今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

640 秋吉台(山口県)カルストの神秘に口をあんぐりと

2015-04-29 08:41:31 | 山口・福岡
宇部でのインターハイに出場した際、帰郷する前にみんなで秋吉台見物に出掛けた。半世紀が経つからどうやって行ったかは憶えていないが、地図を確認すると宇部からはそれほどの距離ではない。秋芳洞にも立ち寄って、初めて見る鍾乳洞に驚いた。それよりも萩を観て来るべきだったと、帰ってから地理の先生に叱られたことは以前書いたが、やはりここまで来たからにはこの天下の奇観は観ておくべきだろうと、奥方を案内する。



秋吉台は展望台に登った。山焼きを済ませたばかりの高原は黒い焼け跡と枯れ草色がまだら模様になって、一面に点在する灰白色の岩に鮮やさはない。それにしてもである。一瞥した奥様は「これの何が珍しいの?」と宣った。行程を工夫してここまで案内した私は、膝から崩れ落ちそうになった。確かにこの季節、石ころが転がるだけの荒涼とした原である。秋吉台は緑の絨毯の中に、墓標のような石灰岩が広がる夏こそが美しいのだろう。



台地の中は少しだけ車で進むことが許されていて、その駐車場から歩いて「長者が森」という地点まで行ってみる。不動産屋風にいえば「1戸建て2棟分」といった程度のそこだけが、枯れ草の中に青々とした森を維持している。シイやツバキなど照葉樹が生い茂り、紅く咲くツバキが健気である。自然の気まぐれなのだろうか、わずかに土が堆積し命を育んでいるのだ。山ガール(山おばさん)のグループが通りかかり、こんにちは!



麓に降りて秋芳洞を見物する。現在、秋吉台一帯は合併して美祢市に含まれるが、かつては秋芳(しゅうほう)町があった。だから「しゅうほうどう」が正しい読みだと思っていたのだが、今は「あきよしどう」と読むのだそうだ。駐車場料金も入場料も、なかなか強気の設定である。それだけ人気の観光地なのだろうが、係員は入場者が減っていると嘆く。山陽新幹線開業時は年間200万人を突破したが、今はせいぜい60万人だという。



鍾乳洞内部は50年前より奇麗に整備されているように感じた。ほとんど記憶が薄れているのだから当たっているかは分からない。ただ黄金柱という巨大な石荀が、てらてらと黄金色にライトアップされていたことは憶えている。今もその柱がコースの目玉であることに変わりないけれど、表面を流れ落ちていた水は枯れて、カサカサとした鍾乳石になっていた。50年という歳月は、計算上は鍾乳石を2ミリ伸ばしたことになるらしい。



1年前の同じ季節、私たちは阿蘇のドライブウエーを火口目指して走っていた。同じように山焼きの直後で、まだ煙の匂いが強く漂っていた。阿蘇の外輪山の雄大さが忘れられないと彼女はつぶやく。秋吉台の奇観も、たまには思い出して欲しいものだ。小さな島国と形容される日本列島だが、なかなかどうして、地球の生成を考える教材には事欠かない。秋芳洞の入場者が減っている要因には、子供の数が減ったことが響いているようだ。



余談になるけれど、試合に敗れて宇部を離れる日、大学生だった宿の娘さんが私を階段の陰に呼び出し、小さな包みを握らせた。秋吉台の石の細工物だった。短い滞在だったのに、私に好意を持ってくれたのだろうかとずっと真意を計りかねて来た。しかし50年後にようやく気がついた。彼女は、自分のミスで試合に負けしょげ返る私を励まそうと、お土産を渡してくれたのだと。素敵なおばあさんになっておられることだろう。(2015.3.31)











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