完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「天地人」に思うUp   ~来年の大河ドラマ~

2008年09月29日 | テレビ
私は中年である。

麻生総理大臣の所信表明演説は「逆効果」になるような気がするなぁ・・・。
民主党を「目の敵」にするのはいいけど、他の野党を舐め切ってると思わぬところで
「しっぺ返し」を食らうことになるんじゃないかな。

それに、参議院で「数の力に物を言わせ・・・」みたいなことを言っていたが、それこそ
自分達自民党は、コイズミ総理の「郵政選挙」で必要ないほど獲得した議席を振りかざして
「強行採決」を繰り返したくせに、様々な大事が起きているときに「総裁選挙」なんて
やってたくせに・・・よく言うよ!

とにかく、今日の所信表明という「迷演説」は長く語り継がれることだろう。


さて、着々と来年の大河ドラマ「天地人」のロケが我が地で行われている。
っていうか、もう終わったらしい。

通算3日程度だった。

まあ、直江兼続こと樋口与六が我が地で過ごしたのは幼少から青年期だから、大河ドラマとしては
あんまり重要なところでは無いって言えばそうなのかもしれないけれど。

で、当たり前だけど原作の

    「天地人」(上・下)   火坂雅志著

                       は読み終わっている。

結構厚い本で、少々ビビっていたのだが逆に読み易すぎて「喰い足りない」くらいの
手応えだった。

まさにそのまま「ドラマ」にするのにピッタリの小説。

しかし、それは私のような歴史小説好きにはあまりにあっさりしすぎている。


今の「篤姫」も評判がいいらしいけれど、私のような「重み」のある歴史ドラマが好みの
人間には今の「篤姫」も設定を変えた「渡鬼」みたいに見える。

人間ドラマって言いたいらしいけど、幕末にあったオドロオドロしい「策謀」と「陰謀」
それに伴ったおびただしく流された「血」が、すこしも伝わってこない。

またどうしても許せないのが、小松帯刀や島津久光が「薩摩弁」を使っていないことだ。

薩摩郷士の西郷隆盛や大久保一蔵が薩摩弁なのに城下士の彼らが、それを使っていないのは
どうにも演出のミスとしか思えないし、それによってリアリティがずいぶん後退してしまっている。

ついでに言えば、篤姫も幼少期から薩摩弁を使っているはずで、あの日本においてかなり重度の訛りが簡単に直るはずが無いのだ。

ひねくれ者の私にとっては、地味であったがアクセントが効いていて締まるところが
締まっていた昨年の「風林火山」の方が100倍面白かった。


話が前後してしまった。

とにかく原作を読むと「天地人」はかなり「期待」のできるドラマになりそうだ。

芸能の楽しみ方にすべてを分かっていながらその役者が「いかに演じるか」を見るという
楽しみ方がある。

来年の大河ドラマは、まさにその方式だ。しかも、原作だけでなく「直江兼続」に
関連した本は時間あの許す限り幾つか読んでみるつもりだ。


と言うことで、09’大河ドラマの中で心配事が一つ・・・。

キャストが余りに「若者向け」になっていること。

「妻夫木聡の直江兼続」「北村一輝の上杉景勝」位は文句を言うつもりは無いが、
他の諸々のキャストが(NHK大河ドラマ09’HP参照)あまりに、若者をターゲットに
なっている気がして心配なのだ。

装飾的キャストである「綺麗どころ」は、どんな人がやってもいいけど「石田三成」とか
「樋口与七」「お船」あたりのキャステングが少々軽すぎる・・・。

天下の国営放送の看板番組「大河ドラマ」は、単純に視聴率を追ってよいものでは
ないんじゃないかなぁ。

とにかく、あと3ヶ月。

篤姫は決して悪くないけど、少なくとも私の思っている「大河ドラマ」のイメージには
まったく当てはまっていない。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「大河ドラマ」が日本人の心に響く壮大なる歴史絵巻だってことに気が付きますように。

