外気が温まり、芳しさを伴うようになると、「梅が観たい」という気分になる。これは花好き・旅好きにとってはほとんど条件反射のようなもので、東京暮らしの花好きは「では熱海か水戸か」と迷うことになる。そしてわが家は「ここはやはり水戸の偕楽園でしょう」ということになって、東京駅八重洲口を出発する高速バスに乗る。「やはり水戸」の決め手の中には、もちろんアンコウ鍋がイメージされている。
これは「昨年の今日は、この街にいました」というお話で、100種3000本といわれる偕楽園の梅は、開花が例年より20日も遅れていた。それでもちらほら開いた紅梅白梅を楽しみながら、難しい名前の名札を目で追って行くと、なんだか凝った盆栽の世界に迷い込んだ気分になる。いつのまにか自分も小さくなって、鉢の中を満たす芳香に酔ってしまったような……。この香りこそが、梅を桜以上に艶っぽく感じさせる秘密なのではないか。
偕楽園は、高台に営まれた水戸城下のはずれにあって、太平洋へと続く東側の眺望が素晴らしい。そうした立地に「(民と)偕(とも)に楽しむ」目的で庭園が築かれ、いまも入園料が不要ということがまた素晴らしい。日本三名園と並び称される兼六園(金沢)は有料だった。後楽園(岡山)はどうなのだろう。街の中に、長い年月に育まれた名園があって市民に開放されている。それだけで、水戸はうらやましい街である。
こうした贅沢な庭園が築造・維持されたのは、封建制度での富の収奪があってのことであり、収奪された側の民衆の立場に思いを馳せれば複雑な感情も湧いては来る。とは言えそれが160年ほどを経て、これだけの公共財として市民に共有されている功績を考えると、徳川斉昭は確かに名君であったのかもしれない。
梅祭り期間中のサービスらしい無料バスに乗って水戸芸術館に行き、さらに弘道館へと定番コースを観光する。歴史遺産の豊かな街は新しい文化活動も盛んなようで、水戸芸術館は地方のハコモノとしては水準の高い活動が評価されている。
ただ旧市街地らしい商店街の疲弊は深刻で、空きビルや、シャッターをおろした商店が目立つ。そうした地域の再開発か、高層マンションが増えている。せっかくの古い街の雰囲気が台無しにならないといいのだが。
アンコウは、水戸に赴任している旧友がご馳走してくれた。産地ならではの味を堪能したことはもちろんで、なかでも「アンキモのステーキ」は絶品だった。宿泊した駅南口の新開地では一晩中、暴走族とパトカーが追いかけっこをしていた。静かな城下町にも「怒れる若者」はいるようである。(2006.2.25-26)
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