完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

また「沼」にハマりはじめた?      ~スピーカーセレクターを作った(1)~

2020年08月30日 | いま興味のあること


私は初老男である。




この頃つくづく思う。





私の興味の対象がもう少し絞り込まれていれば・・・・。






それなりにモノになった事柄もあったかもしれない。







初老となって、先が見えてきた中ではなおのこと。









ということで、今回の「キッカケ」はある音楽番組でコブクロが言っていたセリフである。







「自分らの音楽を聴いてもらうには、最低『ウッドコーンスピーカー』を使ってもらいたい」






細かいところは違うかもしれないが、大意はそういう発言だった。







実は私はCDを600枚以上持っている。







それらを聴くのはほとんど安物のCDプレーヤーにアクティブスピーカーをつないで聴いていた。








それも数台をつないで。






それらはプロのミュージシャンからすると不足らしい。








まあ、その数台においても、かなりの個体差があることは分かっていた。








どうしても、基準としての音を確認せねばなるまいと思い立つのは人情。








満を持してウッドコーンスピーカー搭載CDプレーヤーを購入。







すると・・・さすがに「良い音」がする!






音の一つ一つが「おそろか」になっていない。






感動した!






だが・・・・。







一番大きなアクティブスピーカーに比べると「迫力」が足りないような気が・・・・。







しかし、困ったことにアクティブスピーカーとパッシブスピーカーは同時には鳴らせない。






(実は鳴らせるのかもしれないけど、やり方を知らない)









そして、ついつい誘惑に負けて・・・・・低音重視のパッシブスピーカーを買ってしまった。






それをつなげると・・・・。







「ああ、なるほど。。。。。。こういうことか。。。。」







クラシックを中心に聴いている私にとっては、この差は大きく感じた。








決して「音が悪い」というのではない。








コンセプトが違っている。ということだろう。まあ、価格も違うのであるが。








こうなると、いちいちスピーカーをつなぎ直すのはとてもやってらない。






両方を一度に鳴らしても観たいし。







ということでスピーカーセレクターを「自分で作る」ことにした。









調べてみると・・・・。大した値段ではないが、それくらいは作れるだろう。






一応自分工業高校卒だし。








・・・・・こうして「沼」にハマっていく。





今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、気になり始めるってことが「沼」への入り口だって分かりますように。








            May





この話はもう少し続きます。







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お疲れ様でした。      ~バドミントン「高橋礼華」現役引退~

2020年08月19日 | スポーツ




私は初老男である。









スポーツにおいて、私のイメージがある。










      「世界選手権(ワールドカップ等)は『実力者』が勝つ」






                                 そして、









         「オリンピックは『神に愛された者』が勝つ」










あくまで私のイメージである。








リオ・オリンピックバドミントン女子ダブルスの金メダリスト「タカマツ」ペアの高橋礼華が現役を引退したという。







「お疲れ様でした」と素直に思う。








タカマツペアは、日本バドミントン界の悲願「オリンピックチャンピオン」を成し遂げたヒロインである。








彼女らも「神に愛された」人たちだ。







間違えて欲しくないのだが、彼女らは間違いなくトッププレーヤーで、チャンピオンになるだけの実力は充分に持っている。








逆に言えば・・・・。







その実力を有り余りながらオリンピックに勝てないプレーヤーがとても多いのである。








つまり、さらに言えば、実力があった上で「幸運」がないとオリンピックでは勝てないということだろう。











しかし、その幸運というモノも永遠に続くものでは無い。











今回、彼女らは「神に愛されなかった」ということ。










しかも、ゲームに勝てなかったという運の無さでは無く・・・・・。








それは悔しかったであろう。












オリンピック競技においての日本代表選出基準は、その競技においてずいぶん違っている。












バドミントンの場合、国際大会の結果をポイントに換算し上位チームが代表に選出される。











昨年末から今年初めまでがその期間だったはずだ。(すいません、確認してません)









タカマツペアは、日本代表候補の3番手。









巻き返してオリンピック代表になる可能性は、それほど低くなかった。








しかし、バドミントンの選考基準である国際大会自体が開催されなくなった。










更に、大会は1年延期になった。










神様は気まぐれ。










いつも同じプレーヤーを愛するとは限らない。










重ねて言う。本当にお疲れ様でした。











今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、神様に愛される時が訪れますように。










              May





松友選手はミックスダブルスに専念するとのこと。それはそれはかなり「茨の道」であろう。頑張ってほしいなぁ。















































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結論ではないけれど。    ~「ライフワーク」の答え(多分80%くらい)~

