完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

いよいよ「シンクロ」してきました。     ~池波正太郎「銀座日記(全)」再読~

2022年04月23日 | 

 

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

パソコンを変えた。

 

 

 

 

Windows11である。

 

 

 

 

 

快適である。

 

 

 

 

 

そこで、興に乗ってブログを二日続けてUpしようと思う。

 

 

 

 

さて、タイトル通り。

 

 

 

 

 

              「銀座日記(全)」池波正太郎著

 

 

 

 

 

                                  である。

 

 

 

 

この本のことは何度かUpしたはずだ。

 

 

 

 

 

多分このブログを始める前から読んでいたのであろう。

 

 

 

 

だいたい、普通一度読んだ本を「再読」することは珍しいのではないだろうか?

 

 

 

 

大体「本」というのは「そのとき読まなければならない本」と「それ以外の本」の分かれるものだ。

 

 

 

 

 

純文学と呼ばれる本は、どちらかといえば後者である。

 

 

 

 

言い換えれば後年まで残っていく本である。(まあ、そうでもない本もたくさんあるけど)

 

 

 

 

ゆえに、又吉直樹の「火花」などはいまだに読んでいない。(いつ読むのだろう?)

 

 

 

 

そうした中で純文学ではないが、時代小説の書き手だった池波正太郎の「小説」は、おそらく日本人が消滅するまで読まれることだろう。

 

 

 

 

 

しかし、私は池波氏の本はどちらかといえば「エッセイ」の方により魅力を感じる。

 

 

 

 

 

この「銀座日記(全)」は、銀座百点という地域ミニコミ誌に連載されたもので氏の晩年まで連載された。

 

 

 

 

 

この本から、私は本当にたくさんのことを「学ばせて」もらった。

 

 

 

 

 

読んだその年齢年齢で、感じ方が変わっていった。

 

 

 

 

 

 

そして、ついに・・・・。

 

 

 

 

 

ほぼ、池波氏がこの本を書いた歳に、私自身が近づいてきたのだ。

 

 

 

 

 

後半部分で、一年中「酒気が抜けない」池波氏が「酒が飲めなくなった」と言い出す。

 

 

 

 

 

 

若いときには「そんな馬鹿な」と、まったく意味が分からなかった。

 

 

 

 

 

しかし、61歳を迎えた私も「酒が飲めなくなった」のである。

 

 

 

 

もちろん、飲もうと思うと飲めるのだが、そのあとの体調が「すこぶる悪く」なる。

 

 

 

 

 

こうなると「身体」より「心」が酒をセーブさせるようになる。

 

 

 

 

 

「銀座日記の池波氏」と「現在の私」がシンクロしてきたのだ。

 

 

 

 

 

 

本の後半は、徐々に体調を崩してく池波氏がとても痛ましい。

 

 

 

 

 

氏は平成2年5月に67歳で逝去する。

 

 

 

 

もう30年以上が経っている。

 

 

 

 

 

私が幾つまで生きることができるかはわからないが・・・。

 

 

 

 

 

 

池波氏が生前モットーとしていたように「いつ死んでも後悔のない人生」を送りたいものだと、読むたびに思いを強くする。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、一生再読できる本を見つけますように。

 

 

 

 

 

               May

 

 

 

 

 

 

同列に「日曜日の万年筆」「散歩のとき何か食べたくなって」を挙げておく。この2冊はもっと若いときの池波氏の感覚があふれている。

 

 

 

 

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下世話な性格ですいません。       ~「師匠、ご乱心!」読み終わりました~

2022年01月29日 | 






私は中老男である。







本を年間何冊読めているか?






たぶん今は・・・・・。





 

30冊くらいかなぁ?

 

 

 

 

今年は呼んだ本のことはしっかりUpしようと







思っている。







以前に神田伯山のラジオ番組を聞いていたら、








昨年亡くなった「三遊亭円丈」の書いた本のことを話していた。









それは私がずっと気になっていた「ある出来事」に関する本だった。








タイトルは

 

 

 

 

 

          「師匠、ご乱心!」(小学館文庫)

 

 

 

 

 

これは読まねばなるまい、と思い立った。




 

 

さっそく本屋に行ったが・・・。









見当たらない。









若者ならだいたい書店に行かずスマホを開くだろうが

 

 

 

 

 

 

中老男はそうはならないんですな。






 

 

かなり大きな書店に行ったのが・・・・ない。








「やはりネットでなければダメか・・・」と思っていたところ。








 

なんと地元の小さな書店にその本があったのだ!

