完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

最近思うこと    ~「天地人」と大相撲問題~

2009年01月31日 | 時事ネタ
私は中年である。

最近ブログのUpが遅くなってしまって、数少ない読者の皆さんに悪いなぁと思う。

Upしたい内容は溢れんばかりなのだが、なかなかパソコンに向かう気が起きない・・・。

なんとか週に2度くらいはUpせねばと思っている。


ということで「天地人」の話。

先週の土曜日(24日)に、地元で「妻夫木聡」と「北村一輝」のトークショーが行われた。

1200人定員に7000人以上の申し込みがあり、遠くは名古屋近辺からの申し込みがあったという。

私は演じている役者がなにを考えているかに興味が無いので申し込みもしなかったが。


さて、4回を終わった時点での私の感想であるが・・・。

あまりうまい展開では無いような気がする。

大河ドラマは50回の長丁場(今回はもっと少ないらしいけど)であるから原作どおりに作れないのは当たり前だが、物語のイメージまで変ってしまうのは感心しない。

特に「お船」の常盤貴子は、原作と全く違ったイメージ。
イメージと言うよりも、いかに現代劇風になったと言ってもあの時代(男尊女卑)に宴席で一緒に酒を飲み酔っ払うとか、年下で従弟とはいえ男を「小バカ」にしたような態度や発言はするはずがない。

大河ドラマには、ある種の「厳格性」がないと「嘘臭い」ばかりになる。

やはり、キャスティングに失敗があるような気がする。

まあ、昨年の「篤姫」に起用された役者はほとんど除外されるだろうから、その意味でキャステングの幅が減ってしまったのも事実だろう。

これからの展開の期待したい。


それから「朝青龍のガッツポーズ」「若麒麟の大麻問題」

朝青龍のことは以前にも何度かUpしたけれど、日本人でない彼には「相撲」がスポーツでなく、それを超えた「神格性」のあるものだということがイマイチ理解できていないのだと思う。

そのスポーツでない「相撲」においての「横綱」は、過度に言えば「神格化」された存在でなくてはならない。
「人間を超えた」存在にならなければいけないのだ。
それにおいて人間らしい「感情」を表に出すことも極力押さえなければいけない。

彼にとっては、そのことの意味が結局「骨身に染み」てはいないのだ。

次に若麒麟の大麻問題であるが、今の親方世代から現役力士達の世代が相撲を神格化を感じている「ボーダーライン」になっている気がする。

わたしも今の親方世代だから良く分かる。

朝青龍のことに似ているのだが、私達の世代にとって「相撲」は神格化されたものでスポーツでくくる事の出来ないものだ。

だから、年末とかに新聞で発表される「プロスポーツ」の中に相撲が入れられることになんとなく違和感がある。

しかし、今の力士世代は「現代の若者」なのだ。意識が全く無くはないが相撲部屋を一歩出れば一般人と同じ「誘惑」や「価値観」の中で生活せねばならない。

であれば「大麻」や「覚せい剤」の誘惑があっても少しもおかしくは無いのである。

外国人力士が増え、こうした若者が現役力士であることを相撲協会が「自覚」して改革に乗り出さない限り、神格化された存在である「大相撲」は崩壊していくだろう。

昔の「北の湖」「北の富士」「琴桜」「千代の富士」とかの横綱を知っている者とすると今は相撲自体が変わってしまったように思えてならない。

「双羽黒」が横綱になってからは、それ以前の「大相撲」とは別物になってしまった感がある。残念なり。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが日々の生活の中で幸せを感じれますように。
                          
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大相撲問題でNHKがデーモン小暮にインタビューした時に「デーモン小暮閣下さん」て紹介してたのには笑った。


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「歌手」の不思議   ~心に響く歌を~

2009年01月21日 | Weblog
私は中年である。

実は今日は私の誕生日である。

丑年生まれの年男。4度目である。

先日知ったのだが、あの「高田純次」も今日1月21日の生まれだ。

その高田純次が言っていたのだが、元アメリカ大統領(昨日まで「前」だったのにね)も同じ1月21日生まれだと言う。って今調べたら8月19日じゃないか!

