完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

「むなしい」と感じてはいけないのだろうけれど     ~親と言うもの~

2007年03月31日 | 家族・肉親
私は中年である。

先回のブログを読んでもらうと分かると思うのだが先週から今日までの
10日間ほど「混乱」の極にある。

その間にもUpしたい時事ネタがいっぱいあった。

「フィギュアスケート世界選手権東京大会」
「大相撲ズルズルの千秋楽・優勝決定戦」
「東京都知事選14人のドッチラケ」

時事ネタは時期を外すとちっとも面白くないのですぐにはUpすることはないが、
どこかでUpするタイミングがあるかなぁ。

と言うことでUpするブログネタには困らない「中年」である。


さて、人間は周期的にヒドイ忙しい時が押し寄せてくるらしい。

私の仕事は基本的に「二人」で進める仕事なのだが4年近くにわたって
一緒に仕事をしてきた「相棒」が2月いっぱいで「リタイア」してしまった。

まったくの「個人的理由」で避けられない事態だった。
また、私はモットーとして「去るものは追わず」である。

そのため3月は仕事を休める状態ではなかったのだが、そうした時に限って
「どうして休まなければならない」事柄が続く。

仕事がどうなったか不安で仕方が無かったが、なんとかそれを終わらせ「ホッ」と
していると、尚更に休めない「年度末最後の日」か「年度始め最初の日」の
どちらかを休まねばならなくなった。

歯噛みをする思いである。「なんで、そうした日ばっかり・・・。」


その休まねばならぬ理由が「親父を大学病院に連れて行くこと」だった。

こう書くと大変なことに受け取るかもしれないが「命」に係わるようなことではない。つまりは「老化現象」でしかない。

このブログで「親」のことをUpすることはずっとためらってきた。
・・・どうしても「冷静」な内容になりそうに無いからだ。

人間誰しも、あるとき冷静に親を「一個の人間」として見る時が来る。

一般社会に出て様々な人に会い「人間観察」を重ねてくると、自分の「親」が
どの程度の人間なのかを値踏みする時が来る。

私の場合、父親に対して感じていた漠然とした不信感があるとき「確信」に
変わった。

たいていの場合はその不信感や、ともすると「憎悪」にまでなった感情が
親子の情みたいなもので許せていくのだろう。

特に家を離れて生活する子ども達は「望郷の念」と「親子愛」がそれを
解消していく。

しかし、私のように40年以上一緒に暮らすものには「その人間の面白くない
部分」ばかりが突きつけられてしまう。

困ったことに人間は年を重ねるごとに、わがままで自己中心的になる。
全てのことは自分のことを優先にし「私は年寄りだから」と言うようなことを
「免罪符」に使う。

祖母が生きていた時に「親と言うものには困った。殺すわけにはいかねぇし・・・」などと言っていたクセに、息子の私が自分が感じた思いを持っているとは、
夢にも思っていない。

人間誰しろそう思う部分はあるが「まさに自分だけは」と考えている。
歳を取ると誰しそうらしいが・・・。


大学病院の検査は昼をまたいで夕方にまでかかった。

昼に外に出て食べ物屋を探した。しかし、周りには小洒落た喫茶店ていどしか無い。
親父は「コーヒーにスパゲティ」など食べる人間ではない。

結局20分以上も「食堂」を探して歩き続けた。

その時に私には「めんどくさい・むなしい」という感情しか浮かんでこなかった。

私は薄情な人間なのだろうか・・・。

そうではなく46年間一緒に暮らした父親との関係において、たった20分で
あっても「めんどくさい・むなしい」と感じる以外ない程度の「絆」しか
私達親子は作れなかったと言うことだ。

今は、その親父と暮らしながら「自分自身」が如何なる「老人」になるかを
ひそかに一生懸命考え続けている。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「親子の情」を深めていけますように。

まあ、まったくヒドイ年度末だった・・・。4月からは「心機一転」あたらしい
スタートを切るぞ~~~!                                              may