                          may

再来年の大河ドラマは「坂本竜馬」の話だってね。なら、今の篤姫での玉木宏のイメージを
しっかりと覚えていた方がいいよ。




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いよいよ大詰め   ~秋の政局~

2008年09月28日 | 時事ネタ
私は中年である。

稲刈りが終わったのである。

ある意味「虚脱状態」

日本一の米どころの我が地域においては、まだ稲刈り進行度は40~50%位であるが
気温は一気に下がっている。

一番の稲刈り時期に雨ばかり続いている。

自分の力ではどうにもならないファクターで、出来が左右される仕事はあまりに辛い。

まあ、世の中の仕事のすべてがそうであるともいえるのだけれど・・・。

しばらくはこの「虚脱状態」を楽しみたいのだが、すぐにあわただしくなるのだろうな。


さて、秋の政局が混乱している。

「食」や「経済」で混乱の極にある中で、政権政党自民党は「茶番総裁選」にうつつを
抜かしている。

これだけの大事が持ち上がっているのに、街頭演説で5人そろって仲良く顔見世。

結局「麻生太郎」の一人勝ち。

そして、すぐに首が飛ぶのに「組閣」

「適材適所」と言いながら、その実「派閥のバランス」や、大臣の椅子のたらい回し。

人事の秘密などまったく無い状況は、昔の自民党に戻ったようだ。

そうした中で「中山国土交通大臣」の辞任。

しかし、国会議員で大臣に任命された人間にこれほど「認識不足」の人がいるとは
「驚愕」してしまう。


大体人間「これを言ったらまずいよな」って意識がある。

「公人」になれば、まったく違うことを考えていても「社交辞令」であろうが、言わねば
ならぬことがある。

大臣になれば、はっきり言って個人の意識は8割方捨ててもらわねばならないと思う。

本当は8割は「国民の為」に意識を持ってもらわねばならないのだが、現実には5~6割が「内閣・政党」のために意識がいっているって感じだが。

「成田闘争はゴネ得」ってのはすごいね。国の為には個を滅するのが当然と言いたいらしい。戦時中の「欲しがりません、勝つまでは」ってか?

「日教組」を目の敵にしているが、どういう経緯があるにしてもあれだけの「組織」を
大臣が「解体したい」と発言するとは、理性のある人間とは思えない。

大臣という椅子が手に入って舞い上がっちゃったんじゃ無いだろうか。

もう、自分の発言自体に「酔ってる」って感じ。多分その発言の意味もわかんなく
なってる気がする。

「失言」ってのは結局「本音」のわけだが、普通そうしたことは心の奥底にしまって
おくものだ。

大臣になって「なおさら気をつけねば」って思う人と、大臣になったから「これ位
言っていいだろう」って人に分かれるんだろうな。

そうした人間を見分けられなかったのが「任命責任」ってやつだ。

まあ、今回は特に麻生って人も別に思い入れがあってこの人を入閣させた訳では
無くて、最初に書いたみたいにいろんな「党の事情」で選んだろうけどね。

結局「辞任」するに至って「女房と相談して」ってのはあまりに情けない「発言」だね。
(奥さんは「あの」中山恭子元拉致問題担当大臣だって)


そして、とどめさしたのは「コイズミ元総理政界引退」

はっきり言って、いまの「格差社会」の元凶がこの人だった。

一般国民がなぜこの人のにキャーキャー言ったのか私にはまったく分からなかった。

「郵政選挙」なんてのは、それに付随した細かい法案が今の格差につながった。
そのことの意味を分かっていた人がどれくらいいたか・・・。

まあ、過去のことは良かろう。

この人の最大の「汚点」は、これだけ「自民党の悪癖をぶっ壊す!」と言いながら
自民党の最大の悪癖「世襲制」を自分でも行おうとしていることだ。

この騒ぎの先にあるものは・・・。

戦後長きに渡って君臨してきた自民党の2度目の「野党への転落」ではないだろうか?