 

 

 

 

 

神田伯山のラジオ番組はかなり「エグイ」







 

すでにご存じの方々多いであろうが



 

 

 

本音をズバズバと言い放ち、豪快に笑ってはいるが・・・・。





 

 

 

「シャレにならない」部分が多いのである。

 

 

 

 

 

 

その伯山が「おもしろい!」と絶賛していた本である。

 

 

 

 

 

その内容は・・・。

 

 

 

 

 

★★★★★★★★ネタバレアリです。注意してね~~★★★★★★



 

 

 

 

前提として「落語に興味があること」そして

 

 

 

 

 

 

「三遊亭圓生」「三遊亭圓楽(先代)」「柳家小さん」「三遊亭志ん朝」「立川談志」などの落語家を知っていないと、この本は楽しめないだろう。

 

 

 

 

 

彼らの落語を聞き、人となりに触れていないと「歴史の教科書」を読んでいるみたいになってしまう。

 

 

 

 

円丈の本には、なにより「巻き込まれてしまった感」が前面に出ている。

 

 

 

 

 

どんな職業の人間も、生きることにおいて「政治的なこと」(個人としての他人との付き合い方という意味)から逃れることができない。

 

 

 

 

 

 

特に落語界という「小さく・変わった組織」の中においては、我々普通の人間の世界より「政治的なこと」は重大な意味を持っている。

 

 

 

 

 

それも自分が主導で起こしたことならいざ知らず「師匠に迫られて」行動せねばならなかった円丈氏の「憤り」が前面に出ている本だ。

 

 

 

 

結論的に言えば円丈氏曰く

 

 

 

 

           「結局落語家は、個人事業主」

 

 

 

 

 

ってのが正解だと思う。

 

 

 

 

 

こうした「落語以外のこと」が落語家の「芸」に少なからず与えた影響があったはずだ。

 

 

 

 

それはもちろん良いことばかりでは無く、こうしたことが無かったなら落語家の勢力地図もずいぶん違っていたのではないだろうか・・・。

 

 

 

 

 

すべては「たら・れば」の話。

 

 

 

 

 

・・・私下世話な人間ですので、こうした「裏話」大好きなんです。

 

 

 

 

ただ、この本に書いてあることは「三遊亭円丈から見たモノ」であることを、それ以上のものと受け取ってはいけない。

 

 

 

 

人間「思い込む」ことは、いい方向に向かないからね。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、ことには「表だけ」でなく「裏」が大きく影響していることを思い知りますように。

 

 

 

 

 

               May







「か・か・か・か・掛布さん。蚊に効くモノは何でしょう?」とか「カ・コ・カ・ケ・ケ・コ・カ・ケ・掛布さん。蚊に効くモノは何でしょう?」って分かる人・・・少ないでしょうね。

 

 

 

 

 

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ふとした「きっかけ」で・・・・。       ~古いマンガ「バリバリ伝説」読み返す~

