読書。
『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』 井庭崇 長井雅史
を読んだ。
オープンダイアローグという対話技法はフィンランドで生まれ、かの国ではまず統合失調症、うつ病、PTSD、家庭内暴力など精神疾患の治療で用いられ成果を上げてきました。日本には2010年代に紹介され、精神科医である斎藤環さんが書かれた書籍もあります。
本書はそんなオープンダイアローグを他の問題への応用が効く技術として広くとらえます。つまり、心理療法のみならず、家族、職場、友人などの人間関係のこじれすべてに適用可能なものとしているのでした。そういった前提の上、パターンランゲージという技法で分節された抽象性の高い30個のパーツをひとつずつ学んでいくかたちをとっています。また、30個のパーツは3つのグループごと10の集まりを作っていますし、さらにもうひとつ上のカテゴリが形成されもしていて、一つひとつの技法の方向性がわかりやすくなっています。文章自体も簡潔ですし、分量も少なくわかりやすかったです。
この対話のやり方としては、オープンダイアローグを行わなければならない問題を抱えた人がいるわけですから、もちろんその当人と家族の参加が必要になります。そして外部からは、親密な友人や親せきが参加してもよいでしょうし、ソーシャルワーカーや支援団体の職員、看護師や保健師などが入ってもよいと思います。肝心なのは、何度も行われる対話につねに参加できることと、途中でメンバーが入れ替わらないようにすることです。場所は当人の家など、リラックスできる部屋を選び、参加者はぐるりと車座になって(中心をつくらず、みなが公平なポジションをとるためです)、始められる。
問題を抱えた当人が話をすることがなければ問題がなにかすらわかりませんが、話をしにくいかもしれない当人が話しやすい場をつくり、耳を傾ける姿勢を正しくとります。そして、ひとりだけが話すのではなく参加した者たちすべてが話す機会を持つことになります。本書にある30個のパーツのなかには、そういった過程をこまかく区切っている部分もあります。対話の最後のほうでは混沌が訪れることにもなりますが、それを恐れず、さらには混沌を乗り越えるためそこからヒントを得るなどしながら、問題を包み込む大きな物語へ到達することが求められます。
それでは、引用をしながら。
__________
今後の方針や治療計画なども、専門家のみで決めることはせず、本人たちとともにミーティングの場で決めていきます。これは一見すると、よくあることのように思われるかもしれませんが、ミーティングの外では一切、治療スタッフだけの話し合いの場をもたないというのは、きわめてユニークな考え方だといえるでしょう。(p-xv)
全員での対話の外で、今後の方針などについて話したり決めたりすると、みんなで語り合った内容から飛躍が生じ、対話の流れや関係性が崩れてしまいます。(中略)しかし、対話の場以外で何かを話したり決定したりすると、それを受け入れられない人が出たり、距離が生じてしまいます。(p69)
__________
→これは対話の透明性のことだと、このあとに書いてあります。透明性のある対話がつづくことで、誰もが自分事としてとらえる気持ちが強くなります。そして自分もそこに参加して話をしているわけですから、主体性を持てるようになっていきます。さらに、この場にのみ大切なことがすべてある、という思いが生じて、信頼感も強まると解説されていました。まったくそうだと思います。僕個人の経験でも、いろいろな人をまじえて問題解決に向けた話し合い、それはオープンダイアローグに近いものでしたが、外部で決められてしまい面食らうという事態に見舞われたことがあります。話は飛躍していたり歪曲化されていたりで、当然受け入れられるものじゃない、というものでした。まあ、難しいものだし繊細なものですし、これをやったらどうなるか、というところまで完全にイメージしてやれるものでもないところがありますから、そういったみんなの未熟さを補う意味でも、このオープンダイアローグの手法は一度踏まえておくと(そして、オープンダイアローグという言葉だけでも覚えておいていつでも振り返れるようにしておくと)、話し合いつまり対話がうまくいきやすいのではないでしょうか。
__________
ひとりの人から話を聴いているだけだと、その人の視点からしか「問題」について捉えることができません。そもそも人間は物事を、本当の意味で「客観的に」見ることはできないものです。問題に直面している人はその問題に意識が惹きつけられているため、なおさら状況や経緯についての盲点が生じやすくなります。(p35)
「ポリフォニー的現実においては、誰の声が正しく誰の声が間違っているかを決めることはできない。<全ての声>が重要であり、新たな意味を生み出すことにかかわっているのだ。それらは等しく価値がある。」 ーーー セイックラ&アーンキル(p40)
