私は中年である。
昨日、藤原紀香と陣内智則の披露宴がテレビ中継されていた。
しかし、本人達には悪いがまったく「披露宴」としての緊張感が伝わって
こなかった。
よくもわるくも二人とも芸能人である限り、避けられないことなのかもしれないが、
披露宴自体がテレビ向けの「番組」になってしまっている。
藤原紀香はK-1グランプリとかのホステスをやっていた時に、散々昨日のような
ドレスを纏った姿を見ているし、となりの新郎もタキシードなので、まさに
K-1武士道の予選大会中継みたいに見えた。
豪華なゲストやお笑い仲間のコメントも、いかにもセリフを「言わされている」
ようにみえるし、全体的な「空々しさ」だけが伝わってきた。
「中年」の私には、結婚に対する真摯な気持ちの不足が「良くない結果」につながる
ように思えてならないのだ・・・。
さて先回のブログで、7月の参議院選挙の前に「何か事件がある」と予想したのだが、
こんな形の「事件」だったとは予想外だった。
松岡農相の諸々の問題は、結果的に言えば昔に比べて「大臣」の地位・役割が
「政治の道具」になったことを意味している。
大臣個人の話が「任命責任」の名の下に、野党が突っ込んでくることが多いので
逆にやめさせないことで責任を取らない。
こんなことが「現職大臣の自殺」につながった気がする。
コイズミ総理がやった「自民党破壊」は「派閥破壊」であったわけで、今回の
ようなことは、昔の自民党ではなかった。
なんだかんだ言っても派閥の長が、党内や社会的常識のバランスを取って
お互いをけん制した中で大臣の数や政策に関係していたが、現在はそれが
とんと薄くなった。
それが証拠にこの頃派閥の長が誰だかほとんど報道されない。
私は昔の「派閥中心」の自民党が良かったなどと言うつもりは無い。
しかし、そこにはまだ「政治家の良識」が生きていたように思える。
・・・なんていっていたら、6月1日には「強行採決」は行われなかった。
しかし、こうしたことは「したか、しないか」は問題ではなく、今の総理が
そういう姿勢で政治に向かっていることが問題なのだ。
本当は簡単に通して良い法案であり野党が駄々っ子になっているのかも
しれないが、私達の目に入ってくるのは「強行採決」によるドタバタだけだ。
そこには無理やり法案を通している与党の姿がある。
安倍ゾウリは「小泉内閣の路線を継承する」といっていたがそれは政治手法を
完全に間違っている。
コイズミ総理は「魔法の力」があったのだ。いっていることがムチャクチャなのに
国民を妙に納得させてしまうという力が・・・。
安倍ゾウリは、自分にはその「魔法の力」が無いことに気が付いていない。
昔の歴代総理の中曽根総理までは、良くも悪くも自分の目指す「日本」が
頭の中にあり、それを実現するまであらゆる方面に気を配った。
しかし、それ以降の人は「目指す日本」の姿を失い、目の前のことに執着
するようなった。日本の先々より「自分の先々」のことに・・・。
コイズミ総理は、中曽根氏までの総理に近くはあったが「郵政民営化」と
いうことがその先の「目指す日本」につながってはいなかった。郵政民営化で
「終わり」だったように見る。
それなのに「本質を見抜けなかった国民」が彼を「有能な総理」にしてしまった。
安倍ゾウリは逆に抽象的な「美しい国」などと訳の分からない事を言い出している。
つまりコイズミ総理のような具体的なものを見つけられない。見つけても
コイズミ氏のような「魔法の力」は持っていない。
だいたい、若くて人気があるというだけの安部氏を総裁にしてしまった自民党も
末期的だね。
政治の話をUpする時はいつも言うことを示して、ちょっと長い今回の記事を
終わりにしよう。
「政治においては”バランス的緊張状態”だけが、政治家を真剣にさせる」
いつ自分の地位が逆転するか分からないから必死で活動するのだ。
安穏とした「自民党独裁状態」をそうした状態にしなければ「良い政治」は
行われない。
7月の参議院議員選挙ではそうした「緊張状態」を作るように、投票には必ず
いきましょう!!