2021年06月20日 | 



私は中老男である。






さて、イロイロな状況の中。







私は「本屋さん」に行くのを楽しみにしている。










「ペーパーレスの時代」が来るのは間違いないだろうけれど。








アナログな「本」というモノの価値は、多分これから先もそれほどには変わらないと思うのだ。










ショッピングモールの中にある中規模の書店をゆっくり歩きまわるのが「至福の時」である。










書店というのは、実はその本の品ぞろえに「オーナーのセンス」が露骨に表れるものなのだ。











本好きな人間にとっては、そのセンスに一喜一憂する。









先日なんの本を買うともなく店内を歩いていると・・・・。









意外なものを見つけた。









それはDVD「89’鈴鹿決戦(FIM世界ロードレース日本グランプリ500cc日本グランプリ)」である。









89年と言えば。









私は28歳。










日本において「平忠彦」が活躍していた時代。









そして「平忠彦」といえば。









映画「汚れた英雄」(草刈正雄主演)のレース部分のスタントを担当したライダーだ。










当時、F1レーズがテレビ中継されだして日本におけるモータースポーツが全盛を迎えつつあった。









ヒネクレ者の私は、F1を横目で見ながらバイクのロードレースに夢中だった。









たぶんであるが。








男の本能的な部分で「マシン」に惹かれない者はいないのではないだろうか。








もちろん、その「熱さ」の違いはあるだろうけれど。









そして、その惹かれる部分が「ドライバー」と「メカニック」に分かれていく。








大抵は「ドライバー」を目指すのだが・・・。







ケニー・ロバーツ エディ・ローソン  フレディ・スペンサー ワイン・ガードナー ロン・ハスラム ケビン・シュワンツ マイケル・デューハン ケビン・マギー クリスチャン・サロン ニール・マッケンジー ランディ・マモラ etc






なんとも個性的なヒーローばかりの当時の500ccクラスは、本当におもしろかった。








そうしたことを考えていると。








屋根裏部屋に積んであるマンガ本のことを思い出した。









              「バリバリ伝説」しげの秀一著






                                である。








しばらく覗いていなかった部屋のドアを開けると。









あった、あった。バリバリ伝説!








なつかし~~~~。







舞台は1983年~91年。







第3部のWGPレース編では前出のGPライダーたちが主人公巨摩郡(こま・ぐん)と共に紙面をにぎやかしている。








思えば、私がマンガを読んでいた最後の時期だった。









今の漫画をほとんど読まない私でも、多分現代の漫画のストーリーがとても複雑になっているのは想像できる。







バリバリ伝説は、ストーリーはそれほどむずかしいものでは無い。







しかし、なんともマシンドライブのディティールが、それまでにはなかった「迫力」を持っていたし、逆に同時に進行する郡と歩惟のラブストーリーは単純であるがゆえにほほえましい。







漫画のラストの「巨摩 郡」のWGP500cc年間チャンピオン獲得というのは、違う競技だが、現在活躍している「大谷翔平」「松山英樹」「井上尚弥」の出現を予感させるような興奮を私に与えてくれた。






あれから長い長い時が過ぎた。文庫本化したバリバリ伝説をよみおわって、今はまるで「浦島太郎」のような気分である。








今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも煙に巻かれて一気に歳を取りませんように。









                May








89’鈴鹿決戦(FIM世界ロードレース日本グランプリ500cc日本グランプリ)のDVDを見た後、今BSのモトGPドイツを見ながらこのUpをしている。尚更浦島気分が増しちゃうねぇ・・・。






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やっぱり好きなんだけど・・・。     ~おすすめ「ゴルゴ13」とその終焉~

2021年01月27日 | 






私は中老男である。








何気なくコンビニに寄ったら・・・。








例のモノが目に付いた。









コンビニコミック化された「ゴルゴ13」である。










2年ほど前まで1年に4冊出るこの「別冊ゴルゴ13」を欠かさず買って読んでいた。









しかし、今はやめてしまった。理由は後述。









今回手に取ったゴルゴは既刊の中からのBEST版。









キャッチコピーが「ゴルゴ・ビギナーはこれを読め!」である。










この本のチェイスは見事である。









キャッチコピーは伊達では無い。










5本のエピソードが掲載されていて、皆「傑作」である。









中でも「2万5千年の荒野」「すべて人民のもの」の2本は、まさにゴルゴの面白さを堪能させてくれる。








「2万5千年の荒野」は・・・・。「東日本大震災」を経験した我々日本人には、身につまされる内容だ。










そして「すべて人民のもの」は、人気のゴルゴの出生の秘密モノ。









その出生の秘密モノの中でも、私の中ではBESTだろう。










「ショートKILLのNo1」vs「ロングKILLのNo1」の対決。いや、そんなことより、この二人は・・・・。









コミックス50~100巻までの中では、まさに傑作。











もう二度とゴルゴは買うまい。と誓ったのだが、こんな傑作揃いを手に取ってしまうとやはり買ってしまう。









すべて探せば家のどこかにあるというのに。









こうして、過去のゴルゴ作品を読んでいると・・・・。










ついには「私の中における『ゴルゴの終焉』」を感じてしまう。











私が1年4冊の別冊コミックスを買わなくなった理由は。




        




