完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「ウクライナ侵攻」と「真珠湾攻撃」     ~その類似点と相違点~

2022年03月17日 | ライフワーク

 

 

 

 

私は中老男である。







ネットニュースのヘッドラインに某モーニングショーのコメンテーターが・・・。

 

 

 

 

ウクライナ大統領の演説で「真珠湾攻撃」の話をしたことについて。

 

 

 

 

「戦後77年たって、僕はときどき太平洋戦争の話を例に出すんですけど、こんな昔の話、世界の現状と関係ないし~真珠湾攻撃を多発テロと同じように並べてしゃべるということは、太平洋戦争は歴史としてまだ生きていることなんだなともう一度改めて認識した」

 

 

 

 

と発言したという。

 

 

 

私には全く逆に見える。

 

 

 

今起きている「ウクライナ侵攻」は、私には「真珠湾攻撃」に見える。

 

 

 

 

時代・状況・その他諸々が違うのはもちろんだが・・・。

 

 

 

 

 

ウクライナ侵攻においてロシアには「ロシアの言い分」がある。

 

 

 

 

 

それは日本が「真珠湾攻撃」を実行したことに「日本なりの言い分」があったのと同じに見えるのだ。

 

 

 

 

 

 

真珠湾攻撃において、日本に突き付けられた「ハル・ノート」の存在や日本への「対原油輸出禁止政策」は、日本側にとって「戦争開始」においての充分な理由としているが・・・。

 

 

 

 

 

その詳細を知らない他の国々からは、今現在の「ウクライナ侵攻」と同じように見えてしまったかもしれない。

 

 

 

 

 

そうした中で、思うのは・・・。

 

 

 

 

 

戦争・侵略は「如何に終わらせるか?」が、一番の問題だということ。

 

 

 

 

 

 

ナチスドイツの戦争は「ドイツが負ける時は、ドイツがこの世から消えること」としていた。

 

 

 

 

すくなくともヒトラーはそう思っていた。

 

 

 

 

それが敗戦国ドイツを悲惨な形にすることになった。

 

 

 

 

日本が日露戦争に「勝てた」のは、明確に「アメリカの仲裁による終戦」の計画をもっていたことである。

 

 

 

 

志那事変で日本が勝てなかったのは「首都南京陥落で勝利した」と思ったのがそうでなく国民党政府が負けを認めず「泥沼化」したためである。

 

 

 

そして、大東亜戦争に日本が勝てなかったのは「真珠湾攻撃」で山本五十六が「1~2年は暴れて見せる」と言った、その1~2年の間に「終戦の形」を見出せなかったからだろう。

 

 

 

今の状況を見れば、このウクライナ侵攻が結局ロシアにとって「負の遺産」しか残さないことは火を見るよりも明らかなのだが・・・。

 

 

 

 

戦端を開いたプーチンは、そうは考えなかったのだろう。

 

 

 

 

さらにどの国の軍隊も、戦闘においては「勝利すること」しか考えない。(当たり前である)

 

 

 

 

 

しかし、政治家(元首)は「敗戦の場合」を想定しておかなければ・・・ナチスドイツと同じ轍を踏むことになる。

 

 

 

 

現在の紛争は、やはり「暴力団同士の抗争」と同じであり、互いが「守るべき仁義」を守らなければ、まさに「仁義なき戦い」となる。

 

 

 

 

口では「民間を攻撃しない」と言っても「勝つため」には「なんでもあり」であり、「勝てば官軍」なのだ。

 

 

 

 

そうして、突き詰めると最後に「核兵器使用」までいってしまう。

 

 

 

 

 

プーチンが本当に「負けるくらいなら『核攻撃』をする!」とならない保証はどこにもないのだ・・・。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「日常」がいかに危ない土台の上に成り立っているかを認識しますように。

 

 

 

 

          May

 

 

 

核兵器が「使用できない兵器」であり続けてくれることを、信じるしかないのだろうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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歴史は繰り返す。      ~ウクライナと終戦時の日本~

2022年03月16日 | ライフワーク

 

 

 

私は中老男である。

 

 

 

人間の「価値観」というモノは、似ているようでも実は「全く」違っている。

 

 

 

特にこうした「極限状態」(紛争状態)であると、その「相違」は自国の防衛・紛争観の「議論の的」となる。

 

 

 

 

既に気が付いている諸兄も多いだろうが・・・・。

 

 

 

 

今のロシアは、大東亜戦争末期(初期から?)の日本と酷似している。

 

 

 

 

言論統制と自国民の反政府行動の摘発。

 

 

 

 

それによって政治権力を維持する。(日本の場合は「軍」がらみ)

 

 

 

 

ただ違っているのは、当時より「情報管理」が格段にむずかしくなっていること。

 

 

 

 

全世界の経済的つながりが、数段「密」になっていること。

 

 

 

 

他国に侵攻することにおいては、まさに「歴史は繰り返す」のである。

 

 

 

 

こんなことはどうでもよい事なのかもしれないが、一応整理しておこう。

 

 

 

 

今起きている「ロシアのウクライナ侵攻」は・・・。

 

