
JR中央線の三鷹駅の西隣に、武蔵境駅がある。高架工事が大詰めを迎えている駅舎に立って、考えた。この「境」は何と何の境なのか、と。「武蔵国」と「相模国」の国境か? いや、この地の南西には武蔵国の国府が置かれた府中があるし、西には国分寺があった。北と東は当然、武蔵の地だ。武蔵境はむしろ武蔵中央といっていいような位置にある。
そもそもムサシとは何か。その昔、大和朝廷の支配が及ぶ以前の関東平野は、「ムサ」「フサ」「ヒタ」「ケヌ」などと呼ばれる地域に分かれていた。フサは房=房総であり、ヒタは常陸として名が残った。ケヌは毛野と書き表された大勢力で、上毛野(かみつけぬ)国と下毛野国に分割され、後に上野、下野へと名が遷ろった。
そしてムサは、大和を中心にして「ムサの上(かみ)」と「ムサの下(しも)」に分類された。つまりムサカミとムサシモである。これが【ム「サカミ」】【「ムサシ」モ】に転化した。サガミ(相模)、ムサシ(武蔵)の誕生である。以上は何かの書の受け売りなのだが、この部分だけが余りに腑に落ちて記憶に残り、書名や著者名はすっかり忘れてしまった。
後に別の書で「毛は木なり」という説に触れ、鬼怒(キヌ)川は、古くは毛野(ケヌ)川と表記されたのだろうと考えた。関東平野北部は、木々が毛髪のようにふさふさと密生した緑の大地だったのだと、この説も即座に納得したのだった。しかしムサの意味については未だ知る機会がない。
さて、武蔵境である。かつてこの一帯は「境村」といったらしい。武蔵野市境という現在の地名は、その名残りであろう。それにしても「境」とは、物悲しい響きである。中央ではなく「はずれ」ということに他ならないからだ。「はずれ」が悪いわけではないが、やはり賑わいよりも寂れにつながる。そういえばこの駅の辺りから、中央線の車窓には畑地が増えてくる。
駅前の商店街といってもわずかなものだし、飲食店街も侘しい。そんな通りに「学校別サービス」という看板を掲げるカラオケスナックがあった。【月】日本獣医畜産大学・ルーテル神学校【火】国際基督教大学・武蔵野女子大学【水・木】亜細亜大学【金】畜産大・東京外語大学という具合である。この地域には大学が多いことと、神学校の学生もカラオケを楽しむのだということを知った。

私にとっては、脳梗塞で倒れて救急車で唸っている時、受け入れを拒否された恨めしい病院なのだが、後に脳外科外来でそのことを話すと、医師に「大変申し訳ありませんでした。よほど立て込んでいたのだと思います」と謝られた。お医者さんに詫びられたのは、後にも先にもこのときだけである。
街は道路整備や鉄道の高架が進み、ずいぶんと綺麗になってきた。いずれは閑静な、暮しよい街になっていくだろう。そうであるなら地名などどうでもいいようなものだが、やはり気になる。武蔵「境」とは、いったい何の境なのだ!(2007.3.20)
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