やっぱり、高田純次の言うことだなぁ・・・。


さて、今日の勤めの帰りにラジオを聴いていたら、森山良子の「さとうきび畑」が流れていた。

この歌の完全版は10分ちょっとかかる大作で、その長さからフルコーラスを流す番組はかなりめずらしい。


「ざわわ ざわわ ざわわ」とサトウキビがざわめいている擬音を延々と繰り返すこの歌は、様々な言葉を重ねて戦争の悲惨さを語ることより充分すぎるほど心にしみる。

この歌を最初に聞いたのは某国営放送の「みんなのうた」でだ。

歌手はちあきなおみ。

あの番組は5分程度だから、極端な短縮版であったのだが少年の私の心にとても強く印象付けられた。

少年の時期を脱し社会人となった私は「戦争」と言うものに強く興味を抱くようになった。

それなりに関連の本を読んでみたり、DVDを買って見たりして「知識」は得た気がする。

しかし、本当の悲惨さを感じさせてくれたのはこの延々と擬音を繰り返す「さとうきび畑」という歌だった。


いまこの歌を持ち歌にしている歌手は歌唱力のあるクラシック系ないし国民歌系の人が多いように思う。

森山良子、上条恒彦、寺島夕紗子、雨宮麻世、鮫島有美子、堀江美都子、郡愛子、錦織健、新垣勉、岡村喬生、ちあきなおみ、宮沢和史、夏川りみ、松浦亜弥等々


延々と「さとうきび畑」の話をしてきたが、今日の本題はこの曲のことではない。

歌と歌手の相性のことが言いたいのである。

この曲ではその曲の魅力をしっかりと伝えている森山良子であるが、自分の作曲した「涙そうそう」を彼女自身が歌うと、それほど迫ってくる感じがしないのは私だけだろうか・・・。

ラジオから「さとうきび畑」が流れた次の日だったかに、テレビ番組で「名曲物語」らしきものをやっていて「涙そうそう」の話が出てきた。

いまやこの曲が彼女の亡き兄との関係をモチーフに作られたことは、つとに有名だ。

当然、私はこの歌を「夏川りみ」が歌うと思っていたら彼女自身が歌いだしたのだ。

たしかにCDの「さとうきび畑」のカップリング曲はこの「涙そうそう」だから、おかしくはないのだろうけれど・・・。

「さとうきび畑」では、いかに伸びやかな声量と通る歌声を誇る歌手であろうと、独特の「情念」を持った森山良子に敵わない。

しかし、不思議なことに「涙そうそう」は詞を作った彼女自身の「情念」が曲の明るさとフィットしていないように感じるのである。

曲を沖縄出身のBEGINが作ったせいだろうか?

この歌には透き通りどこまでも伸びやかな、そして根底に「南国の明るさ」を持った夏川りみの歌が一番だ。

人間の運命とは本当に不思議なもので、演歌歌手「星美里」がもう少しCDを売り上げていたらいまや国民歌ともいえる「涙そうそう」は生まれなかっただろう。


そして、全く逆に夏川りみが歌う「さとうきび畑」は、あまりに透明すぎて心に響いてこない。

歌手が歌に巡り会うということにも、やはりなにか「運命的」なものが必要なのだろう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「歌のすばらしさ」を感じれますように。
                          
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・・・と言いながらも「さとうきび畑」については、ちあきなおみの歌が一番って気もしてるんだよねぇ・・・。