 

 

 

「戦争」ではない。

 

 

 

定義づけするなら「事変」である。

 

 

 

戦争というのは「宣戦布告」が行われて、初めて「戦争」であり、それがなされていなければ「事変」ないし「紛争」である。

 

 

 

 

そんなことに意味がないと考える人も多いだろうが・・・。

 

 

 

 

 

「事変」と「戦争」では、当事者としての「ロシア」と「ウクライナ」では無く周辺国と両国の同盟国の行動において大きな問題なのである。

 

 

 

事変の状態での一方国への「武器供与」や「後方支援」は、対峙国から「敵」とみなしてはいけないとされているのだ。

 

 

 

意味的には敵であっても、そのことを理由に攻撃はできないのである。

 

 

 

 

もっとも、こんなことは後付けであり戦闘状態の当事国が「追い詰められれば」何をするか分からない。

 

 

 

さらに某コメンテーター・解説者が「命を失うことが一番悪!早く『無条件降伏』した方が良い」などと発言しているが・・・。

 

 

 

「誇り」や「アイデンティティ」を失った人間(国)は「流民」となる。

 

 

 

 

紛争が終わったから、紛争前に戻れるということなど「まずありえない」だろう。

 

 

 

 

そうした中で、簡単に降伏してしまえば「国としていの体」を成し得ないだろう。

 

 

 

 

どちらにせよ・・・。

 

 

 

 

日本人には「政治体系・宗教・歴史」が全く違う両国のことを、理解するのは本当にむずかしいと思う。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「戦争」のことを真剣に考えますように。

 

 

 

 

 

           May

 

 

 

 

しかし、考えてみると・・・。ロシアの状況は終戦時の日本の状況に「戦況」以外は良く似ている。

 

 

 

日本が大東亜戦争を始めたことに「それなりの理由」があるように、ロシアにはロシアの「言い分」がある。

 

 

 

この事変が、どのように収束するかによって「世界の軍事バランス」と「国際秩序」が大きく変わることだけは間違いない。

 

 

 

 

 

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まずまずの出来ですな・・・。     ~「雲霧仁左衛門5」終了~

2022年03月05日 | テレビ



 

 

私は中老男である。

 

 

 

 

「雲霧仁左衛門」という小説は、私のような中老男にはある種「バイブル」的である。

 

 

 

 

実は私は「司馬遼太郎派」であり「池波正太郎」はあまり好みでない。

 

 

 

 

池波正太郎氏の本はエッセイが中心で「鬼平犯科帳」「剣客商売」「必殺仕掛人」の3大代表作もすべては読んでいない。

 

 

 

 

しかし、この「雲霧仁左衛門」には少々興味があった。

 

 

 

 

 

「鬼平犯科帳」が火付盗賊改を主役にしているのに対し








この小説はその「盗賊」を主役としている。

 

 

 

 

なぜ興味があるかといえば・・・。

 

 

 

 

 

同名の映画のCMを高校生の頃に見ていたからだ。

 

 

 

 

 

主役雲霧仁左衛門を仲代達矢が演じていた。(1978年公開)

 

 

 

 

 

血みどろとなった仁左衛門のUpは迫力があったなぁ。

 

 

 

 

 

 

池波モノを読み始めてから、思い出したように手に取ったのはこの「雲霧仁左衛門」

 

 

 

 

 

上下巻でかなり厚い本は・・・。

 

 

 

 

 

出来としては「普通?(良い出来とは思わないの意)」

 

 

 

 

 

この小説にでてくる「雲切一党」は「凶悪盗賊ではない盗賊」

 

 

 

 

 

「警察の階級機構」と「反社の上下関係」酷似ているという話があるが

 

 

 

 

盗賊「雲切一党」の仁左衛門と手下たちの結びつきは格好の素材といえる。

 

 

 

 

 

 

しかし、この小説の終盤の流れに「滞り」を感じてしまった。

 

 

 

 

 

 

私の読書力がたりなかったのだろうか?

 

 

 

 

悶々としたままテレビ放送された映画「雲霧仁左衛門」を観たのだが。

 

 

 

 

「がっかり」であった。

 

 

 

 

★★★★★★ネタバレありです。注意してね。★★★★★★

 

 

 

 

映画の場合、そうした時代だったと言えばそれまでなのだが、

 

 

 

 

 

とにかく「大物俳優」がこれでもか!と使われていて「4番バッターばかり」の野球チームのようでバランスが悪い。

 

 

 

 

 

さらに小説でも感じた「終盤の滞り」を原作と全く違う「チャンバラシーン」にしてしまっている。

 

 

 

 

 

「それはないだろっ」って思ってしまった。

 

 

 

 

 

閑話休題

 

 

 

 

公共放送のBSで作られたこの「雲霧仁左衛門」はすでにシーズン5になっている。

 

 

 

 

シーズン1は、観ていない。

 

 

 

 

映画でガッカリしたところがどうなっているか確認したいのだが・・・。

 

 

 

 

お金を出すつもりがない。

 

 

 

 

再放送を待とう。

 

 

 

 

 

