近くの都営アパート(高輪一丁目アパート)は戦後すぐのコンクリートのアパートで、当時はあこがれのまとであった。
真ん中にくじら公園があり、大勢の子どもが遊んでいた。
〇紙芝居おじさん
昭和20年代、くじら公園のとなりに40歳代のおじさんが自転車を止めて、駄菓子を売って紙芝居をやっていた。
出し物は「黄金バット」だったように思う。私は駄菓子を買わないので、いつも後ろの方で見ていた。
30人位見ていただろうが、駄菓子を買うのは10人位でよく商売になったと思う。
昭和30年ごろには、いなくなったのでは。
〇爆弾あられ
同じように、都営アパートに爆弾あられを売る人が来ていた。
何か大砲のような道具でバンと大きな音を立てて、爆弾あられを作っていた。
私は遠くから見ていただけなので、どのような味かは知らない。
〇鬼ばばあ球場
小学校に入って、友人たちとゴムボールで3角ベースの野球をやっていた。
場所がないので、御屋敷の敷地にこっそり入り込んでやっていた。
当時のお屋敷はまで家が建っていなく、広い敷地で存分に遊んでいたが、たまにその土地の所有者のおかみさんが来て、「何やっていると?」とかんかんに怒られた。当然だと思うが,我々は「鬼ばばあ球場」と名付けた。
真ん中にくじら公園があり、大勢の子どもが遊んでいた。
〇紙芝居おじさん
昭和20年代、くじら公園のとなりに40歳代のおじさんが自転車を止めて、駄菓子を売って紙芝居をやっていた。
出し物は「黄金バット」だったように思う。私は駄菓子を買わないので、いつも後ろの方で見ていた。
30人位見ていただろうが、駄菓子を買うのは10人位でよく商売になったと思う。
昭和30年ごろには、いなくなったのでは。
〇爆弾あられ
同じように、都営アパートに爆弾あられを売る人が来ていた。
何か大砲のような道具でバンと大きな音を立てて、爆弾あられを作っていた。
私は遠くから見ていただけなので、どのような味かは知らない。
〇鬼ばばあ球場
小学校に入って、友人たちとゴムボールで3角ベースの野球をやっていた。
場所がないので、御屋敷の敷地にこっそり入り込んでやっていた。
当時のお屋敷はまで家が建っていなく、広い敷地で存分に遊んでいたが、たまにその土地の所有者のおかみさんが来て、「何やっていると?」とかんかんに怒られた。当然だと思うが,我々は「鬼ばばあ球場」と名付けた。
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