2020年08月16日 | ライフワーク

私は初老男である






一日遅れになってしまった。







そう「敗戦記念日」







私は8月15日をそう呼ぶことにしている。









勝った国は「戦勝記念日」という風に指定しているであろう。











そして、勝つべき計画と実行をしながら勝てなかったのに「終戦」というのは欺瞞に感じるからだ。










私のライフワーク




          「日本は何故、勝てる見込みのないアメリカに戦争を挑んだか」



                    

                                  の答えを探ること。









その答えが中年から初老になり、中老になろうとしている現在。










形になり始めている。









つまり、この疑問の答えは「複雑怪奇」であり、すべての面から見た場合結局










                「良く分からない」









                             という答えしかでてこない。










そうした中で、私の示せる事柄で答えを文字にすることにしよう。










まずもって。










「平和」の対義語が何であるか?









これの答えを「戦争」だと思っている人には、これから書くことの意味はほとんど理解できないであろう。










「平和」の対義語は「無秩序(混乱)」である。












また「戦争」と「事変」、「戦争」と「紛争」の違いが分からない方も同様である。














実も蓋もない結論であるが結局「歴史にもしもは許されない」というのが今の私の結論である。










日本が戦争に向かっていく中において、多分、政治家・軍人の誰かひとりでも欠けていれば。ちょっとしたアクシデントが起きていれば。ヨーロッパで起きていたことが数日遅れていれば。。。。。。。











今の日本の形は随分違ったものになっていただろう。









こんな陳腐な答えにしかたどり着けないことが情けないのであるが・・・やっぱりこれに尽きる。







そうした意味で今の私は「パールハーバー」は、軍事的には成功だったかもしれないが外交・政治的には成功と言い切れないのではないかと思っている。









アメリカが最終的にはこれを「開戦」の口実にしたからね。









当時の日本国民が世界で起きていることを「知らないで開戦を望んでいた」とも思えない。(アメリカとの開戦をほとんどの国民が狂喜乱舞したという)









まあ、本当の戦争の悲惨さを知っていたとも思えないけど。










だから単純に「政治家が悪い」とも思えないし、利益のために「戦争反対」を書かなかったマスコミを非難することも、答えを知っている者の後出しジャンケンのようで・・・・。










戦争と事変の違いが「宣戦布告」をしているかいないかであるとするなら、事変のおいての片方に援助している国に苦情は言えても攻撃はできない。








支那事変においてのアメリカ・イギリス(のちの連合国)の中国への援助は、日本側から見れば「憎むべき行為」であることは明白だが、彼の国には彼の国なりの事情と理由がある。









さりとて日本が支那事変に向かっていくことが、単純に「侵略」とは定義できるだろうか?










「やった方」と「やられた方」では、認識は全く違うのは当たり前である。








日本が戦争に向かっていったのに連合国側の「挑発」があったのも事実だし、その挑発の前に日本が「中国の挑発」に乗ったのも事実。










太平洋戦争(大東亜戦争)の始まりがそこにあるとするならば、さらにその中国の挑発にのらざるを得なかった日本の国内事情にその種がある。










そうやってたどっていけば・・・・。









明治維新あたりまで、最低でも遡らざるを得ない。









そして、最初に戻る。








その間に現れた主要な政治家(殿様)・軍人(侍)・市井の人達に突然変異的な人が居たら。






あるいは誰か欠けていたなら、違った歴史になったはずである。







現在「戦争状態」の国は、ほとんど無いはずだ。(韓国と北朝鮮は「休戦」だから戦争状態かもしれないが)










しかし「紛争」は絶えない。









戦争は「国vs国」であり、ある意味分かりやすかった。







だが、様々な理由から起きている紛争は「国vs主義(宗教・利益等々)」である。









だから、戦争という定義で守られるべき協定が守れない(先の事変と似ている)簡単に収まらないし落とし所が見つからない。











そして、憎しみと悲しみが拡散していく。








こんな「答え」では腑に落ちないのであるが・・・・。







今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、腑に落ちない答えでもとにかくたどり着きますように。








                May






本当のところ「日本はある時点で、うまく立ち回れば戦争回避の可能性があったんじゃないか」って結論なんだけどね。











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