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが政治を変えれるのは自分たち「国民」だってことに気が付きますように。

                          may

しつこいけれど、民主党がよい政治をするといっているのではない。まあ、やるかも
知れないけれど。
とにかく、自民党に国民は「ホンキだ」ってことを知らしめる必要があるってことが
いいたいんだ。

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小さな訃報記事Up   ~ジェイムズ・クラムリー逝去~

2008年09月21日 | 
私は中年である。

本当に「稲作農家泣かせ」の秋の空である。

九州地方から中部地方へと「豪雨」をもたらした台風は、日本一の米どころの
我が地域には、ほとんど何の影響も与えずに太平洋に抜けていった。

「コシヒカリ」という品種の米は、とても栽培しにくい米である。

草丈は長いし、病気にも弱い。

特にこの時期の天候で最後の仕上げの部分を大きく変えられてしまう。

昨日の土曜日は「台風一過」の置き土産でひどく暑かった。

そのときに「稲刈り」をしてしまえればよかったのだが、一手違いで刈り取れ無かった。


近頃の米は、とにかく「品質」を問われる。

少し前ならブランドで売れた米も「食味」を強く言われる。

そのため、今はその刈入れの期間を厳しく読まねばならない。

しかし、それはこの台風の来る女心のように変わりやすい天候を相手にせねば
ならぬのだ。

天気さえ良ければ、二日を見ればおわる作業に「眠れぬ夜」をいくつも過ごさねば
ならない・・・。

こうした「生みの苦しみ」に、このごろ辟易している中年である。


さて、今日の新聞の三面記事のスミッコに訃報が出ていた。

アメリカの作家

          ジェイムズ・クラムリー

                       が亡くなったという。

享年68歳・・・。

実際、このひとの歳がいくつだったかはこの死亡記事ではじめて知った。


単純の私の感想だが「アメリカ文学」と言うのは、当然のことながら
日本のそれとはずいぶん違っている。

状況描写が多くて、心理描写も直接的な表現が多い。

日本文学における「行間を読む」と言う行為ができない。

その分本の「雰囲気」と酔えるととても心地よい。

あまり考える必要が無く、頭を空っぽにして読めるからだ。


そうした中でもアメリカ作家は「韻を踏む」とか、好きな作家に対する「リスペクト」や
「オマージュ」を書いたりする。

実はクラムリーの本は2冊しか持っていないし、読んだ本は「さらば甘きくちづけ」だけだ。

この本はチャンドラーの「長いお別れ」のオマージュ的小説だ。

結局「文学」というのも「文化」なわけで、書いた人の国の生活が身についている人間で
なければ理解できないことが多分にある。

そうした意味では、その本の深い部分は他国の人間には分からないような気がする。

しかし、チャンドラーの「長いお別れ」もクラムリーの「さらば甘きくちづけ」も
雰囲気に充分酔える。

是非二冊とも読んでみて欲しい。


もう一冊読んでいない「酔いどれの誇り」 読まねばならないな・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが、本を読むことが楽しいことに気が付きますように。

                          may

「ファイヤーボールロバーツも彼女とともに死んだ・・・」






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怒り収まらず!   ~日本中バラバラ~

2008年09月20日 | Weblog
私は中年である。

気分の悪くなるようなことはUpしたくないのだが、とにかく前回のUpの
気持ちが胸の中で燻っている。

少々酩酊気味で支離滅裂になることを承知で「怒り」を続けたい。


大田農水大臣が「辞任」した。

酔っ払いのたわごととして聞いてよいが、少しは核心をついていると思う。

この「米騒動」の責任は大田大臣には「ほとんど無い」と言える。

この人が就任したのは数ヶ月前で「米騒動」は下手をすると十数年前からだ。

この人が「農水族」で、何年も前から農水省で幅を利かせていたのであれば、
責任を追及をする必要があるかもしれないが・・・。
(もしかして本当に農水族ですか?)