            「ゴルゴの存在の現実性」が「本当に疑わしく」なったから









                                     と結論付けよう。










「もともと、ゴルゴは架空(劇画)じゃないか。」と笑われそうだが、そこにさえ微妙な「機微」があった。










ゴルゴの存在は「一切不明」が建て前であり、ほとんど何も分からないことが前提である。










そして、現在のような「リアル」なのか「エセ」なのか分からないが「情報が飛び交う社会」になってしまうと、いよいよ「嘘臭く」なってしまう。










もちろん、そのものに疑問を持たない限り「おもしろく」「楽しめる」のは、多分以前と変わらない。










ギリギリ、2年前までが私にとっての「ゴルゴの存在」が「噓くさくない」レベルだった。










私にとっては、スマホを持って話しているゴルゴには「違和感」しかない。










彼がパソコンを叩くのも。











彼の叩くパソコンで、彼がエゴサーチすれば、いくら架空の世界でも「その存在を示すもの」が次々に現れるだろうに。それを阻止することはいくら劇画上でも無理がある。









そう考えた時に、ゴルゴの存在感に対する私の中の「機微が消滅」した。










その存在自体が「噓くさい」と、著者自身が言い「破天荒さを消すため」に努力してきた「リアリズム」に意味が無くなってきたというべきだろう。









くりかえすが「私の中の『ゴルゴの存在』が」である。










決して「ストーリーがおもしろくない」とか「劇画としての魅力がない」と言っているのではない。









私の中の問題なのだ。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも自分の中の「機微」の変化に忠実でありますように。










              May






「ゴルゴ13」の面白さは「永遠」です。私の中における「何か」が変化しただけ・・・・。



蛇足   ゴルゴに関しての以前には以下のようにUpしてます。良かったら一読を。


「偉大なるモノ」の終焉 ~2つの漫画のこと~   18年6月24日


仕方のないことだろう・・・・。   16年3月20日


「ゴルゴ13」別冊ビックコミックNO.151   06年3月13日



・・・・もう1つあった気がするのだけれど・・・探してみてください。





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こういうことだったのか・・・。     ~初老男の好奇心を満たすもの~

2019年05月12日 | 



私は初老男である。





この頃特に思うのだが・・・。





60代目の前まで生きてくると







           「なるほど、こういうことだったんだ・・・」






と思うことが多い。







物事の「裏側」を描いた「今だから言える」などの本などを、この頃好んで読んでいる。










その中の1冊








          「1964年のジャイアント馬場」







                       の感想をUpしようと思う。











今の若い人たちには、絶対に分からないほど「プロレスリング」というモノは、我々初老男にとって特別なものだ。







今のプロレスではない。






私が小学生~中学生になるころのそれである。








ただ、私の世代にとっては「日本プロレスの父」的存在の「力道山」はリアルタイムではない。







私が見たのは「ジャイアント馬場(日本プロレス)」と「サンダー杉山・ストロング小林(国際プロレス)」である。







しかも、どちらかといえば国際プロレスが中心である。







笑われると思うのだが、プロレスにおける「格闘技性」をかなり本気で信じていたし我々よりも年上のおじさんたちは、さらに濃厚にその意識を持ってそのことを「討論したり」していたっけ・・・。






アントニオ猪木による「異種格闘技戦」や「タイガーマスクの登場」などをピークとして興奮をもって観戦していた。






全日本プロレス・新日本プロレス・国際プロレスの3団体から、国際プロレスが解散し長州力の反乱等々がありプロレス団体の多様化が進む中で、私は徐々に興味を失っていった。






そこから現在までに「総合格闘技」や「K-1」等々の細分化がなされる中で、私にとってプロレスはほとんど意味を持つものでは無くなっている。







そうした中で見つけたのがこの本である。






もしかすると、平成生まれの人たちには「ジャイアント馬場って誰?」って話かもしれない。







ただ「郷愁」というだけでなく、私たちの世代にとってジャイアント馬場という人は「長嶋茂雄」に匹敵するヒーローであり、それ以後のプロレス界から現在の多様化された格闘技界への変革のポイントになる人であるろう。







この本は、そうした意味において「とても、とても興味深い」内容であった。









私は彼の全盛期を知っているのだが、それでも「それほど凄かったの?」と思わされた。








今更ながら当時の「アメリカのプロレス事情と日本のプロレス事情の差」に驚き、レスラー自身の実力・報酬は、実は本人の「政治力」や「アイデンティティ」によっているということを痛感させられた。








