「神々の復讐(人喰いヒグマたちの北海道開拓史)」(中山茂大著)を読む
・明治期に北海道へ入植するようになり、毎年4〜6万人が増えるようになった。人口が増えることにより、人喰いグマ事件が多発し、世界で最も多い特異な地域であった。(当時はヒグマの数も多かったのだろう)
・人間の生活圏でも殺傷事件は多発するようになり、昭和に入ってからは顕著になった。大規模な森林伐採などで深い山奥でも殺傷事件が起きるようになる。
・ストレスにさらされた飼い犬が吠える、噛みつくなどをするケースはあるが、ヒグマも生活環境を失ったせいで凶暴化したとも考えられる。
・ヒグマは山爺と言われるように、親しみを込めた隣人として親しまれてきた。一方で恐るべき野獣であるという認識をしたきっかけは、多くの読者と同じように小説「羆嵐」であった。
・山間集落の高齢化、過疎化により、野生動物がカテゴリーを広げたのが今の状況である。それに関連して、農業の大規模化により、無人になることも一因。
・戦前戦後を通して、ヒグマの生態数は3千頭ぜんごであった。その理由として、毎年小熊750頭程度生まれ、500頭が獲殺され、250頭ほどが自然死したからである。
・現在は、この20年間で4倍に増えた。
・人喰いクマの出現は、1600〜2500頭で1頭くらいなので、現在の生息数12000頭に換算すれば5〜7頭程度になる。
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最近、クマの被害のニュースが頻繁にあるけど、メディアのさじ加減で多く見せようとすることは容易い。視聴者は他人の不幸に蜜の味を感じ、クマを絶対悪と考えることで自分の立ち位置を明確にし、善と悪とに分けて、自らを善人という姑息な偽善者になる。