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目まぐるしい年度末    ~波のにのったプライベート~

2007年03月23日 | Weblog
私は中年である。

・・・しかし、困ったものだ。
この歳になる前は日々それなりに余裕もあったし好きなこともやれた。

この年度末に来て、一番余裕を持たねばならぬときに緊急のことが2日入って
しまい「余裕」どころの話では無くなった。

実を言うと、その二日の後の休日も二日酔いで何も出来なかったのだ。

「3日間」が泡と消えた。

もちろん、そのうち24時間を拘束されたわけではないのだが、この歳になると
そうしたことの「精神的プレッシャー&疲れ」が残りの時間を食いつぶされて
しまう。

しかも、慰労と称した飲み会が二日目の夜に模様され、そこでついつい飲みすぎる。
細かい要素が重なって、そうなっているのである意味避けられなかった。とも
いえるのだが・・・。

あ~あ、とにかく終わらない仕事だけが残っていき、着実にやってくる年度始が
恐ろしい「中年」である。


さて「世界フィギュア選手権」が終わった。(正確には「エキジビション」が
残っているのだが・・・)

・・・実は、私はこの大会の18日(日)の「公式練習」のチケットを
持っていたのだ。

それが上のマクラで記したとおり、ギリギリのところで近所の「葬式」が入って
キャンセルになった。

・・・前のブログを読んでもらうと分かるのだが、私は30年来のフィギュア
スケートファンなのだ。

今のご時世に大げさだと言われそうだが「一生に一度でよい」から「生」で
フィギュアスケートを見てみたいと思っていた。

女房とはスポーツの話では無いのだが、唯一フィギュアだけが二人で盛り上げれる
スポーツだ。

そこに来て最近のフィギュアの盛り上がり方はご承知の通り。かつて無いほどに
「爆発」している。

二人で発売日に携帯で40分以上かけて、やっとの思いで取ったチケットなのに。

・・・あと5時間。5時間知らせが遅れていれば、18日の7:20の新幹線で
東京都体育館に向かっていたのに・・・。

電話が来たのが夜の7時頃。無くなったのが夕方の5時16分だと言うから、
まあ、どこまでいっても仕方がないのだが・・・。

これが10時過ぎなら知らせは次の朝になったはずで、私達二人は新幹線に
乗っていたはずだ。
そうなっていたら、善後策を講ずるのがとても大変だっただろうが、これほどの
口惜しい思いはしなかっただろう。

すべては終わったことだ。「死んだ子の歳を数える」のはやめよう・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなも、今回の内容に辟易していることだろう。

自分でもボロボロだということを自覚して、締りの無いブログになったことに
深くお詫びする。Upしたい内容がいっぱいあるのだが、雑務に追われて
どうにもなりません!                                              may
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「プロレススキャンダル事件史」(正・続)読み終わりました。    ~中年男の必ず通った道~

2007年03月16日 | Weblog
私は中年である。

つくづく安倍ゾウリも、部下についていない人である。
と言うより、彼の運はそうしためぐり合わせになっているのだろう。

松岡利勝農林水産大臣が「法律に基づいて適正に公開している」と言い続けて
いるが、これは逆にいえば「法律に触れていなければ疑惑を晴らす必要が無い」と
言っているのに等しい。

たしかに「処罰」はされないかもしれないが、かわりに「信頼・信用」を
失うことになる。

そのことの方が政治家生命を縮めているとかんがえないのだろうか?

