完全無欠の「初老男」日記

ついに「完全な初老男」に昇格、引き続きよろしくお願いします。

「現実」と「空想」のあいだ      ~「JR北海道」と「半沢直樹」~

2013年09月24日 | 時事ネタ
私は初老男である。


3連休で、すっかりダレてしまった。

前のUpでも触れたように、初日にケチがついて気分が盛り下がったまま二日目の昨日は・・・「現実逃避」


そして、最終日の今日は思いっきりだらけたままだ。


まあ、こんなもんだろう。




さて「JR函館線大沼駅付近で貨物列車が脱線した事故」のその後の対応がニュースとなっている。


「レール異常放置97カ所」だという。


普通の感覚で言えば、こんなことが起きていることは「信じられない」


JR北海道は「中国企業」か?


と思った。



しかし、50代の初老男は実は知っている。


組織と言うのはホンの少しのことでこうしたズブズブになっていしまうのは、それほど珍しいことではないのだということを。


つい昨晩(22日夜)にその事をうらづけるようなドラマの最終回があった。



そう、今クール最大のヒットドラマ


         「半沢直樹」

                 である。


かなりの視聴率の良かったドラマだから、見ていた人も多いだろう。


最後の取締役会での「モラルなんてものがこの銀行にあったんですか?」から始まる長台詞は感動的だ。


そう、あのセリフの中のことは今現在の「JR北海道」の姿だ。



運輸・物流において「安全」が担保されない乗り物など、お金の払えるものではない。


こうした極当たり前のことが「組織」と言うものの中では通せなくなる。


世界中がであろうが、特に日本においての「組織」と言うものは・・・一種の「化け物」なのだ。


「半沢直樹」が空想で「JR北海道」が現実?


え、逆でしょ?・・・・ん、ちがった?・・・・まあ、どっちでもいいか・・・・。



「半沢直樹」のラストシーンは衝撃的だった。


けれど、大和田常務が「最小の降格」人事で終わったことで、なんとなくああしたことになるような気がした。


なぜかって?


人生においては、ああしたことが「結構頻繁に」起きることを初老男は実体験として知っているからさ。


国鉄を分割民営化して「失敗」したのは、このJR北海道だけだろうか?


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも「現実」は「空想」を超えることがあることに、疑いを持ちませんように。



                 May



・・・・半沢みたいに「出来る」けど「正論」を言う人間は、組織から弾き出されちゃうのさ・・・・。









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なんて日だ!・・・。    ~初老男の憂鬱~

2013年09月22日 | Weblog
私は初老男である。


先週の土曜日ことである。


なんと「ラジオ番組」に出演した。


一生に一度のことだろうなぁ・・・。


しかし、出演してみるとあんまり実感ないもんですね。



先週の3連休の始まりは「稲刈り」そして、少々の「安らぎ」そして・・・。


台風18号の「恐怖」


稲作農家にとって「稲刈り後」の3連休なんてのは「天国」でなければならない。


しかし、その夜、開放的な気分で一杯飲ってしまったら・・・。


二日酔いになった。


そして、少々の「安らぎ」ってのは、正しくない。


本当は、胃が重くて頭も重い。

って言ってる間にグダグダして、終わった。



連休の最終日は、思いっきり「遊ぶ」




しかし、やってきたのは「台風18号」


危うく「避難指示」が出るほどの豪雨だった。




良くある話だが、こうした3連休明けと言うのはたいがいうまく回らない。



体調が崩れたまま、調子が出ないまま日を過ごすことになる。


そして、何とか週末を迎えた。



大抵は3連休の計画を立てて意気揚々と、金曜日を迎えた。



さて、金曜日の夕方5:00。


私の勤務時間は5:15まで。


「皆さんそれじゃ、お先に!」


と言おうと思ったら・・・。


「Mayさん、明日よろしくね。」


?????。何のことだ?


「明日、1時間の作業です」


(そんな話は聴いてないゾ!)