40年近くの時が経って「ああ、そうだったのか・・・!」と腑に落ちることが、多々あった。








長く生きてきて、こうした「裏側」が分かってくることにとても「快感を覚える」今日この頃である。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「腑に落ちる」ことの快感を忘れませんように。








              May






この「腑に落ちる」感覚の本やテレビ番組を、これから幾つか続けてUpしようと思ってます。










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ちょっと、何考えているかわからない。      ~映画「燃えよ剣」撮影始まる?~

2019年02月16日 | 


私は初老男である。







私は司馬遼太郎のファンである。







説明不要の日本を代表する時代小説家である・・・・。








私は年に最低1作品は彼の本を読むことにしている。







まあ、大抵は同じ本になる。







           「花神」





                  である。






この本のことは、何度かUpしているので細かいことは割愛するが・・・・。








私の感覚では司馬遼太郎の歴史を見る眼を極限まで鋭く、余計なものをそぎ落として描いたのが「花神」であろう。







そして、その「花神」の次に読むのが







               「燃えよ剣」




          

                         である。








「花神」2:「燃えよ剣」1くらいの割合であろうか・・・。









こちらは「花神」とは正反対。







今も昔も人気者の「土方歳三」を主人公にドラマチックに展開する。






その「燃えよ剣」が映画化されるという。






主演は岡田准一。






監督は『関ヶ原』(2017)で岡田とタッグを組んだ原田眞人。








この小説を読みこんだ初老男とすると・・・・。








「ちょっと、何考えているか分からない」って感じ。








映画「関ヶ原」は、私から見ると。









残念ながら「駄作」と評させてもらうしかない。









どこかでUpしていると思うが、司馬が小説で表したかった内容がほとんど伝えられていない。




非常に大切な存在である有村架純演じる「初芽」を、あろうことか「忍びの者」にしちゃってますもの。





映画という媒体において「原作」というモノをどう扱うかは、とてもむずかしいのは良くわかる。






監督が原作の「何を伝えるか」も、当然監督本人の裁量だ。







そうした意味において「関ヶ原」の見せ場は「合戦シーン」だったと思う。






つまりは小説という媒体における表現の出来ない部分。






だからスペクタクル的なエンターテインメントとしてみるなら、それほどひどい評価をするべきではないのだろう。







とすると、これから撮影される「燃えよ剣」において「関ヶ原」と同じ手法で「殺陣シーン」を全面に押し出して撮影するのではないかと杞憂している。






なぜそう思うかというと。








アクション得意の岡田を主人公としたことと。







「沖田総司」を山田涼介(Hey! Say! JUMP)にしたことだ。







彼自身がどんな演技をするかは、もちろん未知数だが・・・。






映画を作るにおいては、全部が監督が思った通りに進むことなどありえないだろうけれど。







興行収入やスポンサーのことを考えずに映画を撮ることなどできるわけがないから、大変だとは思うけれど。







ただ、原作においての司馬の表現したかったことを撮るならば、すくなくとも沖田総司のキャスティングには山田を選ぶことは無いと思う。





すべては司馬ファンの初老男のイメージでの話。






どうぞ、一笑に付してお許しいただきたい。






今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、これから撮られる映画に期待しますように。







             May





「関ヶ原」もそうだが司馬の小説は2時間程度の映画にするには、無理なものが多いのだけど・・・。是非「いい映画」になることを期待してます。





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歳を取る度に・・・。    ~大橋巨泉「ゲバゲバ人生 ~わが黄金の瞬間~」読み終わりました。

2018年10月20日 | 


私は初老男である。





「初老男」を名乗ってどれくらいになるのか・・・・。






あんまり自覚は無いのである。






しかし、歳を取る度に「衰え」だけは、はっきり自覚できる。







男は「ハ・メ・マラ」の順で衰えが来るという。







歯・眼の衰えのことは、奇しくも数回前にブログUpしたばかりだ。








だからこそなお、今回読んだ本が身に染みた。








        大橋巨泉著「ゲバゲバ人生  ~わが黄金の瞬間~」






                                 である。








大橋巨泉氏が亡くなって2年。












この人は、私のオヤジとほぼ同じ歳である。











そのことを考えると、この人がいかに「ケタ外れの感覚」の持ち主だったことにア然とする。








今でこそ様々な意識・様々な恰好の人間が跋扈しているが、昭和ヒトケタの人間がこの感覚を持って生きることがどれほど大変だったか・・・・。











「リタイアする」ということは、どういうことなのか?










