケンイチでなければできない演技」が、いまだに見えない。
松山ケンイチの松山ケンイチらしさをわざと押さえているのだろうか?
監督の演出だろうか?それとも、本人の解釈?はたまた、国営放送の思惑なのか?
今のドラマの中では、彼でなくても同じぐらいの面白みを感じることができるだろう。
これからこのドラマが上向くとすれば、それは
「松山ケンイチが松山ケンイチらしい演技をすること」
これに尽きる気がする。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいるみんなも、ドラマを見るときは自分が「監督」になった気で見ることに意味を見出しますように。
May
・・・結局、文字数が1600文字を超えてしまった。
この頃、マクラが長すぎて読者のみなさんの読む気が失せているような気がする。
大体、一回のUpで「1600文字以下」というのが私の流儀なのだが、それは人が小文コラムを読む力と言うのは400字詰原稿用紙で4枚までと思っているからだ。
しかし、もうこの意識は通用しなくなっている気がする。
なにごともスピーディな時代なのだ。
本当のところ、マクラなしで800~1200字くらいでないと、読み疲れてしまう気がしてきた。
読む方だって、タイトルと違う話を読むのは違和感があるだろう。
ちょっと、しばらくそんな形で行ってみようかなぁ・・・。
さて、「清盛」のこと。
先回の視聴率は
「12.6%」
だったという。
しかも昨年の「江」の最低視聴率の13.1%よりも下だったという。
・・・まあ「江」をほとんど見なかった初老男に不思議がる資格はないのかもしれないが・・・。
今回の第12回「宿命の再会」は、とてもおもしろかった。
話の中心は宿命のライバル源義朝との再会。
それプラス形を変えた「男女の愛」が対比されていた。
宮廷内の「男女の愛」(鳥羽法皇と璋子のねじれた愛の形)が、幾つかあるドラマの一翼を担う。
…うん。やはり際物っぽい役をやらせると三上博史は絶品の演技をするなぁ。
壇れいも、やっぱり金麦だ。(意味が分からん)
そして、もう一翼は武士たちの「愛」
京に戻った義朝を待っていた由良御前(田中麗奈)は、最後に「ずっとお待ち申しておりました・・・。ずうっと・・・」と心情を吐露する。
明子を亡くし、精神的に不安定な清盛に、あまりにもあっけらかんと息子たちに近寄る時子(深田恭子)そして結ばれる二人。
この清盛と義朝が互いに結ばれるシーンもうまく対比されていて、二人とも怒りながら現れ最後に自分の本音をぶつける。そのぶつけ方に互いの性格の違いが表れている。
その表現の仕方が、やはり男の脚本だと思う。
細かいことは略するが、非常に「男に都合のいい」ように描かれているのがわかるだろう。
これだけ、構成がうまくいっていて、役者たちがハマっているのに「低視聴率」。
ちょっと私には理解できないのである。
・・・一つだけ気がかりな点が・・・・ある。
それは、
「マツケンの演技」
である。
松山ケンイチの存在感が薄いのだ。
ある意味これは、ドラマの根本が間違っているということだ。
これだけドラマの構成がうまくいっているのに「松山ケンイチでなければできない演技」が、いまだに見えない。
松山ケンイチの松山ケンイチらしさをわざと押さえているのだろうか?
監督の演出だろうか?それとも、本人の解釈?はたまた、国営放送の思惑なのか?
今のドラマの中では、彼でなくても同じぐらいの面白みを感じることができるだろう。
これからこのドラマが上向くとすれば、それは
「松山ケンイチが松山ケンイチらしい演技をすること」
これに尽きる気がする。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいるみんなも、ドラマを見るときは自分が「監督」になった気で見ることに意味を見出しますように。
May
・・・結局、文字数が1600文字を超えてしまった。