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人生における運の扱い   ~結局は相殺~

2009年01月14日 | Weblog
私は中年である。

人間何事も「見極め」が肝心である。

今の世において「やらずブッタくり」って方法がまかり通っているが、世の中そんなに甘くはないのである。

代表的なのが「振り込め詐欺」などだ。

「世の中、騙される方が悪いんだ!」とうそぶきながら金を集めている奴らが増えているが、そんな奴らが本当の「幸せ」をつかめるわけがない。

歳を取り「中年」という称号で呼ばれることになってよく分かるようになってきた。

私の好きな小説家に「色川武大」がいる。

別名「阿佐田哲也」である。


今やマンガ「哲也」の方が有名になっているのかも知れないが、あのマンガの中の哲也のモデルはもちろんこの阿佐田哲也こと色川武大である。

彼の著書の中でなるほどと思った本がある。

        「うらおもて人生録」


その中の一節。

「運と言うものは通算すると、結局ゼロなんだ。ゼロと言うより原点と言った方がいいかな」

しかし、それは「プラスマイナスで相殺されるもの」という意味だ。

人をアコギな方法で騙してもうけたお金で「幸せ」になれるはずがないのである。

確かに一時的に手にするお金は巨額かもしれない。
しかし、それと引き換えに「人格の破滅」が待っている。

断言していい。

そうした人が幸福な一生を送る訳がないのだ。

宗教がかったことを言うようだが、世の中を冷静に見てみれば分かる。

犯罪者はどこまで行っても犯罪者なのだ。

「天知る、地知る、我が知る」と言うが、私は思う「天が知らず、地が知らずとも我は知っている」と。

すべての悪事が闇に消えようとも、自分自身が犯した悪事はめぐりめぐって自分に降り注ぐのである。

マクラが長くなってしまって本文にいけなくなってしまった。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「我」の心に逆らいませんように。
                          
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「悪事」はどんなにごまかそうとも「悪事」でしかない。
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スポーツ界の若手二人   ~錦織と大迫~

2009年01月11日 | Weblog
私は中年である。

先ほど「天地人」の第二回が終わった。

先回からの続きで、何しろ与六の子ども時代役の子役があまりに上手くて、私のような中年男は、つい涙腺が緩んでしまう。

それから、与六が帰った家の雪の量が屋根に届く程であったのを見て「いくらなんでも」と思った人も多いと思うが、あれは「本当」である。

私の子どもの頃はほぼ毎年あんな感じだった。

何しろ映し出される山川が、本当に見慣れた風景なのでなんとなく気恥ずかしくて仕方がない。


さて、昨シーズンテニス界で久しぶりに日本選手が活躍した。

ご承知のとおり「錦織圭」選手である。

今シーズンも、緒戦でベスト8に進出した。

本当に待ちわびていた日本で世界に通用する男子テニス選手が現れた!・・・と喜びたいのだが、少し気になる。

彼より以前で日本人男子テニスプレーヤーといえば「松岡修造」である。(オリンピックの時に日の丸の鉢巻締めて騒いでいる人ってイメージの方が今やとおりがいい)

私は彼が高校生の時から知っている。

あれだけの体格とセンスを持ってしても、世界ランキングの30位以内に入れなかった。

その主たる原因は・・・「怪我」である。

世界で活躍する「トップ選手」には、条件がある。

「体力」「センス」「運」そして「丈夫な身体」である。

思い浮かべてもらうと分かるのだが「イチロー」と「松井」は、タイプは違うが世界で活躍するトップ選手であることに間違いはない。

しかし、松井の印象がこの頃薄いような気がしないだろうか。

それは松井が「丈夫な身体」の条件を失ったからだ。

日本にいる時は大きな怪我をしなかった彼だが、例の「左手首の骨折」以降「運」まで失ったような気がする。

対するイチローは小さな怪我はあるのだろうけれど、ほとんど怪我による長い休みを取っていない。

同じようなことがフィギュア・スケート女子の「浅田真央」と「安藤美姫」にもいえる。

最新の記事によると

「ハイネケン・オープンは12日、ニュージーランドのオークランドでシングルス1回戦が行われ、世界ランキング61位の錦織圭(ソニー)は同52位のファンカルロス・フェレーロ(スペイン)に第1セット、3-5とリードされたところで右前腕部の痛みで棄権した。」

