完全無欠な「もうすぐ前期高齢男」日記

「もうすぐ前期高齢男」に進級「老いの自覚」を中心にUpしていきます。

持って行ってしまう・・・      ~笑福亭仁鶴逝去~

2021年08月21日 | 落語





私は中老男である。






最近、別サイトにてブログを始めたためにこのブログも

 

 

 

少々滞っていた。

 

 

 

 

そうしているうちに

 

 

 

千葉真一が亡くなり







今度は「笑福亭仁鶴」が亡くなった。







享年84歳とのこと。








芸人にとって(話芸を生業にしている人は特に)







自分を表現する技に疑問を抱いたら







舞台には立てまい。

 

 

 

仁鶴師匠も高座に上がらなかった主たる原因は





それだっただろう(体調不良はもちろんあるだろうけれど)







私の一番のお気に入りの落語家「桂枝雀」の本当のライバルは




たぶんこの「笑福亭仁鶴」だったとおもう。






枝雀が「笑い」を極限まで求めたことで

 

 

 

「時代を感じさせない」落語家であったように

 

 

 

伝統的な「時代と笑い」の融合に成功し

 

 

 

良い意味で「時代を感じさせた」落語家だったように思う。

 

 

 

枝雀と仁鶴。

 

 

 

すでに比較するには「恐れ多い」二人である。

 

 

しかし、この仁鶴逝去に当たり禁を犯すことにする。

 

 

 

私のライブラリーにある二人が演じている同じネタ






        「青菜」を

 

 

 

今回聞き比べてみた。





好きな枝雀だが・・・・

 

 

 

この噺ににおいては仁鶴の「青菜」には数段及ばない。

 

 

 

特に植木屋の主人公を誘いに来る大工の対応においては

 

 

 

仁鶴の大工の方が圧倒的に生き生きとしている。

 

 

 

植木屋が大工のことを「植木屋さん」と呼ぶのに対しても




「それヤメ!」のツッコミが仁鶴の方がメリハリが効いている。

 

 

 

植木屋がいよいよ大工に青菜をすすめる時に

 

 

 

「時に植木屋さん、青菜を食べてか」に対して




枝雀は「いらんいらん」とそっけない

 

 

対して仁鶴は

 

 

「わい青菜キライやねん」

 

 

当然稽古をつけてもらった師匠の教え方や受け取り方にもよるだろう。

 

 

しかし、表現だけではなく

 

 

仕草からその場の雰囲気において

 

 

枝雀はなんとなく現代に近く

 

 

仁鶴のそれは江戸ないし明治の雰囲気に感じる。

 

 

 

それは「笑い」を突き詰めることで時代背景をわざと表現しない枝雀と

 

 

 

古典としての「落語」の部分をより深く残した仁鶴の芸風の違いに

 

 

直結している気がする。

 

 

互いにテレビ時代の寵児であったふたりは

 

 

 

「精神を病んだ上での自殺」と「体の衰えによる大往生」という

 

 

 

まったく別の形で人生を終えた。

 

 

 

今回も最後までお付き合いいただきありがとう。

 

 

 

これを読んでいる皆さんも「同じ時代を生きたこと」を感謝できる人が居ますように。

 

 

 

         May

 

 

 

芸人の逝去というのは、残念ながら「その芸そのもの」を持って行ってしまう。

 

 

 

今の時代「過去の記録」として残っているものが少なくないのは

 

 

 

ありがたくはあるけれど

 

 

「生の彼らの芸」がいかに凄みがあったかを二度と味わうことができない・・・。

 

 

 

合 掌

 

 

 

 

 

 

大変僭越ですが最近始めた「別サイトのブログ」のアドレスを記しておきます。

 

興味のある方はアクセスをお願いします。

 

中老男「Ⅿay」のブログ | 60歳を節目にブログを始めました。 (may-blog1961.com)

 

 

 

 

 

コメント
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