初老男は、こうしたときに「そんなの知りません」って言えない・・・。


気が弱いから。


金曜日の夜の「週末の酒」も、次の日に「仕事」があると思うと、うまく酔えない。



そして、今日は・・・。



朝から、職場の建物周りの清掃作業を8:30から1時間半。


困ったことに、こうした作業を始めるとついつい真剣にやってしまうのが初老男。


まあ、周りからはそう見えないかもしれないけれど・・・。


終わって家に帰り11時。


朝晩は涼しくなってきているが、作業中はかなりの暑さで汗ダラダラになってしまいあわててシャワーを浴びる。


・・・もう昼だ。


やるべきことはたくさんある。


さて!と思って立ち上がると親父が大声で呼んでいる。


      「軽油を買ってこい」


農業用である。


・・・人間と言うのは、こうした「出鼻をくじく」ことをされると著しくストレスを感じるものだ。


仕方なくポリタンクを2つ持ってスタンドに行く。



初老男「軽油ください」


店員「すいません、ポリタンクでは売れません」


初老男「・・・」



ガソリンは耐圧検査済みの携行缶でなければ、今は売ってくれない。

しかし、軽油もそうなっていたらしい。


仕方なくホームセンターに行って、その携行缶を買って20ℓを買った。


家に帰りそれを農機具に注入し終わると・・・・


    
       「足らないで、もう一回買ってこい」 


散々悪態を突きながらも、仕方がなく買いに行く。


気が弱いから。


結局、家に戻ると4時半を回っていた。



すでに何かをする「気力」は、残っていなかった。


若い人にはわからないだろう。


事実私も20年、いや10年前であれば、この時間からでも仕事にも遊びにも出掛けた。


しかし、今は様々な理由で夕食を私が作らねばならない。



「ストレス」と「無駄な時間」と「体力」のバランスが噛み合わ無いまま、一日が過ぎてしまった。


そんなことを言っていられる歳ではないのだが・・・。


なんといっても初老男には「残り時間」が少ないのだから。


・・・・・なんて日だ!


今回も最後までお付き合い頂きありがとう。これを読んでいる皆さんも無駄な一日を過ごすことのありませんように。


       May


なんとか、流れを引き戻すために5時からウォーキングを1時間。夕食時にハイボールを飲んで早めに寝ました。    
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そんな昔のことじゃなかった気がするけど。(その二)     ~「結婚観」は変わったねぇ~

2013年09月19日 | テレビ
私は初老男である。

台風が通り過ぎた。


わが地域は、風はそれ程ではないが雨がザンザンであった。


このことを予想して一昨日稲刈りを終わらせておいた。

そうした意味ではホッとしている。

ただ、ブランド米としてのわが地区のコシヒカリは、少々打撃を受けたかもしれない・・・。



さて、先回「結婚観」その1をお届けしたが、その続きをUpしようと思う。


ある夜のバラエティ番組でのこと。


「アラフォーの美人芸能人がなぜ結婚できないか?」というテーマ。


ターゲットは宮前 真樹・杉浦 幸・森口 博子の三人。(・・・これもかなり微妙な感じ?)