とのこと。前のベスト4進出を懸けた試合もこの「右前腕部の痛み」で棄権している。

結局、錦織も師匠である松岡(錦織は松岡の主宰するテニス教室の出身)と同じように「怪我」に泣くことになるのか心配である。


話は変わって「高校サッカー」

今日決勝戦だった。

私もテレビ観戦したが、ずいぶん日本のサッカーレベルも上がったなぁ・・・と感じるのはJリーグを見るよりもこうした高校サッカーあたりを見ると良く分かる。

今年の高校サッカーは特に「得点力」があるチームが多かった。

その中でも大会最多得点記録を更新した「鹿児島城西の大迫勇」が注目の的だった。

それまでの大会最多得点記録は「9」最近では「FC東京の平山」が記録している。

平山が活躍した時のことも鮮明に覚えている。

「この選手は、必ず日本サッカーの救世主になる!」と思ったものだ。

しかし、彼の成績はご存知のとおり大したものではない。

大迫にも錦織同様に大きな期待を懸けているが、やはりこればかりは最低でも鹿島での(大迫は鹿島アントラーズへの入団が決まっている)活躍を見ないとなんともいえないなぁ・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながこれからの「二人の活躍」を見逃しませんように。
                          
                          may

センスがあっても体力がない。その逆の場合もあるし、センスも体力もあるのに運のないこともある。そしてその全部を持っているのに「身体が脆い」・・・。世の中は本当に上手くいかないものである。

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大河ドラマ「天地人」始まる   ~先行き不安・・・~

2009年01月05日 | テレビ
私は中年である。

何やかやと気ぜわしい正月も5日を過ぎた・・・。

ブログを更新しようしようと思いながら今日に至った。

まあ、それほど楽しみにしている人も多くは無いだろうから許されるだろう。
ブログにUpしたいことは山ほどあるのだが、雑務が押し寄せてきている。

なんとかその合間を縫って、Upしていこうとおもう。


ついに

          大河ドラマ「天地人」

                       の放送が始まった。

とにかく、初回なので「顔見世」の様相が濃かった。

昔の大河ドラマなら、主人公の少年時代を延々と3~4回までやってお目当ての役者が出てこないなんて事も良くあったのだが、最近は視聴率を気にしてか、とにかく「盛り上げ」に余念が無い。

それでも、初回はなんと言っても5歳の与六がなにしろ可愛くて演技がうまい。
って言うか、こうしたドラマで子役に出られたら「おしまい」って感じではあるけど。

ニュースによると昨年の「篤姫」の初回放送視聴率より4%とほど良かったらしい。

しかし、ここが落とし穴になるような気がする・・・。

とにかく、今回の大河ドラマのキャストには「無理」がある。

派手な若手を中心に据え過ぎている。

昨年の「篤姫」には、ずいぶん文句ばかりを言ってきたが、こうして終わってみるとそのキャスティングのうまさが際立っている。

特に西郷隆盛・大久保利通あたりのキャステングは、篤姫である宮崎を「引き立てる」べき「小物」でなければならない。

そうした意味での小澤ナントカとか原田泰造は、ちょうど良いのである。


今回の妻夫木聡は、その役者としての存在感は残念ながら思ったほど大きくない。

その「爽やかさ」では今の若手No1であることは間違いないが、50回の長丁場を「演技」で見せ続けるのはちょっと苦しい。(私だけがそう思うのだろうか?)

そうした時に周りの若手俳優が妻夫木を「喰ってしまう」のが一番怖い・・・。


周りの役どころにもう少し「バイ・プレーヤー」をうまく配置しなけりゃ、まずいんじゃないかなぁ・・・。

第2回以降が尻すぼみの視聴率にならないことを祈ることにしよう。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながこれからの「天地人」を見逃しませんように。
                          
                          may


なにしろ、初回の舞台となった土地はほとんど私が小さい頃から知っている場所なので、なんだか面映い。雲洞庵なんて小さい頃は完全に「遊び場」だったしなぁ・・・。



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