そして、その発言や態度に安倍ゾウリは同じようなことを言って彼を
かばってる。「同罪」と言われも仕方あるまい。

「55年体制」当時を悪く考える人も多いと思うが、すくなくともこうした
一般的な「国民の目・国民の常識」を気にしていたのは、間違いなくそこ頃の
方が強かった。

こうしたことが起きれば、総理大臣が毅然と「はっきり疑惑を晴らせ」と
命じたしそれができない時はしっかり「罷免」(辞任を含無)してきた。

国民が支持しそうにない・阿吽の呼吸で「まずい」と思ったことは、わるいこと
かもしれないが「場を収めて」きたのだ。

こうしたことがおさまらなくなったのは「コイズミゾウリ」からだ。
日本的な「なあなあ」が悪いことばかりでなかったことをこの頃深く感じ入る
「中年」である。

さて、中年の男タチが必ず通った「道」がある。

          「プロレスリング」
 
                      と言う道である。

いまだ「ジャイアント馬場」「アントニオ猪木」の名前に特別な感傷を
持っている世代だ。

プロレスを本当の「格闘技」だと信じていられた幸福な世代だ。
いや、私はいまだに「半分」は格闘技だと思っている。

あの私達を熱狂させてくれた「試合」の数々が、すべて「虚構」だったとは
(エンターテイメントって呼ぶべきなのか?)思えない。

前回も同じようなことをUpしたが、あの頃は「世代を超えた価値観」が
存在していた・・・というより、その方がそれ以外の価値観より多くを占めていた。

親父と一緒に、兄貴と一緒におなじデストロイヤーやフレッド・ブラッシーの
悪口を言うことが出来たのだ。

なにごとも「表」があれば「裏」がある。「成熟」すれば「爛熟」する。

そうなるとスポットライトの当たらぬ「影」の部分がクローズアップされる様に
なり、スキャンダラスなことが表と同じ重さで語られるようになる。

そうしたことで「今だからこそ」読むべきと思って、コンビニで見つけた

      「プロレススキャンダル事件史」(正・続)

                       別冊宝島編集部編

                          の2冊を読んだ。

よき時代だった。そして「いい加減さ」こそが「プロレスの正体」だったと
今更ながら確認した。

ただ、間違いないのは現在の日本における「格闘技界」が成立するにおいては
この「力道山」(この人は、さすがに私は現体験していないけどね)から
「ジャイアント馬場・アントニオ猪木」そして「長州力・前田日明・舟木誠勝」
の流れが間違いなくあったのだ。

そこには「プロレス」というものの「理想と現実」「身体と金銭」の間で
のた打ち回った「レスラー」という人間達がいたのだ。

逆に言えばこの本を読んで楽しめる「中年」になったことに、プロレスという
いかにも胡散臭いものが世界的な「格闘界」に発展する過程をみれる「歴史の
証言者」になれたことに喜びさえ感じている私である。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「人間の本質」が「格闘技」にあることを
                        実感しますように。

先週末(17日)からこの休み(21日)まで、ホントにトラブル続きでした。
そのため、ブログが遅々と進まなかったことをお詫びします。・・・って、
そんなに楽しみにしている人もいないか!                                                  may







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久しぶりの手応え    ~今年の大河ドラマ~

2007年03月12日 | テレビ
私は中年である。

私のブログも早いもので、始めて1年が経った。
記録的な「大雪」の中ではじめたブログは、記録的な「小雪」の年で1年を迎えた。

・・・と思ったら、昨日の夕方から今朝までに30cm以上の雪が積もったのだ。

今シーズンで一晩でこれだけ雪が降ったのはほとんど記憶に無い。
12月か1月の初めの頃に1~2日あったかなかったか・・・。
ほとんどそれで1シーズンの雪が持ったという感じだった。

結局「春の訪れ」と言うのは雪の量がどれ位であっても、大して変わらないと
いうことか・・・。ふつふつと晩冬のわびしさを感じている「中年」である。


さて、今年の「大河ドラマ」が好調だ。と言っても視聴率が良いかどうかは
知らない。

ここ数年の大河ドラマは、はっきり言って「甘口」のものが多かった。

アイドルや女優に頼った構成になっていたのも皆周知の通りだ。
(タッキー・香取慎吾・仲間由紀江・松嶋菜々子・米倉涼子等々)

