今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

1047 岡谷(長野県)イルフとは「古い」の逆か童画館

2022-08-07 07:56:13 | 新潟・長野
諏訪湖の地図には、湖面を3分割する線が引かれているものがある。湖にも岡谷市・下諏訪町・諏訪市の境界線があるらしい。西岸に広がる岡谷市は、広大な市域のほとんどが山地で、諏訪湖に臨む限られた傾斜地に街が営まれている。総面積の85平方キロに「諏訪湖の持分」が含まれているのかは知らない。市章は円を上下に2等分したシンプルなデザインで、「上は岡」「下は谷」を表しているのだそうだが、「上は陸」「下は湖」の方が判り易い。



特急あずさを岡谷駅で降りて、天竜川が始まる釜口水門に行ってみる。諏訪湖唯一の流水口である水門は、洪水抑制と下流の農工業用水の調整を担っているという。周囲は湖畔公園が整備され、母親が幼子を噴水で遊ばせている。対岸に目をやれば諏訪の街から八ヶ岳まで一望できる、爽快で雄大な風景が広がる。湖面の標高は759メートルだというから、40度が続出しそうだというこの日の関東に比べたら涼やかなのだろうが、私は焦げている。



水門から街の中心部まではいささか遠い。「熱中症に負けた高齢者」という無様な姿だけは避けたいので、行くかどうか迷う。迷った時はだいたい行くことにするのが私の流儀だ。自動販売機があるごとに水分を補給し、市役所を目指す。どこの街にでもありそうな住宅地をゆるゆると登ることになって汗が噴き出す。ただ東京では出会ったことがない緩やかな風が吹いて来る。そういえば諏訪の神は風を司ってもいたのではと、納得し歩き続ける。



明治期以降、平野村といったこの街は製糸業で大いに発展したらしい。野麦峠を越えて飛騨からやって来る女工たちを迎える、日本一人口が多い村だった。昭和の世界恐慌で製糸産業が傾いた1936年、村は町を飛ばして一気に市政を敷き、澄んだ空気と豊かな水を生かす精密機械工業や醸造業の街へと転換していく。なんとも見事な街の歴史だが、「平らな野」の村を「岡と谷」の市に名称変更したことが、最も大胆な改革だったかもしれない。



そんなことを考えながら歩き疲れると、旧市庁舎前の蚕糸公園に着いた。市政施行とともに建てられた旧市庁舎は、市初の水洗トイレを備えた立派な庁舎で、国の有形文化財に登録されている。この建物が製糸業者によって建てられ、市に寄贈されたことを知り、当時の製糸業の勢いを偲ぶ。隣接して大きな市民ホールが建ち、向かいの市役所とつながっている。人口4万6000人の街としては実に豊かな空間だ。この地に蓄積された富の記憶である。



行きたいところがあった。岡谷市出身の童画作家・武井武雄(1894-1983)の作品を展示する「イルフ童画館」だ。挿絵を「童画」と呼び換え、芸術世界へと高めたと言われる武井の絵は、いささか古さを感じるものの、装画の持つ「すっと入り込んでくるが軽い」という一般的な特色とは違い、身体の奥をギュッと掴まれたような、忘れ難い印象が残る。この旅の下調べで初めて知った作家で、この歳になっても初めての出会いがある。これが旅の喜びだ。



デパートや大型スーパーが撤退した中心商店街を再生しようと「童画館」を建て、駅に通じる「童画館通り」を整備する街の努力がよくわかる。中ほどにある「岡谷美術考古館」の縄文・顔面把手付深鉢土器は必見だ。海戸遺跡出土の重要文化財で、諏訪盆地が縄文美術の宝庫であることを、誰もいない展示室で再確認する。歩数は2万歩に達し、シャツは汗の塩が縞模様を描いている。それほど楽しい街散歩をさせてもらったということだ。(2022.8.2)














































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