今日は、この街にいます。

昨日の街は、懐かしい記憶になった。そして・・

629 久慈(岩手県)はるばると琥珀の軽さ確かめに

2015-03-18 11:08:19 | 岩手・宮城
「三陸海岸」が始まる八戸から、ローカル線を乗り降りしながら南へ、海と松林とトンネルと、そしてたまに現れる小さな集落を通り過ぎながらやって来た久慈は、ずいぶん大きな街のように見えた。私の眼が都市に飢えていたのだろう、街を歩いて間もなく「そうではない」ことに気づかされた。街の疲弊は隠しようもなく、地震の傷も未だ重苦しく漂っているようである。しかしそんななかでも、とびっきりの笑顔に出会える私は幸せだ。



久慈は三陸海岸の北辺にあって、奥州街道からは遥か山地に隔てられている。私は新幹線が未だ通じていないころ、釜石まで東京から鉄道を乗り継いで、ずいぶん時間がかかることに驚いたことがある。そしてそのとき久慈という、さらに遠い街があることを知った。その街は日本では珍しい琥珀の産地であり、北辺の海女たちがウニを獲っている海があるという。まるで日本地図の中の異境であるかのような思いになったものだ。



その街が、思いがけなく大きな都会に思えて驚いたのだが、駅前広場は典型的な地方都市の佇まいであり、異境どころか、どこか懐かしい感じすら憶える気安さである。観光案内所で市中モデルコースマップをいただき歩き始める。街の真ん中に巽山という丘があって、公園になっている。石段を上ると大勢の男たちが桜の枝おろしをしている。花見前の手入れかと訊ねると、病気の枝を落とさないと咲きが悪くなるので、ということだった。



男たちはバラバラの服装だから、役所や企業から参加したボランティアたちであろう、やがて北上して来る桜前線を待ち、この丘で北国の花見が賑やかに開宴するのだろう。市民のために奉仕する現場を見ると「いい街ではないか」と嬉しくなる。だが閑散としたシャッター通りに出て、膨らんだ気分がしおれてしまった。政党事務所が政治家のポスターをべたべた貼っている。街の景観をぶち壊しておいて、何が「地方創生」だろうか。



「まちなか水族館」があった。素人っぽい飾り付けが装飾過剰気味だけれど、水槽は小振りながら近海の魚たちがきちんと分類され、面白い泳ぎを見せてくれる。空き店舗対策と、被災者の雇用促進を兼ねた施設のようで、立ち寄る場の少ない駅周辺商店街にあって、なかなか優れたアイデアだと思う。受付で「こんなに観せていただいて無料でいいんですか」と訊ねると、お嬢さんが小さな声で「いいんです」と微笑んでくれた。



小さな島の写真が掲示してあって、あっと思った。巽山公園から海を遠望した際、ひょうたん島のような島影が霞んで見えた。不思議と気になってカメラを最大にズームアップして写真に撮った。どうもその島のようだ。係の女性に聞くと「巽山からも見えると思います。牛島と言って、久慈の神社はすべてこの島に向かって建っていると聞きます」という。どのような謂れと街の人の思いが詰まった島なのか、もっと知りたいと思った。



土産に琥珀のペンダントとスカーフピンを買った。陽にかざすと、飴色や濃褐色が深い光を放つ。初めて触れる植物の樹液の化石は、余りに軽いことに驚いた。帰りを待つ奥方は、鉱物の硬さではない、その軟らかさが好きだと言っていたはずだ。久慈の郊外に鉱脈があって、今も採掘が続いているという。地球上で琥珀の産地は限られる。バルト海沿岸産も神秘的な光を漂わせて魅力的だけれど、ここはやはり久慈産であろう。(2015.3.5)


















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