渓流歩きや山登りの時、安全のためと思い買い求めました。(400円)
6mmの20mなのですが、2重にして使おうと思っています。
本当は、クライミングロープにしようと思っていたのですが、たいして使うこともないし(基本的に危険な場所へは近づかない)、誰にも見られることもないのでこれにしました。
これでいいのだ。(バカボンパパ)
渓流歩きや山登りの時、安全のためと思い買い求めました。(400円)
6mmの20mなのですが、2重にして使おうと思っています。
本当は、クライミングロープにしようと思っていたのですが、たいして使うこともないし(基本的に危険な場所へは近づかない)、誰にも見られることもないのでこれにしました。
これでいいのだ。(バカボンパパ)
渓流のゴミは減ったと書きましたが、それでも落ちていることはあります。
写真のアルミ缶は、4、5年前のものと思われますが、土に埋まっている部分は腐食しています。土に埋めたら姿形も無くなってしまうのではと思われます。
環境的によいのかどうかわかりませんが(あまりいいとはおもいませんけど)、スチール缶と比べると原型をとどめない分だけ潔さを感じます。(笑)
たまに3、40年前のスチール缶が落ちていることがありますが、これはもう骨董といってもいいくらいの風格を感じて、そのままにしてしまうこともあります。
ずいぶん前の話になりますが、とあるキャンプ場で北海道帰りのライダーと話したことがあるのですが、彼がたき火をしていた時にビールの空き缶をたき火にくべた時(違法行為でしょうが)、空き缶は燃えて無くなってしまったそうです。
だからどうしたって話ですが、人間の骨も姿形も無くなってしまうようならいいなと思ったものでした。
見える魚は釣れない、とは釣り師の間では言われていますが、それは相手からも察知されやすいという意味なのだろう。
撮影する時も同様で、相手に察知されずに近づくことができれば、奇麗な映像を映すことができます。
下流から上流へと中腰(あるいは這いつくばる)で近づき、行動は太極拳のようにゆっくりとした動作が必要になる。撮影したらそれでいいというのではなく、回収も相手に察知されてはいけない。これは僕の美意識なのだ。
上の写真は3~4週間前に行った時のものでが、写真中央に丸太が映っているのがわかります。
こちらが現在の風景ですが、丸太が無くなっているのがわかります。川底には土砂が積もっていますし、小中の崖崩れがあったのが後に確認できました。
左に出ているのが丸太ですが、これほどの大きな木が水の力で移動してしまうというのが、自然の大きさを感じてしまいます。
鉄砲水でもあったのだろうかと思いますが、ここ最近、大雨が降ったという記憶がないのですが、それほどの大雨でもないのにこれほど荒れてしまうというのには驚きました。
それでも渓流魚たちは、たくましく生活しているようです。