端的に言えばこの人たちは「結婚」と言うもの自体を「勘違い」しているということ。


前提として「芸能人」だから、一般人と違うことはとりあえず無視します。

まあ、一般人も同じような「勘違い」をしているといえるけど。


だいたい「結婚できない」という男女が増えだしたのは、我々初老の世代からだ。

現実に私の周りには、本当に「結婚できない」男女が目立つ。


50代を過ぎての「結婚できない」は、イタイ・・・。


最近の「草食系」「肉食系」なんてのも、ある種の言い訳だし。


私の知り合いで50を目の前にして結婚した男がいる。


相手は二人の子連れで、ほぼ同じ歳。

これは世間的に「かなり凄いこと」だと思う。結婚できない男は「そんなことしてまで」とか言うだろう。

しかし、この男が結婚出来たのは、その歳になってもかなりの強い意識で「結婚願望」を持ち努力を惜しまなかったからだ。


結局のところこれに尽きる。


実際50歳目前では、大抵その「執念」「努力」が沸いてこないだろう。


前出の3人(宮前・杉浦・森口)なんて、ほぼ「結婚する気がない」ように見える。

逆に言えば「結婚することの意味」がほぼなくなってきているからだ。


まあ、その歳で一人でいれば、様々な「結婚することの無意味さ」を聞かされただろうし・・・。

その番組の中でもデータを示していた。

40代前半で5年以内に結婚できる確率は2.6%(不確実ですがこんなもの)そして、40代後半で5年以内に結婚できる確率は1.3%(同じく不確実です)だという。


それは、結局自分の「結婚観」とか「価値観」は、歳を取る度に、成熟(?)してハードルが高くなる。


しかし、それはつまり「非現実的」な意識となり、結婚できる確率は低くなっていく・・・。

まあ、そんなところだろう。


奇しくも知り合いの男(50前で結婚した)が言っていた。


        「結婚なんて『勢い』さ」


ふたりが同じ方向を向いて、カッと燃え上がったときに結婚しないと、やれ「収入」だとか「容姿」だとかいう条件を持ち出して躊躇する。そうなったらまず結婚できない。


どんな相手であろうと、自分の思った通りになるわけがない。


それを理解して一緒に暮らすのに「許容しあう」ことが結婚の実態だ。

思った通り、結婚できない女性の問題はこれが一番だろう。


最後に言いたい。


結婚するということは「家族」になるのであって「恋人同志の付き合い」を続けることではない。


曰く


        「恋愛と結婚は違う」


つまり、母・父・ばあちゃん・じいちゃんになっていくことが「結婚」なのだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも、幸せな結婚生活を送れますように。



        May



はたまた夫婦を長く続けることに意味を見出さないで離婚することも多くなった。どこまで行っても、個人的な意識の問題の域を出ないからねぇ。

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そんな昔のことじゃなかった気がするけど。(その一)     ~「結婚観」はこれほどに・・・~

2013年09月16日 | テレビ
私は初老男である。


秋が来たと思ったら、いきなりまた「猛暑日」である。


さらに「台風」が近づいている。


秋は好きだが「台風」は大嫌いな初老男である。


・・・ああ、憂鬱だ。




さて、50を過ぎても「テレビっ子」のわたしは、過日パソコンとテレビを両方見ていた。


そして、その時々の意識の強い方に引っ張られシーソーのように、ギッタンバッコンして時間を過ごしていた。


チャンネルを回していると、某国営放送がドラマをやっていた。



      「夫婦善哉」

                である。


主演は尾野真千子と森山未来。


原作は織田作之助。


ずいぶん昔の小説だ。



やっぱり尾野真千子に「大阪の女」をやらせるといいねぇ・・・。


朝の連続テレビ小説「カーネーション」の時の、あまりのハマり具合が忘れられない。「ちゃうんけ!ワレ!」のタンカは素ではないだろうか・・・。(「夫婦善哉」は14日が最終話ですのでお見逃しなく)



私が見たのは「第3話」


主人公の柳吉(森山)と蝶子(尾野)がカフェーを流行らせているが、柳吉は勘当された実家の病気の父と実家に残した娘のことが気になって悶々としている。


蝶子は、そんな柳吉をヤキモキする思いで見ているが「ベタ惚れ」なのは変わらない。


そんなドラマの中で一番印象に残ったのは、蝶子がどうしても柳吉と「夫婦(めおと)」になりたがっていること。


それはそれは「強い願い」として夫婦になりたがっていた。


もちろん大正から昭和にかけての話だから「結婚観」と言うものは、今からは考えられないほど「強烈」なものだったろう。(そんな中でも結構「妾」になるなんてのも、ステータスのように描かれているけど・・・)


「これを逃したら、わてら『夫婦』になれへんのやで!」


蝶子が柳吉に迫るシーンは、鬼気迫っている。


逆に言えば、この当時に「恋愛結婚」というのはかなり珍しいことだったのであろう。


本人同士がよくても、当然「親の許し」が必要(まあ、今もそうか)どころかそれが「絶対」だったのであろう。


だから「見合い」とか「親が見つけた人」と一緒になるのが常識と考えられる。



そうした中では「夫婦善哉」は、画期的な小説だったのではないだろうか。


「柳吉の放蕩ぶり」は、まるで上方落語のようだし、蝶子の「ど根性ぶり」は花登筺の小説のようだ。


昭和大正ロマンの大阪版として、近代日本の小説としての位置は低くない。


この当時の「結婚観」は、私のような初老男にはまだ実感できる。


自分と言うより、自分の親たちがこうした結婚観に近かったからだ。



だが、その結婚観が「激変」したのは私たちの世代だといえる。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんも幸せな結婚ができますように。