また、脚本が原作の素晴らしさを伝えるには拙かったり、逆に原作が
大河ドラマに向いていなかったり・・・。

NHKのここ数年の経営・運営状況を象徴するかように、大河ドラマも
不安定だったといわざるを得ないだろう。

「紅白歌合戦」もそうなのだが、これだけ国民の世代別のニーズが
変わってしまった中では、一つの番組に全てを詰め込むのは基本的に
「無理」がくる。

私達が子どもの頃は、小学生から60歳くらいの人まで「同じ歌謡曲」を
聞き歌ったりし得たのだが、今はいくらなんでも無理がある。

だから(年のせいもあるだろうが)私はここ何年も「紅白歌合戦」を見ていない。

大河ドラマも似たような意味で「若者から中高年まで」満足するものを
作ろうとするのは無理なのだ。

今回の「風林火山」の良いところは、主役が「役」自体を越えていないこと。
内野聖陽はアクが少し足りないが、そのため「内野聖陽」ではなく「山本勘助」が
そこにいる。初TV出演の市川亀治郎・柴本幸(おっと彼女はまだほとんど出演
してないか)も初々しくていい味出してるし。

さらに、周りを固める役者がでしゃばり過ぎない。昨年などは主役より目立つ
「役」と「役者」が多くてやかましすぎた。(舘ひろし・柄本明・西田敏行達の
方が役が重いしうまいのは、話の中心がどこにあるか戸惑わせたって・・・)

結構、脇役の上手な人たちが、ちゃんと個々の役どころをしっかり一話の中で
演じきっているのも良い。

原作の井上靖の「風林火山」は、こうした1年がかりのドラマの原作になるには
少々ページが少なすぎる感はあるが、今のところの11話分までは原作に無い、
オリジナルだと言う。

その部分が少々振幅が大きすぎるきらいが無いでもないが、逆に原作に無い
「山本勘助の若い時」が語られることで後半の原作部分に信憑性が出てくる。


実際、原作の井上靖著「風林火山」を読んだ人は多いと思う。

私がこの本を読んだのも、随分前で記憶が散漫になりつつあるが、とにかく
非常に「情緒的」であって、純然たる「歴史物」ではなかったように思えた。

だからこそ、大河ドラマとしては「歴史」の面と「感情・精神的」な面の
両方から描くことが出来る。

問題は井上靖の原作に戻ってからだろう。そして、ライバル役をやる
ガッくん(Gackt)がどんな演技をするか楽しみだ。

とにかく、本当のことを言うと「大河ドラマ」を全回見たことは実は無い。
それだけの面白さを感じさせてくれたドラマが無かったのも事実なのだ。

今年は初めてのその快挙に「手応え」を感じている。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「日曜8時」テレビの前にそろいますように。

この原作の感想・・・この本をドラマにするなら、とにかく由布姫を誰に
するかが全てのポイント。勘助はこの人の為に武田に残った。この人こそが
ある意味勘助の存在理由なのだから。

ちなみに昨年の正月に松岡昌弘(信玄)北王子欣也(勘助)でのドラマ化の
時の由布姫は・・・・「加藤あい」でした。(だからち~~~っとも面白く
無かった)                     may



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羞恥心の摩滅   ~外国人の「神」日本人の「恥」~

2007年03月09日 | Weblog
私は中年である。
最近特に思うのだが事件・事故・面倒事というのは、
ある周期の波のようにやってくるものらしい。

だから「バイオリズム」なる生理学があるらしいが・・・。

しかも面倒事は、なぜかそれに対応できる時間や気力がある時には
やってこない。

忙しく他にもやることが目の前に迫っている時に限ってその「面倒事」は
一つでなく二つ三つと重なってやってくるのだ。

今の私だそうだ。

困ったことに、本当にどれもおろそかに出来ないし、他人に任せられない。
(なら、ブログなんか更新するな!そっちのことをやれ!・・・もっともです)


さて、まだ読み終わっていないのだがキリスト教・ユダヤ教・イスラム教の
相関関係についての本を読んでいる。

非常に面白い!

