私は中老男である。
人間というのは、平素の生活の中で自分の状況を自覚しないで生きている。
昨日の朝である。
出勤途中の車の中で急に気が付いた。
「私は人生の3/4を過ぎてしまった」ことに。
仕事における「定年」というモノを目の前にして、様々雑務が迫ってくる中で自分が60才であることを強く意識させられた。
40年来続けてきた日々の仕事が続く中で、区切りが来ることなど当然分かっていたはずなのに。
自分と同じく退職する中に定年でなく40~50代で早期退職する人が数名いて驚いた。
その理由を尋ねると
「今を逃せば、自分のやりたいことができなくなる」
自分が60才となってみると「まさにその通り!」と声を上げてしまう。
やはり、昭和30年代生まれの人間とそれ以後の人たちの感覚の差だろうか。
自分の50才の時には「仕事の絶頂期」だったし「その時の家計状況」から「辞める」という選択肢は頭の片隅にも無かった。
もちろん「好きなことがしたい!」という意識は強くあった。
それが「仕事をやめる」というところには結びつかない。そういう世代なのか、私自身の問題なのか・・・・。
自分の父親が88才でカクシャクとしているが、それは「好きなことができている」ことではない。
私には彼は「死ねないから生きている」ように見える。(本人にその自覚があるかどうかは分からないが)
私は彼ほどに長生きできるとも、したいとも思わない。
もし生きれても80才と言えば長生きのしすぎだろう。
そうだとしても。
あと20年である。
さりとて、体力・気力の無くなる前に「存分に好きなこと」をやろうと思い切れるかというと。
やっぱり、思い切れない。
忸怩たる思いが胸の中に残る。
ただ、だから今の人生が「むなしいか」と問われれば絶対に「そうではない」と答える。
どこかで聞いた話。
「人生において『すべて』を求めてはならない、この人生では『ここまで』にしておこう」
たぶん・・・・・・そういうことなのだろう。
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「すべて」を欲しがりませんように。
May
でも、やっぱり「死ぬまで現役」ってのが理想でもあったりして。。。。。