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながたまにでよいから「政治」のことを真剣に考えて
くれますように。
may
もうこれ以上の「政治的事件」はおこらないだろうなぁ・・・。
昨日、藤原紀香と陣内智則の披露宴がテレビ中継されていた。
しかし、本人達には悪いがまったく「披露宴」としての緊張感が伝わって
こなかった。
よくもわるくも二人とも芸能人である限り、避けられないことなのかもしれないが、
披露宴自体がテレビ向けの「番組」になってしまっている。
藤原紀香はK-1グランプリとかのホステスをやっていた時に、散々昨日のような
ドレスを纏った姿を見ているし、となりの新郎もタキシードなので、まさに
K-1武士道の予選大会中継みたいに見えた。
豪華なゲストやお笑い仲間のコメントも、いかにもセリフを「言わされている」
ようにみえるし、全体的な「空々しさ」だけが伝わってきた。
「中年」の私には、結婚に対する真摯な気持ちの不足が「良くない結果」につながる
ように思えてならないのだ・・・。
さて先回のブログで、7月の参議院選挙の前に「何か事件がある」と予想したのだが、
こんな形の「事件」だったとは予想外だった。
松岡農相の諸々の問題は、結果的に言えば昔に比べて「大臣」の地位・役割が
「政治の道具」になったことを意味している。
大臣個人の話が「任命責任」の名の下に、野党が突っ込んでくることが多いので
逆にやめさせないことで責任を取らない。
こんなことが「現職大臣の自殺」につながった気がする。
コイズミ総理がやった「自民党破壊」は「派閥破壊」であったわけで、今回の
ようなことは、昔の自民党ではなかった。
なんだかんだ言っても派閥の長が、党内や社会的常識のバランスを取って
お互いをけん制した中で大臣の数や政策に関係していたが、現在はそれが
とんと薄くなった。
それが証拠にこの頃派閥の長が誰だかほとんど報道されない。
私は昔の「派閥中心」の自民党が良かったなどと言うつもりは無い。
しかし、そこにはまだ「政治家の良識」が生きていたように思える。
・・・なんていっていたら、6月1日には「強行採決」は行われなかった。
しかし、こうしたことは「したか、しないか」は問題ではなく、今の総理が
そういう姿勢で政治に向かっていることが問題なのだ。
本当は簡単に通して良い法案であり野党が駄々っ子になっているのかも
しれないが、私達の目に入ってくるのは「強行採決」によるドタバタだけだ。
そこには無理やり法案を通している与党の姿がある。
安倍ゾウリは「小泉内閣の路線を継承する」といっていたがそれは政治手法を
完全に間違っている。
コイズミ総理は「魔法の力」があったのだ。いっていることがムチャクチャなのに
国民を妙に納得させてしまうという力が・・・。
安倍ゾウリは、自分にはその「魔法の力」が無いことに気が付いていない。
昔の歴代総理の中曽根総理までは、良くも悪くも自分の目指す「日本」が
頭の中にあり、それを実現するまであらゆる方面に気を配った。
しかし、それ以降の人は「目指す日本」の姿を失い、目の前のことに執着
するようなった。日本の先々より「自分の先々」のことに・・・。
コイズミ総理は、中曽根氏までの総理に近くはあったが「郵政民営化」と
いうことがその先の「目指す日本」につながってはいなかった。郵政民営化で
「終わり」だったように見る。
それなのに「本質を見抜けなかった国民」が彼を「有能な総理」にしてしまった。
安倍ゾウリは逆に抽象的な「美しい国」などと訳の分からない事を言い出している。
つまりコイズミ総理のような具体的なものを見つけられない。見つけても
コイズミ氏のような「魔法の力」は持っていない。
だいたい、若くて人気があるというだけの安部氏を総裁にしてしまった自民党も
末期的だね。
政治の話をUpする時はいつも言うことを示して、ちょっと長い今回の記事を
終わりにしよう。
「政治においては”バランス的緊張状態”だけが、政治家を真剣にさせる」
いつ自分の地位が逆転するか分からないから必死で活動するのだ。
安穏とした「自民党独裁状態」をそうした状態にしなければ「良い政治」は
行われない。
7月の参議院議員選挙ではそうした「緊張状態」を作るように、投票には必ず
いきましょう!!
今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんながたまにでよいから「政治」のことを真剣に考えて
くれますように。
may
もうこれ以上の「政治的事件」はおこらないだろうなぁ・・・。