私は中年である。
今日の午後、4・5ヶ月ぶりに「バドミントン」をやった。
おっかなビックリで、何よりも「怪我」をしないようにだけ気をつけての
2時間だった。しかし、意外に動けたことにもビックリしている。
私のバトミントン暦も24年で生きてきた「半分以上」になった。
男はスポーツ好んでをやる。これは男の持っている「狩猟本能」の
代償行為だろう。
昔から男は狩猟によって「アイデンティティ」(どういう意味なんだろ?)を
保ってきた。
今は残念ながら特に男は自分の「存在価値」(ああ、コレがアイデンティティの
意味か?)をなかなか外に向かって発しにくい時代だ。
なぜなら男と女の「最大の違い」は「力」そのものなのだ。「狩猟・戦争・
喧嘩・建設業」等が少し前まで男だけのものであり「種」を残すための
女性はそうしたところから、なるべく「遠い」ところにあるのは当然だった。
そうしたところで男女のパワーバランスが取れている方が良かったような
気がしている「中年」である。
(相変わらずマクラが長いなぁ)
さて私は本を読むことが趣味である。正確に言えば「趣味」ではなく
「生活の一部」なのだが・・・。
「本」の中には当然「マンガ」も入っている。
一時期「マンガ本」を著しく「嫌悪」していた世代があった。
今の「団塊の世代」よりちょっと上の世代(50代後半から60代かな?)の
人たちがそうだろう。
どこからそんな話が出たのか「マンガを読むとバカになる」などと、その当時の
親達は本当に信じていた。
実際、その世代はマンガを読んだことなど無かったはずなのに・・・。
現在「マンガ」は一般的な産業となり、転じて日本人の職人的技術と想像力に
よってこの国は「世界的アニメーション大国」に発展した。
今更の話になるが、私はマンガ本と普通の本を区別しない。「ゴルゴ13」は
ほぼ全巻そろっているし、書棚1つはマンガ本でいっぱいになっている。
しかも、マンガ本の方が「再読」の機会が多い。
ストーリーだけを読むなら「マンガ」の方が格段に早い。そして、
ビジュアル的に「そんなわけ無いじゃん!」と思える話は「マンガ」の方が
表現しやすいし違和感なく受け入れられる。
たとえを一つ。
ドラえもんがタケコプターで、のび太と空を飛んでいるところは誰でも
思い浮かぶだろう。しかし、マンガのドラえもんを見たことの無い人に、
文章だけで表現しようとすると・・・。
「ドラえもんは21世紀からやってきたネコ型ロボット。のび太の子孫
セワシが送り込んだお目付け役だという。ネコ型だが耳は無い、胴体は
青く2等身でおなかが白くポケットがついている。そのポケットから
彼は叫びながら『あるもの』を取り出した。
『タケコプター!』
・・・・のび太にはただの竹トンボにしか見えない。ドラえもんは
自分の頭にそれをセットしてふわりと空に飛び立った。
「ま、待ってようドラえもん!」のび太はあわててその竹トンボを頭に
セットしてスイッチらしきものを押した。ふわりとのび太の体が空に
舞い上がった」
コレだけの文字数を費やすより、マンガにすると2~4コマあればコト足りる。
しかも不自然で無い。
日本のアニメーションで世界的に有名になったものは、とくにこうした
「アニメでしか表現できないもの」(もしくはアニメで表現した方が受け入れ
やすいもの)がほとんどだと言える。
「映画大国」のアメリカにたいして「アニメ大国」の日本と言うのは、
非常に理にかなっているところがある。(土地が無い・金が無い・単一民族・
独特の言語を持っている等々)
ただ「マンガ」だけってのはいただけない。先程の逆で「曖昧さ」を表現する
には文章だけの方が良い。
機械的なもので無い「人間の深層心理」を「映像」で表現するのは、かなり
むずかしい。「いい加減なもの」をいい加減なまま自分の意識に取り込むには
「文章だけ」の方が良いことが多いのだ。
どちらの場合も「ある程度の量」をこなさないと自分の中の「糧」になりにくい。
「想像力」と「理解力」の両方を養うためには、両方をある程度の量を
こなしていかなければならないのだ。
本は5分あれば10ページは進む。マンガであれば20ページは進む。
トイレであっても乗り物の中でも読めるのだ。気負わず本を楽しもうじゃないか!