__________
→なので、関係者それぞれの話を聴くことが大切になるんですね。そして、その視点をみなが共有する。多様な声を聴き共有することは、問題が解消したあともともに生きていける「未来への仲間」になるきっかけになる、というようなことも著者は述べています。
__________
落ち着いたあとに、そのときの体験や感覚について対話しようとしても、掘り下げて話すことが難しくなってしまいます。問題が生じているとき、とくに感情が不安定なときには、対話どころではないと考え、落ち着いてからにしようと思いがちです。しかし、一度落ち着いたあとに振り返って話すとなると、「せっかく落ち着いたので、思いだしたくない」と感じるかもしれません。また、そうやって先送りしていると、生々しい感情を思い起こすのが難しくなり、問題の解消ができなくなることがあります。(p57)
__________
→大変な心理状態な人に、「あなたはいま大変だと思う。でも、ほんとうに気の毒だしこんなことをさせるのは悪いとも思うのだけれど、それでもここで頑張らないといけないから、無理を言うようだけど言葉にして欲しい」と言わなければいけないし、大変な人はそこでぐっと歯をくいしばって言葉を紡いでいかないといけない。エネルギーを大量に使うことです。こういうところって一言でいうと、不条理ですよ。だけど、しょうがないんですよね。大変な状態の人ががんばることで、社会が新たな知見が得られるということも多いでしょう。話を聴く側の人は、話をしてくれる「大変な状態」の人の、恐怖や不安や怒りなどの感情の生々しさをもふくめて、受け止める努力をすることが大切になります。さらにはそれを否定せず、増幅させるようなことを言わず、しっかりそのままを受け止める。そのことで自分にかかってくる心理的な重い負担を甘んじる。
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「言葉には始めも未来もないし、対話のコンテキストは果てしがない(それは無限の過去と無限の未来へ入っていく)。過ぎ去った、つまり過去の時代の対話から生まれた意味というものも、決して固定した(最終的に完結し、終わってしまった)ものではない。それらはつねに来るべき未来の対話の展開のなかで変わっていく(更新する)。対話の展開のある時点では忘れ去られた意味たちの厖大な量があり、それが次の展開のある時点では、その進行の具合によって改めて思いだされ、(新しいコンテキストのなかで)更新された形で息を吹きかえす。絶対的な死というものはない。意味というものにはそれぞれ、その誕生の祝祭がある。大きな時間の問題。」 ーーーバフチン(p74)
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→言葉というのは、同じ言葉でも対話の中で変容してくものだし、ぱっとひとつの言葉を聞いても、人それぞれのなかで意味やニュアンスが異なっているため、想起されるものが違ったりします。過去に発された言葉は、過去に刻まれてしまってもうどうにも変わることの無いものではない、とバフチンはここで言っています。更新されていく、そしてそれは毎度、誕生であってその誕生には祝祭がくっついている。世の中はマインドゲームだっていう視点がありますが、気分の持ちようや考え方の変化で世の中ってまったく違うように見えてきます。悲しい世界に見えていたのに幸せな世界にがらっと変わって感じられるようになっただとか。たまに「遊園地って悲しい」という人がいますが、これも物事には感じ方の違いがあり、それを支える多義性があるということ。言葉もそういったことに、似たようなものなんじゃないか、とこの引用文を読んで気づかされました。
僕は、オープンダイアローグを技法としてとても優れているし自分も取り入れたいという気持ちでいます。さらにいうと、じっくり考えてやれば、けっこうできちゃうものだと思っています。僕が前に書いた会話劇の短編小説があるんですが、その会話の流れがこのオープンダイアローグの在り方とかなり近かった。日常からかけ離れていない技法なんですよね。尊厳を持つとか、誠実さとか、そういった姿勢で生きている瞬間は多くの人にあると思いますけれども、たぶん、そういった瞬間の人間の有りようから抽出した技法が、オープンダイアローグです。人を大切にする考え方や価値観を大事にしたい人にはうってつけの技法ではないでしょうか。ただ、人的なコストがかかりますし、効率、タイパ、コスパ、そういったものばかりを優先しているとこの技法は成り立たないものなのかもしれないです。なんとか、そういった効率社会のありようとオープンダイアローグの思想の共存が効く世の中のデザインがないものでしょうか。
『対話のことば オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』 井庭崇 長井雅史