             May



今現在の結婚観の話を続けようと思ったが文字数が多くなりすぎた。次回(その2)に続きます。




蛇足・・・・・「夫婦善哉」の柳吉は森山未来じゃなくて、綾野剛にしたかったんだろうね。ただ、放蕩のイメージにはちょっとまじめすぎるイメージだし、完全に「カーネーション」とかぶっちゃうかなぁ。
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ホントのところ、どうなんだろう?     ~新書「憲法九条を世界遺産に」読み終わりました~

2013年09月09日 | 
私は初老男である。

日本中のそこここで、自然災害のオンパレードである。


わが地域でも、ゲリラ豪雨を経験したからわかる。

こんなことは生きている内に何度もないだろうと思ったが、逆にこうした自然災害はこれからは「いつでも起こりうること」になっていくのだ。

・・・すべてのことに憂鬱を感じる初老男には、悩みの種が増えるということだ。



さて、最近急に涼しくなって、やたらと本が読める。


最近も一冊読み終わった。


それは


      「憲法九条を世界遺産に」 太田光・中沢新一共著


                             である。




憲法九条問題を考えるとき、これは回りまわって私の「ライフワーク・日本は何故、勝てる見込みのないアメリカに戦争を挑んだか、と言う謎を解明する」につながる部分がある気がする。


すべてのことには「タイミング」と言うものがある。


この本の中にもあるのだが、国家・個人を問わず「正義」「希望」と言うものは変化していく。


日本国憲法の成り立ちの混迷は、いままで何度もドラマや小説として発せられている。


結局、敗戦国・戦勝国ともに単純に「うれしい」「くやしい」と言うような感情だけでことが進んでいたのではないということ。


まあ、当たり前だけどね。


圧倒的な物量で「楽勝」とまでは言えなかったかも知れないが、順当な「勝利」をしたアメリカであるが(本当は連合国なんだけど、決めちゃっていいやね)軍部も政府も、極東のアジア人にかなりの「恐怖感」を覚えたのは間違いない。


そして、それを拭い去るために日本に突きつけた「草案」と「天皇陛下」の取り扱いをいかにするかを最大の争点に話をまとめたい敗戦国日本。


それが、今の「世界遺産に残したい憲法」にまとまったということだ。


やはり「あのとき」は「あんな風な」憲法ができてしまうのタイミングだったということだろう。


そして、それを受け入れた・・・いや、受け入れてはいないな。

いつの間にか決まっていて、そのものを疑うことも無かったのだろう。

「お上のくださる憲法が間違っているはずがない」って思っていたのではないだろうか?



私の感覚では、憲法に書いていることを一般人が問題だと思い始めたのは、結構最近ではないだろうか?


「お上がくださった」ってのも、ヘタすると「天皇」がくれたとか思ってたかもしれないし・・・。


だいたい一般人で、いま本当に憲法改正しなければならないと思っている人がどれくらいいるというのだろう。


目の前に迫る「危機」が「現実」にならない限り、人間なんて本気にならないものだ。



この本においても、私はその部分をずっと心の中でツッコんでいた。


(イロイロ言っても、ホントにミサイルを撃たれたら、そんなこと言ってられるわけねぇよ)ってね。


しかし、さすが最終章でその答えを出していた。



・・・実際は「答え」じゃないけどね。


結論的に言えば、最初に私が掲げたことに尽きる。


すべてのことには「タイミング」がある。


どんな有名人がどんな素晴らしい主張をしてみても「世論と言う化け物」が右側に針を振り切ったときに「理性」とか「正義感」と言うチッポケなものを呑み込んで改憲されてしまうだろう。


この本で語られたことは大変面白かったが、どこかで著者の太田・中沢の両氏とも本気で対談をしたのではないように思えてならない。


どこまで行っても、こうした本は「極論」的なものでなければウケないからね・・・。



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んだみなさんも憲法九条を少しでいいから考えてみますように。