2000.9.11の事件をよもや忘れている人はいないだろうが、あの事件の
背景にあるものを、日本人で「本当の意味」で理解している人が何人いるだろう。

そして「世界経済・世界外交」が実は宗教的な意識の絡み合いで成り立っている
ことを理解している日本人がどれくらいいるだろうか・・・。

詳しくはもう少しで私がこの本を読み終わるので、その時詳しくUpしようと思う。

それを踏まえた中で、それを理解できない「日本人のモラル」の深層心理について
考えてみようと思う(なんか、堅苦しいなぁ。そんなむずかしいことを言うつもりは
ナインだけなぁ)

簡単に言うと、日本以外の国の人間の行動は「神様(宗教)」の規律によって
成り立っている。

そこには「神様(宗教)」に対する「畏怖・畏敬」が何代もの世代に受け継がれて
容易に揺るぐことなく存在している。

「神に対する反逆」は、ほとんどの場合その世界での自分の存在理由さえ
なくなってしまうのだ。

では「日本人」はどうか?

日本にも過去から現在までに「宗教」は存在しているが、すくなくとも日本以外の
国のそれとは明らかに違っている。

日本書紀における「神道」や「仏教」は、現代人にとって「冠婚葬祭」の道具に
なっていると考える。

その道の人たちから怒られそうだが一般の人たちは、それに手を合わせることが
あっても「心からの宗教」と考えている人は、極まれだろう。

それではそうした「宗教」無くして、つい最近まで「世界一治安の良い国」を
保持していたのはなぜか?

わたしは宗教に代わるものを日本人は「恥」に見出していると考える。

私の小さい頃には、親達がこういって私を叱った。「ほら、アッチさん(他人の意)
が見てるよ!」他人が見て笑っているよ!位の意味になる。

「人に笑われるようなことをしちゃいけないよ」という諌め方だ。お笑い芸人に
なってはいけないという意味ではない。

「人に笑われるような恥ずかしい」事をしていけない。→「人の道」に外れた事
・人と変わった事をしてはいけないと教えられた。(まあ、だから没個性になって
しまったのもあるけどね)

・・・しかし、現代社会においては「恥ずかしい」ことの奨励をしているような
「美しい国・日本」になってしまった。

ズボンをズリ下げ、パンツを見せて歩いている男。

明らかにパンツがチラチラと見えることを気にせず歩く女。(あれはわざとか)

子どもの食べたものに平然とお金を払わない親。(給食未払い)

見ておいて受信料払わない視聴者。(NHK受信料)

国民の税金を平気で「浪費」する公務員。

口先三寸で平気で「公約という嘘」を言う政治家。

みんなみんな「恥」を知れ!

世界的に「宗教」より「私腹を肥やすこと」に精を出す人間が増えてきている。
日本でも「恥知らず者」はさらに増え続けている。

それは「エコロジー」の対極にあるものだ。

人間が生まれ出でて、つい最近までは「神への信仰」「羞恥心の維持」は
「地球」そのものへの配慮が含まれていたのではないかと思えて仕方の無い
今日この頃だ。


今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「恥ずかしい意識」忘れませんように。

男は「大胆なヘア・ヌード」も嫌いじゃないけど「恥ずかしい!」って
顔をした女性にグッとくるものなんだ・・・ってそれは私だけか?