今回のシーズン5の出来は・・・「良(悪くない)」であった。

 

 

 

 

 

すでに雲霧仁左衛門(中井貴一)は「狂言回し」に近く主人公にして、あまり人格を感じさせない。

 

 

 

 

逆に「盗まれる側」のストーリーが中心になり、それがどれくらい「魅力的」に描かれるかが、見どころになる。

 

 

 

 

今回は「大奥の隠し金」が狙いなのだが、そこにたどり着くまでの「盗む側(雲切手下)」と「盗まれる側(商人・盗賊改・大奥)」の攻めにあいである。

 

 

 

 

特に盗まれる側の筧利夫・ともさかりえ・早乙女太一・榎木孝明などの演技はよかった。

 

 

 

 

特にともさかりえの終盤の演技は「見事」

 

 

 

 

この人はこんなに堂々とした女優だったっけ?

 

 

 

 

ほかにも酒向芳・宇野祥平・秋元才加などが「いい味」出してました。

 

 

 

 

いまやこうした微細なところまでこだわった時代劇は、公共放送でなければ作れないのかなぁ。

 

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、時代劇を楽しみますように。

 

 

 

 

               May

 

 

 

さすがに中井貴一・國村隼あたりの殺陣は堂に入っているねぇ。若い役者の「着付け」等にも公共放送は手を抜いていない。

 

本当のところストーリー的にはおかしなところが「無くは無い」のだが、こうして微細に作り込むことでうまく抑え込んでいる気がするね。

 

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なんだかわからない・・・。     ~戦争を始める「政治家」~

2022年03月01日 | ライフワーク

 

 




私は中老男である。







毛沢東が言った。







「スズメは田んぼの米をついばんで食べてしまう悪い鳥だ。皆で駆逐しよう!」








それを受けた中国国民は、寄って集ってスズメを駆逐した。

 

 

 

 

・・・すると中国全土にスズメが居なくなった。

 

 

 

 

田んぼの米が守られた・・・・のなら良いのであるが。

 

 

 

 

 

スズメが居なくなったことで、

 

 





天敵がいなくなった「虫たち」の大発生が起きる。

 

 

 

 

 

それによって、米を含む穀類が大打撃を受け・・・。

 

 

 

 

大飢饉が起き「餓死者」が多数に・・・。

 

 

 

 

 

独裁的政治体制の国における元首の行動には、

 

 

 

 

 

こうした「危うさ」を含んでいる。

 

 

 

 

 

過去におけるヒトラー・スターリン・毛沢東などという人達には

 

 

 

 

 

共通した性格がある。

 

 

 

 

「権力に執着」「猜疑心が強い」「小心者」

 

 

 

 

こうした人は「側近であろうとも」気を許したりしない。

 

 

 

 

 

そして、自分を脅かす「ナンバー2」の人間を排除する。

 

 

 

 

 

そうして「イエスマン」ばかりを周りを固める。

 

 

 

 

故に「国のため」と言いながら「国民」を蔑ろにする。

 

 

 

 

 

前回も書いたのだが・・・。

 

 

 

 

 

世界の「すべてのこと」が密接に絡み合っている現在。

 

 

 

 

大したことの無い「失言ひとことだけ」で、

 

 

 

 

 

株価や自国通貨が暴落してしまったりする。

 

 

 

 

 

大国であればあるほど、そのことの意味が大きい。

 

 

 

 

 

そんなことは、私のような中老男でも分かることだ。

 

 

 

 

 

そうした意味で。

 

 

 

 

プーチン大統領の「認知症」の噂が出るのもあながち不思議ではない。

 

 

 

 

 

 

今の状態からさらに自国の状況がさらに悪化することと引き換えに、

 

 

 

 

 

いったい「なにが」欲しいというのか?

 

 

 

 

 

また、手に入れられると思っていたのか?

 

 

 

 

「権力に執着」「猜疑心が強い」「小心者」である政治家には、

 

 

 

 

 

もう一つの特徴がある。

 

 

 

 

 

 

「メンツがとても大事」であること。

 

 

 

 

 

ロシアのこの侵攻において「落としどころ」のハードルが、

 

 

 

 

 

 

そのことによって上がってしまっている。

 

 

 

 

 

「引くに引けない」状況になってしまっているのだ。

 

 

 

 

 

いったいどうなるのだろう・・・?

 

 

 

 

 

大東亜戦争における日本は「この形」に当てはまらない。

 

 

 

 

 

 

大日本帝国には「独裁的政治家」は存在しなかった。

 

 

 

 

 

「ファシズムとしての国家体制がとられていない中」で、

 

 

 

 

 

 

あのような戦争が行われた。

 

 

 

 

 

私がライフワークとして掲げたのは、

 

 

 

 

 

「日本が独自な体制」で戦争に突き進んだ、

 

 

 

 

 

珍しい事例だからだ。

 

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、実は「核兵器使用」がすぐそこにあることを思い知りましように。

 

 

 

 

 

 

              May





 

 

プーチンが「ご乱心」で「核のスイッチを押す」ことは・・・。本当にないのだろうか・・・?

 

 

 

 

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