しかし、それ以前の「不正事務所費問題」では限りなく黒に近い灰色だ。

この首相辞任と米騒動でうやむやになったが、このことについての「辞任」なら
私は納得する。

この経済ショック・米騒動の中で福田首相は何の対策も取らなかった。
投げ出したとはいえ、彼はまだ「総理大臣」であり、今の政治的行政的責任は
彼にあるのだ。

基本的に「自民党のために」辞任した彼は「日本のため」のことを何も考えて
いなかったことを図らずも示した形だ。

今回、これだけの「大事件」が続けておきているのに自民党は「総裁選」などという
くだらないことのために、国民に対して何もしてくれなかった。

しつこくこのことは繰り返すが、私は「民主党」に過度の期待をしているわけではない。

いつまでも甘い顔をしていたから「自民党」は、口でなんと言おうと「自分達」の
ことしか考えず「国民」のことを考えなくなっている。

そうした自民党の「横っ面を平手打ち」するためにも「政権交代」をして目を覚まさせて
やらなければならないと考えているだけだ。

政治家達には「緊張感」が無ければ、今のように「ダレた」政治が続くだけだ。

そのダレ加減が「官僚達」の無責任さを読んだと言ってよい。

みんな選挙に行くことで政治家に「緊張感」を与えようじゃないですか!

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんな、本気にホンキで選挙に言って「自民党」に目に物見せて
やろうぜ!

                          may

・・・こんな内容は実は何度も書いてきた気がする・・・。
それでも日本が変わらんかった。

しかし、何度でも書くぞ~~!日本を変えるのは自分達だって自覚を持て!
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日本崩壊     ~ええかげんせいや!~

2008年09月18日 | Weblog
私は中年である。

いったい今の日本に「本当に信じられるもの」がどれくらいあるのだろう。

年寄りにずいぶん近づいてしまったからなのだろうけれど「昔は良かった」と
ばかり思ってしまう。
(現実には、その状態を認識していなかっただけかもしれないのだけれど)

人間の生活を支える基本的な用件は「衣・食・住」である。

この中でこの時代、唯一「衣」だけは直接生活の基本としては外れつつあって、
「装飾品」「嗜好品」に近くなってきている。

「着る物が無くて死んでしまった」ってことは、まず無いだろう。


そういう意味では「食」と「住」が、生活においての二大用件であるといえる。


世界の先進国「日本」で、その二大用件がここ数年で「崩壊」した。


先日の連休最後の日は「敬老の日」であった。

全国に「老人」といわれる人が過去最高の人数になったというが、すべて「敬う」ことに
値する人ばかりではない。

そのことが、この「米騒動」でも分かると思う。

この騒ぎの発端の会社社長・顧問の二人は「73歳」と「76歳」だ。

間違いなく「敬老」される歳である。

昔、ある時期まで「年齢を重ねる」こと自体に「敬意」を表するべきだと思って
居たことがある。

しかし、私の知っている高齢者たちは年齢を重ねたことに「敬意」を表さねばならぬ人物が
ほとんどいない。(オヤジなどはその筆頭だ)

「良いこと」か「悪い」ことか、「やっていいこと」か「やってはならないことか」の
判断がつかない「歳」でもあるまいが!

実際その判断がつかないのではなく、そのことよりも「欲」の方が大事だったと
言うことだ。


人間の「欲」を否定する気は無い。

そんなものはあって当然なのだ。

しかし、それを行使するには「前提」がある。

「善悪」ではない。

日本人が古来から持っていた「恥」の心だ。

「善悪」なんてものは、この「恥」の精神を持っていればぐらついたりするものでは
ないのである。

「福田の辞任」も「恥」を知っている人間のやることでは無い!