すくなくとも今の若者であっても「ドロップアウト」と勘違いしているだろう。










今現在の日本人の中で「リタイア」を理解し、実行できる人間はほとんどいない。










今話題のzozoの前沢社長なんて巨泉氏の考える「リタイア」でいえば、もう社長とは呼ばれていてはいけないはずだ。









この頃おもう。









自分自身は、本当に情けない存在だと。







ちっぽけなことにクヨクヨして不安になり、いつもなにか心配している。







だが、周りを見回すと逆に「全く何も考えいない人間」がなんて多いことか・・・。








頭を使わず「本能的な欲求」だけで生きている輩が跋扈している。








そうした人間たちが数多くいる中で大橋巨泉という人は、「自分の信念・アイデンティティ」を貫いた人だ。











様々な時代の紆余曲折の中で、自分の感覚を信じ自分自身で人生を切り開いてきた。









その行きついた先が「リタイア」である。








私にはもう「リタイア」に必要なものを手に入れることができないことだけは確かだ。









だが、自分の信念に従って生きることができないのなら「人生に意味がない」ってことは、この本から読み取れた。









今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、何も考えない人生を送りませんように。








           May






このタイプの司会者は、もう絶滅したのだろうなぁ。わずかにタモリにその匂いがするけれど・・・。


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そうか、そういうことか。    ~「池波正太郎の銀座日記(全)」読み終わりました。~

2018年09月11日 | 




私は初老男である。






雨が続く。






猛暑だったのが、ウソのような涼しさ。







周りの他の稲が黄色く色づいていく・・・。








秋の始まりはやはり「さみしい」・・・・・・・・。








久しぶりに再読した本がある。









       池波正太郎の銀座日記(全)







                        である。










この本を初めて読んだのは何時だっただろう?











文庫本になったこの本は「3代目」である。









初代・2代目はボロボロになってしまったので、その都度買い替えた。











趣味が悪い。と言われそうだが・・・・。









みなさんは「人の日記が読んでみたい」と思ったことはないっだろうか?