                              may

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いまだに居る「バカモノ」   ~飲酒運転の意味~

2007年03月05日 | Weblog
私は中年である。

春一番というには強すぎる風が吹いて、スキー場のナイターの光が落ちる。
雪国に春が来るのである。

「心」揺れる季節の到来だ。
春と言うのは、何かと気忙しい。私のような「宮仕え」の人間は特である。
にも拘らず「事」はなかなか進んでいかない。

実はお決まりの「人事異動」の内示があり、あっと驚く!異動だった。

・・・少々心乱れているのである。

いつもよりも長い「覚悟を決める時間」をもてあます「春」である。


さて、昨日の夕方またまたとんでもない場面に出くわした。
春になり、だいぶ陽も長くなり天気が良いと6時近くまで明るい。

その時間に、少々遠出をして国道を走っていた。隣には女房を乗せていた。

数キロ前から前を走っている車の挙動がおかしい・・・。

妙にスピードが遅い。そして「フラフラ」している。
対向車と対面車がなくなると、いきなりスピードが上がる。

そして、フラフラ・・・。

ほぼ間違いなく「酔っぱらい運転」だ。

昨年から、特にこの「飲酒・酒気帯び運転」はとても厳しい罰則を受けることに
なったはずだが、いまだにこんなバカモノが居る。



最近の交通犯罪に関する法律は、徐々に「方向性」を変えつつある。

「業務上過失致死」と言うのは、どういう意味かと言うと「車を運転する」と
言う「業務」(仕事の意味に非ず)で「過失」を犯し、人を「死に至らしめた」と
言うことだ。(古文の勉強みたい・・・)

そして、ちょっと前の交通犯罪の最高刑がこの「業務上過失致死」で「最長
5年の懲役」だった。

だいたい、日本の法律において「殺人」とは「明らかな殺意」を持って、
「計画的」に実行されたものを言うらしい。

しかし「人が死ぬ」ことに、その前提は当てはまるのだろうか?
人一人が死ぬことによって生まれる家族の「不幸」に、それらの前提が
意味を持つだろうか?

結果的に「人が死ぬ」事の原因の「過失」に「酒を酔う」事は、
すでに「明らかな殺意」と「計画的」と言う部分に踏み込んでいると
判断できないだろうか・・・。

確かに個々の事例における条件を精査する必要あるだろう。


現代の一般人は「裁判」と言うものに「復讐」の意味を見出すだろう。
しかし、日本の法律において「罪を裁くこと」に「復讐」の意味は含まれて居ない。
日本の裁判にあるのは「秩序」を守るための「罰則」だけだ。

明治時代以前は「敵討ち(復讐)」が公然と認められ、そのことでしか
遺族の気持ちが晴らされないことを、国自身が知っていたのである。

それを近代国家になることと引き換えに「無視」して、さらに
ある時期までは、その量刑と「復讐」がほぼ納得できるものだった。

しかし、現代においては「犯罪の重み」が「心情における罪の重み」と
釣り合わなくなりつつある。


私の車の前をフラフラと走っていた「酔っぱらい車」は、薄暗い中ウィンカーを
出したと思ったら、カーブを曲がりきれずに斜めになって停まった。

後続の車は、不審気にそれを追い越していく。

私も慎重に追い越して帰路を急いだ。

なんにせよ、誰も事故にあわなくて良かった。
一度生まれた「憎しみ・悲しみ」と言う感情は、薄れこそすれなくなることは
ありえない。

今回のことでその感情は誰にも生まれなかったろうから・・・。
不条理な「量刑」で「憎しみ・悲しみ」をつのらせる人間はどこにも居ない。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「不幸な交通事故」あいませんように。

私の母は、父の運転する車の自損事故で亡くなった。その「悲しみ」をこえる
悲しみはあまり想像がつかない。(暗い内容になってしまった・・・反省!)

                              may


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宮本輝著「青が散る」読み終わりました。  ~本を映像化するむずかしさ~

2007年03月01日 | 
私は中年である。

唐突だが「われは海の子」と言う歌をみんなは知っているだろうか。

「当たり前じゃないか!」と怒られそうだが、それでは「われは海の子」が
何番まであるか知っている?「3番」なんていうと私は許さないよ。

知っている人も、その歌詞の意味を本当に知っている?

1番に出てくる「とまや」ってなんだか知ってる?(しばらく前まで私は
「蕎麦や」だと思ってた)

2番に出てくる「浴み(ゆあみ)」って何だが知ってる?

3番に出てくる「いみじき楽」って何だが知ってる?

