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1046 諏訪湖(長野県)湖畔にて縄文人と夏花火

2022-08-05 14:43:42 | 新潟・長野
旅先で、諮らずも打ち上げ花火に遭遇した。諏訪湖の湖上花火大会だ。ポスターには第74回とあるから、この地方の夏の大イベントなのだろう。だが新型コロナの影響で、午後8時半から10分間だけの打ち上げである。例年なら数十万人の人出で埋まる一夜になるようだが、今年は10分間だけが15日間続く。見物客はいささか寂しいけれど、しかし行きずりの他所者にとってはこれで十分な華やぎであって、しばし酷暑を忘れ楽しんだ。



翌日立ち寄った諏訪市博物館で学んだことだが、花火が盛んに打ち上げられていた湖面は、縄文草創期の遺物が数多く採取されている「曽根遺跡」のあたりだ。明治時代末期に国内初の水中遺跡として確認され、その後の長野県の埋蔵文化財調査の先鞭をつけた遺跡である。湖岸から300メートル、水深2メートルの湖底から、おびただしい数の石鏃などが引き上げられたのはなぜか、今も論争が続く。縄文人も花火見物していたかもしれない。



諏訪湖は列島のほぼ中央部にあって、フォッサマグナの糸魚川静岡構造線と、中央構造線が分岐する地点の地殻変動によって生まれた水溜りのようなものだ。16キロある湖周は諏訪市、下諏訪町、岡谷市が囲んでいる。湖の面積は13平方キロメートルで、対岸の街の建物が識別できるほどの、かわいらしい湖である。最も深いところでも7メートル程度の浅い湖で、流入する河川は31もあるのだそうだが、流れ出るのは天竜川のみである。



全国9位の大河・天竜川は、岡谷市の釜口水門から発する。私が乗った「特急あずさ」が上諏訪駅に到着した時、ホーム反対側で同駅始発の豊橋行き普通列車が出発を待っていた。下諏訪・岡谷と諏訪湖を廻り、天竜川と共に南下して伊那谷を通過、静岡県の佐久間ダムで天竜川と離れて東三河の豊橋まで、日本一長いローカル線・飯田線を行くのだ。96駅を7時間かけて、天竜川と同じ213キロを走る。列島深部で、こんな列車が日々行き来している。



若いころからの感傷癖は、老いていっそう強くなったようで、列車のアナウンスを聞いた途端、私はこうした道筋を歩き、標高759メートルの地にある諏訪湖を目指してやって来る太平洋縄文人の妄想に陥った。一行の目的は、姫川を遡り、安曇野の谷をやって来る日本海縄文人が運んで来る翡翠を手に入れることにある。待ち構える諏訪縄文人は、この時代の生活必需品である黒曜石を採掘して交易の準備をしている。数千年昔の列島の姿である。



諏訪大社の存在が大きいのだろうが、澄んだ水、澄んだ空気の諏訪湖はどこか「神」のイメージにつながる。しかし縄文人たちが湖畔に集い、物々交換をしていたのは神様誕生の遥か以前だ。諏訪には縄文の痕跡が極めて濃厚なのである。岡谷の天竜川取水口に立つと、対岸に諏訪市の市街地が望まれ、その背後の稜線の向こうには、八ヶ岳の峰々が連なっている。その諏訪側の山麓に尖石の大規模集落が営まれるなど、視界は縄文文化で満ちている。



この列島でヒトが暮らし始めたころ、諏訪盆地は最も早く人々の定住が進んだ地域の一つだったかもしれない。盆地の大半を湖面が占めているから、土地はあまり広くないけれど、それから1万年余を経た今、製糸業から醸造業、精密機械工業と産業を興しながら、湖を囲む2市1町には11万3000人が暮らしている。茅野市を加えた17万人のエリアを「諏訪湖経済圏」と呼んでいいかもしれない。空の広さが心地よい土地である。(2022.8.2-3)














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