          May



むかし「スイスが永世中立国」って聞いて、それが九条の戦争の放棄と同じだと思っていた。・・・しかし、スイスは老人1人しか住んでいない家にも「銃が国から支給されて」いるのである。「国を自衛」することを前提にしなければ「永世中立」なんか守れないもんね。
 
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自分勝手な「解釈」で申し訳ない・・・。     ~映画「ガッチャマン」に思うこと~

2013年09月03日 | Weblog
私は初老男である。


今年は猛暑であった。

それは間違いない。


しかし、去年のそれとは違う。


こうした天候・陽気は稲作農家泣かせだ。


今年のコメの出来はどうだろうか・・・。


もうすぐ稲刈り。

不安と期待が入り混じる今日この頃だ。



さて、映画の「ガッチャマン」が酷評されている。


観てもいない初老男が、言うのもなんであるが・・・・。


     
         「そりゃそうだろう」



このブログの数少ない読者の貴兄は、おぼえていらっしゃるかもしれない。


「アニメはアニメでしかできないこと」をやらなければ造る意味がない。と私が言い続けていることを。


いま、宮崎駿氏の長編アニメ引退が話題に上っているが、彼こそが私の言っていることを実行し続けたひとだ。(だからと言って、この人のアニメが好きかと言うとそれほどではないけど)


つまりは、ある程度「そんなわきゃねえだろう!」って描写を程よく入れる感性を持っていないとアニメでは成功しない。

アニメは詰まる所「ファンタジー」なのだから。



だから、逆に「アニメ」を「実写」にすることの意味が分からない。


こうしたことでヒットした映画があっただろうか?

少なくとも私は覚えがない。


あっと、あったあった!


「仮面の忍者『赤影』」(って初老男より年上くらいの人でなければわからないジャン)


初老男が小学生くらいの時だから、あまりに時代が変わりすぎて今と比べようがない。

だから、却下。


思い浮かぶママに挙げると・・・・「あしたのジョー」「新造人間キャシャーン」「ヤッターマン」「宇宙戦艦ヤマト」「ドラゴン・ボール」などなど。


どれもヒットしたとは言えなくないかぇ。


ヒットしない理由。


その一・・・・アニメのキャラを役者に当てはめると、どうしても「人間臭く」なってしまう。あたりまえだ。人間なんだもの。そこに演じた人間の「個性」が現れてキャラクターのイメージと「ダブルイメージ」になってしまう。それによって本来のキャラの魅力がぼやけてしまう。


その二・・・・実写でアニメと同じ「そんなわきゃねえだろ」って描写が「そんなわきゃ絶対ない!」になってしまい、非現実性が強まってしまう。


その三・・・・その二でいった「そんなわきゃねいだろ」って描写をしないのなら、原作の良さをほとんど出せていないってことになる。



ガッチャマンの面白さは、まさにその「非現実性」「そんなわきゃねえだろ」って部分にある。


そういう意味では先に挙げた「あしたのジョー」「新造人間キャシャーン」「ヤッターマン」「宇宙戦艦ヤマト」「ドラゴン・ボール」のすべては、それに当てはまる。


作っている時に、だれかそのことに気付かないのかなぁ・・・。



蛇足です。


「キャプテン・ハーロック」って映画はフルCGらしいね。


これも意味が分からない。


逆にこれこそ実写にすれば、違う意味での「魅力」が出るかもしれないのに。

CGにしてしまえば、アニメのようなキャラクターの魅力が半減する上に、実写のような人間の表情の「迫力」がなくなってしまう。

CGでつくるなら「CGでしかできないこと」をやらなければ意味がないのである。(・・・それはどんなことなのかなぁ・・・)


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんが、初老男の「勝手な解釈」を許してくれますように。



       May


そう思うと「ドラえもん」って、私の思っているヒットするアニメの要件を完全に満たしているなぁ。

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また始めやがった・・・。     ~世における「信頼性」とは~

