パヴィアの街から車で移動している間しつこく降り続いていた雨が、僧院に着くころにはようやくあがって、冷たく湿った空気が心地よく肌を刺す。何の木だろうか、ずいぶん高い梢が長い並木を作り、私には初めてとなるカトリックの修行の場へと導いてくれる。すでに夕暮れが近く、暮れなずむ空を背に白い聖堂が浮かんでいる。田園の中の広い森に包まれた院内に、響いているのは私たちの足音だけである。静寂に圧倒されそうである。
聖堂内陣は薄暗く、いささか寒い。後陣は太い鉄格子で遮られていることが、たくさん見て来た聖堂とは違っている。本日最後の入場が閉め切られたのだろう、間もなく後陣の鉄格子が音を立てて開けられた。立派な体格の黒人修道僧が頭からすっぽりと僧衣に身を包んで招き入れた。ゆっくりと移動しながら途切れなく説明を続ける。語っていることは不明だけれど、美しい声が心地よい。ゴスペルに耳を澄ましているような心持ちである。
やがて外へと導かれた。飾り気のない庭が広がり、その四囲を小さな建物が取り囲んでいる。そこが修行の場のようで、建物は切妻の屋根に煙突が1本、みな同じ形である。内部は6畳ほどの部屋が二つ。一方に簡素な十字架が架かっている。入り口のドアの脇に回転式の小窓があって、そこから食事が差し入れられるようだ。小さな庭が併設していて、低い塀で仕切られている。修行僧はここに籠り、瞑想と祈りの日々を送るのだろう。
僧院といえば、これまで『薔薇の名前』といった物語で想像を膨らませていただけなのだが、想像とさほどかけ離れていない、どこか世俗を超越したハリー・ポッターの世界に迷い込んだようである。日本でいえば永平寺といった存在かもしれないと考えた。パヴィアの僧院は永平寺創建に1世紀ほど遅れ、14世紀に整備されたらしい。
僧は主の教えと信者を繋ぐ気高い存在であろう。だから修行は厳しくなければならず、厳しさによって「俗」を超えて行くのだろう。たまたまこの旅の前後に二人のキリスト者と接した。一人は「ようやく定年です。春にオレゴンに帰ります」という米国人の老牧師さん。教団から派遣されて半世紀余、日本や韓国の街々で、教会整備のめどをつける仕事に携わって来たのだという。街の名を挙げてもらうと、びっくりさせられる数だった。
もう一人は30年ほど前、南洋ポナペで「高校を建てている日本人がいる」と聞いて訪ねた牧師さんだ。先年、高齢と体調不良で琵琶湖の畔に引退されたはずなのに、教団から「無牧」の教会の再建を求められ、雪の山陰に赴任したと便りをいただいた。信仰者とは何と強いものか。パヴィアの僧坊を思い出し、しみじみ考えている。
パヴィアの街は僧院からだいぶ離れたティチーノ河畔の古都だ。屋根付きのコルベト橋から大聖堂を眺めていると、中世に迷い込んだ気分になる。丸い川原石を敷き詰めた路地の奥のレストランは、実に美味しかった。
旅の最後の2日間は、ミラノ北西の小さな街に住むシルヴィアさんというイタリア人女性のお宅にお世話になり、車で案内してもらっている。彼女はこちらの彼女に日本語を習っていて、毎週、Skypeでレッスンを受けている。私なぞは「地球の反対側で、よくぞ旅しているものだ」と感慨に耽りたいのだが、インターネットはそんな距離を軽々と越えて、彼女たちは昨日も会ったばかり、といった調子でおしゃべりを続けている。(2013.12.26)
聖堂内陣は薄暗く、いささか寒い。後陣は太い鉄格子で遮られていることが、たくさん見て来た聖堂とは違っている。本日最後の入場が閉め切られたのだろう、間もなく後陣の鉄格子が音を立てて開けられた。立派な体格の黒人修道僧が頭からすっぽりと僧衣に身を包んで招き入れた。ゆっくりと移動しながら途切れなく説明を続ける。語っていることは不明だけれど、美しい声が心地よい。ゴスペルに耳を澄ましているような心持ちである。
やがて外へと導かれた。飾り気のない庭が広がり、その四囲を小さな建物が取り囲んでいる。そこが修行の場のようで、建物は切妻の屋根に煙突が1本、みな同じ形である。内部は6畳ほどの部屋が二つ。一方に簡素な十字架が架かっている。入り口のドアの脇に回転式の小窓があって、そこから食事が差し入れられるようだ。小さな庭が併設していて、低い塀で仕切られている。修行僧はここに籠り、瞑想と祈りの日々を送るのだろう。
僧院といえば、これまで『薔薇の名前』といった物語で想像を膨らませていただけなのだが、想像とさほどかけ離れていない、どこか世俗を超越したハリー・ポッターの世界に迷い込んだようである。日本でいえば永平寺といった存在かもしれないと考えた。パヴィアの僧院は永平寺創建に1世紀ほど遅れ、14世紀に整備されたらしい。
僧は主の教えと信者を繋ぐ気高い存在であろう。だから修行は厳しくなければならず、厳しさによって「俗」を超えて行くのだろう。たまたまこの旅の前後に二人のキリスト者と接した。一人は「ようやく定年です。春にオレゴンに帰ります」という米国人の老牧師さん。教団から派遣されて半世紀余、日本や韓国の街々で、教会整備のめどをつける仕事に携わって来たのだという。街の名を挙げてもらうと、びっくりさせられる数だった。
もう一人は30年ほど前、南洋ポナペで「高校を建てている日本人がいる」と聞いて訪ねた牧師さんだ。先年、高齢と体調不良で琵琶湖の畔に引退されたはずなのに、教団から「無牧」の教会の再建を求められ、雪の山陰に赴任したと便りをいただいた。信仰者とは何と強いものか。パヴィアの僧坊を思い出し、しみじみ考えている。
パヴィアの街は僧院からだいぶ離れたティチーノ河畔の古都だ。屋根付きのコルベト橋から大聖堂を眺めていると、中世に迷い込んだ気分になる。丸い川原石を敷き詰めた路地の奥のレストランは、実に美味しかった。
旅の最後の2日間は、ミラノ北西の小さな街に住むシルヴィアさんというイタリア人女性のお宅にお世話になり、車で案内してもらっている。彼女はこちらの彼女に日本語を習っていて、毎週、Skypeでレッスンを受けている。私なぞは「地球の反対側で、よくぞ旅しているものだ」と感慨に耽りたいのだが、インターネットはそんな距離を軽々と越えて、彼女たちは昨日も会ったばかり、といった調子でおしゃべりを続けている。(2013.12.26)
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