ロンバルディア平原の北は、イタリアとスイス・オーストリア国境のアルプスへと続いて行く。その山塊が始まるあたりは、大小の湖が点在する湖沼地帯になる。そのひとつ、マッジョーレ湖のほとりにアローナという美しい街がある。ミラノ・マルペンサ空港から昼過ぎの直行便で帰国する私たちは、イタリア最後の日の午前中をアローナ散歩で過ごした。前日までの風雨が去って、目映いばかりの蒼空が私たちを迎え、見送ってくれた。
ミラノの北西40キロにヴァレーゼという街がある。私たちが泊めていただいた家は、ヴァレーゼと大きな谷を隔てて向き合う南側の村にあって、テラスから街を遠望すると、アルプスの氷河が長い時間をかけて形成した湖沼地帯の大景観が楽しめる。西には稜線を突き抜けてスイスの最高峰モンテ・ローサ(4634m)が腰を据え、朝日を浴びてピンク色に染まる姿は、その名がイタリア語の薔薇(rosa)に由来しているとの説を裏付ける。
アローナには鉄道が通じ、ミラノの中心部と1時間で結ばれている。ヨーロッパの暮らしは4、5階建ての石造りのアパートが中庭を囲んで建ち並び、家々は狭いながらもよく区画されたスペースに収まっている、といったイメージを持っていたのだが、それは街の暮らしで、郊外では当然のことながら、自然環境を楽しむ庭付きの1戸建ての生活がある。アローナはそうした郊外生活と、都心生活者のリゾートを引き受けている街のようだ。
マッジョーレ湖の水は澄んでいる。小魚でもいるのだろうか、カモメらしい鳥が群れて餌を競っている。フェリーが静かに湖面を分け、古城が建つ対岸に向かっていく。広場では露店が店開きし、野菜やチーズのテントでお年寄りがゆっくり品定めをしている。石畳が続くショップ街は看板も幟旗も見当たらず、おしゃれなウィンドウが買い物客を楽しませている。イタリア人のセンスの良さには感心するが、落胆させられることもある。
電車内の携帯電話は野放しで、そうでなくてもおしゃべり好きな彼らが延々と話し続けてうるさい。歩行喫煙は当たり前で、くわえ煙草の男女が盛大に煙りを吐き出して行く。ポイ捨てされた吸い殻が石畳の石の隙間を埋めるように詰まっているのは、驚くに当たらないことらしい。公徳心が乏しいのかどうかは不明だが、規制は嫌いで好き勝手に生きることが好き、という国民性がベースにあるのだろう。ただあまり肥満は見られない。
一言で言えば「お国柄」ということになるのだろうが、善し悪しを超えてその違いを楽しむのが旅のコツでもある。そんなことを思い返していると、飛行機はどんどん高度を上げ、湖沼地帯の大パノラマが展開し始めた。やがて眼下は白銀一色に埋まり、アルプスが「光溢れる地中海地方」と、北方の「日暮れのような暗い土地」を分ける巨大な塊であることを教える。それは暮らしだけでなく、文化や国民性にも違いを生じさせたことだろう。
「この白銀のどこかで、アイスマンは5000年も眠っていたわけか」「カルタゴ軍を率いるハンニバルは、どの峠からイタリアに攻め入ったのか」「ローマ軍はどんなルートで道を穿ち《暗い土地》へと版図を広げて行ったのだろう」「レオナルドがフランスに渡った道は?」「同世代のゲーテとモーツアルトは、嶺々を馬車で越えたのだろうか」。アルプスを俯瞰しながらそんな思いに耽り、私は幸せな眠りに落ちたようである。(2013.12.27)=イタリア北部街巡り・完
ミラノの北西40キロにヴァレーゼという街がある。私たちが泊めていただいた家は、ヴァレーゼと大きな谷を隔てて向き合う南側の村にあって、テラスから街を遠望すると、アルプスの氷河が長い時間をかけて形成した湖沼地帯の大景観が楽しめる。西には稜線を突き抜けてスイスの最高峰モンテ・ローサ(4634m)が腰を据え、朝日を浴びてピンク色に染まる姿は、その名がイタリア語の薔薇(rosa)に由来しているとの説を裏付ける。
アローナには鉄道が通じ、ミラノの中心部と1時間で結ばれている。ヨーロッパの暮らしは4、5階建ての石造りのアパートが中庭を囲んで建ち並び、家々は狭いながらもよく区画されたスペースに収まっている、といったイメージを持っていたのだが、それは街の暮らしで、郊外では当然のことながら、自然環境を楽しむ庭付きの1戸建ての生活がある。アローナはそうした郊外生活と、都心生活者のリゾートを引き受けている街のようだ。
マッジョーレ湖の水は澄んでいる。小魚でもいるのだろうか、カモメらしい鳥が群れて餌を競っている。フェリーが静かに湖面を分け、古城が建つ対岸に向かっていく。広場では露店が店開きし、野菜やチーズのテントでお年寄りがゆっくり品定めをしている。石畳が続くショップ街は看板も幟旗も見当たらず、おしゃれなウィンドウが買い物客を楽しませている。イタリア人のセンスの良さには感心するが、落胆させられることもある。
電車内の携帯電話は野放しで、そうでなくてもおしゃべり好きな彼らが延々と話し続けてうるさい。歩行喫煙は当たり前で、くわえ煙草の男女が盛大に煙りを吐き出して行く。ポイ捨てされた吸い殻が石畳の石の隙間を埋めるように詰まっているのは、驚くに当たらないことらしい。公徳心が乏しいのかどうかは不明だが、規制は嫌いで好き勝手に生きることが好き、という国民性がベースにあるのだろう。ただあまり肥満は見られない。
一言で言えば「お国柄」ということになるのだろうが、善し悪しを超えてその違いを楽しむのが旅のコツでもある。そんなことを思い返していると、飛行機はどんどん高度を上げ、湖沼地帯の大パノラマが展開し始めた。やがて眼下は白銀一色に埋まり、アルプスが「光溢れる地中海地方」と、北方の「日暮れのような暗い土地」を分ける巨大な塊であることを教える。それは暮らしだけでなく、文化や国民性にも違いを生じさせたことだろう。
「この白銀のどこかで、アイスマンは5000年も眠っていたわけか」「カルタゴ軍を率いるハンニバルは、どの峠からイタリアに攻め入ったのか」「ローマ軍はどんなルートで道を穿ち《暗い土地》へと版図を広げて行ったのだろう」「レオナルドがフランスに渡った道は?」「同世代のゲーテとモーツアルトは、嶺々を馬車で越えたのだろうか」。アルプスを俯瞰しながらそんな思いに耽り、私は幸せな眠りに落ちたようである。(2013.12.27)=イタリア北部街巡り・完
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