「今の若い者は・・・」と言ってよい高齢者はほとんどいなくなった。

これだけの老人が「欲」に走ってしまえば、若い人間が「性欲」に走ってレイプしたり
「万引き」したり「強奪」「振り込め詐欺」をはたらくことを、どうやって戒められる
と言うのだろう。


「耐震偽装」で住の信頼が崩れ「事故米」で食の信頼が失われた。

「お金」の信頼は遥か昔に無くなっている。

このブログを始めた頃は「日本の再生」に、少なからず「期待」をしていたのだが、
あれから2年余り、その期待は見事に「消滅」してしまった・・・。


ブログの更新も遅れてばかりいるのも、こうしたことへの「厭世気分」のせいも
少なからずあるからだ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんな、本当にホントに「恥」の心を知って日本を再生させようじゃ
ないですか!!

                          may

蛇足1

「食べても人体に影響がない」なら、普通の「食用米」と変わらないじゃないかよ!
農水省!

蛇足2

これだけの事件をおこした高齢者2名は、遠くはあるけれど「殺人罪」を適用して
良いと思うのだけれど、下手すっと「実刑・執行猶予」とかってことで「幕引き」に
なるんだろうね。ヒッドイ話!
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季節の変わり目と体調の関係Up   ~これも歳のせいか?~

2008年09月12日 | Weblog
わたしは中年である。

人の生死に「潮の満ち引き」が関係している、などといわれたりするが、それよりも
「季節の変わり目に人が死ぬ」と言う言葉のほうが、私にはかなり正しいような気がする。

もちろん「事故死」とかは別である。


身内ではないが私の周りでも、葬式が続いている。


人はいつか必ず「死ぬ」・・・例外は無い。

自分がいつどのように死ぬか知らないが「覚悟」は、しておかねばならない。

あまりみっともない死に方だけはしないように・・・。歳をとる度に、その
「死に方」を考える機会が増えていく。


さて、その死ぬまでの間に人間はゆっくりゆっくり衰えていく。
(そうでなくポックリって人もいるけど)

私も「中年」を自称するようになって、このブログをはじめてから本当に
加速度的に「衰えて」きた。


まず、この間ちょっと深酒をしたら奥歯が「浮いて」きた。

知り合いの歯科助手経験者に聞いたら「それは『歯槽膿漏』の初期だ」と言われた。

・・・私は、すでにこの病気で歯を失っている。(2006年3月15日ブログ参照)

それから去年から今年春先まで歯科医でしっかりと歯を治してからは、歯の手入れには
気を使っていたのに・・・。

その知り合い曰く「歯の病気は、基本的に『なりやすい』か『なりにくい』かで
あって、いくら手入れしてもなるときはなるよ」・・・。

やっぱり、歳だってことか・・・。


次にまた、不運が私を襲った。

普通はありえない「車のドアに指を挟んだ」のだ。

左手中指・・・。爪が真っ黒になってドクンドクンと痛む。

そのうちスポッと爪が取れるだろう・・・ヒエェェェ~~~。


そして、次は風邪である。

ちょっと気が緩んで薄着で居所寝をしてしまった。
目を覚ますと喉が痛い。

次の日一日くしゃみと鼻水でひどい目にあった。・・・実は、これが風邪では
無かった。

「花粉症秋バージョン」の始まりだったのだ!

昨年からそんな感じがしていたのだが、どうもそれらしい。

かなり風邪に近いのだが、外に出たときだけくしゃみと鼻水がヒドイ。
そして、熱が出ないし風邪ほど体がだるくないのだ。

まあ、秋の花粉症は今のところ次の日からかなり軽くなったが・・・。


人の死が「季節の変わり目」に多いと言ったが、死だけでなく、こうした体の
変化もやはり「季節の変わり目」に多いように思えるのだが、これもある意味
死へのリハーサルなんだろうなぁ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなも「死」を怖がることなく受け入れる準備を怠りませんように。

