Fish On The Boat

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『「上から目線」の時代』

2013-08-18 22:25:29 | 読書。
読書。
『「上から目線」の時代』 冷泉彰彦
を読んだ。

社会学の中のコミュニケーション論という位置づけになるでしょうか。
僕たちの会話の中から生まれる、「上から目線」や「見下された」という感覚。
それらが感情的な紛糾を生むことを解き明かすような本です。
最終章では、では、どうやってその「上から目線」による
コミュニケーションのうまくいかなさを解消するかという処方箋が出されています。

「上から目線」と言われれば、尊大な態度でものを言う人を思い浮かべるのではないかと
思うのですが、もっとデリケートなところでも無意識的に上から目線を感じたりするようです。
たとえば、本書で書かれているところでは、平和主義を唱える人が、その正しさを信じるがゆえに
平和を強く訴えると、それを聴く人の中には平和主義者のその強い口調を上から目線だととらえて嫌悪し、
平和主義自体も嫌悪するといった具合のプロセスがあるそうです。

また、他の例では、野良ネコに餌をやるタイプの人たちと、野良ネコを駆除しようとする人たちの間でも、
お互いに上から目線を感じ合うがために、対立を深めていく構図が説明されています。

「上から目線」を軸にさまざまなディスコミュニケーション事象を見ていくと、
実にいろいろなケースが該当するんですよねぇ。もう日常茶飯事です。

趣味の世界でもなんでも、「上から目線」、具体的には
「(年季の入った私は)あなたとは違うんです」という目線が、関係に不協和音をうむ。

そして、コミュニケーションにおいては価値観論争というものが危険とされてました。
その危険とは相手から嫌悪される「上から目線」を感じさせる
断言口調を連発せずにはいられなくなる点にあるそうです。
そうですよねぇ、自分の価値観が正しいですから、さらに、
いきなり自分が善であり相手が悪でありという立場にしてしまいますし。

曲のソロのところになるとステージの中央に飛び出してくるギタリストのように、
みんながなってきたのかもしれないですね。自己を尊重するのはいいことだけれど、
自己を高みにのっけるくらいまで重くとらえるのはどうかと思うところです。
「誰にも汚されないわたし」なんてありえないからです。

きっと、経済的に豊かになって、IT革命が起きて、個性の尊重と育成が行われて、
個人の主人公感っていうものが強くなったためにこういう社会の流れになったんだと
僕は思います。

本書で取り上げられた「上から目線」と、以前このブログで紹介した
槙田雄司さんの『一億総ツッコミ時代』で取り上げられた「ツッコミ過剰」を
併せて考えてみると、今の多くの日本人の心性というものがみえてくるような気がします。

はーっ、面倒くさいもんですね、人との関係性のあり方と言うものは。
そうはいっても、それはそれ、もっと良くなるための過渡期の事象だと
とらえたいですね。

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