ブログを検索する時も、日記風の物を好んで選んでいる。










そうした欲求の始まりは、この本を読んでからかもしれない。











池波正太郎のことは、度々Upしているので詳しくは記さないが・・・・。









言わずと知れた「鬼平犯科帳」「仕掛け人梅安」「剣客商売」の三部作を代表にする時代小説家である。








すでに亡くなって28年が過ぎた。








ここ数年、この本を読み返さなかったことには理由がある。










・・・・そう。この本を読むと。








            「身につまされる思い」







                        になってしまうからだ。









若い時には全く感じなかった池波の衰えに私自身が「怯えて」しまう。










50代に入ったばかりの頃、特に「続・銀座日記」部分を読むのは「苦痛」でしかなかった。









いま、この本を読み終わってみて思う。








50代後半になり、徐々にこの本の中の池波と私が「同期」してきているのだと思う。










★★★★★★ちょっとbreakします★★★★★★★





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「偉大なるモノ」の終焉    ~2つの漫画のこと~

2018年06月24日 | 


私は初老男である。





先日「ドカベン」が46年の連載を終わると報道された。






このマンガの連載が始まったのは、私が11歳の時である。





ストーリーはこの歳になっても「読んだ部分」はしっかり覚えている。






まあ、土井垣と犬飼小次郎がプロ野球パリーグで対決するところ位までと、最終回の決勝戦だけだけど。







数年前にこの最初のドカベンシリーズを全巻揃えようと思ったことがあった。が・・・。





残念ながら断念した。





もちろん、お金にモノを言わせれば揃えられただろうけれど、そこまでの執念が無かった。







作者の水島新司氏は当年79歳。





現役の漫画家としては、最高齢に近い。





これは私の憶測であるが、彼の作画の能力は若い時よりかなり衰えているはずだ。






当年57歳の私でさえ仕事の時に、若い時の様に手が動かなくなっている自覚がある。






数年前の「あぶさん」の終了の時にも、感じたのだが・・・・。






彼はそろそろ「終わる」ことを考えている気がする。






そして、その「あぶさん」を終わらせるにおいて、印象的な言葉を残している。






「なんとか『連載最長マンガ』を目指していたが・・・。『アレ』があるから無理でしょ・・・。」







その「アレ」とは・・・。






多分、読者の方々も分かっているだろう。








              「ゴルゴ13」




                            のことである。







そのゴルゴ13の最新号(特集ゴルゴ13シリーズ・別冊ビックコミック)を、今回買い忘れるところだった。







最近、コンビニに行っていなかったせいもあるが・・・。






実はこの頃ゴルゴに魅力を感じなくなってきている。







今回の3話「欧州再生(EU自動車戦争)」「白団回顧録」「大麻ビジネス」も、充実はしている。







だが「時代」というモノが、さいとう氏のこだわる「リアリティ」を削ぎつつある気がする。






コンピューター・スマホなどが氾濫する現代において、情報を得ることが容易になったということが「ゴルゴ13」という存在自体を「嘘臭く」してしまいつつある。







先日見た本人出演のテレビ番組でも、その昔は手に入らぬ情報を苦労して手に入れ作画することで「リアリティ」が高まり、ゴルゴ13の存在感を際立たせていると言っていた。






しかし、現在は情報が入りやすい分、アナログ的な「味のあるストーリー」が描きにくくなり何を描いても「嘘臭く」なってしまった。・・・・と感じるのは私だけだろうか・・・?






ゴルゴの連載をまとめた「別冊」シリーズも「No.200」を数える。






さいとうたかを氏は、水島新司氏を上回る81歳。





「最終回は考えてある」というが・・・。






実は、それは「もうすぐ描かれる」なのではないかと思ってしまう。






それは、なによりゴルゴの存在理由が薄れてきていることを、さいとう氏自身が一番理解してきていると思えるからだ。







私がこの200号を買い忘れそうになったのも、そこにある気がしてきている。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、偉大なるモノの終焉を見極めますように。





                 May





いよいよマンガの「第一世代」が終わろうとしているんだなぁ・・・。






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おかしいと思ったんだ・・・。    ~百田尚樹「雑談力」読み終わりました。~

2018年02月26日 | 


私は初老男である。





平昌オリンピックロスになっている皆さん。





もうすぐ「東京オリンピック」ですよ!






って、一番ロスしているのは、私かもしれない・・・・。










ということで、まったく別の話。







  
          百田尚樹著 「雑談力」







                        読み終わりました。 








百田尚樹という人には、なんとなくだが興味を覚えている。









小説はいくつか読んでみたが、視点は良いし読みやすいがページ数のわりに重厚さが無い。









様々な問題発言にも、眉をひそめざるを得ないがカタルシスを感じてもいる。








この本は何とは無く雑談を上手にする方法を、自分が話すのを例題として並べているだけの本・・・・・・だと思っていた。










しかし、最後の最後に本当に言いたいことが書いてあった。











これが言いたいがために、この本を上梓したのであろう。









その言いたいことというのは。











       「南京大虐殺」と「従軍慰安婦」







                   のことである。








この問題は、私のライフワーク「なぜ日本は勝ち目のないアメリカに闘いをいどんだか?」の答えに付属している部分と言える。







この最後の2件の問題については、戦後の日本の通ってきた「政治・教育・思想」のすべてが絡んでいるので、簡単には答えを出しにくい。








しかし、著者のいうことはかなり「正しい主張」と私には思える。








今まで自分の深層心理的に植え付けられていた「価値観」が、正しいという保証はどこにもないのである。








日本人が現在のような「自虐的歴史感」を持ったのはいつからなのか、ということを考えるとやはり著者のいうことには信憑性がかなりあると思えるのだ・・・。











ただ、やはりちょっと発言があまりに「やりすぎ」になっていて、彼の主張を逆に伝わりにくくなってしまっている。










まあ、それもこれだけの著述家であるならば「計算ずく」で言っているのではないかとも思う。











毒を吐き続けることで「二つの問題の本質」を国民に提起し続けようとしているようにも取れる。









「軽い素材の本」と思わせて、爆弾を仕掛けられた本であった。










今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、物事の本質が上手に上手に丸め込まれて分かりにくくされていることに気が付きますように。











                May








この人ほど「オプチミスト」になれたら良いとあこがれる。しかし、それはそれで大変そうだなぁ・・・・。

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