                          may

・・・体だけでなく「脳」にもかなり「衰え」を感じる・・・本当に情けないなぁ。


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総理大臣って・・・Up   ~政治家の「夢」~

2008年09月04日 | Weblog
私は中年である。

秋は物悲しいねぇ。

稲がだんだん色づいてきて、頭(こうべ)を垂れている。
それを見て「ウキウキ」するくらいでなければ、本物の「お百姓」ではないんだろうな。

生まれてこの方、無意識の頃からそれを見てきたはずなのにやっぱりこの時期に
「ウキウキ」することは無い。

そこにあるのは「不安」と「重圧」だけだ。

まあ、今年は特に農業と言うものを本当にすべての意味で「継続」として捉えて
作業したから尚のことなのだろうけれど。


さて、福田総理辞任のことである。

ちょうど一年前のこのブログを読んでもらうと分かると思うのだが、本当に「自由民主党」と
いう政党も「グダグダ」になってきたね。

福田総理辞任の生中継が行われると言うことで、番組が中断したがその時間には
「テレビタックル」(テレビ朝日系)をやっていた。

その中でとても興味深い内容が放送されていた。

何よりも問題なのは「大臣に人事権が無い」ことだと言う。

確かに「公務員」と言うのは、一定の身分が保証されている。

基本的に今の法整備は「あまり重要でない」と判断されているものはヘタをすると
終戦直後の昭和23年位から改正されていない。

建築法みたいなものはその当時のまま変わらなかったから、職人である施工業者が
施工主を騙すことなどは考えられていなかった。

その法律を逆手にとって老人などを騙す業者を取り締まることができなかったりしたのだ。

話がそれたがつまり「大臣」と呼ばれる人たちは「官僚」たちの首を切る権利を持って
いない。

裏返すと「官僚」は大臣の命令を聞かなくても「クビ」にならないということだ。

のらりくらりととぼけて「出せ」という書類を出さず「やれ」と言うことをやらない。

さらに大体いいとこ1年程度しか「大臣」の座にいない議員達は大抵の場合、省庁の
組織や行政手法を理解する時間も無く任期を終えることになる。


これで官僚を自分の部下として使うことのできる「大臣」などいるわけが無い。


中年の私としては、つい昔話をしたくなる。

歴代総理の中で私の印象に残っている大臣達は、基本的のこの「官僚達」をちゃんと部下として
使いこなしていたと言える。

まあ佐藤栄作・田中角栄・大平正芳位までだろうけれど・・・。


しかし、それも官僚達の「理性」と「国民の無知」のバランスが取れていたからだ。

まあ、その時からの今の社会保険庁の「混乱の種」は育っていたのだろうけれど・・・。

どこまでも「55年体制」と言う政治体制は「嫌悪」すべき「平和な日本」の象徴的な
政治体制だったのだろう・・・。


結論的に言えば、この「官僚人事権が大臣にない」状況を変えない限り、自民党だろうが、
民主党だろうが、日本新党だろう、民社党だろうが、新自由クラブだろうが、
日本スマイル党だろうが、大日本愛国党だろうが、共産党だろうが、公明党だろうが、
どの政党が政権を奪っても、基本的に行政手法が変わることは無いと言うことだ。


そうした中で「自民党総裁選」は今日9月10日に本格的にスタートした・・・。

なんてむなしいんだろう。

私のように「自民党員」でない人間には、投票する権利も無い。

自民党員であっても、各県に割り当てられた票は3票と聞く。

これで、各地方の自民党員の意見が本当に反映されるのだろうか?

行政におけるすべてのことが、国民の意識を反映されにくいように、されにくいように、
法律が成り立っているようにしか思えない・・・。


ああ、まとまりの無いことをダラダラ書いてしまった。

しかし、そうした中で思うのだ。結局、一般国民にできることは「選挙に行って、
自民党以外の政党に投票する」ことだけだ。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「政治」というものが「自分の手」に握られていることに
気づきますように。

                          
                               may

しつこいようだが、自民党が政権を握っていても良いのである。ただ、それも
我々国民がその気になれば「危うい物」であることを、知った形の中で物事を
進めてくれれば・・・。

それを思い知らすには、国民が選挙で「自民党もウカウカしていられない」と
思わせる必要がある。





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