完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

図太いっていうより・・・。  ~アベノマスクに見る政治家の資質~

2021年12月30日 | 時事ネタ

 

 

私は中老男である。

 

 

 

2021年ももう終わりである。

 

 

 

ずいぶんブログUpもサボってしまった。

 

 

 

 

決してUpしたい事柄が無かったわけではない。

 

 

 

 

逆に言いたいことは「山ほどあった」のであるが・・・。

 

 

 

 

結局「根気」と「集中力」が無かったのだ。

 

 

 

 

2022年は、最低でも1週間に一度はUpしたいと思ってはいるのだが・・・。

 

 

 

 

そんな中、今年最後になるであろうUpとしては、もう遅いかもしれない内容。

 

 

 

 

「アベノマスク」の処遇について、喧々諤々の意見があるが・・・。

 

 

 

 

基本的に安倍晋三という元総理である政治家が「国民の生活の現状」を理解できていない人であるということに尽きる。

 

 

 

 

2世・3世の議員というのは、結局「政治家の息子・孫」であるから「庶民の生活」を経験したことがない。

 

 

 

「ステイホーム」を呼びかけた安倍総理がYouTubeにUpした動画のことを、覚えている人も多いだろう。

 

 

 

 

本人に悪気があったのではないだろう。

 

 

 

 

彼にとっての「ステイホーム」というのが、あの姿であるということ。

 

 

 

 

小中学校の休校の件も、アベノマスクの件も同じくである。

 

 

 

 

後出しジャンケンで言うのではなく、彼自身が「その政策」自体を思いついたとは思えない。

 

 

 

そうなると、結局それを「側近たち」が考え吹き込んだ可能性が高い。

 

 

 

それを取り上げてしまうところに、彼が「庶民の生活を分かっていない」ところである。

 

 

 

 

逆に「彼がそれを考えついた」とすると「側近たち」がそれを諫めることができなかったことになる。

 

 

 

 

 

それも、同じく彼が「庶民の生活の現状を分かっていないこと」の証明になる。

 

 

 

 

 

しかし、すべてのことには「裏」と「表」がある。

 

 

 

 

アベノマスクの配布という政策において、悪いことばかりでは無かったはずなのだ。

 

 

 

 

 

残念ながら私には思いつかないが。

 

 

 

 

批判するのは簡単だが、官僚や役人が理路整然と計画した政策だけでは、民意を得る政治というモノはできない。

 

 

 

 

そこには天性の「政治家の素質・矜持・理想・品性」が必要だろう。

 

 

 

 

 

だが、以前にUpしたように安倍晋三という人は総理大臣の絶対的に必要な「品性」が欠如しているのだ。

(予算委員会で、質問者に「野次を飛ばした件」をUpしています「もうやめようと思ったんだけど」2021年3月1日参照)

 

 

 

 

 

潰瘍性大腸炎という持病があるのは、大変気の毒であると思う。

 

 

 

 

しかし、言いすぎるかもしれないが「総理大臣を辞職」するには「国会で倒れる」くらいのことになってもらわないと「政権を投げ出した」ように見えてしまう。

 

 

 

中老男は様々な政治家を見てきた。

 

 

 

 

そうした中であまりに社会が変化してしまった。

 

 

 

 

私の若い時にイメージしていた政治家はもう出現しないだろう。

 

 

 

 

安倍晋三氏が7年8ヵ月の長きに渡って政権を維持したのがその証明である。

 

 

 

 

「昔は良かった」というセリフだけは吐きたくない。

 

 

 

 

ただ「時代が変わった」ことだけは、痛々しいくらいに感じている。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも形骸化した「政治」が、少しでも良い方向に向かうことを願いますように。

 

 

 

 

 

           May

 

 

 

 

私のイメージとして「政治家は図太い」ではなく「政治家は恥知らず」レベルに見えてしまうんですよねぇ。。。。

 

 

 

 

 

 

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こんな人いないのかなぁ。      ~久しぶりにリサイクルショップ~

2021年12月11日 | Weblog

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

「もうクラシックのCDは買わない」と決めていたのだが・・・。

 

 

 

 

先日Eテレで「春の祭典」(イーゴリ・ストラヴィンスキー作曲)の番組を見てしまい。

 

 

 

どうしても手に入れたくなった。

 

 

 

 

こうした時はやっぱり・・・。

 

 

 

 

 

リサイクルショップに行くのが常套手段。

 

 

 

 

 

久し振りである。

 

 

 

 

行くとついつい「余計なモノ」を買ってしまうから。

 

 

 

 

 

ストラヴィンスキーのCDを探す。

 

 

 

 

 

しかし・・・・無い。

 

 

 

 

 

まあ、そうだろう。

 

 

 

 

 

こんな田舎のリサイクルショップには、そもそもクラシックのCD自体が少ない。

 

 

 

 

 

しかし、トンデモナイ「掘り出し物」があったりもする。

 

 

 

 

 

「コバケン(小林研一郎)のブラームス交響曲1番・日本フィル」が710円で売っている。

 

 

 

 

さらに

 

 

 

 

「エフゲニー・キーシンのショパンピアノコンチェルト第1~2番・モスクワフィル」(1984年3月27日モスクワ音楽院でのLIVE)が

 

 

 

 

1255円で売っていた。

 

 

 

 

 

ついでに

 

 

 

 

 

恩田陸の「上と外」(上・下)が2冊で220円だったので購入。

 