全ての答えは最後に用意します。

さて、我ながら古い本ばかり読んでいるなぁとあきれるのだが

        宮本輝著「青が散る」
                  読み終わりました。

この本は昭和53年(1978年)から4年に渡って「別冊文藝春秋」に連載された。
そして昭和58年(1983年)にTBSでドラマ化されたので、覚えている人も
いるだろう。

宮本輝は不思議な作家だ。彼は「芥川賞」(純文学)と「直木賞」(大衆文学)の
ちょうど中間に位置する作風を持っている。

純文学として発表した『泥の河』『螢川』『道頓堀川』の川三部作は、その関西を
舞台とした見事な小説だ。

大衆文学として発表した中では、この「青が散る」と「優駿」がベストだろう。

私のような「佐渡を含む日本海側の地域」に住む者にとっては、関西・大阪圏は
「独特の明るさ」の爆発している所というイメージが強い。

しかし、彼の小説群には、そうしたところにも「人間の奥底にある深い悲しみ」が
潜んでいることをそこはかとなく感じさせてくれる。(純文学・大衆文学共にだ)

「青が散る」はTBSでドラマ化されたときは、視聴率の低さで最初の計画から
7~8回削られてしまったが、このドラマがデビューの石黒賢・二谷友里恵を
中心に佐藤浩市・川上麻衣子らを共演させてうまく作られていた。
(劇中歌の「人の駱駝」も結構ヒットしたような覚えがある)

・・・しかし、「良く出来ていたドラマ」だったが原作の「素晴らしさ」を
完全に伝えてはいなかったと思う。

ドラマ「青が散る」は原作の舞台の「大阪」を「東京」に置き換えてしまったことで
そのベースとなる部分を半分以上失って、安斉克巳(登場人物・かなり重要な役)の
病気をテレビ向けに変えてしまったことで、残りの半分の半分を失ってしまった。

この人の作品は、小説としての完成度が高い分「映像化」するのに苦労する。
(仲代達也・斉藤由貴・緒方直人・拳親子の出演で映画化された「優駿」も
 同じことが言える)

今と違って「携帯電話」も「パソコン」も出てこないが登場人物の大学生
「椎名燎平」や「佐野夏子」「金子慎一」「星野裕子」たちは生き生きと「本」の
中で輝いている。

ドラマ「青が散る」は再放送を繰り返すたびに視聴率を上げていったと言うが、
もし、ドラマしか見ていない人がいたら言いたい。

        「是非、原作を読んでみなさい」
                         と。

そうした意味でも、宮本氏は「文章の持っている本当の力」を感じさせてくれる
作家だと言えるだろう。

・・・といいながら最近の彼の本を読んでないなぁ・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「本当の文章の力」を感じ取れるようになりますように。

と言うことでマクラの答え合わせです。
「われは海の子」は・・・実は「7番」まであるのです。
1番の「とまや」は「粗末な家・質素な家」くらいの意味でしょうか。
2番の「浴み」(ゆあみ)は「湯浴み」つまり「風呂(産湯)」のこと。
3番の「いみじき楽」は「気持ちの良い・心地よい音楽」と言う意味です。

歌の本当の意味については、今度じっくりUpしたいなぁ。    may






 

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引退の「決意」   ~ある噺家の引き際~

2007年03月01日 | Weblog
私は中年である。
しかし、世の中には「凄い・ヒドイ」話が転がっているものだ。

12人全員が無罪となった「鹿児島県議選をめぐる選挙違反事件」などは
「今は昭和一桁か?」と絶句してしまった。

前にそんなことをUpしたと思うのだが、問題なのは「警察」のこれほど
あからさまな「恣意的捜査」を「検察」が見抜いて「不起訴」にすることが
出来なかったのだろうか。
(まえのUpの時はこれよりヒドイ「裁判所」のことをUpした記憶がある)

