完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「人に教えること」のむずかしさ   ~お囃子笛を指導した~

2011年05月23日 | Weblog
私は中年を卒業した高年である。

前文が変わった。

「卒業しつつある」の文言を「卒業した」に変更した。

完全に高年になったと自覚してしまった・・・。

これからのUpのことも自覚を促した一因であるのだが、もうあがいても無駄だと完全に理解してしまった。

私は高年なのだ。

人は必ず老いてくるということは「当然」のことであるのだ。

多くを語るほどのことではない。


さて、我が地域には不思議なお祭りがある。

「卯の年祭り」「御神廻」などと呼ばれて12年に一度行われる。

昔「卯の年(干支のうさぎ年)」に、飢饉や災害が多かったという。

それを鎮めるために神社の神を担ぎ出し各村々の「御仮屋」と称される家を廻り、御付の天狗・おかめ・山太夫たちを家に上げ酒肴でもてなし、舞いや謡で余興を披露するというものだ。

その神様が廻るについては、露払いに神楽(獅子頭を持った若衆)が走り、御付の面々が続き、その後を屋台(笛太鼓のお囃子)が続く。

私がそのお囃子の笛を半年に渡って教えた。

つくずく人にモノを教えるということはむずかしい。


口幅ったいようだが、単に笛を吹くという「技術」を教えることはそれほどむずかしくない。

教える相手に「その気」さえあれば、技術というのは砂にしみこむ水のように相手に伝わっていく。

その手助けをするのが本当の師匠の役目だ。


これは自分自身の問題なのだろう。私は笛の技術以上に「祭を楽しむ」ことを教えたかったのだけれど、逆にそれを教えることは技術を教えることの何倍も大変なのだ。

「祭」というのは「非日常」である。


人間の日常はストレスの連続である。

続く






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする