今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

637 下関(山口県)豊かさに恵まれておりフクの街

2015-04-24 14:46:24 | 山口・福岡
下関という街は、本州島の《しっぽ》の先に当たる。いささか失敬な表現だとは思うけれど、北を上部に置く地図の常識を基にすると、そう言わざるを得ない位置になる。ただわずかな幅の関門海峡を挟んで、九州島という大きなたんこぶをぶら下げているしっぽでもある。こうした特別な位置にあるからこそ、この街は様々な歴史の舞台になったし、美味しい海の幸にも恵まれて、あまり例のない存在感豊かな街になったのであろう。



下関市は人口27万人。山口県では最も大きな街だ。市域も合併によって広がって、瀬戸内海の端っこから海峡を経て日本海(響灘というらしい)へと続く、長い海岸線を有している。私はそのホンの一部、海峡に面した街の中心部しか知らないのだけれど、それでもこの街がたくさんの歴史の舞台になったことは知っている。多くの人が行き交う地であり、上陸する文明の影響をいち早く受ける本州島の玄関としての役割を担ったのだ。



こうした特色のある街の市民は、自分の暮らす場をどのように見ているのだろうか。市が総合計画を策定するに当たり、2年前に行った市民アンケート調査が公開されている。それによると下関市民が「わが街の誇れるイメージ」としてあげたのは、「自然が豊かで伝統や歴史を大切にし、安全な生活が送れておいしい料理が楽しめる都市」といったことで、他所者の私がこの街に抱いているイメージとぴったり重なっている。



逆に誇れる度合いが少ないのは「中心市街地が賑やかでなく、若者があまり集まらず、教育や情報化が充実していない」といったことだ。だから市民がこれからの重点施策にしてほしいと考えているのは「高齢者が暮らしやすく、子育てがしやすく、若者が多く集まる街づくり」という結果になる。これらは多くの地方都市が抱えている課題そのもので、地勢や自然・歴史資産に恵まれている下関も例外ではないわけだ。



人口減少と高齢化という日本社会の現実からも、下関は無縁ではない。1980年ころは32万人を超えていた人口は、市の推計によれば2025年には24万人にまで減少する。減少ペースが最も早いのは労働年齢層で、対照的に高齢者人口は比率を高めて行く。典型的な地方都市の縮図が、この本州島の先端でも展開しているわけだ。市はこうした現実を基に、今年度から10年間の総合計画を策定した。第1次の10年を経ての第2次策だ。



その基本構想を読むと、現状がきれいに整理され、市民アンケートに応える街の将来像が描かれている。その盛りだくさんな計画を眺めていて、他所ごとながら「大変だなあ」と溜め息が出た。「輝き海峡都市・しものせき」というタイトルの計画には、「まちの誇り」という言葉が多用されている。「自分たちの街に誇りを抱き、この地に足を踏ん張って共に街づくりを進めよう」と願う、行政担当者らの悲鳴のようにも聞こえる表現だ。





かつては狼煙台だったという「火の山」に登る。山の麓の関門海峡は壇ノ浦の古戦場で、そのすぐの高台は前田砲台跡だ。攘夷に走った長州藩が英仏など4ヵ国連合にこっぴどくやっつけられた台場で、国内の潮流を攘夷から開国に転じさせた夢の跡である。「火の山」は市街を展望するのに格好の丘だ。しかしあいにく春の霞で視界は悪い。視界不良は地方の街づくりも同じ。10年後100年後の下関はどんな街になっているか。(2015.3.30-31)









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