「警察」「検察」「裁判所」と言うのは、ある意味犯罪における「フィルター」の
役目をしているものだと私は思っていた。

犯罪を摘発し、起訴し、裁く。そうしたことは、様々な人間がかかわることで
「恣意的」な部分を「客観的」な目でチェックする。それこそが「機関」の存在
理由だと思うのだが・・・。

いまは流行している「それでも僕はやってない」なども、興味深い映画だ。
(早く見たいのだが、我が地域には映画館が無い)

とても、犯罪になど巻き込まれたくないと、そんな意味でも強く思う
「中年」である。


さて、落語家の三遊亭円楽氏が「引退宣言」をしたと言う。

一昨年あたりから静かなブームで「落語ブーム」が起きていたのだが、
違った意味でこの三遊亭円楽氏の動向も注目されていた。

それはもちろん「笑点」の司会をどうするか?が問題だったからである。

思えば、よほど好きな人でもなければ、普通の人にとって「落語」や
「落語家」を身近に感じるのはこの番組くらいのものだろう。

私は変わり者の中年だから「落語ファン」なのだ。そういいながら「寄席」に
行ったことは残念ながらない。

その寄席に行ったことのない私が、なぜか「円楽」の生の高座は聞いたことが
ある。


古典落語は、日本人の「心」に訴える芸だと言える。

江戸時代から明治初・中期位までに出来た噺をそういうのだと思うのだが、
その頃までが「日本人」が「本当に日本人」らしくあったときのようなする。

世界の情報・言語・貨幣が飛び交うようになって「日本人らしい」ことが
おぼろげになって行き、現在は「日本人である」ことに意味を見出さない若い人も
増えている気がする。

古典落語の中にも「滑稽噺」「人情噺」などの種類があるが「滑稽噺」の中には
時の流れにおける日本人のほのぼのとした生き方みたいなものがベースにあるし
「人情噺」には日本人の本来持っていた情や道徳感が見て取れる。

更に落語のおもしろさは、同じ噺を様々な人が演じることでその「差」を楽しむ
ことにある。

大阪と東京・三遊亭と林家・円楽と歌丸。同じ噺もそのファクターで
全く違った物になる。

だから物の「比較」と言うものに興味の無い人は古典落語をあまり、楽しめ
ないだろう。
(同じことがクラシック音楽や歌舞伎にも言える。共通していることは、
 その噺・音楽・演題を熟知して見たり聞いたりしないとその「違」いを
 楽しめないからだ)

円楽氏の引退に「まだ早い」とか「芸は落ちていない」と言って惜しむ声は多いが、
こと落語の大家においては、聞いている方に本人の決意の意味はほとんど
分からないのだ。

伝説の名人「三遊亭円生」は、晩年ロレツが回らなくなってからがおもしろかった。
と言う人もいる。

先代の「林家正蔵(彦六)」(こぶ平が継いだ名前で有名ですね)も、80歳に
なっても独特の口調で死ぬ間際まで高座に立っていた。

その道の大家になればなるほど「人の期待」するものと「自分の納得」できる物との
間で苦しむことになる。

実際、彼の話は多分に技術と目先の新しさを混ぜ合わせた芸だった。円生や正蔵の
ように確固たる技術とセンスで成り立っていなかった分、不安の方が大きかったのではないだろうか。

どんな人も様々なことからの「引退」と言う時を迎える。その時に「生き様」自体が
問われることになる。

円楽氏のそれは、中年の私にまた一つその「見本」を見せてもらった気がする。
自分の場合、仕事においての「引退」は単純に「定年」なんてことになりそうで、
情けなくはあるが・・・。

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。
これを読んだみんなが「違いの分かる男(女)」になりますように。
(古くて分かんないですか?)

「名人」と言われた円楽だが、私の見た高座では「娘」と言うところを「息子」と
言ってしまい照れ笑いでごまかしていたよ・・・。(ちなみにその時の演題は
「長命」と「文七元結」どっちもいい出来だったです。間違えたのは「文七」の方)
                                 may

コメント
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