を読んだ。
オープンダイアローグという対話技法はフィンランドで生まれ、かの国ではまず統合失調症、うつ病、PTSD、家庭内暴力など精神疾患の治療で用いられ成果を上げてきました。日本には2010年代に紹介され、精神科医である斎藤環さんが書かれた書籍もあります。
本書はそんなオープンダイアローグを他の問題への応用が効く技術として広くとらえます。つまり、心理療法のみならず、家族、職場、友人などの人間関係のこじれすべてに適用可能なものとしているのでした。そういった前提の上、パターンランゲージという技法で分節された抽象性の高い30個のパーツをひとつずつ学んでいくかたちをとっています。また、30個のパーツは3つのグループごと10の集まりを作っていますし、さらにもうひとつ上のカテゴリが形成されもしていて、一つひとつの技法の方向性がわかりやすくなっています。文章自体も簡潔ですし、分量も少なくわかりやすかったです。
この対話のやり方としては、オープンダイアローグを行わなければならない問題を抱えた人がいるわけですから、もちろんその当人と家族の参加が必要になります。そして外部からは、親密な友人や親せきが参加してもよいでしょうし、ソーシャルワーカーや支援団体の職員、看護師や保健師などが入ってもよいと思います。肝心なのは、何度も行われる対話につねに参加できることと、途中でメンバーが入れ替わらないようにすることです。場所は当人の家など、リラックスできる部屋を選び、参加者はぐるりと車座になって(中心をつくらず、みなが公平なポジションをとるためです)、始められる。
問題を抱えた当人が話をすることがなければ問題がなにかすらわかりませんが、話をしにくいかもしれない当人が話しやすい場をつくり、耳を傾ける姿勢を正しくとります。そして、ひとりだけが話すのではなく参加した者たちすべてが話す機会を持つことになります。本書にある30個のパーツのなかには、そういった過程をこまかく区切っている部分もあります。対話の最後のほうでは混沌が訪れることにもなりますが、それを恐れず、さらには混沌を乗り越えるためそこからヒントを得るなどしながら、問題を包み込む大きな物語へ到達することが求められます。
それでは、引用をしながら。
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今後の方針や治療計画なども、専門家のみで決めることはせず、本人たちとともにミーティングの場で決めていきます。これは一見すると、よくあることのように思われるかもしれませんが、ミーティングの外では一切、治療スタッフだけの話し合いの場をもたないというのは、きわめてユニークな考え方だといえるでしょう。(p-xv)
全員での対話の外で、今後の方針などについて話したり決めたりすると、みんなで語り合った内容から飛躍が生じ、対話の流れや関係性が崩れてしまいます。(中略)しかし、対話の場以外で何かを話したり決定したりすると、それを受け入れられない人が出たり、距離が生じてしまいます。(p69)
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→これは対話の透明性のことだと、このあとに書いてあります。透明性のある対話がつづくことで、誰もが自分事としてとらえる気持ちが強くなります。そして自分もそこに参加して話をしているわけですから、主体性を持てるようになっていきます。さらに、この場にのみ大切なことがすべてある、という思いが生じて、信頼感も強まると解説されていました。まったくそうだと思います。僕個人の経験でも、いろいろな人をまじえて問題解決に向けた話し合い、それはオープンダイアローグに近いものでしたが、外部で決められてしまい面食らうという事態に見舞われたことがあります。話は飛躍していたり歪曲化されていたりで、当然受け入れられるものじゃない、というものでした。まあ、難しいものだし繊細なものですし、これをやったらどうなるか、というところまで完全にイメージしてやれるものでもないところがありますから、そういったみんなの未熟さを補う意味でも、このオープンダイアローグの手法は一度踏まえておくと(そして、オープンダイアローグという言葉だけでも覚えておいていつでも振り返れるようにしておくと)、話し合いつまり対話がうまくいきやすいのではないでしょうか。
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ひとりの人から話を聴いているだけだと、その人の視点からしか「問題」について捉えることができません。そもそも人間は物事を、本当の意味で「客観的に」見ることはできないものです。問題に直面している人はその問題に意識が惹きつけられているため、なおさら状況や経緯についての盲点が生じやすくなります。(p35)