2013年09月03日 | 時事ネタ
私は初老男である。


本当の自分を取り戻すには時間がかかる。


いつものことであるが、ブログをUpするネタがなかったわけではない。


むしろ逆である。

Upしたいことは、いつもの山のようにある。


それをUpする気力と時間がないだけだ。


特に「気力」が、この夏の間は特に萎えていた。


・・・こんな個人的なことを、読者の貴兄に知らせることに意味はないなぁ。

見苦しい言い訳を止めて本題に入ろう。



さて「また始めやがった」ね。


何のことかと言えば、まず



       「アメリカ、シリアに武力行使を検討」


である。



「シリア政府が化学兵器を使ったと結論づけた報告書を公表」


単純に考えればその内容によっては、日本政府のように「支持」しても良いのだろう。


しかし、どこかでこの図式を見た覚えはないだろうか。


10年前である。


2003年3月20日にアメリカは、「イラクが大量破壊兵器を所有している確証がある。」といって戦争を始めた。


数ヶ月後、ラムズフェルド国防長官が「あれはウソだった」と言う。


しかし、どこにも「謝罪」も「賠償」もしていない。(未確認です。していたっけ?)


ひどいのは、後に「大量破壊兵器の証拠はウソだった」ことが明らかになった後も「あの時、アメリカを支持したのは正しかったと今でも思っている」と時の総理小泉純一郎は言い続けたことだ。


いろんな事情があるにしても、いやしくも一国の首相たるものの言い分ではあるまい。


今回もまたぞろ安倍総理が、いちはやく「支持」を表明。


問題は報告書の「信頼性」である。


現にアメリカの言う「証拠」と言うものが、正しいとしても・・・・。


その信憑性に「?」と思うのは私だけであるまい。


他国に攻撃を仕掛ける「証拠」をたとえ一度であっても「捏造」するような国を信用しろと言われてもそれは無理だ。


さらに、それを支持した国の首相も。



さて、同じような図式を他にも多々見つけるのである。



     「原発再稼働」の東電


     「TPP交渉」の外務省


     「皇室報道」の宮内庁


そして


      「日本国行政」の内閣(与党自民党)



人間も50年以上も生きてくると、様々な経験から「信頼」を置くラインというものが高くなってくる。


それは単純に「きびしく」なっていくのでは無い。


その守るべき「約束」の高さによっての「信頼度」がハッキリ分かってくるから、自然と高くなる。


逆に言えばだいたいのことには「寛容」だ。


そうした意味において、このUpに記す場合は「寛容」に慣れない場合のことしか載せていない。


確かに、ことにおいて大事なことを決めるときは、秘匿にしておく方が何事もやりやすい。


そして「こう決まっちゃったから、よろしく」って言ってことを進めることが常套手段とも言える。


現実に、不特定多数の意見を全部聞くことも、全員を納得させることもできるわけは無いから、どこかで「政治的決断」をするしかない。


しかし、それはそのことを盾にとって「開き直る」ことでは無いはずだ。


東電の「原発再稼働」も、エネルギーのことを考えれば単純に反対する気は無い。


だが、3・11を見てしまえば、そして、ずっといい加減にしてきた「核廃棄物の処理」問題をハッキリさせない限り「信頼を取り戻した」とは、言えないはずだ。


そんなものを信じられるほど、初老男は「オプチュミスト(楽天家)」ではない。


逆に言えば「原発再稼働賛成」の人たちは、そのところをどう考えているのか、私は不思議でならない。


政治家の話を始めたら、それこそはじめから「お話」にならない。


55年体制の終わる前の自民党が「大嘘つき」だったことを忘れて、衆院選・参院選に自民党を勝たしてしまった国民も信頼できない。


まあ、民主党がもっと信頼できなくなっちゃったのが一番なんだけどね。


選挙権を得てから30余年。本当に信頼して投票できたことなんて無いような気がする・・・。


ほんの少しの「期待」で投票したことはあるけれど。


どいつもこいつも「また始めやがって・・・・」



今回も最後までお付き合いいただきありがとう。これを読んでいる皆さんは「また始めや」がりませんように。


          May


だいたい、アメリカが「日本が化学兵器を使用しようとしている」って言い出して武力行使しようとしたら、それを覆せる材料があるかい?いつも言うように「有ることの証明」は容易だが「無いことの証明」は、ほとんど無理なのに。

今のシリアがそうだとは言わないけど「可能性」はそんなに低くないと思うよ。




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