 

 

 

 

これだけなら「普通」な話。

 

 

 

 

 

 

そこでさらに目に入ったCDがある。

 

 

 

 

Deep Purple in Rock」である。

 

 

 

 

 

やっぱり710円だった。

 

 

 

 

 

当然「購入」した。

 

 

 

 

クラシックのCDとハードロックのCDを「ついでの同時買い」

 

 

 

 

たぶんこんなCDの買い方をする人は・・・・。

 

 

 

 

 

あんまりいないんじゃないかなぁ・・・・・。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、すべての音楽を楽しみますように。

 

 

 

 

        May

 

 

 

 

そういってもjazzだけは、あんまり得意じゃないんです。(有名どころは押さえてるけどね)

 

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伊達ではないね。      ~反田恭平の「猫のワルツ」~

2021年12月05日 | 音楽

 

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

日曜日の昼前。







まったりしているのである。



 

 

 

テレビのワイドショーに「反田恭平」が出演していた。

 

 

 

 

 

 

基本的にはあまり出演しないであろう「お笑い系」ワイドショーで、彼の周りだけ空気感が違う。

 

 

 

 

 

会話のやり取りも、ある意味まるでリモート出演のように見える。








そして、マズルカを披露した後。

 

 

 

 

サプライズでもう一曲。

 

 

 

 

 

本人から説明があって「猫のワルツ」が演奏される。









実は私、ショパンコンクールの模様をみていない。

 

 

 

 

 

 

故に彼の演奏を聞いたのは数年ぶりだった。

 

 

 

 

 

 

 

であるからなおさら・・・。

 

 

 

 

 

 

彼の演奏が「力強くなっている」のがよくわかる。

 

 

 

 

 

以前にLIVEで聴いた時の「カミソリの切れ味」的な演奏に、意識的に増やした脂肪と指のしなやかさによって「力強さ」が加わっている。

 

 

 

 

 

本人も言っていた通り機械的な鍛え方で筋肉を増やすと「音が硬くなる」という。

 

 

 

 

 

 

なんとなく頷けるなぁ。

 

 

 

 

 

「おじいちゃんおばあちゃんの手が良い演奏ができる気がする」と言いそれを目指しているという。

 

 

 

 

 

 

未来の姿をしっかり見据えた「新しい姿のアーチスト」としての彼のこれからの活躍が楽しみだ。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「新しい姿のアーチスト」の成長を見届けますように。

 

 

 

 

 

 

          May

 

 

 

そこでも言っていたが彼のお父さんは、彼がピアニストになることを「勉学から逃げている」と言って許していないという。

 

 

 

まあ、さすがにショパンコンクール準優勝したら許してくれるじゃないかと思うけど。

 

 

 

まだ許さなかったりして。

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「中老男」を自覚するのだ・・・。     ~中村吉右衛門逝去に寄せて~

2021年12月04日 | 時事ネタ

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

自分が中老男である自覚というのは・・・。

 

 

 

 

 

若い時には全く興味の無かった事柄に、如何ばかりかの知識が積み重なっていることに気が付く時である。

 

 

 

 

 

 

30代なかばまで全く興味無かった「歌舞伎」のことを「落語」からつながってから調べ始めた。

 

 

 

 

落語の演目には、歌舞伎をモチーフにしたものが少なからずある。

 

 

 

 

「中村仲蔵」などはその「歌舞伎ネタ」の最たるものだ。(詳しくはサーチして見て欲しい)

 

 

 

 

 

そして、江戸時代から脈々と受け継がれてきている「歌舞伎」というモノに「日本人の血」を感じている。

 

 

 

 

 

 

中村吉右衛門を観たのは数年前の歌舞伎座。

 

 

 

 

 

演目が何であったかは定かではないのだが・・・。

 

 

 

 

 

既に一般的には「鬼平犯科帳」の長谷川平蔵のイメージが強く残っているだろう。

 

 

 

 

 

兄である松本白鴎(いまだ「松本幸四郎」どころか「市川染五郎」の名前の方が中老男にはぴったりくるんだけど・・・)が、洗練された現代劇からミュージカルまでこなすのに比べて。

 

 

 

 

 

吉右衛門はずっと「髷(まげ)」が似合う。どころか、髷がない方に違和感があった。

 

 

 

 

顔の造作も兄よりも顔が大きく目鼻がおおきい。

 

 

 

 

そして「良く通る声」である。

 

 

 

 

これこそが「歌舞伎役者」というモノであろう。







舞台でこそ映える存在と言える。(先代の市川團十郎を彷彿とさせる)



 

 

とにかく、こうしたベテランが逝ってしまうと。

 

 

 

 

 

持っていた「芸そのもの」も亡くなってしまう。

 

 

 

 

映像がいかに残っていても、その舞台の雰囲気・緊張感は残念ながら伝わってこない。

 

 

 

 

 

若い時に年寄りが「昔は良かった」というセリフばかりを吐いていたのに辟易したものだが。

 

 

 

 

 

自分自身がそうなりつつあることに「自己嫌悪」を抱く中老男である。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、時空の中で生きた自分の記憶や感覚を大事にしますように。

 

 

 

 

        May

 

 

 

 

「鬼平の長谷川平蔵」に「雲霧仁左衛門の阿部式部」を重ねてしまうのは「野暮」なんだろうなぁ・・・・。

 

 

ご冥福をお祈りいたします。

 

 

合掌。

 

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