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「本」を読んで、心豊かな人生を送れますように。
途中何度も中断しました。しかし、5日も6日もUpが遅れるなら
この方がいいのかなぁ・・・。しかも、最初に考えた内容と随分違ったし。
may
今日の午後、4・5ヶ月ぶりに「バドミントン」をやった。
おっかなビックリで、何よりも「怪我」をしないようにだけ気をつけての
2時間だった。しかし、意外に動けたことにもビックリしている。
私のバトミントン暦も24年で生きてきた「半分以上」になった。
男はスポーツ好んでをやる。これは男の持っている「狩猟本能」の
代償行為だろう。
昔から男は狩猟によって「アイデンティティ」(どういう意味なんだろ?)を
保ってきた。
今は残念ながら特に男は自分の「存在価値」(ああ、コレがアイデンティティの
意味か?)をなかなか外に向かって発しにくい時代だ。
なぜなら男と女の「最大の違い」は「力」そのものなのだ。「狩猟・戦争・
喧嘩・建設業」等が少し前まで男だけのものであり「種」を残すための
女性はそうしたところから、なるべく「遠い」ところにあるのは当然だった。
そうしたところで男女のパワーバランスが取れている方が良かったような
気がしている「中年」である。
(相変わらずマクラが長いなぁ)
さて私は本を読むことが趣味である。正確に言えば「趣味」ではなく
「生活の一部」なのだが・・・。
「本」の中には当然「マンガ」も入っている。
一時期「マンガ本」を著しく「嫌悪」していた世代があった。
今の「団塊の世代」よりちょっと上の世代(50代後半から60代かな?)の
人たちがそうだろう。
どこからそんな話が出たのか「マンガを読むとバカになる」などと、その当時の
親達は本当に信じていた。
実際、その世代はマンガを読んだことなど無かったはずなのに・・・。
現在「マンガ」は一般的な産業となり、転じて日本人の職人的技術と想像力に
よってこの国は「世界的アニメーション大国」に発展した。
今更の話になるが、私はマンガ本と普通の本を区別しない。「ゴルゴ13」は
ほぼ全巻そろっているし、書棚1つはマンガ本でいっぱいになっている。
しかも、マンガ本の方が「再読」の機会が多い。
ストーリーだけを読むなら「マンガ」の方が格段に早い。そして、
ビジュアル的に「そんなわけ無いじゃん!」と思える話は「マンガ」の方が
表現しやすいし違和感なく受け入れられる。
たとえを一つ。
ドラえもんがタケコプターで、のび太と空を飛んでいるところは誰でも
思い浮かぶだろう。しかし、マンガのドラえもんを見たことの無い人に、
文章だけで表現しようとすると・・・。
「ドラえもんは21世紀からやってきたネコ型ロボット。のび太の子孫
セワシが送り込んだお目付け役だという。ネコ型だが耳は無い、胴体は
青く2等身でおなかが白くポケットがついている。そのポケットから
彼は叫びながら『あるもの』を取り出した。
『タケコプター!』
・・・・のび太にはただの竹トンボにしか見えない。ドラえもんは
自分の頭にそれをセットしてふわりと空に飛び立った。
「ま、待ってようドラえもん!」のび太はあわててその竹トンボを頭に
セットしてスイッチらしきものを押した。ふわりとのび太の体が空に
舞い上がった」
コレだけの文字数を費やすより、マンガにすると2~4コマあればコト足りる。
しかも不自然で無い。
日本のアニメーションで世界的に有名になったものは、とくにこうした
「アニメでしか表現できないもの」(もしくはアニメで表現した方が受け入れ
やすいもの)がほとんどだと言える。
「映画大国」のアメリカにたいして「アニメ大国」の日本と言うのは、
非常に理にかなっているところがある。(土地が無い・金が無い・単一民族・
独特の言語を持っている等々)
ただ「マンガ」だけってのはいただけない。先程の逆で「曖昧さ」を表現する
には文章だけの方が良い。
機械的なもので無い「人間の深層心理」を「映像」で表現するのは、かなり
むずかしい。「いい加減なもの」をいい加減なまま自分の意識に取り込むには
「文章だけ」の方が良いことが多いのだ。
どちらの場合も「ある程度の量」をこなさないと自分の中の「糧」になりにくい。
「想像力」と「理解力」の両方を養うためには、両方をある程度の量を
こなしていかなければならないのだ。
本は5分あれば10ページは進む。マンガであれば20ページは進む。
トイレであっても乗り物の中でも読めるのだ。気負わず本を楽しもうじゃないか!
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「本」を読んで、心豊かな人生を送れますように。
途中何度も中断しました。しかし、5日も6日もUpが遅れるなら
この方がいいのかなぁ・・・。しかも、最初に考えた内容と随分違ったし。
may