「ポリフォニー的現実においては、誰の声が正しく誰の声が間違っているかを決めることはできない。<全ての声>が重要であり、新たな意味を生み出すことにかかわっているのだ。それらは等しく価値がある。」 ーーー セイックラ&アーンキル(p40)
__________
→なので、関係者それぞれの話を聴くことが大切になるんですね。そして、その視点をみなが共有する。多様な声を聴き共有することは、問題が解消したあともともに生きていける「未来への仲間」になるきっかけになる、というようなことも著者は述べています。
__________
落ち着いたあとに、そのときの体験や感覚について対話しようとしても、掘り下げて話すことが難しくなってしまいます。問題が生じているとき、とくに感情が不安定なときには、対話どころではないと考え、落ち着いてからにしようと思いがちです。しかし、一度落ち着いたあとに振り返って話すとなると、「せっかく落ち着いたので、思いだしたくない」と感じるかもしれません。また、そうやって先送りしていると、生々しい感情を思い起こすのが難しくなり、問題の解消ができなくなることがあります。(p57)
__________
→大変な心理状態な人に、「あなたはいま大変だと思う。でも、ほんとうに気の毒だしこんなことをさせるのは悪いとも思うのだけれど、それでもここで頑張らないといけないから、無理を言うようだけど言葉にして欲しい」と言わなければいけないし、大変な人はそこでぐっと歯をくいしばって言葉を紡いでいかないといけない。エネルギーを大量に使うことです。こういうところって一言でいうと、不条理ですよ。だけど、しょうがないんですよね。大変な状態の人ががんばることで、社会が新たな知見が得られるということも多いでしょう。話を聴く側の人は、話をしてくれる「大変な状態」の人の、恐怖や不安や怒りなどの感情の生々しさをもふくめて、受け止める努力をすることが大切になります。さらにはそれを否定せず、増幅させるようなことを言わず、しっかりそのままを受け止める。そのことで自分にかかってくる心理的な重い負担を甘んじる。
__________
「言葉には始めも未来もないし、対話のコンテキストは果てしがない(それは無限の過去と無限の未来へ入っていく)。過ぎ去った、つまり過去の時代の対話から生まれた意味というものも、決して固定した(最終的に完結し、終わってしまった)ものではない。それらはつねに来るべき未来の対話の展開のなかで変わっていく(更新する)。対話の展開のある時点では忘れ去られた意味たちの厖大な量があり、それが次の展開のある時点では、その進行の具合によって改めて思いだされ、(新しいコンテキストのなかで)更新された形で息を吹きかえす。絶対的な死というものはない。意味というものにはそれぞれ、その誕生の祝祭がある。大きな時間の問題。」 ーーーバフチン(p74)
__________
→言葉というのは、同じ言葉でも対話の中で変容してくものだし、ぱっとひとつの言葉を聞いても、人それぞれのなかで意味やニュアンスが異なっているため、想起されるものが違ったりします。過去に発された言葉は、過去に刻まれてしまってもうどうにも変わることの無いものではない、とバフチンはここで言っています。更新されていく、そしてそれは毎度、誕生であってその誕生には祝祭がくっついている。世の中はマインドゲームだっていう視点がありますが、気分の持ちようや考え方の変化で世の中ってまったく違うように見えてきます。悲しい世界に見えていたのに幸せな世界にがらっと変わって感じられるようになっただとか。たまに「遊園地って悲しい」という人がいますが、これも物事には感じ方の違いがあり、それを支える多義性があるということ。言葉もそういったことに、似たようなものなんじゃないか、とこの引用文を読んで気づかされました。
僕は、オープンダイアローグを技法としてとても優れているし自分も取り入れたいという気持ちでいます。さらにいうと、じっくり考えてやれば、けっこうできちゃうものだと思っています。僕が前に書いた会話劇の短編小説があるんですが、その会話の流れがこのオープンダイアローグの在り方とかなり近かった。日常からかけ離れていない技法なんですよね。尊厳を持つとか、誠実さとか、そういった姿勢で生きている瞬間は多くの人にあると思いますけれども、たぶん、そういった瞬間の人間の有りようから抽出した技法が、オープンダイアローグです。人を大切にする考え方や価値観を大事にしたい人にはうってつけの技法ではないでしょうか。ただ、人的なコストがかかりますし、効率、タイパ、コスパ、そういったものばかりを優先しているとこの技法は成り立たないものなのかもしれないです。なんとか、そういった効率社会のありようとオープンダイアローグの思想の共存が効く世の中のデザインがないものでしょうか。
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